2021/07/14と07/18
7月半ばと1月半ば以降に観た舞台は感想が翌月になりがち。
理由はF×CKINGレポートがあるからです。あとテスト。
そしてきつい時期を乗り越えたはいいけどメンタルが結構やられてます。
でもそろそろ感想書かないと、マジで忘れそう。
というかもうすでにだいぶ危ない。
というわけで、戯曲とメモと自分のツイートを頼りに思い出しながら、ネタバレ満載でテンションは頑張ってあげて、いつも通りの長文でまとめていけたら、いいな…。
あと珍しく色々な手違いで2回も観に行ってきました。1回目が体調微妙な時に観に行ったからか、2回目が大変素敵になっているように思えてびっくりしてました。
観客席の雰囲気もあるかも…。あとで書くけど…。
あとこの戯曲自体は、引っかかる表現は多々あるけど好きな部分と嫌いな部分が綱引き状態で、舞台は面白かったけど好きかと言われると好きな俳優さんがいっぱい出てる今回と同じキャストでも再演したら観にいかない程度には嫌いだった、って感じです。
最高に好きだった方は、この感想に関しては見なかったことにしてください…。特に前半は…。
【追記】
後半は演出とかメインのポジティブな感想書くつもりです!!
空間の使い方とか最高!!あとは照明しか勝たん!!!すごかった照明!!!トレーラーにもあるけど音楽も最高!みたいなこと書きます!!(謎宣言)
【追追記】できた!!この記事の1番下にも一応リンク貼ります!後で読み返した時に上に戻るのダルいから!
なるべく丁寧に書くようにしてるけど、書いてる当の本人がたぶんルーより口悪いんで…。笑えねえ…。
公式のトレーラーとか
公式のHPには舞台写真もいっぱい載ってます。わーい。
単純に成河さんと麻実れいさんが出られるってだけで観に行くことを決めました。
浅はかすぎる気もするけどしょうがない。
あと翻訳されてたのが普通に大学の先生だったという。
これは戯曲も読むしかない。(短絡的)
【追記:2021/12/25】
戯曲ベースの感想
どんな話か乱暴に
散々公式とかで俳優さんたちとかが「難しいよ…!!」って煽ってきてたので「どんだけ難しいんだ…」とか思ってたら、個人的には難しくない方に分類されそうなレベルで安心しました。これなら日本のいわゆるアングラ第1世代の戯曲とかの方がはるかに難しい気がする…。
ただ私がアホすぎて咀嚼しきれていない可能性は大
上演時においてあったチラシでこんな便利なものがあったんですが、
もうすげえ乱暴に言ってしまうと、ルー&ダグラスと一緒にこの家系図を作り上げる話です。私も大枠理解するまでは途中まで家系図書きながら読んでました。
というか『炎 アンサンディ』もこんな感じじゃなかったっけか…上演台本読んだだけだけど…。
家系図=Family Tree、題名の森と関係ある?
ルーとダグラスが狂言回し的な感じです。観客としては、この家系図に関して半分部外者のダグラスに視点を合わせると比較的観やすかった気もします。
名前もDouglas(なんか確かスコットランド系の名前で「黒い川」)でDupontel(語尾についてはよくわかないけどDupontはどう考えても「橋」だよね)だったから、「じゃあ観客席と舞台の橋渡しもしてくれるのかコイツは」みたいな変な視点で2回目は観に行きました。
なんとなく『橋からの眺め』の弁護士さんを思い出したり出さなかったり…。
唯一難しい…というか煩雑なのは、名前がカタカナなこと、過去から時系列に順に辿るんじゃなくて出たとこ勝負の穴埋め形式に近いことぐらいかなあ。
あとやたらに詩的な表現が多いこと。ちょっとやそっとじゃ「喋れない・語れない」レベルのセリフばっかです。
ワークショップで一緒に作り上げた俳優さんたちならするする出来るんだろうけど、突然この台本渡されたらプロの人でも「うへえ…」ってなる気がする(笑)。
たぶんこれがテーマだと思う…??
