感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

The Audience『ザ・オーディエンス』

2020/08/19
シネ・リーブル池袋
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女王陛下って、毎週火曜日午後6時半から
20分ぐらい首相とお話するっていう
不思議な伝統?慣習?があったんですね。
初めて知りました。なんか優雅...、

とか思って観てたらそんなに優雅でもない笑。

前口上的な宮廷の人の、
いかにも王室仕えな話し方に合わせて、
後ろでちょこちょこセットが用意されるのが、
あまりにも几帳面なので、初っ端から
ちょっと思わずクスッとなったりしました。
(もちろん観客いじりも忘れない笑)

それにウィルソン首相とか、繊細な茶器を
上手く扱えないからって、
角砂糖手づかみはヤバいでしょ笑笑。
どこに行ったんだ、紳士の国は笑笑。

とにかくあとは政治劇独特の皮肉の応酬で
"さすがイギリス"、って思っちゃう感じでした。
にっこり笑って痛いところを爆笑に変える感じ。
そういえばこの前Youtubeで観た
This Houseもこの期間の話ですね。
monsa-sm.hatenablog.com

今回はあんまり関係ないけども。

背景画は結構豪華なんですが、
セットらしいセットって、
首相と女王陛下が座る2脚の椅子ぐらいで、
ほとんど座りっぱなしで進行するので、
(しかもそれだけで、状況を全て説明する!)
ほんとに"The 会話劇!"って印象でした。
昨日見た『フランケンシュタイン』と
真逆すぎてやばいです。

インターバルのインタビューで、
作者のピーター・モーガンさんが

"会話っていうのは、特に2人の場合、
フォーマルであればあるほど深くなると思う。
会話だけに集中するっていうか。
そう考えてみれば謁見室(the Audience?)って
かなり特別な場所だよね"

って感じのことを(うろ覚え)
なんか答えられてた気がするんですが、
"確かにそうかも、なるほどなー"って
薄っぺらい感想しか抱けなかったのは
きっと寝不足のせいです。

...あ、なんか『カリギュラ』にあったよね?!

「同じ魂と誇り高さを持っている二人の男が、
生きているうちに少なくとも一度、
心の底から話をするのは可能だと思うかーー
偏見や、個人の利害関係や、嘘といった、
生のよりどころをぜんぶ脱ぎ捨て

おたがい丸裸になって」
蜷川幸雄演出、小栗旬主演の舞台のやつ)

ここか、あったね!!(謎の興奮)
きっとこういうことだね!!
大学の先生も言ってたもんね!!
レポート書く時は、
「権威を選んで引用しろ」って。
"大学ってなんだろな...(白目)"ってなったのは
きっと気の所為だと思いたいです。

"Too human"
(人間味がありすぎる)

ってセリフが何回か出てきたような
気がしなくもないん...ですが...(ネテナイヨ)
なんかそんな感じでした。ほんとに。
"セラピストと患者の関係"って
モーガンさん言ってて、しかもそれが
"どっちがどっちかは決まってない"って
ニュアンスのことも言ってて、
とうてい丸裸レベルには程遠いけど、
必然的にそうなるかな、って思いました。

あの"謁見室(the Audience)"の中の会話って
女王陛下と首相だけしか知らないらしくて、
(完全にbetween usが成立してる)
だからこその本音が結構チラチラ見えて、
"首相"とか"陛下"の奥に、ちゃんと
普通の人と同じような人間がいたんだなあ、って
当たり前の感想が湧きました。
"Unlived life(生きられなかった人生)"とか
夢想したりするのも"あるある〜"って思ったし。

まあでも首相たちは、
少女時代のエリザベスに

"Basically they are all mad."
(要するにみんなイッちゃってるのよ)

なんて言われちゃって大爆笑だったけどね笑。

8人ぐらいの各々の時代の首相との
1体1の会話劇のオムニバス形式の幕間に
少女時代のエリザベスが
女王陛下になったエリザベスと会話する、
っていうのが入ってて、

(しかも時系列順ではなくて、
キャメロンのあとにウィルソンとかに
普通に戻るから、時系列は事前に
wiki先生に聞くべきだと思います。
ただ知らなくても混乱はしないように
超絶技巧で纏まってるので
ただただビビるばかりです。
あと、スエズ運河の英仏+イスラエル
"あっちゃーやべえぞ"状況とか。
端的に言うと英仏は米を敵にした)

これが単に少女時代の回想っていうより、

少女→本当の、元々の、本音の姿(個人)
 ↓↑(たまに役割入れ替わる)
陛下→あるべき姿、求められる姿(全体、国)

(こうやって考えると、まんま君主って
国そのものの擬人化みたいでヘタリアやん、
っていう感想はなんとか飲み込む)

みたいな面白いことになってて、
だからやっぱり"陛下"の後ろにある個人が
身近に感じられるし、同時に
とことん"国民に自分を捧げる"って、
やっぱ普通の人じゃ考えられないな、
凄いな、とも思ったりしました。
あとはまあ、たまに会話のやり取りで、
少女の方が大人びて女王陛下のほうが
おちゃめな感じになってたりして、
そうやって自分の心とやり取りして
折り合いつけてるのも人間味溢れてるな、
となんとなく感じました。

