感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

『ねじまき鳥クロニクル』

2020/02/12
東京芸術劇場 Playhouse
18:30から 2FC列47番
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なんか2月になってから
東京芸術劇場ヘビーユーザーみたいに
なってますが、偶然だと思います...
(今月入ってから3回目)
面白そうなのが集中してるのが悪いですね。
今回は珍しくキャスト目当てで来ました。
門脇麦さん可愛いですよね...!(熱弁)
大河ドラマもめっちゃ可愛いです。
光秀に場所変わって欲しい。
演技派なのは言うまでもないですね。
開演前からワクワクしてました。
あと成河さんが出るのも楽しみです。
去年の『タージマハルの衛兵』で
亀田佳明さんとやってらっしゃって
いやもうこれが控えめに言っても最高すぎて...!
いつか過去に観た記録で熱弁するつもりです。
ホリプロのYシートぎりぎり使えたので
めっちゃ安く観られたのも良かったです。
便利なので若い方に知って欲しい。
ただ席は完全にその時の運ですね。
今回は上手側だったので上手側が見切れます。
残念だけどしょうがない。
全部はっきりみたい!という信念があるなら
正規の値段を出すのが確実です。
というか吹越満さんも出演されてました。
ラッキーです。

ところで私、村上春樹の小説は
海辺のカフカ』しか読んだことありません。
ちなみにこれは舞台も観ました。
舞台は最高だったんですけど
小説は未だに理解不能
そんな村上春樹が原作で
マームとジプシーの藤田貴大さんが演出。
(追記:演出には他にも外国の有名な方2人が
関わってらっしゃるようですが
勉強不足でした。すみません。
演出家3人って凄いですね。
意見めっちゃ分かれそう...)
どちらにしろ、これはもう解釈とか理解が追いつきませんね。
開演前から気がついて撃沈しました...。
一昨年藤田貴大さん演出の『BOAT』観て
"なんかすっごい!"っていうのは
素人ながらわかったんですけど
あとは????って感じでした。
藤田貴大さんの演出は
(というか3人の中で唯一、演出された舞台
観たことある方です。
外国の演出家の方の舞台は観る機会少ないです。
悔しいやら悲しいやら...)
特にリフレイン形式が目に着きますね。
それと人力での細かいセットの移動が多いこと。
あとは、場面がとにかく多いこと。
細かくチャプターみたいに分かれてます。
ノローグとダイアローグも混線してて
ある意味小説的なので、小説原作には
ピッタリすぎるぐらいピッタリですね。
音楽は、ちょっとロック調の爆音気味です。
いやもうほんと村上春樹にピッタリ過ぎです。
(勝手なイメージ)

舞台のざっくりした印象としては
なんか"立体の仕掛け付きのおとぎ話の絵本"
というのが1番しっくりくる感じがします。
人形芝居とか紙芝居とか色々浮かんだんですが
これがベターな感じです。
おとぎ話的なのは
作品3作しか知らないくせに
こういうのもなんですが
村上春樹の作品によく見られる感じがします。
要はファンタジックってことですね。
幻想的、でもいいですけど
ファンタジックの方がなぜかしっくり来ます。
俳優さんの台詞回しも、そういうこともあってか
セリフを"読んでる"みたいな感じでした。
決して棒読みとか下手とか言う訳では無いです。
なんだか朗読劇調というか。
ただ、ぼんやりした記憶だと(なんせ一昨年)
BOAT』のときもそんな感じだったので
単に演出家さんの特徴かも知れません。
マイク、バンバン使うしね。
なんせ周りの音楽がかなり大きいので。