「世界に自分の居場所がない」って思っているルーが、家系図みたいな縦糸をハッキリさせることで、「自分の居場所」=アイデンティティみたいなのをハッキリさせる…、みたいなことかなって…(薄れゆく自信)
縦糸は完全にイメージなんですけど…。
横糸が「今を生きている人たちとの関係=社会との関係」なら、縦糸は「死んだ人たちとの関係=宗教との関係」みたいなイメージで書いてます…。
横糸だけだとふわふわするし、縦糸だけでも浮世離れしちゃう…みたいな…。
宗教って怪しい意味じゃないよ…日本だと怪しい意味が大きいけど…。ご先祖様的なあれで書いてるよ…。
あと、ルーとダグラスの関係って、色々な点で、リュディヴィーヌとサラの関係とそっくりだなって。どっちがどっちとかはあんまりはっきり言えないですけど。
でもリュディヴィーヌも自分のルーツ探しをしていたし、だとするとリュディヴィーヌはルーになるのかな…。いや、うーん…。
…少なくともルーツ探しがテーマ的に根っこにあるのは、繰り返しの主題として出てきているので間違いない…と思います。舞台装置もそのことを象徴するみたいに年輪だし…。
トレーラーの40秒ぐらいのとことかに、年輪、綺麗に映ってます。なんで真ん中部分がナナメなのかは知りません。『斬られの仙太』でもナナメの舞台だったらしいし、上村さんの中で今ナナメの舞台がキテるのか??(偏見)
それともすべての発端であるオデット(アレクサンドルと結婚できない腹いせに息子のアルベールと結婚する)やアルベールの行動(詳しいことは省くけど、自分だけのユートピアを作ろうとして血のつながりはないんだけど娘であるエレーヌとかと子作りを試みる近親相姦野郎)が他者に対してあまりにも暴力的で歪だから中央部が歪んでいるってことなの??考えすぎ??
個人的に許しがたいセリフたち
3つぐらい、戯曲読んだ時に吐きそうになったんですけど、うち2つはテキレジでカットされるか、直されてました。
・たぶんカットされてたやつ
エメ:まだ男のことが好きでいられるのって無意味じゃないんだよね!
(エメの脳、1.神託、a メインディッシュ)
冒頭の長台詞で唯一受け付けなかった1行。どうして「男」と限定するんだ現代作家よ…せめて「人」にしろよ…と白い目になってしまった。それとも翻訳のあれなのか??原文知らないからよく分からん…。
・微妙に言葉遣いが変わっていたやつ
アルベール:(オデットに向かって)君が耐え忍んだレイプからラヴ・ストーリーが生まれるんだよ。
→「このお腹の中から物語が生まれるんだ!」的なのに変更されてた
(15. オデットの腹)
もう読んだ瞬間に戯曲ぶん投げてやろうかと思った。
レイプからラヴ・ストーリーなんて生まれようがねえだろ。
アルベールのキャラ的に言いそうなことではあるけど、頼むからそういうのは小説か映画でやってくれ。生感が強い演劇でやられるといくら素敵な演出・俳優さんでも「てめえのケツから指突っ込んで歯ァガタガタ言わせたろか!?その後でも同じこと言えんのか??」ぐらいは思っちゃうから★
あとこのセリフ読んで、「ああやっぱり書いた人、とことん男性なんだろうなあ…」と思った。
要約:もやもやする感は変更後もあるけど、変更されてなかったら途中で席を立っていた自信しかない。ありがとうテキレジ愛してる。ハートマーク。
・性分化疾患のリュディヴィーヌがサラに向かっていうセリフ
これが変更なかった感じのやつです。戯曲と一言一句同じだったかどうかは怪しいですけど、大体同じこと喋ってました。
状況としては第二次世界大戦下、サラとリュディヴィーヌのどっちかが犠牲にならないと、どっちも助からない的な感じです。
リュディヴィーヌ:新しい命を与えることのできる人間が、それをできない人間のために自分の命を犠牲にするの?どれだけ自分が盲目になっているか分かる?
