感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

『永遠と一日』

2020/03/31
学校図書館 AVルーム
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いやなんだよこの画像って感じですよね。
言葉で説明するのが無理ゲー過ぎたので
苦肉の策です。頑張って解読して、未来の私よ。
そして絶対もう一回観て。そして考えろ!
でもとりあえずは、今日この映画を観た感じ
この構図が大枠かなあという印象ですね...。

テオ・アンゲロプロス監督作品初めて観ました。
多分観る順番間違ってますね笑。
もうちょい世間が明るくなって
気持ちも上向きになったら
順番に観ていこうと思います。
はっきり言ってそうしないと訳が分からない。

"砂浜でお手玉あそびをする子供、それが時"
出だしから詩的すぎます。どういうこと。
全編通して詩的で綺麗...。
つまるところセリフの意味が不明。
多分大枠とした前提にたつなら、
お手玉あそびは放物線や
曲線を描いて飛ぶはずなので
いつか時間は循環する...でいいんでしょうか。
なんか違う気もするけれど。
ちなみにこの映画過去も現在も
想像も現実もかなりごちゃごちゃしてます。
まさしく心理映画。
ハリウッド映画に慣れてると辛い、と思います。
ハリウッド映画は、
割と起承転結がハッキリしていて
オチがあるのですが
そういう映画では少なくともないです。
明日死ぬはずの老いた詩人と
アルジェリア難民の男の子が
一緒に一日旅をする話です。ざっくり。
ただその旅が、現実の旅だけではなく
心理的な旅にもなっているという...。

旅がテーマなのはちょっとギリシアっぽい
って思っちゃうのはホメロスのせいですかね。
オデュッセイア』とか。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にも近いです。
終盤に2人が乗り込んだバスの中の光景なんか
過去とも未来とも今とも生と死とも
判別のつかないものです。
時代錯誤の赤旗持ったコミュニストの青年。
芸術を口論する恋人。
恋人たちが落としていった花束を、拾う男。
乗り込んでくる音楽隊...。
自分のまだ知らない言葉を
異国の地で人々から買い集めた19世紀の詩人。
色々な人が乗っては降りていきます。
降りない人もいるけど。あと印象的なのは
窓の外の黄色いレインコートの自転車男?3人。
(この3人別の映画のやつらしいです。
全部観なきゃダメです。頑張ろう。)
雨で曇った窓ガラス越しの
車のライトや街頭がどことなく銀河を思わせる。
まあ、ちょっとこのカオスな感じは
唐十郎感もありますが、
やっぱりちょっと『銀河鉄道の夜』の
ジョバンニとカンパネルラみたいです。
また言葉を買った詩人が、この場面で
(この詩人のことを主人公は
本にしようとしている設定です)
「人生はうつくしい」というのが
すごく印象的です。
それまでに色々な人々がバスに乗り降りしたり
また映画の話の中でも色々な人々が出るので
そういう人生すべて
たとえ何も成し遂げられなかったとしても
何だか肯定されたような気もしました。

あとはアルジェリア難民と
その辺のギリシア情勢&文化も勉強しないと。
世界史やってたのでギリついていけましたが
ぼんやりしてて飲み込みにくい。
でも、国境線にある高い網に
人々の死体が引っかかっているのは
アウシュヴィッツ的で恐ろしかった。
多分主人公の想像上だとは思いますが。
(ただ左側の1人動いてたのはなんでだろう)
この国境という〈境界〉を
超えなければならないのは男の子ですが
主人公で詩人のアレクサンドロス
超えなければならないのは生死の〈境界〉です。
これは〈境界〉を重ねることで
詩人と男の子の境遇を同じにしています。
だから一緒に旅ができる。
(子供と老人が同じになっていることにも
時の循環を感じますね)
詩人にとっても、人生最後の日だし
男の子にとっても、ギリシア最後の日です。
まさしく一蓮托生です。

〈境界〉は言葉の問題にも繋がります。
「分けるは分かる」ってよく言われてるけど
これほんと名言です。ほんとに。
混沌とした世界を
地図上に国境みたいに線を引くように
分化していくのが言葉です。

主人公は人生最後の日になって
自分の人生って...?
っていう穴に陥ったんだと思います。(上図)
そこを埋める言葉を、
自分が研究していた19世紀の詩人が
知らない言葉をお金を払ってでも
買おうとしたように、集めたかった。
それに協力してくれるのは男の子です。
子供は1番分化してない人間なので、
理解すると分化へといっきに駆け上がります。
多分そういう存在のそばに居ることで
きっかけを掴みたかったのかなあ、と。
しかも異国の少年ですから期待大。
自国の言葉以外の表現を知ってたり...
するかも...みたいな期待もあったと思います。