開演前の舞台は珍しく
黒幕が降りてました。
やはり小説が原作だということが
大きいかなと思います。
第四の壁をあえて利用して
舞台空間と客席を意図的に切り離しているように
感じます。
そしてまだ客席が明るい状態で
なんだか帽子を被った正装風のスーツ?
それともタキシードだったのかな...
なんだか不思議の国のアリスのウサギ、
のパロディでよく見るような
胡散臭い全身真っ黒男がでてきて
「明かりを暗く、もっと暗く...」
と言うのに合わせて照明が落ちていきました。
にくい演出です。
彼がこれからはじまる全てのことを
コントロールするかのような
そんな印象です。
もうここで、考えながら見るの無理だわこれ
となりました...。
アリスが穴に転がり落ちていくように
半ば強制的に進んでいく物語に
観客は巻き込まれることになりました。
実際、井戸がキーワードになっていたので
こはちょっと関係してるのかもしれません。

最初のシーンも2次元な印象を与えますね。
後ろの家は、パネルだということを
あえて分からせるようだったし
岡田さん(主人公)とメイ(門脇麦さん)
が座っている草むらのようなところも
光で表されているだけだったので
舞台は俳優陣以外ほとんど平面的です。
真ん中にあいた深い井戸の穴と
俳優さんの身体だけが
妙に立体的でした。
続く主人公夫婦のリビングのシーンとかは
割とテーブルとかの立体物が多かったのですが
それでも線自体がとてもシンプルで
やはり紙に描いたような印象を受けます。
また夫婦2人の会話自体は
とても現実的なことを話しているのに
演出...身体の動きとか、セット移動とか
そういう諸々が
話す内容のうちに含まれている
個人的な感情とか、個人的な状況とか
考慮にいれたようなものだったので
(例えば、夫婦の心が離れてゆくのを
2人の間にあるテーブルが伸びることで
表現してみたり)
視覚聴覚の情報と、言語的な情報の質の乖離が
甚だしかったです。
(ちなみにこの夫婦は、いなくなった猫
しかも、妻の兄の名前がついた猫を探しています。
流れの都合上あとで触れます)
村上春樹の作品って、リアルな比喩を
超リアル(非リアルでもいいかと)なぐらい
使う印象があります。
要は比喩まみれってことですね。
それの為にあの独特のファンタジックな所が
出ているような気もします。
多分そういうのを舞台化する上で
ひとつの正解として
ああ、こうなるんだな、と感じました。

それと関連して
満州で戦争に参加した人が
当時の様子を語るシーンも良かったです。
こっちのほうは、現実とイメージが混じっている
というよりは
よくありがちなように
言葉をイメージとして立ち上げた
と言った方がいいかもしれません。
その様子を影絵のように
演出しているのが面白かったです。
語り手が真ん中にぶら下がっている
カサつきの裸電球のような照明を
語り出した途中から自分で持って
照らしたいところだけをぼんやりと照らしてゆく
そういう風な演出でした。
考えてみると、物語る時ってこういう風に
見せたいところに光を当てるのと似ているな
と思いました。
語りながら語り手が演出している訳です。
何処を、強調するかとか、
伝えたい部分は何処かとか。
画像だとこれですね。
引用元のリンクは一番下に貼っておきます。
剽窃ダメ絶対(大学より)
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ちょっと橙色っぽい色ですね。
画像には兵隊さんが写ってはいませんが
ミリタリーの服に照明があたったり
後ろのクリーム色の壁に黒い影が落ちたりすると
なんだかセピア調にもみえて
昔の戦争、って感じがして良かったです。
あと何故か満州とか中国は荒野の印象があるので
そういう色彩なのかもしれません。

このシーンで印象的なのは
皮膚を剥ぐ拷問のエピソードですね。
実際吹越満さんが語り出したときは
ありありと想像出来て怖かったです。
この"皮膚"って結構重要な部分です。
なんでかっていうと、他者と自己を隔てる
最後の物理的な壁だからですね。
最後のってつけたのは
パーソナルスペースなるものが今はあるからです。
よくいわれる「近代的な独立した個人」について
その自己と他者を隔てる「壁」が
実際どういうものなのか
誰も定義していないじゃないか!
とブチ切れたのは
(正確にはブチ切れたのち、
礼儀作法こそそれにあたると言ったのは)
ノルベルト・エリアスですが
そういうことも考えて、"最後の物理的な"
ってことにしておきます。
またブチ切れられたらたまったもんじゃない。
また

