感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

「フランケンシュタイン博士」的な人の物語を「怪物」創るみたいにして構成してた感があった『Every Body feat. フランケンシュタイン』

2021/10/12

東京芸術劇場 シアターイース

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本当はもっとポップな色合いなんだけど…色が上手く出てないよスマホカメラさん…

 

 

 

観た日から大分時間がたっちゃったんですけど今更ながら感想まとめます…。

 

日記としての近況的には隅田川」の発表準備しなきゃいけない!って感じです。

私の発表のあとに桜姫東文章」が続いているので「あッ…(察し)」みたいなアレです。

 

だよね先生!?(圧)

 

 

…前置きは短めに感想とっとと書くよ…。

溜まってきてるからね…。

 

 

 

公式とか舞台写真とかアーカイブあるらしいこととか

tokyo-festival.jp

 

チラシ可愛いです。ポップというかキモかわいいというかキッチュというか…。

舞台美術の感じとかチラシのまんまの印象に近かった気がします。

 

natalie.mu

 

 

アーカイブ配信もあるみたいです!安い!みんな観よ!!??

私は学生券で観に行ったので2600円だったと思います。てかアーカイブとほぼ変わらないぞ!安い!

 

フランケンシュタインのことなら任せてくれ(嘘です)

 

monsa-sm.hatenablog.com

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今読むとちょっと恥ずかしい過去の感想だけど、これを基にレポート書いたことあるから…!!!評価Aだったけど…!!

 

その時に知ったんだけどエジソン社も作っているという…。マジすか…。

youtu.be

 

ということで任せてください。

 

と言いたいところなんですが実は原作をまともに読んでません(衝撃の告白)

 

 

 

BBCの英語教材的にまとめ直されたのなら読んだよ…??

 

 

 

 

 

…いつか、いつか読むね…!!

 

 

 

 

 

ふざけるのもたいがいにして以下毎度おなじみネタバレしまくりの感想です。

 

ただ、もちろん1回しか観ていないし、山手線が停電で止まったらしい(2時間前についていたので特に影響はなかったけど)えらい日に観に行っていて、なんとなく客席の雰囲気がふわふわざわざわしていたのに思いっきりつられてたやつが書いているものなんで、間違いに関しては多めに見てくださると嬉しいです…。

 

物語の構造自体がパッチワークみたい

つまり物語自体が怪物的?

まあ往々にして物語なるものってキメラ感はすごいある気がするけどけど…。

たぶん軸が2本あって、

 

①ライカフランケンシュタイン博士かな)の幼少期からおおむね(全部ではない)時系列に②の時代まで進む軸。


②ライカの娘のハナタバと、彼女の部屋に偶然迷い込んだと思しき怪物のやりとり。②内の時間経過は①内の年単位の時間経過と比べるとかなり短そう。長くても1カ月いってない感じ。ハナタバが、怪物に、言葉を教えることと、名前をつけてあげることがメインの軸。

 

 

①は、時系列に並べたら途中にあるはずのライカによる怪物創造の場面から始まって、ライカの両親の出会い的な最初に戻ってちょっとだけ進んだら、②に行って、また①に戻って、それ繰り返して、最後には①が②に回収されていくみたいな感じでした。

 

なんとなく個人的な印象としては演劇的というよりは映画的な感じもする構成だったかもしれないなと思いました。

①と②がモンタージュされているというか…。①と②が同一平面上とか同じ次元で入り乱れていたら演劇的な感じが強い…!!と思ったかもしれない。

 

①も、フランケンシュタイン博士的な役割の人かな、と思しきライカ主体で進んでいく、というより、ライカに関わったであろう人々の物語で構成されていて、①の中でもパッチワーク的なことが起きていて面白かったです。

…あ、それで『Every Body feat. フランケンシュタインなのか…『Everybody feat. フランケンシュタインじゃなくて…。

ぼーっと観ていたら最初ついていくのがわりと大変だったけど…。山手線がね…(責任転嫁)


①で覚えている限りだと、

 

・ライカのお父さんとお母さんの出会いのきっかけとなったっぽい、子供をドアとか時計とか椅子とかの物質に見立てて遊ぶヤバめの変質者。この変質者が正直この劇で1番の謎だった。誰か教えてください。


