2021/08/24
あうるすぽっと
感想まとめるのがどんどん遅れているけどもうしょうがないので開き直ってゆっくり書いてます☜
初めて行ってきました!あうるすぽっと!
池袋のこっち側に来たことがなかったので「こんな感じなんだ~」とのんびり歩いてたら暇そうに見えたのか、アンケートにご協力をお願いされました。
ノルマ50人ってこのコロナ禍に鬼畜かよ可哀そう…、と思ってしまい協力したのが運の尽き。
アンケート会場のビルから劇場への道が分からくなって迷いましたアアア!!
電話で母にヘルプを求めて、なんとかギリたどり着きました。
頑張って声掛けしてた名前を知らないあの人を恨むのはお門違いなのは分かっているんですが、この疲労感、どうしてくれよう…!!
あと、「すいません~日本人の方(かた)ですか?」って声のかけ方おかしくない?「日本の方」じゃない??
てか今池袋歩いてんだから「日本の方」に決まってんじゃない…!!??
物のついでに愚痴るけど、何でか知らないが上京してから留学生と間違われることが多数。
なんなら留学生の人に同じ国出身の留学生と間違われることも多数。
そして東京のことも電車の乗り換えも詳しくないのに、1カ月に1回以上ぐらいのペースで道とか乗り換えを聞かれる。そして大体「どこの国から来たんですか?」
陸奥の国だよ…!!(崩れ落ちる)
というか何故そこで出身が問題になるんだ…!
教える義理もないのに丁寧に教えただけで充分だろ…!!出身関係あるか…??
しいて言うなら「日本語を母語とする人」だよ…!!できれば英語もそのレベルにしたい…!
ちなみに書いててふと思い出したんだけど、これ系統で1番酷かったのは、乗り換え教えて、案の定聞かれたから出身地まで答えたのに、「いや違くて、国籍は??どうせ韓国でしょ??(笑)」というおっさんのやつ。「(あ。これが差別か…)」と、なりました。ある意味大事な経験はしたと思う。そして差別してるやつ許さん滅せよ。
というかそもそも、皆さまお手持ちの四角い板はなんのためにあるんだよ…!!
まあ今回のアンケート調査の人は良い人そうだったので、雑談ついでに「どうしてそう思ったんですか?」と聞いたら「雰囲気と、喋り方がゆっくりだったから」だそうです。なるほど。
別にフォーマルじゃないところで標準語で話す必要性を感じないし、でも訛りのままノーマルスピードではなしてもべづにいんだげどしたら東京のひどきぎどれねえべさ(表記不可能)、みたいなことになるからゆっくり話しているだけなんだけどなあ…。
あらためて「なんか都会だなあ…」と感じたっていう話はこれぐらいにして感想書きたいと思います。
公式のやつとか
戯曲が無料で読めたのに気が付かずに観に行ったアホはこちらです!(自発的に挙手)
未来の私!!パソコンに入ってるから!!
いいな!って思った台詞に線引いてるから!!
思い出したければ読め!!
気合出せば30分で読める!!
あとは写真とか☟
【 #川村毅 作・演出『4』】
— 京都芸術劇場(春秋座・studio21) (@KyotoArtTheater) 2021年8月20日
現在開催中の東京公演より、舞台写真が到着しました!
京都公演もいよいよ来週8/28(土)-29(日)に迫っています。どうぞお楽しみに!
