感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

上手ければ上手いほどモヤモヤしてしまった『マーキュリー・ファー Mercury Fur』

2022/02/05

世田谷パブリックシアター 13:00

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劇場前にポスター掲示してないとかそんなトラップありですか…?

 

 

超プレミアの舞台、観に行ってきました。

初めからA席狙いだったのが功を奏したのかもしれません。

世田谷パブリックシアターが転売の取り締まりに本気出してるので、全国各地の劇場にぜひ同じような取り組みが広がればいいなと思います。

 

今回はすごくモヤモヤしてます。感想も後半はポジティブなんだかネガティブなんだか自分でも分かんない状態なので、読まれる方は注意してください。

 

パンフレットを早くしっかり読みたいのでさっさと自分なりの感想まとめるぞ…!!

 

※当然ネタバレしまくりです。ほんとに注意してください。

 

 

公式(舞台写真も見られる)とWikipedia

setagaya-pt.jp

en.wikipedia.org

 

Wikipediaの方には、初演のエリオットがなんとみんな大好きベン・ウィショーだったこととか、そもそも戯曲が出版拒否られたこととか、ローラはトランスジェンダーであることをフィリップ・リドリーがインタビューを受けて明言していることとか、上演だと思わなかった近隣の人が劇中の暴力シーンをガチだと思って通報して警察沙汰になったこととか、批評家同士の不毛だけど不毛じゃないバトルとか結構面白いことが書いてありました。

 

あと戯曲、というか2015年の公演の際の上演台本は、早稲田大学演劇博物館で普通に読めます。ただ配信もあるみたいなんで、入試で博物館もそろそろ閉まるしそっち観た方が早いかも、です。割と安いし。

 

配信に関してはチケットもぎ取ったあとに発表されたので、「それなら配信で観たのに…!」と、ちょっと申し訳ない気持ちで観に行ってきました。主演のファンの方とかに対して…。

『青天を衝け』総集編しか観てないのに『アルトゥロ・ウイの興隆』(レポート課題に使ってしまったので3月に成績出てからブログは纏めます)と『マーキュリー・ファー』を観に行けてしまったというのもなんか微妙に申し訳ない…。

 

とりあえずオペラグラスで顔面の整い方はじっくり観てきました。エリオットがダレンの口にバタフライ突っ込むところとか…。

「バタフライ突っ込まれたダレン役の人、この後どうするんだろう…?」と戯曲読んだ時に思ってたんですけどその後すぐにハケるので、たぶんその時にペッしてるんだな、と舞台観て分かりました。本当のところは知りません。

 

TVと全然変わんないすごい…。顔がハッキリしてるから遠い席からでもすごく見やすい…。

神様って不公平だ…。泣いちゃう…。

 

内容について

雑なあらすじ(というか箇条書き)

ロンドンのイーストエンド。紛争中か戦争中といった感じで荒廃している。

バタフライっていうドラッグ(なんかアヘンみたいだけど)でみんな正気を麻痺させつつなんとか生きてる。副作用は記憶をどんどん忘れていくこと。

このバタフライ、ある日突然砂とともに降ってきたというのでますますアヘンっぽいなとは思う。イギリスが中国に無理矢理売りつけたみたいな強制感が…。まああれは中国側の管理もちょっと甘かったらしいけど…。

 

エリオットとダレンは兄弟で、エリオットはバタフライの売買をしている様子。ダレンはバタフライ漬けで記憶があいまいな部分がある。スピンクスとローラの兄妹(ローラはトランスジェンダー)と共になんだかいかがわしい仕事をして生計を立てている。

 

今回は「パーティゲスト」のために「パーティプレゼント」を用意して「パーティ」を開催する様子。エリオットとダレンは場所確保のために廃墟の部屋に入って準備している(劇はこの2人が廃墟に入ってくるところから始まる)。途中、バタフライ欲しさにナズという少年も手伝いに加わる。ゲストの要求でパーティが早まったらしく、プレゼントにメイクアップを施す役割のローラも含めバタバタしてる。

 

パーティプレゼントはどっかからさらってきた子供のことで、パーティとはゲストがプレゼントを、興奮(性的興奮かな)のためになぶり殺しにすることがこの辺でなんとなく分かる。

 