もう一個のテーマは、ちょっとこれまた
うろ覚えなんですが...陛下のセリフであったけど

"同じ場所に長くいるとみえてくるのよ。
同じ人間、同じ考え...
違うのは付けてるネクタイの色だけよ。"

痛快すぎる笑笑笑笑。
それにちょっと歴史の本質突いてて重い!
(オムニバス形式ぽいそれぞれの場面で
ちゃんとデジャブっぽくなるように
セリフも散りばめられてて最高)

シェイクスピアの歴史劇に関して、
「歴史のカニズム」とかなんとか
ヤン・コットが書いてたと思うんですけど、
歴史の中枢に長くいると、
実感として生まれるもんなんだなあ...と。

でもこっちは"陛下やべー"って
馬鹿みたいな感想しか生まれてこないので
まじ死んでますね私の脳が。\(˙◁˙)/

あ、『リチャード二世』の井戸のセリフとか、
近いのかもしれないです。

"片方の王の悲しみの涙で重くなった桶が沈むと
反対に次の王の桶が王冠という井戸の中から
水汲みみたいに上がってくる"

って内容のセリフだけど、
これって首相も一緒といえば一緒か。
前任者が失脚すれば当選だもんね。
なんか確かそんなセリフもありました。

こう考えてみてれば、ほんとに最後に

"英国王室が存続してきたのは、
そこに首相達がいたからよ"

って陛下が首相達をバックに宣言する
カッコよすぎる場面も、なんとなく
英国の仕組みにあんま詳しくなくても
腑に落ちる感じがしなくもないかも。
奇妙な関係と伝統が存続してたのには
意味があるってやつかな。なるほど。
言い方ちょっと悪いけど
"国家"とか"国政"とかそういうことに関して、
常に献身しなきゃいけない似たもの同士の
ガス抜き空間的なことだったり...でいいのかな。

まあガス抜きしてるの主に首相だけどね。
"首相"として教育された人たちじゃないし。
突然"構造に組み込まれろ"って言われても
疲れるわなあ、そりゃ。
そう考えると、どちらかと言えば、
"歴史"とか"国政"とか"国家"のカニズム側に
不動の立場として位置することを
早くから教えられ求められる陛下って大変。
しかも実際に在位期間が長いし。
その役割を"能動的に"担っていくので
(個人としての自分を抑える=殺す)
マジかっけえ。(死んできた語彙力)

それにしても、衣装が凄かった!!
20代から80代までそれぞれ演じ分ける
ヘレン・ミレンさんが流石すぎるのは
今更なので置いておいて、
戴冠式の衣装とかまじ衣装さんの本気
あとなんか衣装で骨格まで作ってて、
"まじもんの女王陛下じゃん"ってなります。
舞台上での早着替えも見物でした。
瞬きしたら若返ってるし老けてるしで忙しい笑。

政治系だからどうかなと不安だったけど、
あんまり知識なくても充分爆笑できたので、
ほんとに観てよかったなと思います。
…それにしても今日はいつに増しても文章が
支離滅裂。なんかぼんやりしてる。つら。

あ、女王陛下ってサッチャー首相と
6ヶ月しか違わないんですね。初知り。
サッチャー首相の葬式の話題の時に、
(なんかもともとこの部分、戯曲にはなくて、
NTLive版に付け加えられた、とかなんとか)

"There was just sixth months
between us, you know.
"
(6ヶ月しか違わなかったのよ)

ってちょっとしんみり言ってたのも
なんか"老いと死"とかも
テーマになってたのかな、って思います。
ウィルソン首相もボケてたしね。最後らへん。
ウィルソン首相が1番メインで書かれてました。
1番自分と真逆のタイプが良い友人って
ままあるかも...。
1番王室からかけ離れた首相だしね。
ウィルソン首相が最後謁見室を去る時に、
女王陛下が座ってた椅子の背もたれを
そっと触ってから出てくのが
割と印象的でした。しんみりしちゃう。
しんみりしちゃうんだけど、各首相たちが
モノマネ選手権レベルでそっくりなので、
それはそれでかなり面白かったです。

サッチャーしかりウィルソンしかりで、
周りの同士とかがどんどん死んでくのに、
たった1人真ん中でそれを見続けるって
やっぱり個人の枠を完全に超えて"君主"だったし、
でも、どんなに凄くて次元が違くても、
やっぱり人間なんだなあ、って
小学生並の感想で締めたいと思います。

でもそもそも政治とか歴史とか、
そういうでかいメカニズムの中で
何か、そんなに悲しくない劇を作るってなると、
どうしてもそこに確かにいた血の通った人
強調することが多いんじゃないかなあ...。

てか、そういう、全体個人
両極端な立場の微妙なニュアンスを、
あんだけ体動かさない演技で表現するって
神がかってるんですかね。(語彙力)

あとは、とにかく寝よう、そうしよう。
あととりあえず『クイーン』を観よう。
そして1時間でダウンした
裏切りのサーカス』も再チャレンジしよう。
今ならついていける気がする。(謎の自信)