・ライカ筋トレ仲間で、後に画家になったペイジ九相図にドはまりしてる。パジャマがどんどん痩せて消えていきそうになるのに興味を惹かれて彼女の九相図を描き始める。しまいには自分の九相図を描いて死んでった。ある意味すごい芸術家。

 

「体重は体を数値化する」とか楽しそうに言っていたので、もしかしたら先の変質者と似たような「肉体を身体化(物資化)する」ことが素敵だと考えていそうな、パジャマ。ダイエットにハマりすぎて足音がなくなってしまった。「壊れたモノの音」を録音機で集めているライカに足音つけてもらう。ダイエットにハマっていたハズなのに、イカのお母さんが死んだ後のBBQで肉食に目覚める。

 

「人間という洋服があわない」人達の集会の会員(ライカが会長的に仕切っている)の、ぬいぐるみがお友達っぽい着ぐるみを着ているソテーと、大食い選手権に出て動物みたいに食い散らかしているパジャマを見て感化されたのか、とにかくこちらも突然食に目覚めた大食いの子シイナ。シイナは胃袋をカゴとして前に抱えていて、ゲロを吐くときはカゴの中袋をひっくり返すので、真面目に胃袋むき出しに見えてかなりグロテスクだった。

 

…こんなもんかな…。

これにライカとライカの家族のパートがちょこちょこ挟まれたりして、2時間の割にはとにかくかなり細かい部品に解体できそうな物語だったことが伝わればもういいや…。

気になる人は観れば良いよアーカイブ(ぶん投げる)

 

②はほんとに少女と怪物の心の交流って、たまに他作品でも観るような感じで、特に入り組んだ感じはなかったです。

家の構造どうなってんだ、ここ何処だ、というか親どこだ…とか勝手に混乱はしていたけど…。

 

最後に現在のライカ(②の軸のライカが①と②を、総括するように、きちんと縫い合わせて語りあげるのが、劇の物語そのものが怪物の創造みたいな感じだった!!と思わせてくれた決定打だった気がします。


ラストでライカと怪物が絡み合って、折れ重なるのが印象的。

何となく死んだのかな…と思ってしまったんだけどどうなんだろう…。


その隣で、ハナタバが怪物の名前を呼んでいると思しき沈黙のうちに溶暗で幕なので、もしかしたらここもちょっと時空間歪んでたのかもしれないんですが確認の術がないのでわかりません。

 

過去の物語(①)を今(②)と対比させながら、最終的には接続するように語り直していくのを観ていたら、でも今(②)すらも、未来から見れば過去になるんだよなあ、とか、あの沈黙は、物語の上でのハナタバの沈黙だろうし、時間をいじくりまわして、ぶつけあうことで、すぐに過去にはなっちゃわない「永遠の今」を何とか役者さんの身体を通して生み出そうとして、生み出せそうな感じもするけど…、の沈黙でもあるのかな~、とぼんやり思いました。語彙力が私のところに来てくれないのはしょうがないね。

映画的な感じがしたとか書いたけど、ここまでくると演劇の方が相性はいいよねって素人考えで思いました。映画はそれそのものが記録されたもので過去でしかないんで…。

ああこういうことを考えているとこの間まで発表のために調べまくっていた寺山修司の映画が出てくる…もういいよ…。海王星まで顔すら思い出したくないよ…。

それともベルグソンの『物質と記憶』でも思い出せばいいんですかね…??

 

というわけでなんとなくじんわりしんどく結構寂しい感じの最後でした。

 

イカもなかなかに病んでる(適切な表現ではないけどこれ以上手く言えない)

イカはなんか、さっきも書いたけど、幼いころから壊れたものが鳴らす音を集めているらしいです。

壊れた楽器とかの音を集めているときは、「ヘンな趣味だなあ…」ぐらいだったんですけど、死んでゆく小鳥(役者2人が両翼のようにおれかさなる。この表現ダンスっぽくて綺麗だった)の最期の音を嬉々として録音する時はかなり異常な感じに見えました。

ちょっとだれかライカのことをカウンセリングとかに連れて行ってあげて欲しかったかな…。

 

なんか、そういう壊れる音とかを録音機に集めて、本当は一瞬しか鳴らないモノの最期の音を、永遠に終わらない音にしようとしているみたいです。

音の不老不死みたいなもんなのかな…。


でも音って、吹奏楽部だった時に聞いただけだけど、出だしと終わりをとってしまうと、全部同じに聞こえるそうなんですよね。

 