写真 #間野真由美#今井朋彦 #加藤虎ノ介 #川口覚 #池岡亮介 #小林隆
公演情報☞https://t.co/QwL0cOq1d6 pic.twitter.com/kk46LC2rdh
あと間違っていなければ
F…今井朋彦
O…加藤虎ノ介
U…池岡亮介
R…川口覚
男…小林隆 (敬称略)
の…はず…たぶん…。
戯曲が読めるのでいつもよりはあっさりした感想
第一印象はシンプルな演出だな~という感じ。
最初に、上手から俳優さんが机を押してセットしたり、下手から死刑囚役が座る正方形の畳?みたいなのを出したり、とにかく初めに必要なものをどんどんセットしていったと思ったら、いきなり中央の椅子にのっけた箱でくじびき初めてよーいドン!(書き方)
音楽とか照明も必要最小限、セットも最小限、衣裳はみんな同じ感じな印象。
そもそもモノローグメインなので、視覚的というよりは、耳を通して聞こえる言葉の方が重い劇なのかもしれないです。実際上手い俳優さんばっかり揃ってたし。
観終わったあとに戯曲読んでみたんですけど、「戯曲がそのまま正確に上演されたみたいだったな…」と思いました。変に訳が分からなくなる部分もないし、さすが作・演出。
そして何より戯曲が面白すぎる。
裁判員に選ばれちゃった大学職員(主にFが演じる)、死刑執行のハンコはあんまり押したくない法務大臣(主にOが演じる)、悩みながらも死刑囚と死刑執行に実際に関わらぜるを得ない刑務官(主にUが演じる)、自分の犯罪を「夢の中の出来事」にしか感じられない死刑確定囚(主にRが演じる)、っていう4つの役割があって、それをくじびきでぐるぐる変えながら演じる(そして「今日」は「やっと最後までやること」ができた日らしい)ゲームをやっているって感じです。
演劇のワークショップとかでやりそうなことだなと思ってたらそもそもこの戯曲がワークショップが出発点だったみたい。なるほど。
ゲームで役を演じていない時のF、O、U、Rは、言ってしまえば、観客と同じ次元に立っている人物たちと捉えることも出来るので(それでも俳優さんはF、O、U、Rを演じている。演じる/演じていないの境界線と次元が何個もあって超面白い。Rとか、なんか頭をかくクセがあって、そういうの観るのも面白い。)、なんかコロナ禍じゃなかったら、客席から登場したり、観客をそのゲームそのものには参加しない参加者として没入あるいは参加させる工夫をしたり、色々出来そうだな~楽しそう~、とか思っていたらなんかシアタートラムでの初演の時、そんな演出だったそうです。
だよね。素人が考え付くことなんかとっくにプロがすばらしい形で実現してるよね。そっちも観たかった。でも当時小6ぐらいだわ。そして地元だわ。無理。
そしてこういう観劇のブログとかには感謝しかないです…。観られなかったやつとかだと特に…。ありがとうございます…。
…まあ私のブログは「日記」なので、余計な情報多すぎて、残念なクオリティだけれど…それはしょうがない…。
今回は、小劇場で、かつ20、30、40、50、60代の俳優さんたちなので、世代がバラバラなのも、テーマについて「みんなで」考えよう、ってことなのかな、と思ったりしました。
同じ次元に立っていると見ることも可能、とは書いたんですが、F、O、U、R、と男、は、観客にはやや指示内容があいまいなこそあど言葉(共通認識がないと無理な上に、セットがほぼないので観てる側としては「??なにを指してるんだ??」となりました。)で会話している部分もあるし、会話部分で拾っていくと、どうも死刑囚の起こした犯罪の被害者家族かな、って(ラスト近くにFが、役を演じていない状態で「あなたのほうはもう執行されたんですね」ってUに喋ったりとかしてる。同じ事件の被害者家族ではないんだろうな、とこのセリフ聞いて思った。)感じがします。たぶんこれは間違いない。