(22.リュディヴィーヌ・ダーヴル)
これは、セリフそのものというより、設定かな…。なんかうん…というわけで、次の項目で書きます…。
というかもう設定がやや許しがたい
リュディヴィーヌに関して
※物語の順番的には最後なんですが前の項目との繋がり的にリュディヴィーヌから
実際に、あの当時、性分化疾患の方とかマイノリティの側の命が、マジョリティ側の人たちの命よりも軽かったことは何となく分かるし、もし自分がリュディヴィーヌだとしたら、そりゃあまあルーツ的にはどうも戦争に加担してる側っぽいしで、サラのために自分が死ぬべきかな、とは思うか…リュディヴィーヌ…、とはなるんですけど、頼むからそれを感動場面に持ってくるな、とキレたという。
マジで劇場でこの場面で周囲が号泣していて、えええ…私若いからついてけないヨ★、と謎のテンションになりました。ごめんなさい。
あとリュディヴィーヌの性分化疾患という「設定」(上演だとインターセクシャル、戯曲だと両性具有って表現されていた。両性具有という表現もややドン引きだけど、あからさまに神話ベースの戯曲なので、ある意味めちゃくちゃ正しい翻訳なのかもしれない。原文知らんけど)がこの部分(リュディヴィーヌがサラのために自分の命を犠牲にする理由を正当化する)だけにしか「使われていない」ので、余計になんかマイノリティを感動ポルノ的に利用してないこれ…??となったという…。
随分深読みしてみて、もしかしたらリュディヴィーヌにとってはもっとなんか深い理由を隠すための文字通り上っ面の理由づけだったかもしれないという可能性はあるけれど、生憎この場面に関しては「ほぼ戯曲通り」で特別な演出もつけない感じで真っ直ぐに上演していたので、そういうほのめかしとか、リュディヴィーヌのこの言動、あるいはリュディヴィーヌにそう言わせた当時に対する批判的な何か、というかこのスタッフ陣なら絶対感じたはずの戯曲の設定やセリフに対する違和感とかみたいなのが、全然感じられなくて、うへえ…となったという…。
サミュエルが、サラとリュディヴィーヌをダンス公演に誘う時に、明らかにサラ目当てで「特に、マドモアゼル、あなたには。」って言う瞬間に、リュディヴィーヌが1歩引いた時のしんどさといったらないよな…。
「自分なんかが男性に誘われるわけがない」なのか「私なんかが大好きなサラの邪魔をしちゃいけない」なのか、どう解釈すればいいのか分からないけれど…。
でも後者をもう少し強調する何かがあったら、このリュディヴィーヌの論理が、大好きなサラをどうしても助けたくて、それで彼女を強引にでも納得させるために土壇場でひねり出した論理、みたいに見えなくもなかった気もする…。
それにもし後者じゃなかったら、なんでリュディヴィーヌ、あそこまで男性的な恰好していたんですか…。
全てが微妙過ぎて判断が難しいよ…。
ていうかリュディヴィーヌのこの論理、「本来は子供産めるはずなのに、何らかの原因で産めない人間は、そうでない人間より劣っています!!」ってことだし。
ねえ、ルーみたいに大声でFワード連呼してもいいかな?
あれ…記事冒頭でした気もする…
ってなるよね…。(私だけかな…)無理…。
エメに関して
ルーを妊娠している最中にガンが発覚してしまって、1回中絶を決意するんですが、「やっぱり産む!」ってなるんです。
まあそれ自体は、そうなる人もいるよね…ぐらいなんですけど、そのきっかけがフェミサイドの実際の事件という…。
女性が女性であるだけで殺された事件と、1人の女性が自分の命をかけた出産の決意を固めること(もちろん妊娠させた男の人は、物理としての生命的には痛くもかゆくもない。夫のバチストはエメが危険にさらされるのほんとに心配していて良い人そうだけど)を頼むから結びつけんな…。
実際にそういう人もいたのかもしれないけどさ…。
それを舞台上っていう1個の世界で結び付けられちゃうと「女はいついかなる時も他者(俺ら)のために犠牲になれよ」っていうのが世界の総意みたいに感じられるじゃないですか…。えッ気持ちわる…。※今までもこれからももちろん個人の感想です
森の場面に関して
近親相姦(主にアルベールとエレーヌ)の場面とかも、確かに、めちゃくちゃに気持ち悪いです。(ある意味岡本健一さんが最高だったとも言える)
だって娘のエレーヌの方から父親との関係を望んでいるからね!?!
神話かよってツッコミ何回したっけ…。現実ではまずないだろ…。
神話だとめちゃくちゃにあるけどな近親相姦…さすがカミサマの特権…。
でもこれに関しても、絶対にないか、と言われると微妙…。
もちろんそうでないことの方が圧倒的に多いし、そうであった場合は何らかの洗脳入ってる場合が多いとも思うんですけど…
それよりもなんか、そういう関係が「異常」で「不潔」で「非難されるべきもの」として描かれていて、不完全な形だけど「こうあるべき」姿に最終的には落ち着いていくのがめちゃくちゃに逆に気持ち悪いというか…。
中途半端に気持ち悪いぐらいなら、あの近親相姦全力推進&人間と動物はみんなお友達ユートピア(made by アルベール)がぎりぎりの均衡で完成していく過程が観たかったよ…。
それなら「個人的観劇史上(まだ3年かそこらだけど)最高に気持ち悪い舞台」として逆に高評価だったのに…。変にそこからこねくり回して感動系に持っていくから…言わんこっちゃない…。(何目線)
戯曲全体に関して
あの…なんかこんなに複雑な物語を書けることは素直にすごいと思うんですが、なんかもう言葉を選ばずに言うと…というか上手く言えないけどとにかくなんか、若者の戯言的に聞き流してください。うん。
すべてが微妙に古い。
なんで今この戯曲を上演するの??