「この病者(※中原中也のこと)を思う度に、私はこう考える―痛みとは肉体のことだと。」

と、とんでもなく意味不明なことを
特権的肉体論』の冒頭で書いたのは
唐十郎ですが
そういう"痛み"...この劇では「苦痛」のほうが
よく使われていたんですが
痛みを最初に感じる感覚器官も皮膚だと
考えることもできます。

なんでこんなことを長々書いたかというと
このふたつがずっと劇中に影を落としている
ような気がしたからです。
それをこの"皮膚"というひとつの頂点に繋げて
示しているのだと思いました。
ここはさすがですね。
一つ一つの場面が細かくて煩雑なようにみえて
点と点が綺麗にうっすら繋がっているのは
原作読んでないのでわからないんですが
緻密な脚本構成だと思います。すごい。

まず、主人公が二人一役である点。
しかも、ほとんどパラレルワールドみたいに
同時進行で同じ動きをしたり
あるいは微妙な違いをもって動いたりします。
渡り台詞的に喋っていたことも
あったように思います。
(ぼんやりとしか覚えていないのが悔しいですが)
現実と想像...というよりも
顕在意識の前の方と、奥の方
あるいは潜在意識とも言えるでしょう。
また、心理学っぽく言うなら
自己と、その自己をみつめる「自己」
パフォーマンス・スタディーズから言うと
二重の意識、と言ったところでしょうか。
世阿弥が言う「離見の見」ってやつですね。
そういうものが1人の人格の中にあることを
2人にすることで
より分かりやすくしたんだと思います。
海辺のカフカ』に出てくるカラスと似てます。
アイデンティティの分裂とまではいかないですが
思春期とかによく起こりがちなその現象に
通じるところがあります。
ちなみに、顕在意識の奥の方、
潜在意識、自己をみつめる「自己」、
呼び方はなんでもいいんですが
つまり想像とかイメージの方の世界での
主人公を主に演じていたのは成河さんです。
何回でも言いますが『タージマハルの衛兵』で
演技に感動しました。とってもいい。
今回は歌って踊れることも知れて(しかも上手い)
更に好きになりましたね。
今後も追っかけます!(宣言)
軌道修正します、すみません。
そういったアイデンティティが少しぼやけた不安感
みたいなのが常にこの作品にはありました。
特に、2人が絡み合って踊るのは
絡み合っている(接触している)からこそ
余計分裂している所が強調されたというか
ハンス・ベルメールの人形みたいな感じで
幻想的で、不気味に美しかったです。
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もっとアクロバティックなポーズもあって
そっちの方はほんとにベルメール
足が上下に2本ずつの人形みたいな感じでした。
コンテンポラリー凄い。
こういうような不安感は
海辺のカフカ』にもあったので
つまるところ
作家さんは多分ずっと思春期か
それか子供みたいでないと
作品なんて書けないのかなと思ってしまいます。
時々主人公だけでなく
同じような見た目、動きをする人々
または分裂した身体をもつような描写
(例えば上手のドアから片手、下手の壁から足)
そういう人々がいますが
これも主人公のパロディ...というより
トレースしたものですかね。
そう考えるとスッキリします。
あくまでスッキリするだけで
もっと他の意味もあるかもしれないです。
ただ、何回も書いていますが
リフレインが特徴的な演出家さんなので
そういう意図もあったと思います。
繰り返しは陶酔状態を作り出す
最も手っ取り早く効果的な手段ですから
やっぱりファンタジックな村上春樹ワールドには
ピッタリですね。

肉体と苦痛に関しては
肉体の痛みを無くした娼婦が
改めて(たぶんほとんどレイプじみた行為で)
痛みを感じさせられたことによって
全く別の人に生まれ変わったと思う
と述べるシーンが1番はっきりしてますね。
別の人に生まれ変わった、
要は、改めて生まれた
あるいは肉体を持ったということです。
失っていた肉体を
セックスという皮膚と皮膚との接触
そしてそこから生じる痛みを通して回復し
自身のぼんやりとしていた輪郭が
はっきりしたんだと思います。

