感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

『Jane Eyre』

2020/04/10-04/11
Youtube
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(画像は全て公式Twitter@NationalTheatreより)



今回は3時間の超大作。英語が辛い。
必然的にステイホームです。皆観よう。
特にロチェスター氏が"スフィンクス"みたいに
喋るので、頑張って訳しても意味不明です。
雰囲気で乗り切りました笑。
ロチェスター氏以外は割と簡単。いけます。

とにかく今回はセットが凄かったです。
閉じ掛けの円?半円?上手く表現出来ませんが
回廊みたいになっているかなり立体的なセット。
ちょっと公園の遊具みたいです。
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(これはお気に入りのシーンをカメラで撮影)
(話の結構後半の方なんですが、
重婚となってしまうためロチェスター氏と
別れることを決意したジェーンが
愛する人と離れることに対して
少し躊躇し、またキリスト教的良心の葛藤に
心を痛める時の影絵がすごく綺麗でした。 )

まあそれは一旦置いておいて、役者さんたちが
この回廊チックな舞台を円形に駆け回ります。
この写真だと見えにくいけれど、
左のくぼみに音楽隊も組み込まれてるから
少し異化効果があるような気もします。
異化効果ってちょっとややこしいんですが
ざっくり言うと物語に没入する、というよりは
物語を"眺めている"意識を増加させる効果...
みたいな感じです。(説明下手)
三文オペラ』のベルトルト・ブレヒトとかが
よく主張してました。
この音楽隊をふんだんに利用して、
かなり、コンテンポラリーダンス
オペラやュージカルを彷彿とさせる演出でした。
赤いドレスを着た女の人が主に歌うんですが
(後にロチェスター氏の妻だと判明)
Amazing!としか言えないような
素晴らしすぎる歌声です。鳥肌モノ。
コンサートとか開かないかな...。超行きたい。

また、舞台セット自体はかなりさっぱりしてます。
背景も、スクリーンとかホリゾントみたいに
真っ白です。でもこれのおかげで
むしろ表情が豊かになっています。
照明の色で全体の雰囲気がガラッと変わる...。
ジェーン・エアの半生を描く、という点で
どうしても区切りが多くなるのに、
ごちゃごちゃした印象があまりないのは
シンプルな舞台セットのおかげだと思います。
そのため大掛かりな転換はあまりないので
見立て芝居も結構あります。
赤ん坊のジェーンが、布の塊で表現されてて、
それを広げると少女ジェーンの服になったり。
これは驚きました。
成長をこんなにあっさり表現してしまうとは!
多分1番興奮した演出です。
あと、列車移動は人が走ることで表現したり。
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ちょっと井上ひさし
『イーハトーボの劇列車』を思い出しました。
(2019/02/21 紀伊國屋ホール
『イーハトーボの劇列車』は
オノマトペで走行音を表現していたんですが『Jane Eyre』は
駅名をまくし立てるのとザッザッザッという足音
そして、人の動きで表現してました。
ここは日本とヨーロッパの違いかなあ、
とも感じます。オノマトペは日本が1番ですし。
でもどっちも好きです。面白かったです。

あと観たことあるような演出ではあったんですが
あまりにも効果的働いていたのは、
頭の中の声...小説でいうなら
あの「」と「」の間に書かれている、
ジェーンの心理的葛藤を複数人で喋る演出、
ですかね。ハマると凄い効果です。
心の中を覗き見している感じがします。

そして、ロチェスター氏の犬役の人が
うますぎる笑笑。ほんとに犬に見えます。
まあNTLiveで観る舞台で下手な人って
居ないんですけれど。(厳選しているだけある)
今回も結構な役数を
かなり少人数で回しているんですが、
(さすがに『リーマン・トリロジー』程では
ないですけれど)
全然混乱したりしません。
そして、その配役にすら作為を感じます。
例を挙げるとするならば、例えば
両親を亡くし孤児となったジェーンを、
引き取ったは良いが辛くあたる叔母(伯母?)が
雨の日に、自分の子どもたちに対してだけ
濡れたコートとか脱がしてやったり
温かいご飯を用意してやったりするシーンが
冒頭にあるんですが、そのおばをやった人が、
家庭教師としてはるばるロチェスター家を訪れた
大人になったジェーンに対して、
今度は親切なMrs Faifaxとして
同じようにコートを脱がしてやったり
腹具合を訪ねたり...みたいな。
そういうデジャヴュみたいなのを感じさせる
配役やセリフが所々に散らばっています。
あ、このセリフ前に聞いたな、とか
あれ、この人、違う役で同じことやってたな、
とかとか。