演出その他のネガティブな感想
そして演出とかもろもろに、そういう古さに対する一歩引いた目線みたいなのがあまり感じられなくて、仕方なく自発的に、この家系図の物語においての半分部外者のダグラスに視点を合わせていかないと、とてもじゃないけどイライラしてしまい観ていられないという…。
逆に、ダグラスに視点合わせると、歴史書の抜けたページを埋め合わせているみたいで、大河ドラマ的に面白かったです。
何か所か、過去のことが展開されている場面で、まだセリフがないのに、ダグラスが資料を持ってうろついているみたいな部分も確かあったと思う…。ダグラスが今読んでいることが舞台上で展開されているようにも見えた…気がする…。あと大体資料持っているのはルーじゃなくてダグラスなんだよね…うーん…。
でもこれ、ルーという女性のバックグラウンド解明がメインなんだよね…。
それをダグラスという男性視点を経由して観客として覗き見るってなんか…うーん…いや別に駄目じゃないんだけれど、その解明される物語の内容的(基本的に「父親殺し」とかオイディプス的なその辺を達成してしまう男性陣と、それに巻き込まれた末に全てを受け入れざるを得ない女性陣、の形になっている)に微妙にアウトじゃないか…。
…なんかね…たしかエドモンの日記が発見された(ルー&ダグラスの時間軸で)あとに、その日記の内容をエドモン(亀田佳明)が語り、ダグラス(成河)が読み上げるのが交互に続く、みたいな場面があるんだけど(エレーヌの肌、19. 雨、i 見捨てられて、の部分かな)、エドモンは立っていて、ダグラスは確か椅子に座っていて、ルー(瀧本美織)はその手前の地面に座り込んでほとんど押し黙っている状態、みたいな感じで。
この場面観た時に『タージマハルの衛兵』じゃんヒャッハー!となった私の心の声はおいておくとして、「ルーのルーツ探りなのに、なんで男どもが、本人の意志も聞かずにガンガン暴いてんだよ…」と文脈関係なく感じてしまって…。
なんだろうこれ…いつも舞台観ている時ってそこまで性別とか意識しないんですけど、今回は内容が内容だからやたらそういう構図が目について気持ち悪くて…。
…うーん、消化不良…。
いやしかも、最後に全部のことを知ったルーにね…ダグラスがコートを送るんですが、これ戯曲だと色の指定ないんだよな…。なのに赤って…。
最初にエメが着ているコートが赤なんで、母のことを受け入れたことを示唆するのはいいんですが、何故それがよりによって男性から贈られるんだ…!!!
いや、ダグラスめっちゃいいやつですよ…??どっちかというとルーの方が「なんでそんな初対面のやつに対してバチバチにキレられるんだあんた」みたいな感じですよ…??
ただなんか、オデットはアルベールによって歪だけど助けてもらって、エレーヌはエドモンによって、レオニーはリュシアンによって森からの脱出を試みることが可能になって、エメはバチストによって「ばらばら」になりそうだった人生を救われ…って延々と「女性が男性の助力を得ることで救われる(でしか救われない)」みたいなことが手を変え品を変え繰り返されてきたので、最後の、「母を受け入れる=自分のルーツ探しにひとまずピリオドを打つ」ことを象徴する「赤い」コートが、男性から贈られることにもう形容しがたい気持ち悪さしかなくて…。
しかも何よりヤバかったのはダグラスは反対にコート?ジャケット??脱いでるんですよね。最後に。
そうですかはいはい良かったね!?
ダグラスは父の残した厄介な約束(呪い)を無事にやり終えて解放されたんだね!!?
また男だけが父殺し(父との約束の解放)を達成してすっきりしてコート脱いで、でも女にはコート着るみたいに全て受け入れろってか!!?
喧嘩なら買うぞ?!?!
とブチ切れました。いや着るのを選択したのはルー自身ですけど。
そういう細かい部分よりも先に、今までの繰り返しのイメージが先に来てしまって脊髄反射的にキレてしまいました。ごめんなさい。
そして何より、最後にそのコートを着て、ルーが長い詩を語る場面(戯曲だとルー1人だけど、上演だと女性陣全員出てきて分担して語ってた)、何故かセリフもないのに男性陣が年輪の外側からその様子をそっと見ていて…。
うん、無理!!!!