そしてこの劇において
そういうセックス...というか痛みの方かな
そういうものを象徴としてになっているのが
主人公の妻の兄ですね。(つまり義兄になる?)
さっきの娼婦にレイプまがいのことをしたのも
この義兄です。
主人公の妻の姉に
(つまり義兄から見ると実の妹です。姉かも。)
肉体的近親相姦をしたのもこの義兄ですし
そういうことを感じさせたというニュアンスで
精神的に、主人公の妻は
この義兄に近親相姦されたとも
言えるかもしれないです。
なんだかこの義兄が出てくると
一気におとぎ話的な感じが失せます。
おそらく他の演者よりも
セックスとか痛みとか
そういったイメージを負っているため、いっそう
現実的な存在感を示しているからだと思います。
他の登場人物はセットは2次元的ななか
3次元として生き生きと立ち上がってくるんですが
彼が出てくると一気にセットまで立体になる。
というか、夢のように綺麗だったのに
急に現実っぽく見える?
そんな感じがしました。
演出がとか音響がとかそういうのではなくて
ヘアメイクと衣装込での
俳優さん自身の存在感が大きいですね。
あるいはそんな存在感を出すよう
あえてそう演技しているのかもしれません。
存在感は生命力とも言えます。
「獲得していく側」であるこの兄と
「失っていく側」としての主人公等は
劇内で対比されます。
そういう意味で
野性的な生命力とも言えるでしょう。
失っていたら、動物は生きていけませんから。

1幕はこういったことを
つまり2幕の準備を着々と進めていた感じですね。
2幕でいよいよ村上ワールド全開になるので
ゆっくり慣らさせてもらったというか。
蛇足で、1幕終わりの演出がとっても好きでした。
主人公はメイ(門脇麦さん)によって
井戸に閉じ込められるんですが
舞台奥の空間が
井戸を底から見上あげた時の穴で
舞台の前方に丸く落ちた照明が
井戸の底になっていました。
そして底に主人公が横たわっている。
舞台後方に直立しているメイが
ドアをスライドするかのように
井戸の蓋をしてめ暗転した瞬間、休憩。
最高ですね、完璧惚れました。

長くなってますがまだちょっと続きます。
続いて2幕。
2幕はほとんど成河さんが主人公ですね。
つまり顕在意識の奥の方、想像、潜在意識の方
つまり"なんでもありの世界"です。
なんだか地下迷宮じみてダンジョンみたいだし
レイトン教授のゲームみたいな音楽は流れるし
ホテルの受付みたいな所に変な親子はいるし
制服きた人々が時々踊っているし
ずっと奥まで続く通路には
壁一面にドアがついていて
ドアの上には蛍光灯1つずつついていて...
といっても、実際にはドア1個に壁1つ
という感じに細かくセパレートされていて
しかもそれが動くので
空間自体が可塑性をもっているため
ありとあらゆる所から、壁どうしの隙間から
ものとか人がありえないぐらい出てくるし
時計とかもありえない速さで進んでいるから
"今"が何時なのかも不明でした。
それぞれの場面の演出も
映画の『夜は短し歩けよ乙女』を
もっとエスカレートさせたみたいな
なんかこんな感じf:id:monsa_sm:20200213144507j:plain
とか、こんな感じ(門脇麦さん可愛い...)
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(なぜか紙芝居のような木枠に乗って
出てくるんですよ。とにかく可愛い。)