スピンクスが来るはずのないお姫さまをパーティ会場に連れてきて一同混乱するが、なんとかパーティの準備を終えて、ゲストも到着しパーティを開始する。(お姫さまは実はエリオットとダレンのお母さん)

 

パーティゲストは、外国のお偉いさんみたい。近々彼みたいな外国人はエリオット達のいるところから脱出するらしいがその理由は公的には明かされていない。でもこのゲスト、スピンクス達が、人をなぶり殺すという自分の「超ドスケベな夢」を叶えてくれるパーティをやってるのを何かしらで知って、この国にはもうすぐ3日間の集中爆撃が始まること、全部終わったら兵士が「助けに来る」という名目で全てを奪いに来ること、その前に逃げることの出来る安全な場所をスピンクス達に教えるという約束でパーティ開催を取り付けた。

 

でも途中でプレゼントが死んじゃって、ナズが代わりに選ばれて半殺しにされるけど、結局エリオットとダレンとかが止めにはいって、もみ合ったすえ、ゲストはダレンに射殺されてしまう。

ちなみに、ナズがパーティの準備に加わるときに、エリオットがピラミッドの話をする。ピラミッドを作るのを手伝った人たちはファラオと一緒に埋葬されてしまう、という内容の話なので、パーティの準備を手伝ったら下手するとナズも死ぬんだろうか、と観客に思わせる効果がある。だから、別にこの展開は驚くべきことではなく、「だよねえ」と言った感じ。

 

逃げる先も聞き出せず、みんな落ち込む。とりあえずナズの手当てをして、エリオットとダレン(とゲストの死体)だけ部屋に残してみんな外の庭にでる。

 

ダレンがエリオットを励ますためなのか、「自分たちは今宇宙探検をしている」という設定でこのパーティを行う取り決めだったと思い出し、そのことを兄に語る。

ダレンの記憶はあいまいだけど、劇中でどんどん色んなことを思い出していく。冒頭ではエリオットとダレンでは完全にエリオットが主導権を握っていたが、ここでは完全に逆転しているように見える。兄弟モノとかでよく見る、頼れる兄と頼りない弟の逆の面が物語の最後で見えてくるパターン。ダレンが成長したと捉えてもいいのかも。

 

ダレン:俺たちはいま探検してる、この……新しい星を。人間が生きていける場所かどうかみるために。な、兄貴?でもだめ。だよな、エル(エリオットのこと)?別の星を探さなきゃ。な、兄貴?もっとやさしくてあったかい星を、な、兄貴?俺たちはそれを探すんだ、エル。聞いてるの?星ならまだいっぱいあるよ、兄貴。一個くらい、ぜったい。

 

みたいなことをダレンが喋る。「もっとやさしくてあったかい星」の部分にたぶんタイトルのMercury Furが引っかかってるはず。

水星は太陽に最も近いし毛皮はふわふわであったかい。

 

外から爆撃音が聞こえて、エリオットが拳銃をダレンに向ける。ダレンは抱きつきながら制止を試みるがエリオットは何度も何度もダレンの頭に拳銃を向ける。ダレンの声が聞こえないぐらいの爆撃音が外から聞こえた時、舞台の後方部分が下方に降下して(世田パブではこんなこともできるのかと驚いた)、まるで2人のいる廃墟が爆撃のせいで崩落するのかと思った瞬間に真っ暗に。生死は不明である。

 

サウンド・オブ・ミュージックでおなじみのClimb Every Mountainが最後にかかる。これで幕だった気がする。

この曲選はたぶん演出…。戯曲にそんなこと書いてないし…。

 

 

以下はこまごました書き洩らし。

 

・お姫さま→エリオットとダレンのお母さん。お父さんは以前「愛しているから」家族で心中しようとしたらしいが3人は生き残った様子。ダレンの頭にもその時の傷が残っている。お母さんは殴られた後遺症からか、自分はお姫さまであるという幻想に浸ってる様子。時々サウンド・オブ・ミュージックの主人公と自分自身がごっちゃになっているみたい。

 

・エリオット→バタフライはお父さんに止められて最初の1回しかやってないので他の人に比べて記憶力抜群。だから「いい思い出が俺を苦しめる」ので、常にイライラしている。

 

