感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

舞台とか観たことない人にもおすすめできそうなNTLive『ロミオとジュリエット』ROMEO & JULIET

2022/01/31

シネ・リーブル池袋 13:40

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こんな書き方すると語弊でしかないんですが、ティボルトが立ちションするシーンにめちゃくちゃ感動しました。

これだけだと単なる変態でしかないので、なんでそこに感動したのかということも、なんとか書いていけたらいいなと思います。ただちょっと上手く言い表せなくてごちゃごちゃとした感じになっちゃってると思います。

 

あとこの作品、映画なのか演劇なのかピンときていないので、カテゴリにはどっちも入れておきました。個人的な感覚としては「映像作品」という感じがします。

 

 

あらすじとトレーラー

 

 

全体通しての感想

全体的には、演劇(虚)と映画(実)の使い分けが面白いなあ、と思いました。

この書き方はかなり便宜的なんですが他によさげな書き方が思いつきませんでした…。力不足…。

演劇観てたらいつの間にか完全にイリュージョンに巻き込まれてしまって、その完全なイリュージョン部分が映画的に表現されてたというか…。

 

100分なので、かなり大胆にカットされているんですが、変につまった感じとかはなくて、コンパクトで観やすかったです。

 

それに、カットした部分のつじつま合わせの仕方がまた効果的で、原作知っていても(観たことあっても)「そうなるのか!」と面白いし、全然知らなくて「シェイクスピアとか難しそう…」とか思っている人でも観やすいし、「そんなことないよ!ほら最近の映画より短いし観てみてよ!」と勧めやすいんじゃないかなあ、と思いました。

ところで最近の映画って普通に3時間越えたりしてるけど、みんなトイレどうしてんの…?休憩は映画だとたぶんないんだよね…??

 

演劇(虚)と映画(実)

見出しの書き分けの意味が、自分でもちょっと「これでいいのか…?」と不安になっているんですが、舞台上で人が刺されて「うッ…(倒れる)」って死んだ時、そこでマジで人が死んだなんて誰も思わないけど、映画だと、映像に映っていることが全てになるので、それよりはほんとに刺されて死んでしまった感があるよね、ということです。

『スペインの悲劇』とかあとパッと思いつくので『女中たち』とかもかな…。こういうのでは劇中劇とかでほんとに死んじゃうけど…。でもこれ劇中劇の登場人物を演じていた劇中の人物が死ぬだけで別に俳優さんが死ぬわけではない…。

 

単純に映画の方が本当っぽく見えるってことです。

同化、でもいいし、完全なイリュージョン、でもいいけど…。

 

トレーラーにもあるんですが、しっかり衣裳着てかなり映画っぽい部分と、これから公演がある舞台のドキュメンタリー作品なのかな、ぐらいの稽古着&稽古場な感じの部分の2つの層があって、結構意図的に使い分けられていたなあ、という印象がありました。

 

冒頭は本当に、初顔合わせ~みたいなノリでみんなヌルっとステージ上にコの字型で座った状態でスタートしてました。舞台上というよりは稽古場、という印象です。

口上はたしか中央に座ってたエイドリアン・レスターだったかな?

大公も演じてたけど贅沢なキャスティング…!

 

とにかく舞台制作密着ドキュメンタリーみたいな雰囲気の冒頭。

 

で、その後、原作通りに突然ケンカが始まって、最初はなんか棒っきれを剣に見立ててワーワーやってたんですけど(もちろん全然怪我なんてしない)、キャピュレット側が突然リアルな短剣を抜いてベンヴォーリオに斬りつけて、そしたらベンヴォーリオがマジで手から血を流して、その続く場面で手当てしてもらってたんです。

 

「…??あれ…??ベンヴォーリオほんとに怪我してるね??」

 

と、ここでかなり不思議な気持ちになりました。さっきまでザ・演劇!みたいな見立てをしてたのに…。

演劇観てる時に俳優さんが役として怪我したと同時に本当に怪我してたらビビるよね。なんかそんな感じです。

 

この冒頭の怪我の部分で、稽古場の雰囲気から、一気に映画的な本当っぽさを持ったロミジュリの世界に足を踏み入れていく感覚がありました。

 

そのあともしばらく演劇の稽古場的な感じの雰囲気で続くんですけど、舞踏会のシーンとかは、ロミオとジュリエットが完全に二人きりの世界に没入するからなのか、めちゃくちゃ作りこまれているし、撮影の仕方もあって、「もうこれ完全に映画じゃん…!」となりました。

その舞踏会の場は舞台上にかなり作りこまれているんですけど、なんか舞台袖?みたいな部分とは可動式の壁で区切られて、舞踏会に忍び込むロミオたちはその袖、というかなんというか、とにかく稽古場の雰囲気残してる場所から壁の隙間を通って結構ドラマチックに侵入していくので、一気に「世界に色がついた!」みたいな感覚になって面白かったです。

演劇でもすごく上手くてめちゃくちゃ没入して観ると、舞台上にないはずのものが見えたりするけどあの感覚に近いです。

 