私もほとんどもう考えることを放棄して
視覚聴覚全部で舞台を楽しんでいたんですが
途中で川の演出が出てきたんですよね。
この川の演出が私にとっては突破口でした。
この川もやっぱりお遊戯会というか
とっても二次元的でした。
長い水色のリボンを繋げて作ってあって
これポンポン作るためのやつで
小さい時に似たようなことやってたな
と、どうでもいいことまで思い出したんですが
プロはさすがです。とっても綺麗。
ただ綺麗であると同時に
そのリボンの隙間からなぜか
ムキムキの人が水着を着てわあお!って
顔をモグラ叩きみたいに出すので
ある種アングラ的でした。ちょっと不気味。
この川というファクター、とても重要でした。
なぜならこの劇の主軸は
現代の冥界下降譚だったからです。
イザナミイザナギでも
オルフェウスとエウリディケでもいいんですが
冥府に隠れた妻を探しに
地下へ降りるというあれです。
そして何故か妻の顔は決して見られない。
ここまで一致していたのに
三途の川を思わせる「川」がでてくるまで
全然気が付きませんでした。
書くの忘れてたんですが
実は妻は1幕の途中で姿を消していたんですね。
それで猫と妻を探しに主人公は
1幕で落とされた井戸の底から
現実というよりは、どちらかというと
暗い穴の中でぼんやりと意識が落ち始めた
イメージの方(成河さん)として探し始めた。
2幕は、その間に起こる
夫である主人公の冒険譚を
想像力豊かに描いていると言えます。
(まあ頭の中の事なので豊かなのは当然ですね) ある意味では、ダンジョンみたい!
と思ったのも間違いでは無いかもしれないです。

ところで、突然いなくなった猫を探すことに
異様に執着していた妻が姿を消すのは必然です。
なぜかと言うと、猫は死ぬ前に姿を消すから。
聞いたことある方多いと思います。
つまりここで「死=冥府」の論理です。
猫と妻を探しに行くためには
もう冥界に降りるしかない。
また猫に、主人公にとっては義兄
妻にとっては実の兄の名前を付けることによって
その兄(猫)に引きずられて妻は
冥界に来てしまったというのも
火の神を産んでしまったせいで来たイザナミ
あるいは蛇に噛まれたせいできたエウリディケ
そして
この舞台では圧倒的にリアルな生命力がある
痛みとかセックスを象徴する兄(猫)のせい
できてしまった妻
という構図と綺麗に重なりますね。
どちらかというと、有害性のある存在のせいで、
というのがミソです。
主人公は先に猫を見つけます。
そしてその猫に...サワラだったかな...
ちょっとぼんやりとしか覚えてませんが
そういった名前をつけ直したのは
もう冥界につれてくる原因の代理としての
役目は終わったからだと思います。
もう猫は兄の代替物としての役割は終えたのです。
そしてここからは
兄が直接冥界に出てきます。
人気者らしいです彼。ここでは。
そりゃあ死んでる人達の世界なので
生命力ある人は人気ですよね。
でも主人公はなんとか兄をバットで殴り倒して
電話越しでしか会話できなかった妻を
顔を突き合わせて話すことがなかった妻を
連れ戻すことに...なったといえるとは
思うんですが...。

さっきも書いたんですがこれ全部
主人公の意識の上
しかも潜在意識寄りの意識の中で
起こっていることです。
それが直接現実に影響を及ぼしてしまうのは
なんだかユング的ではあるんですが
実は義兄は現実では脳出血だかで倒れています。
たぶん主人公がバットで殴った時ですね。
そして妻は現実でも失踪してるんですが
その妻が脳出血のため植物状態に近くなった兄の
生命維持装置を外して殺すんです。

そのため妻は今"拘置所"にいます。

ところで、さっきこういうふうに書きました。
比較しやすくするためにもう一度記述します。
「ホテルの受付みたいな所に変な親子はいるし
制服きた人々が時々踊っているし
ずっと奥まで続く通路には
壁一面にドアがついていて
ドアの上には蛍光灯1つずつついていて...
といっても、実際にはドア1個に壁1つ
という感じに細かくセパレートされていて...」

これは、全部拘置所とか刑務所だと思えば
辻褄が通ると思います。
ホテル受付みたいなところは
多分面会の受付です。
制服きた人々は刑務官だろうし
ドアと蛍光灯と壁はそのまんま独房です。