それが回廊みたいなセットにマッチしている、
と個人的には思いました。
時間のイメージって、私の中で時計なので
どうしても円形なんですよね。
しかも『永遠と一日』を観てから
過去も未来も現在も全てが繋がっている
そんなイメージがあります。
だから前みたようなことがまた起こる、
そういう戯曲になっているので
個人的には構造としてピッタリだと思いました。

そもそも『Jane Eyre』の舞台自体
It's a girl.(ジェーンのこと)から始まり
It's a girl.(ジェーンの娘のこと)で終わります。
明らかに円構造です。

しかし、よくよく考えてみると、
このお話は、女性は淑やかに振る舞うことが
当然の事として求められた時代としては珍しく
自己を貫き、社会慣習に反抗し、自由で、
"新しい女性像"を提供するようなお話なので、
回廊(ぐるぐる回って同じことの繰り返し)
のような表現はちょっとどうなんだろう...、
とは思いました。皮肉的とも取れなくもない。
せっかく劇中曲とかも
ビート感とかロック感溢れる感じにして、
劇内の時代としては、かなりアウトローな感じを
漂わせているのに、デジャヴュ的なセリフ
リフレインする音楽、回廊、
初めと終わりのセリフの意図的な一致...etc。
こういうのを積み重ねると、
どちらかというと新しい生き方というよりは
歳を重ねるにつれて落ち着いて、
最終的にはレールに戻った女性...
そんな感じがしなくもないかな、とは思います。

ただまあキリスト教のバッググラウンドが
観る側にもあると印象は変わりそうです。
結構宗教の話がでてきてました。
天国を、Godのいるところを、

"Besides the Earth"
(この地球の上)

と表現するのに、劇内で死んだ人達が
奈落に退場していくのは面白かったです。
肉体は置いていくってことですかね。魂は上?
こういうお墓的な表現は
やっぱり『ハムレット』を思い出します。
シェイクスピアの時代からこうだったとすると
少なくとも400年の歴史のある演出。(゜д゜)!!

キリスト教の概念とかもかなり出てきます。
...やっぱりちゃんと1回キリスト教
勉強しないとダメですかね...。
西洋の芸術関係全般で
毎回毎回つまづいている気がします。
日本の芸術には、いい意味でそこまで強力な
"唯一絶対の神"が存在しないので
西洋のバッググラウンドの強靭さには
いつまで経っても慣れません...。
今は"死んでる"にしても古典には普通にいる...。
世界的ロング&ベストセラーの聖書でも
読めば良いんでしょうか。難しい...。

軌道修正して、指摘するなら、あとはやっぱり
あくまで原作が執筆されたのは
当時であって、今ではないので、
当時としてはジェーン・エアの生き方は
それこそ十分にショッキングなものだった
のかもしれないということがあります。

"Maybe we're crazy"
(私たちは狂ってるのかもね)

これは赤いドレスの狂人の妻が
歌う歌の歌詞なんですが、恐らく"we"とは
ジェーンもロチェスター夫人も
それこそ女性も男性も区別なく、
必死に生きるものは全て
頭がおかしいと思われるくらい命懸けであり
ジェーンの生き方はそういう部類のものだった
ということなんだと思います。

"Wemen feel just as men feel."
(女性だって男性と同じように感じるのよ)

多分これがジェーンの中の第1番の優先事項の
主張だった。
そして主張を実行に移し替える形として、
列車、徒歩、なんでもいいんですが
移動というものは、きっと彼女にとって、
あくまでも楽しいものなんだと思います。
それがどんな原因であったとしても。
(そのことを微妙な表情の変化で
悲しみの中にも滲ませる主演の方凄い。
カメラワークも最高です。)

"We must active."
(行動しなければいけない)

