感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

『白いウサギ、赤いウサギ』(11:00~の回)

2021/03/13

Zoomで!

f:id:monsa_sm:20210317085432p:plain

 

 

「注意 この作品を一度でもご覧になった方は、今後一切本作品を演じることはできません。」

 

…????なんだこれ????

 

と、思って観てみました。演じる予定は、当然ながら全く無いので大丈夫。

 

このブログ読んでる方も(あんまりいないので大丈夫だとは思うんですが)、不味い!と思ったらここで閉じた方が良いかもです。

ネタバレは極力しないように、今回ばかりは気を付けるつもりですが、常時、自分用のネタバレ記事しか書いてないので、うっかりやらかさないとも限らない…。

( ゚Д゚)…反転を使えばセーフ…???どうなんだろう...。

 

 

【以下、極力気を付けながらの感想】

 

その場で、ポンっと俳優さんに台本を渡して、初見でやってもらうっていう、面白いんだか鬼畜なんだかよく分かんない作品でした。

しかも、観客も何人か、劇の進行をお手伝いしないと、話が進んでいかないタイプのやつです。わあお。

 

本当は全部観てみたかったんですが、時間が許さなかったので、11:00~の小林勝也さんの回だけ視聴しました。

世界各国で同日に同作品を上演する、みたいなプロジェクトだったようなんですが、たぶんこの小林勝也さんの回が、トップバッターだったらしいです。

 

 

率直な感想としては

「面白いけど、なんだろうこれ???」

 

 

あの、今帰省してて、手元になんにも本とか教科書とかないんで、自分の中でもモヤッとしてて、モヤッとしか書けないんですが、

 

俳優は劇作家の代弁者、とか、下手すると奴隷

 

…えっと…ほら…なんかそういう構図とか…考え方…あるじゃないですか…(???)

寺山修司あたりが「それまじ、はあ??って感じじゃね??」みたいな感じのことを、もっとちゃんとした言葉で言ってたやつ…。

 

いや実際、台詞のアドリブとかでもない限り、俳優さんが喋ったり語ったり(あとは詠んだり?)するのって、全部作者が書いた言葉なのは、めっちゃ当たり前のことなんですけど、大体、劇観てる時って、そういうの忘れるようになってるじゃないですか…。

 

なんかこの『白いウサギ、赤いウサギ』は、絶えずそのことを意識せざるを得ない感じになってるというか…。

 

 

めちゃ簡単な図にすると

 

セリフ中の「わたし」作者ある時・ある場所

「その人自身でもない」俳優(台本の言葉のスピーカーとして、ある時・ある場所から今・ここへの媒体?)

観客今・ここ

※矢印が双方向なのは、俳優さんも戯曲の言葉(指示)に答えたり、拒否したりできる余地が残されてるな、と思ったからです。観客も、たぶん。あとなんか渡辺えりさんの回は、Twitter見た限りだと、台本にキレて抗議しだしたらしい。まじか。観てみたかったです。あと、視聴した小林勝也さんの回は、あんまり台本とやり取りはされてませんでした。そのまま指示に従いつつ、読む、って感じでした。

 

 

…なんか改めて見ると違うかな…よく分からん…。でも今のところ、私の中で言語化できるギリがこれなので、ここで諦めます。

でも、とにかく、普通の演劇観てる時には、あんまり意識しないな、って感じの構造が、個人的に、「常に」(ここがやばい!)透けて見えてるな、と感じたので、奇妙な感じがしました。

透けて見える割には、それぞれが分断されているというより、連続して繋がっているので、過去なのか今なのか、嘘なのか本当なのか、とか、そういう判断がスパッとできないような時空間、演劇の普通のお約束事を疑うように仕組まれていたのも、ラストに関わってくるのかなあ…??