セリフのどっかにあったけれど
恐らくはこれは現代の「神話」なんです。
現代の神話を描こうとしている。
というか、個人的には
あらゆる芸術、とくに小説とかのの根本的な試みは
未だに神話に拠っている印象があるので
当たり前のようにも思います。

もちろん現実と非現実が
さっきの主人公の2人が
奇妙に身体を密着させたように
色々不可思議に組み合わさっていて
完全に論理的な筋を追って
綺麗に結末に至っている訳ではありません。
ただ、最初のアリスのウサギパロディの男が
「この世界には論理とかそういうのを無視する
何かがあるよー♪」とかなんとか
陽気に歌っていたので
あるいはそういうことかもしれません。

そもそもまるでミュージカルのように
歌と踊りを組み込んでいる段階で
ある種高揚した別次元、
あるいは全く子供のように
会話から自然に歌と身振りに
すんなりと移行していたあの頃の気持ち
そのままの感情の動きを
素直に追っていこうとする試みが
感じられます。
隙間からあらゆる物がでてきたりするのも
どこか遠近感がおかしかったり
時計の針が狂っているように思えたり
不気味な集団が現れたり
空間が簡単に違う空間に
突然にワープしたりするのも
まるで子供のように
歪に世界を見つめているからだと感じます。
(この辺のことは三浦雅士さんの『身体の零度』
という本にもっと具体的に書かれていたと
思います。興味があれば是非)
主体と、客体が微妙に曖昧なのも
肉体に対しての不信感を抱くのも
それゆえに死に興味が湧くのも
なんだか思春期の、あの「青い」時代の
懐かしいような気持ちがします。
村上春樹作品は「青」とか「水色」の
印象があります)

そういう独特の、まあ言葉は悪いんですが
思春期真っ只中のまま大人という名前の子供になったんすか?
みたいな人の作品を
よくまあこれだけ言葉を巧みに"使いすぎないで"
舞台化(視覚化)したなあと
素直に拍手が止まりませんでした。
感動しました。
正直今まで村上春樹原作の舞台は
海辺のカフカ』と『神の子どもたちはみな踊る
の2本観てたんですが
海辺のカフカ』の舞台化が素晴らしすぎて
これを超えるのはもうないだろうなあと
思っていたんです。
まさか同レベルで凄いのが来るとは。
私、別に村上春樹作品が
特別に好きな訳では無いんですが
(なんせカタカナが多いし分かりづらいし
なんとなく鼻につきます(酷い)
三島由紀夫の方がまだ好きです)
舞台化に成功すると
あとなんとも言えないファンタジックな雰囲気
日常では絶対に味わえない雰囲気が漂います。
1回でも経験すると病みつきですね。
また、機会があったらいってみようと思います。
あと、ミュージカルは苦手だけど
音楽劇は大好きです。
でもイマイチ言語化しにくいこの違い。
誰かにやっていただきたいです。
『世界は一人』も好きでした。
松たか子さんの歌が凄かった。
いつかハッキリするといいなと思います。

にしても今回は最高に素敵だっけど
ちょっとだけ愚痴を言うと
最高に頭が疲れました。げっそりです。
『少女仮面』とは
また違った部分の頭使った気がします(笑)。
...まだ、感想まとまってないんですよね...。
頑張ります...。

一番下、写真を引っ張ってきたサイトです。
勝手にお世話になりました。
コメントが皆さん素敵です。
門脇麦さん、コメントまで可愛いどうしよう。
明日は『ヘンリー八世』観に行ってきます。
待ってろ埼玉!
https://amp-natalie-mu.cdn.ampproject.org/v/s/amp.natalie.mu/stage/news/366698?amp_js_v=a3&_gsa=1&usqp=mq331AQCKAE%3D#aoh=15815767222780&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%3A%20%251%24s&share=https%3A%2F%2Fnatalie.mu%2Fstage%2Fnews%2F366698