こういう彼女の主張を視覚的に伝えるのには
たしかに円形状を思わせるセットは効果的だ
と思います。

また、その意味で旧体制からの"解放の劇"という
ニュアンスもあるので、
四角い枠で見立てた窓やドアが
弾けるような演出は解放感があってとてもいい。
手っ取り早く象徴しています。
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彼女が大人になるときに、コルセットを
すごく苦しそうに付けているのも印象的でした。
女性解放運動はたしか、1つの流れとしては
コルセットの廃止から始まったらしいです。
それも意識しているのかな。多分。

まあなんだかんだごちゃごちゃ書きましたが
結局は最後のセリフと歌とセットの状態に
全てが集約されている、そんな気もします。

"It is a bright and sunny day, sir.
The rain is over and gone."(ジェーンのセリフ)
(明るく晴れた日ですよ。
雨はもうあがってしまいました。)

"The mountains stand before me
The rivers running wild
The wind it howls, the rain it falls
Upon this orphan child"(歌)
(山々が私の前に連なっている
川は荒々しく流れ
風は唸るように吹き、雨は降りしきる
このみなしごの上に)

だいたい、こんな意味だ...とは思い...ます。うん。

まあセリフと歌の順番はこの順番なんですが
逆にすると分かりがいいかなと思います。
つまりこのお話は
ジェーン・エアの激動の半生を描いた物語だから
歌詞は物語の総まとめです。
さらにロチェスター家も火事になってしまい
ロチェスター夫人は亡くなり、
ロチェスターも家もボロボロになってしまい
セットも今までよりは雑然としています。
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(これもカメラで撮影したやつです)
音楽隊もいません。
でも今、ジェーンは愛する人
なんだかんだあったけど共に居ることができる。
そういう意味では"雨はあがった"のだと思います。
また、深読みすると、異化効果的な音楽隊が
ほとんど消えてしまったので
今度は観客は安心してジェーンの心理に
没頭できる感じがしなくもありません。
ここで初めてジェーンと一体化するような、
そんな感覚がするというか。
そうなると物語然とした感じは消えて、
ここから本当に改めて、より現実味を持って
新しい人生が始まっていく、
そんな意味合いも感じられます。
まあざっくり言うと今までよりジェーンに
共感しやすくなったってことですが。

ただなんとなく総括としては
小説や映画的な物語の運びなのに
演出が完全に演劇的、
もっといえば舞踊的だったので、
ちょっと古き良き感じのお話には
ミスマッチな印象が個人的にありました。
舞踊的だからこそ、の、
デジャヴュやリフレインだったんだろうけれど
前にも述べたように、そうなると
アウトロー的な女性像という話の焦点が
ズレてしまうような...。
ただそれが見方を変えると
ものすごく効果的に運命的に働いてはいるので
一概に全部がイマイチ噛み合ってないとは
言えないところが難しいです。

あと、ここからは蛇足なんですが
なんとなくこの劇を観ている時に、
『Frankenstein』を思い出しました。
ベネディクト・カンバーバッチ
ジョニー・リー・ミラーの二役入れ替えのやつ。
多分吊り下げられた照明と、
ある生命の誕生から始まっていく、
半生を書いた物語だったからですかね。
たしかに共通点は多いかも...。時代とか色味とか。
演技はどっちにしても最高なので
置いておいておきますが
最大の共通点は、
セットを最初に見たときの衝撃ですかね。

『Frankenstein』は始まった瞬間、
上にぶらさがっている、ごちゃごちゃした、
なんか、えのき?みたいなのをひっくり返した
ような形のシャンデリアが、
割と激しく明滅するんですが
それが神経伝達の物質にも
(脳のイメージ、天才の話、
生命をつくる意味としても)
電気の信号にも
(科学技術的な意味合い、
"電気(=科学)によって神話をつくる"話)
生命の神秘を感じる星空にも
(なお残る宗教的な葛藤、生と死の意味、
あと屋外のシーンとして活用)
指摘できるだけでこれだけの意味になるので
正直このシャンデリアの演出だけで百億点越。

『Jane Eyre』も話の内容はあまり
好みではなかったんですが
(どうしても苦手なフェミニズム感が...)
最初セット見た時のワクワク感がこれと
同じぐらいすごくて、演出もえげつなかったです。

頑張って観たかいがありました。
次も楽しみです。
そして窓が解放できる日が
一刻も早く来ることを願うばかりです。
劇場のドアも早く開くといいなあ...。