「死刑制度・死刑執行に果たして意味はあるのか」の検証実験を、それこそハムレットがおじさんによるパパ殺しを演劇を使って暴いたように(虚構を通して現実を見つめる)、そういうのを今やってんのかな、と最初は思っていたんですが、被害者家族ということになるとやや演劇療法的な感じもあるといえばあるよ…。
『エブリ・ブリリアント・シング』とかにも、演出によっては雰囲気近くなりそう…。
『4』の方は微塵も笑えないレベルで重くて暗いけど…。
☝今読むと今よりさらに拙い感想だけど後から探すのもめんどいので恥をしのんで張り付ける。
どっちにしろ、観客がいかにそのワークショップ的なゲームの場に自分も居るかのように集中して観られるか、にかかっている劇な気がしました。
その点、コロナ禍のせいでかなりまばらな座席に座って観るのは、結構そんな感じがして、コロナは良くないけど、なんか良かったです。
答えの出ない死刑制度に関しての色々な立場の人の感じ方が出てくる劇で、だからものすごく印象に残るセリフが多くて、あげるとキリがないんですが(だから戯曲が読めて超嬉しかった)、
「要するにヒトゴロシどうしが、毎日向かい合っているというわけです。握手しましょうよ。」
っていうRのセリフには、ちょっとハッとしました。
死刑囚は冤罪でないかぎり死刑になってしまうぐらいのこと、殺人を犯したわけなんだろうけれど、その死刑囚の死刑執行に何らかの形で関わる事は、その死刑囚を「殺す」ことに、つまり「ヒトゴロシ」に関わることになってしまう訳で。
後の方にこんなやり取りもある。
「ひとごろし~(語尾の音あがる)」みたいにじゃれてる感じだったのが余計重かった。☟
U 感情を抑えられないのはよくないぞ、ひとごろし。
O なんだよ、ひとごろし。
U 手を離せよ、ひとごろし。
O 謝れよ、ひとごろし。
U なんでだよ、ひとごろし。
O その態度だよ、ひとごろし。
U すいませんでした、ひとごろし。
そっか…死刑だって「殺人」だよね…と改めてズドンと来た感じがしました。
「だが、自分をどう軽視しようとも、私という人間の形をした器はこの世で唯一のものだ。この重みを受け止めることが、生きるということなのだ。」っていうのがFの最後らへんのモノローグであるけど、それは死刑囚だって同じな訳で…。
でも被害者のことを考えると、もっと身近にするなら税金のことを考えると(O「人殺し生かしといたら税金ばっかかかってしかたねーだろ、てめえ」とかいうセリフもある)正直答えは出ないな…と思いました。
だから、ゲームがひとまず終了したところで、もう1回やろうか、となる部分で、
「やるしかないんですよ、やるしか」
って、Rが言うのが「(こういう風に何回も繰り返して)考え続けるしかないんですよ」って言っているみたいにも 聞こえてしんどかったです。
被害者にとっては死刑が執行されても「死ぬまで」終わらないことだし、その後に出てくる「死刑執行された死刑囚の親」という役割を演じる男のモノローグを聞いて(「わたしも子供を殺された遺族です」とか)「こうやってみんなでしんどいけど考えていくことだけが、『救われず、救われないままで、救われる』ために必要なことなんだろうな…」と漠然と思いました。
ラストに出てくる「窓」と「光り」が「救い」の象徴なのかな…。
観客席に向かって舞台奥から差し込む結構強めの照明だったので、必然的にF、O、U、R、男と同じまぶしさを感じさせられました。「救い」とか絶望の中で見えた希望に目を細めちゃうこの感覚…。最後の最後で登場人物の気持ちみたいなのにガッと巻き込まれた感があります。すごい。ちょっとかなり感動しちゃった。
内容とかテーマとかそっち系じゃない感想
こういう「演劇をしてる演劇」だと、意外と噛んだりとかしても、ほんとに俳優さんが噛んだのか、それとも演劇をしている登場人物がちょっと言葉が出てこなくて噛んだのか、判別つかなくなるので、すごい面白いです。
俳優さん・登場人物・登場人物が演じる登場人物