あとマキューシオとベンヴォ―リオが舞踏会から帰る際に、その隙間から脱出してきて稽古場の雰囲気残ってる場所に戻ってくるのはちょっとコミカルでした。映画の世界に没入していたのが、突然演劇的に異化されたというか、とにかくニヤッと笑ってしまいました。

ちなみにこのマキューシオとベンヴォーリオは恋人設定みたいです。舞踏会でのロミオとジュリエットのハイライトでもあるキスシーンと、マキューシオとベンヴォーリオのキスがクロスカッティング(用語あってる?)されて強調されてたので…。そしてこの設定も後から効いてくる…。すごい…。

 

そんな感じで、とにかく、映画的に作りこまれていてリアリティありまくりで没入して観られる部分と、ちょっと演劇的に引いて(「演技なのは分かってるよ!」って常に意識できてる感じで)観られる稽古場の雰囲気の部分を、行ったり来たりして虚実が(要は映画として観ればいいのか、演劇として観ればいいのか)ふわふわする感じで、かなり面白かったんです。

しかもちょうどマキューシオが殺されるあたり(つまり悲劇に方向転換する部分)で完全に「映画として観てね!(というわけで没入して観てね!没入して感情移入とかしてくれないと悲劇になんないから!)」という表現があってマジで最高だったんですけど、それが例のティボルトの立ちションだったという…。

ふざけてないです。真面目に感動しました。そもそも飲食も排泄も、別にしたくなきゃする必要がない映画とか演劇の世界で、そういう表現があった時は絶対意図しかないもん…。

 

稽古場の雰囲気残してた殺風景な舞台上?というかやっぱりちょっと袖みたいなとこで、マキューシオとベンヴォーリオがいちゃついてんですけどリア充爆発しろ)、そこに突然ティボルトが来て、たぶん嫌がらせだと思うんですけど、すぐそばで立ちションするんですよね。映画的に。

 

いままで稽古場の雰囲気残して、映画のリアリティとは別の次元です、って顔していた場所が、その立ちションを境に突然、なんかあんまり治安がよろしくない路地裏に見えだした(映画的なリアリティが形成された)んですよね…。

だって稽古場の壁に、俳優が立ちションはありえなさすぎる…。ここに来て演劇としての観方を放棄することを立ちションで迫るとか…。サイモン・ゴドウィン…こわい…。

 

まじで立ちションで感動する日が来ると思わなかったし、ブログでこんなに立ちション立ちション書きまくる日が来るとは思いませんでした。ほんとに。

 

とにかくこの短剣での怪我→舞踏会の場面→立ちションを頂点に、一気全体が映画的なリアリティ持った映像になってました。

 

ただ、演劇的な部分(映画的なリアリティだとちょっと違和感が残る部分)が完全に排除されている訳ではなくて、例えばロミオが追放されるときに搬入口かな?という場所に追放されたりしてました。劇場内に繋がってはいるんだけど、シャッターみたいなので遮断されている場所。

ちなみに連絡役は今回の作品ではベンヴォーリオになってました。

 

だから「ヴェローナ(劇場内とか舞台上とか)の外に世界はない!」ってロミオが叫ぶ時のメタ感がすごいです。確かに舞台上とか劇場内から追放されちゃうと、俳優さんとしては絶望しかないんで…。

 

あとは、ジュリエットが仮死状態になるための薬を飲むために逡巡する場面とか。

 

ジュリエットは映画的に作りこまれた部屋のなかにいるんですが、やっぱり怖くなって乳母を呼び戻しに、何枚ものドアを開けて行って部屋から出ていくんです。そしてついに「その向こうにロミオいるんじゃね?」というむき出しのコンクリの壁まできて、突然思い直したように「この恐ろしい場面は独りで演じなければ」って決意して、さっきとは逆方向に舞台上に戻っていきます。

それでジュリエットが舞台上に戻ると俳優さんたちみんなが、さっきとは打って変わって殺風景な舞台上に置かれたジュリエットの寝台をコの字型に囲んでいて、稽古場の、というか演劇の層がまた微妙に復活するという。

 

この囲んでいる俳優さんたち、ジュリエットがセリフの中で怖がっている納骨堂の亡霊を表していると同時に「ジュリエットが演技している」ということを強調する役割だと思うんですが、それに加えて映画的なリアリティをも一旦ここで破棄して「演技している」ということをさらに強調するのには「すごすぎる…!!」とアホみたいな感想しか出てきませんでした。

ちなみに薬を飲み終わって朝になるとまた映画的に作りこまれた感じに背景とかは戻っています…確信犯…。

 

あとその「ジュリエットが死んだ!」って言う知らせを、ベンヴォーリオがマキューシオが亡くなった「路地裏」に花を手向けて死を悼んでいるときにたまたま聞いてしまって、劇場の外に追放されてるロミオに伝える、という感じになっていました。