もうなんか何が無理なのか分からないレベルで無理無理無理無理。
リュディヴィーヌ含む女性陣が語る最後の詩、内容全部分かったわけではないんですが「約束(呪い)を受け入れる」ってことを言ってるんで、もうほんとに無理。
女性陣が「受け入れる」様子を
男性陣が周りから見ている構図とか生理的にアウト。
何の覗き部屋システムだよ。私だけ??
ルーとダグラスが力強く客席の方に歩いてきてもアウトだよ。
2人ともかっこいいけどそれとこれは別ですよ!!!??
「受け入れる女」に夢見すぎだよ劇作家!!『岸 リトラル』の戯曲は好きなのに!!なんで!!(逆ギレ)
そもそもなんで幕切れに赤いキラキラが降ってくるんだ歌舞伎かよ明らかに内容的に大衆演劇っぽく〆ていい話じゃなかっただろどうした演出ウウウウ!!!!
「世界に居場所を見つけた」から「世界に色がついた」的なアレですか?
だとしたらせめて極彩色っぽく頼むよほんとに!!
どうせちょうど冬から春に変わったんだろ!?たぶんだけど!!
そもそもどっちかというと一族とか血族とかよりも、サラとリュディヴィーヌとかの血縁を超えた絆(これも自由を制限する鎖みたいな意味もあったはず)としての「約束」(言わずもがな自由を制限する呪い)に重きを置いてるはずなのに!!!!
そしてルーとダグラスにも血縁は無くても強い絆とかは旅を通してできたはずで、そこの強調じゃないんですか???
だとしたらなんでよりによってダグラスから血を強調するみたいな赤いコートを送っちゃうんだよ…!!
赤いキラキラもさああああ……!!!!血イイイイイイイイイイイイイ!!!
と以上のように情緒が不安定になりました。しんどい。
特に1回目観た時がマジで上のようなことが頭の中で超高速で回ってしんどかったです。
でもダグラス役の成河さんは好きな俳優さんだし、瀧本美織さんもいつもとイメージ違うけどすごい良いし、でもなんか2人ともいつもよりはちょっとアレ?って感じだったし、でもう本当にパニックでした。1回目。
いっそダグラスとルー、性別も含めてキャスト交換してしまえ、とか暴言まで出てきたから…どうした私の頭…。ごめんなさいたぶん気の迷いです…。
2回目はこのコートの部分、観客席の笑いに救われたんですが、それは後半に書きたいと思います…。
うげえ…ってなった部分は吐き出したのでとてもすっきりしたよ…。
お目汚し失礼いたしました…。
きっとピュアな気持ちで感想の後半は書ける…約束…する…_(┐「ε:)_
あ、あと、やっぱりモントリオールで本当に起きた事件のニュースっぽい音声が日本語で上演される違和感ったらないですよ…。
これはどうしようもないけどね…。フランス語でやったら分からんし、それを登場人物たちが理解して日本語で説明してきても萎えるし…。
ムズイよこれ…あきらめるしかないのか…??
といういか『森 フォレ』は140年?ぐらいだけど、こういう150年ぐらいを、たった3人の名優揃えて、叙事詩として完璧に成立させつつ、最高過ぎる演出だった『リーマン・トリロジー』がよぎってしまったのがマズった気もするんだ…。
たぶんシネ・リーブル池袋でアンコール上映するよ…どうなるか分からんけど今後…。
#NTLive at #シネ・リーブル池袋#ヘレン・マックロリー 主演『#メディア』上映中!
— ナショナル・シアター・ライブ (@ntlivejapan) 2021年7月23日
7/30(金)~ NTLiveアンコール夏祭り開催
『観てよかった』と鑑賞後に思っていただける作品ばかりです。演劇の持つパワーをぜひ味わってくださいhttps://t.co/ag4K6rVuCR
『#リーマン・トリロジー』予告編 pic.twitter.com/iuiMLtPJ1u
あと今も酷いけどもっとひどい感想…。自戒の意も込めて…。
今年は無理だけど、また観に行きたいよ『リーマン・トリロジー』…。
とにかく最高過ぎたんだよね…。
最後に話が脱線しまくりましたが、感想の後半は出来たらこの下にリンク貼ろうと思います。
【追追記】というわけでこの記事が約1万字で、後半が1万5000字なので、総字数2万5000字ぐらいってどうなってんのほんとに…。自分何やってんの、っていう虚無感が最近すごい…。