ということは誕生と死にそのモノの特性とか魅力がつまっているって考えることもできるわけで、まあたぶんライカの試みは「最期の音」に何かしらの「魅力」を感じたから「永遠」にしたかったんだろうと考えると、「『永遠』にしようとした段階で失敗確定だなコレ…」とは思いました。

 

劇のラストが正直個人的によく分からなかったので、これ以上は色々謎なんですけど…。

 

「命」とか「身体」とか

「命を取り込んで生きている」ことが結構グロテスクに描かれている場面があって、ちょっとぎょっとしました。

イカのお母さんが死んだ後のBBQの時、肉を焼いている鉄板に、死んだお母さん役の人が手を置いていて、その手を焼肉として食べる、みたいな描写があったので…。

 

よくよく考えれば、植物でもない限り、人間含めた動物って、ありとあらゆる命を自分の血肉にして生きているので、何も怪物に限ったことじゃなく、みんながみんな「命のパッチワーク」であること(でしかないこと)なんて当たり前なんだけど…。

 

…ああだから、なんとかしてそういうパッチワーク的な複合体でしかない身体を、まぎれもない自分の身体であることを確認したくて、過食とかダイエットとか筋トレとか、最悪自傷行為にも走りかねない身体の加工・コントロールをやっちゃうことがあるのかな…??

 

劇中にやたらそういうことが散りばめられてたのはそういうことなのかな…。

うわあなんか訳わからんくなってきたぞ…。

 

好きだった演出

怪物を3人で演じてた

怪物は3人の役者さんが絡み合うみたいな感じで表現されてました。これだけでも観に行ってよかったと思いました。つぎはぎメイクしている訳でもないのに、ものすごいつぎはぎ感…!!

 

最初出てきたとき、片足だけちぎれた黒っぽい衣裳とか、両袖がちょうど肘のところで切れているワンピースとか、3人それぞれ、暗い舞台のなかで、肌が露出している部分だけが強調されるようなかなりパーツ感がある衣裳で、すごく良かったんだけど、途中から、他の役との兼ね合いなのか、いつのまにか普通の服になってたのが残念だったけど、とにかく3人で演じるっていうのが最高に面白かったです。

 

ロードムービー」みたいに

シイナとソテーが「ロードムービー」みたいにドライブするとき、回転する舞台装置のはり出した板の部分に乗って、なかなかの高速でグルグル回転して、テンション高めに軽快にドライブしていくのは傑作でした。

 

ここの迫力とスピード感はたぶんプレイハウスでやっていいレベルだと思った!!(熱弁)

 

ちょっとテルマ&ルイーズなんか思い出しちゃったよ…たぶん関係ないけど…。

 

ドアの枠の使い方

死んだものを地面に埋めるという行為が、「ドア型」のセットの「向こう側」にそのモノを置いてドアを閉める、という繰り返しみたいなのでいっぱい表現されていたので、いざライカのお母さん死んだとき、最初のうちはハッキリとは死んだとか言われないんですけど、ドアの向こう側に行っていたので、それとなく察することができたのはなんか、「演出すげえ…めちゃ考えられてる…」とか、語彙力が崩壊したような感想が出てきました。こういうのはちょっと感動します…!!


しかも、九相図を描くときも、ドアを額縁として描いているので、どんどん体重が減って死んでしまいそうなパジャマとか、実際に死んでしまったペイジとかが、その額縁の向こう側にいたのも意図的…だよね…?

 

ドアの向こうは彼岸(異世界)みたいです。たぶんだけど

 

そういうえばハナタバと怪物を隔てていたのもドアだったな…。

 

もっとドアの使い方に注目して観ておけばよかった…後悔…。

 

ようやく書き終わった(ただいま11月3日)

だいぶ間があいて、感想まとめるのが遅くなりましたアアアアア!!

 

という訳でいつも以上にぼんやりした感想になってること間違いないと思います。

そしてまだ書いていない感想が2つほどあるという…。

 

ウワア…タイヘンダア…

 

それにしても、チラシに釣られて観に行ったけど、当たりだったので釣られてみるもんだなと思いました(笑)