両者、恋人を亡くしたもの同士(ロミオは勘違いだけど)の不思議な共感みたいなのがあって、「このシーン、こんな感じにもできるのか…」とびっくり。

あ、ロミオはロレンス神父がたまたま調合していた毒薬を、「追放されるぐらいなら自殺してやる~~!!」ってダダこねてた時にくすねたみたいです。大分すっきり上手くまとめている…。ただ「毒を売るのは僕だ、お前ではない」みたいな薬屋とのやり取りで出てくるロミオのセリフは結構好きなので、編集の巧拙とかじゃなく個人的な好みとして残念でした。

にしてもロレンス神父、パリスにお茶淹れてたりするシーンもあったので、頼れる喫茶店ハーブティー専門)のマスターみたいに見えてきたぞ…。

 

その後、ジュリエットの上でロミオが死ぬ時、微妙にジュリエットが動いてるようにも見えたので、「とりあえずディカプリオのやつ観ないと...!!」と思い出したのは私だけではないはず…。

 

ジュリエットが短剣で勇ましく死んだあとは、2人の抜粋映像が、時間を徐々に遡る形で編集されていました。最初の稽古場ドキュメンタリー風な部分で仲良さそうな部分まで遡るので、途中からロミオとジュリエットなのか、ジョシュ・オコナーとジェシー・バックリーなのかちょっと分からなくなる。

ラストも、大公の言葉に合わせて、映画的なリアリティ(ちゃんとした衣裳とセット)の中で2人の死を嘆き悲しんでる人々の映像の後に、稽古場的な場所・稽古着的なラフな衣裳で、でも全く同じ構図で2人の死を悼んでいる映像が入って終わるので、なんかほんとに最初から全部ひっくるめて、ロミオとジュリエットなのか、ジョシュ・オコナーとジェシー・バックリーなのか混乱しました。

 

すごく単純に書いちゃえば、ジョシュ・オコナーとジェシー・バックリーが『ロミオとジュリエット』を演じていて、徐々に本当にロミオとジュリエットとして存在しているようになるのに合わせて(あるいはそういう錯覚、イリュージョンを意図的に引きおこすために)、映像内での映画的なリアリティが増していった、ってことなんだろうけど…。

 

もちろん映画にしろ演劇にしろ、突き詰めればほとんど本当じゃないんですけど、両者の違い、というか、観客として観る時にどういう風に受容の姿勢に違いが生まれているのか、というようなことが結構整理された形で体験できた気がしたので、とにかく作品の完成度は言うまでもなく、その辺りがすごく面白かったです。

 

タムシン・グレイグ(キャピュレット夫人)…良き…

キャピュレット氏のセリフを(たぶんほぼ)全部キャピュレット夫人に言わせていた、っていうのがこの作品のデカい特徴の1つだと思います。

 

たとえば「パリスと結婚しないなら親子の縁を切る」というのを、原作通り、キャピュレット氏の方が言う場面って「家父長制エグ…」とか、あと現代的な演出とかだと「時代錯誤なパパ…うへえ…ジュリエット可哀そう…」みたいでドン引きして観ることがほとんどだったんですけど、夫人の方が言うと、家父長制とかいうより、母と娘、親と子って感じの構図に見えて、現代的な視点から見ても全然違和感なくスッと受け入れられる感じになってました。

毒親とか支配的な親の問題、今なんてとくに溢れかえってるし…。

 

タムシン・グレイグって言うのも最高ですよね…。確かにこの人がお母さんなら、お父さんの方は結構尻に敷かれてて、お母さんの方が支配権握ってそう…と思わせちゃうあの圧倒的な感じ…。

 

でもそういう強い母って感じだったので、ジュリエットが死んだ(仮死)シーンで「たった一人のいとしい子だったのに!!」って泣き崩れているのを見ると、一人娘がゆえどうしても幸せになって欲しいがための、あの抑圧的な態度だったんだろうなと思ってしまって、結構しんどかったです。愛してないわけではないんだよね…。難しい…。あと絶対現代にもごろごろ転がってるぞこういう問題…。

 

それとあんまり関係ないんですけど、パリスとキャピュレット夫人の怪しい雰囲気は何なんでしょう。「お母さんと結婚すればええじゃないか」と私の心の中のライサンダーが叫んでいるよ…。

 

観に行って良かった

正直ロミオとジュリエットは、個人的に別にそこまでテンション上がる話でもないんでテンション低めに観に行ったんですけど、帰りはテンション爆上がりで帰りました。観に行って良かったです。

 

フラッシュフォワード的な(映画の用語は詳しくないので細かいとこは見逃してください)映像編集とかもガッツリ使っていたし、全体的に撮り方もザ・映画!という感じだったんですけど、演劇的に面白い部分もめちゃくちゃあって、すごいぞサイモン・ゴドウィン!!と友人感覚で拍手喝采してました。

 

ところで一応映画ってことは円盤化をついに期待してもいいんでしょうか。NTLiveさん。

 

首をながーーーーーーーーくして待ってますね?(圧)