で、結果、船で出国した少年と別れるまでに
3つの言葉を手に入れます。
コルフーラー・ムー(愛、とかのイメージ)
クセニティス(よそ者であるということ)
アルガディニ(とてもゆっくり)
もう正直ギリシア語なのか
アルジェリアの方の言葉なのか不明ですが!
とにかくこんな感じでした。
で、詩人あったアレクサンドロス
(最初の図のように)常に世界に対して、
というよりも普通の世界に生きる人々に対して
(おもに感性的な面で)
"よそ者"であったけれど
妻や家族などの深く"愛"してくれる人も
ドクターのようにファンでいてくれている人も
確かに居たこと。
そのことに気がつくのは
"遅すぎるくらい遅かった"けれど
同時に気づけたことに深く満足している。
言語化できて穴から出られたからです。
この世界と疎外感をもったまま
死んでいくことほど辛いことはないと思います。

さっき「常に世界に対して、
というよりも普通の世界に生きる人々に対して」
と少し言い換えたのは、厳密に言うと
世界そのものというよりは
そこに住んでいる一般的な感性の人と
ちょっとズレているなあって感じてきた、
ということだと思ったからです。

世界そのものに対しては、旅を通して
明確に分けられていた時間さえ
恐らくは元々未分化であったことに気が付き
つまり、裏を返すと今言語化されている世界も
元々は未分化だったわけで...
だから自分がよく落ち込んでいた穴は
決して世界から隔離されていた訳では無いこと、
こういうことに気づく過程で
希望が最後に感じられるのだと思います。
詩人には、過去も未来も現在も
未分化の世界も分化した世界も
思索の上で自由自在に行き来して
最終的には
"全てが明るくなった完全な円としての世界"
を見つけ出すことが可能なんだということです。
(個人的には芸術家すべてだと思いますが)
「すべては真実で、真実を待っている」
主人公最後のセリフはそういうことですね。
未分化の底か、分化の遥か上か
どちらかは分からないけれど
全ての物事がこの論理だと真実に至るんです。
円としての世界の見方を変えるというか...
ほんとに言語化しにくいですね。この作品。
一応こんな感じのイメージを持ってます。私は。
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死んでしまった妻に対して(つまり想像上で)
「明日の時の長さは?」と問いかけると
永遠と一日」と帰ってきます。
これ「と」のニュアンスで
かなり意味変わると思いますが、
まあ今までの解釈から大きく外れないとすると
明日、というのは言語化された定義としては
一日の長さしか持たないものだけれど
深い思索の上にたどり着く真実の円においては
過去も未来も現在も全てが円上の1点なので
(つまり時の〈境界〉はどこにも無い)
永遠でもあるということだと思います。
だから、過去に死んでしまった、
と定義された妻でさえ取り戻すことは可能です。
最後あたりの2つ3つのセリフには、
そして気づきに至った3つの単語の繰り返しには、
こういう思いが


たぶん...込められて...いるんじゃ...あれ...
うーん...きっと...おそらく...maybe...


だあああああああ分からん!!!!!
なんか途中で論理破綻してないかこれ!?!
私が前提としてイメージした構造が間違い?!!

ひぇえ手強いよテオ・アンゲロプロス監督作品...。
泣きそうですね...(´-ω-`)

とにかくこの映画観て
ひとつだけ確信、というか実感したのは
信じられないほど"静か"ということですね。
小説よりも舞台よりもはるかに静かです。
究極的に静かに表現できるのは
映画の特性だということを実感しました。
まあサイレント映画があるので
当たり前っちゃ当たり前なんですが。

あ、劇場でやる無言劇は、
あれ結構静かじゃないです。
劇場だと観客の空気が、
たとえ無音にしても舞台に反映されるので。
特に多いのが、"次この登場人物は
一体何を喋るんだろう?"みたいな緊張感とか。
その空気によって作られる
"その瞬間"だけの舞台を
積極的に求めているのが演劇としての目的です。
つまり表現の内側に観客が入ってしまっている。
だからどんなに無音でも表現にはノイズ...
ノイズって表現はちょっとマイナスすぎるけど
そういうのが入るので割りとうるさいです笑。

小説は、うーんと、三島由紀夫とか
村上春樹とか読むと分かると思うんですが
あれはうるさい笑笑笑。
三島由紀夫とか、言葉の鉄格子越しに
物語の進行を眺めている感じがして
あれはあれで面白いです。
小説で1番静かなのは、知る限りだと
志賀直哉とかかなあ...。
『城の崎にて』あれ最高です。大好き。
確か高校生ぐらいの時に教科書に載ってて
最初の授業の時
「好きな人ー?」って聞かれたので
はーい!って感じで答えたら
クラスで1人だけだったという
中々に忘れられない記憶付きです。
みんなの
「お前こんな死骸とか出てくるの好きなの...?」
って顔は生涯忘れません。辛い。(被害妄想)
違うの...雰囲気が好きなの...分かって...。
でも今度からヤバそうな目で見られたら
とりあえずこの映画勧めて
この映画に雰囲気似てるから!って言えば
なんかちょっと通じそうですね。多分。
早く志賀直哉青空文庫に入んないかな。
それにしても『永遠と一日』手強すぎる。
またいつかもうちょい知識つけて観たいです。