 

しかもほら…俳優さんの普段なら絶対見られない、たどたどしく読む感じ(初見だからね?!にしてもすごいよね??!)が、「読んでいる」じゃなくて「読まされている」感がすごくて、一歩間違えると、笑えるけど痛々しいみたいな感じになりそうな雰囲気がなかなかに、座りが悪い、というか…。

 

集団で、俳優さんを、いじめてるまではいかないにしても、いじってる、みたいな…。

(実際に、他の動物の真似をしてる動物の真似を俳優さんに無茶ぶりでさせて、観客が満足するまでやらせる、みたいな、なかなかのシーンがあったので…)

 

あと、画面越しのやり取りの独特の間とか、接続が悪くて、中断されちゃったりとか、色々のことがあって、かなり居心地の悪い奇妙な時間が、常時続いている感じでした。

手探りで、ゴールの仕方もよく分からないゲームに参加して、メインキャラ(俳優さん)がどうなるか、ちょっかい出しながら見てる、みたいなのに感覚近いかもです。

 

そういう状態の「その人自身ではない」俳優さんが、

 

自由について、とか

何も考えずに生きることは既に一つの自殺であること、とか

 

なんか、そういうような内容のことを喋らされたり、アイヒマン実験とか働きアリの法則とか思い出しちゃうようなお話とか、あと、過去の習慣がどういう風に未来を作るのか、みたいなことを(俳優さんは、今現在、過去からのスピーカーになっているのに??)語らされてるのが、やっぱり、めちゃくちゃに奇妙な感じでした。

 

語られている内容自体は、なんか当たり前のことだったんですけど、状況が状況なだけに、観ているこっち側に、罪悪感が芽生えるか芽生えないかの瀬戸際、みたいな、上手く言えないけどそんな感じでした。特に、私は、ほとんど参加しないで観ていたので…。

(だから、最後、観客の方に、片方は毒入りのコップを選ばせるぐらいはするんじゃないか??と思ってたんですが、さすがにそこまではしてなかったです。それにしても、ラストシーンの小林勝也さん、「横になって下さい」の指示で、地面に座って椅子の座面に上半身をあずけて目を閉じたのはマジでなんかすごく良かった…。全部終わって安心してひと眠りしているんだか、死んでいるんだかよく分かんない感じが好き…。)

 

観る方も変な感じだけど、俳優さんのほうもかなり奇妙な感じがするよねこれ…と思いながら観ました。演じながら、自問自答で考えることが、かなり多い気がします…。

だからこそ「人生で一回きりしか演じられない」んだろうけれど…。

 

あとは、まあこれを言ってもしょうがないんだろうけど、

 

劇場で観たいよね!?

こういう観客が参加するタイプのやつはさ!
Zoomだと、授業ですらかなり発言・参加しにくいからさ!!

 

みたいな感じになってました。

というわけで、いつか劇場で観たいです。おとなしく待ってます。(笑)

 

劇場といえば…そういえば…子午線の祀り…追加席販売したらしいし、ポストトークもするらしいけど…大丈夫なんか…??

いやもちろん大丈夫だからやるんだろうけど…なんか不安になるよね…??

私は世田谷パブリックシアターの公演は行けないので、再演待ってるよ…???(まだ言ってる)

私、この前のKAATの公演が良すぎたせいで、なぜか平家物語も原文で読んでるなう、だからね…???(だからどうした)

 

あ、今日はこの後、巻第四読みます。

昨日、重盛死んじゃったから、いよいよ大変なことになりそうです。頑張れ知盛。宗盛は駄目だきっと。子午線の祀りでも駄目だったけど、平家物語でも駄目そうな匂いしかしない。

あと平家物語のみんな、「袖もしぼりきれないほど」泣きすぎ。脱水症状には気を付けてね。

今のところは、清盛、案外、ちょろい…、というひどすぎる感想で終わってます。高校時代に古文をある程度読めるように叩き込んでくれた先生に感謝しつつ、出世したかったら厳島に行こうと思います(文脈どこいったん)。

 

【蛇足】

あと…最近…ずっと前に観た『エブリ・ブリリアント・シング』が「観客参加型」の演劇と言い切るには議論の余地がある、みたいなことを言われてですね…、個人的にめっちゃ混乱してるんですよね…「観客」が劇の進行に「必要な存在として参加」してるから「観客参加」だと思ってたんだけど…???「没入」?????え????てか、そもそも「観客」が「参加」してない演劇って??え???

 

…ってなって、夜しか眠れないので、東京戻ったら図書館に直行して、とりあえず悲劇喜劇の劇評から読んでみようと思います!!(宣言)