「演劇をしてる(について考える)演劇」だって分かった段階で、「ていうかこれ、そもそもも演劇だった」「俳優さんが演じている演劇(ウソ)だった」ってなって、上の3つが常にゆる~く混ざっている状態で観ることになるので、脳内が大変だけど面白いことになる。
Oが演じる法務大臣が、「本当のことを言おうか。」って言う部分が結構最初の方にあるんですが(だから今回の演出で、初見だと、「Oが演じている」のかはちょっと分からない状態でこの部分は観た)、そもそも「モノローグ」っていう「誰も聞いていない(書き)言葉」で「本当」なんて言われても、「うーん…??」って感じだったですけど、それもこの混ざっている状態への布石かあ…って感じでした。
あとRが言うこの死刑囚のセリフなんか、結構、内容と切り離してもぐるぐる考えちゃいます。
ぼくがいいたかったことは、もう反省などいくらでもしているってことだ。ただそれをどうやって表現していいか、わからないのだ。贖罪と反省に明け暮れる未決囚のいろいろな姿を見聞きするが、なんとなく、ぼくにはそれが贖罪と反省の素振り、芝居に見えて仕方ないのだ。人は定形に則った外見上の仕草をして見せない限りは、その本質を理解されないのだろうか。
結局そうやって理解された「本質」って「本質の表象(representation、上演)」であって、「本質」じゃないって意味では、虚構になるし、死刑囚の反省ってなるとちょっとピンとこないけど、例えば怒られて反省する(ように見せるためにしょんぼりする)、程度なら日常生活で普通に行っていることでもあって。
こうなってくると、人の精神的な活動が、そもそも演劇みたいに嘘と本当の入り混じりなので、演劇のこういう二重性ってマイナス面どころか「人間とは何か、人間として生きるとは何か」的なアレコレを考えるのに力があるっていうか…。最近はそんな感じに思っていて…。
まあ、結局のところは「だが、自分をどう軽視しようとも、私という人間の形をした器はこの世で唯一のものだ。この重みを受け止めることが、生きるということなのだ。」というとこに落ちつく気がしなくもないな、とも思います。
「持たざる演劇」だかを求めて、演劇独自の究極の要素的なものを探求したグロトフスキがたどり着いたのも生の俳優の身体だしな…似てるね…すごく似てるね…「生きる」ことと「演技する」ことは似てる気がするんだ…だからこのコロナ禍で「演劇」を馬鹿にしてきたお偉いさんちょっと表でろやあ…(小声)
とにかく、「死刑制度」について考える、「生きることと死ぬことについて考える」のに、こういうめんどくさくて面白い形式をとったのは、たぶん意図的なんだろうな、てなんとなく思いました。
あ、あとRを演じている(はず。髪がもじゃもじゃしてるし、照明暗めだったから間違ってるかも…)川口覚さん、結構飄々と掴みどころない感じの高めでフラットな喋り方してたんですが、そのまま「ぼくがあいつよりも数倍も高級な人間であることを、ぼちぼちわかっていい頃なのに。」って、死刑囚役を演じているときのセリフをするっと喋った時の、「コイツ…やべぇ…」感はすごかったです。ほんとに無差別に人殺してそう(言い方)。
そして初演の時は誰言ったんだ…これ…、と思ってキャストを見ると野間口徹さんと高橋一生さんがいて、「人殺しておいてこういうこと言っちまう人…どっちだ…」といきなりこの二人に絞る失礼なド偏見発動。
でも高橋一生さんだったそうなんで、あながち間違いでもなかった…。えええ…。
どっちにしろやや失礼
今思い出したんだけど…
冒頭に、街頭アンケート受けた、って書いたじゃないですか。
それで「趣味は観劇です」って書いたんです。
そしたら「2.5次元ですか?」ってお姉さんに聞かれたので「(えッ違うなんて言えばいいn)えと…普通の方です…」と答えました。
…
…
…
なんだよ「普通」の演劇って…!!!!!!(頭突き)
「ストレートプレイ」もなんか「ミュージカルじゃない演劇」って感じなので使いづらい…。そもそも2.5次元だって演劇だし…。
なんて答えれば良かったんだ…。誰か教えて…。