・スピンクス→エリオット、ダレン、お母さん(お姫さま)が入院していた病院に襲撃があった際、逃げ出したエリオットの代わりに2回も戻ってダレンとお母さんを助けてくれた。ちなみにエリオットはその事をトラウマレベルで後悔している様子。


・ローラ→スピンクスの妹。エリオットと付き合ってるのかな。エリオットが入院中に襲撃受けて逃げた時に出会ったっぽい。

 

・ナズ→ギリ生き残ってるかなと思いたいが、正直あの出血量で生きてるとは思えない。


・パーティプレゼント→どっかからかっぱらってきた少年。妹がいたらしいが頭が吹っ飛んで死んだ様子。

 

特徴

最初は、なんだかよく訳が分からない2人が廃墟に入ってきて突然パーティの準備をしだすんですけど、劇が進むにしたがって、上に書いたようなことが徐々に分かってきて、登場人物たちの像がハッキリしてきます。

 

そういう意味ではミステリ要素が結構多いです。

そもそもミステリ(謎解き)要素がない物語はほぼ絶対ないとは思うけれど…。

 

舞台上で進行する時間と客席で進行する時間にズレがない(劇中で突然16年とか時間が飛んだりしない)作品なので、本当は時計とかあるとそれがハッキリ分かるんですが、廃墟なので時計が舞台セットに組み込めないのが残念…。

でもその代わり窓から差し込んでくる光が刻一刻と変化していくので、それはそれで綺麗でした。

あの悪名高い三単一の法則をちゃんと守っているとも言える気が…。

 

過激な暴力シーンはすべて奥の寝室で行われる(見せない)ので、ギリシア悲劇とかの伝統に則っていて、内容の政治的な隠喩とかはともかく、結構正統派なつくりの劇なんじゃないかな?と思いました。

 

テーマについてまとめてもしょうがないとは思うけど…

「愛するものを守るためにあなたはどこまでやれますか?」っていうことだと思います。

 

エリオットのセリフにも

 

だから俺、ダレンに約束したんだ。お前らが傷つく前に俺がこの手で殺すって。

 

っていうのがあるけど基本これな感じ。

 

加えて、極限状態の中で弱って追い詰められた人たちが、権力者に言われる通りに、さらに弱いものを犠牲にしていかねばならない状況の提示もされているので、コロナ禍での上演はかなり差し迫ったものがあると思います。

初演時は初演時でたぶんシャルリー・エブド襲撃事件のあとじゃない?それはそれでやべえ…。

 

サウンド・オブ・ミュージックとの関連は謎と言えば謎なんですけど、あれはあれで最後は、ナチスドイツという権力側からの強制に従うように見せつつ逆らって、愛する家族と共に併合されてしまったオーストリアから何とか脱出する話(完全に成功したのかは謎)なので、状況的には『マーキュリー・ファー』の方が大分終末的な世界観にはなってますけど、類似と言えば類似しています。

 

Climb Every Mountainにしたって、超要約すると「困難が来るたびに乗り越えなさい。あなたの生きている限りの全ての愛と日々を費やしてもいいと思える夢を見つけるまで」っていう歌詞なので、まあラストに流した演出大分えぐい…という感じです。

これ読みようによっては、「自分がしっかりと生きるためには何かを心から愛することが必要」って歌詞じゃん…。しかもそのすべてが最終的には夢に集約されるって…。『マーキュリー・ファー』のラストに組み込まれて文脈変わると、繰り返しになるんですがマジでえっぐいです…。

 

ものすごく愛してる だからお前をつかむんだ

 

って一連の詩的なセリフがあるんですがそういうことかよ…。

結局は皆自分が生きるために相手のことをつかんでいて、大切な人を守りたいのは自分のことを守りたいからで、それが他の人によって自分の制御不可の状態で失われるぐらいなら「自分で決める」と…。

エリオットとダレンのお父さんの行動も、エリオットのラストの行動もそういう論理みたいに見えた。

 

愛=執着と理解している派なんですけど愛=生への執着と読み替えるか…。

人間所詮獣だよ!感が半端ねえ戯曲ですね。

演出もそれ理解しすぎだろ…。白井さんの演出毎回メンタルにくるよ好き…。

 

演出と演技についての殴り書き

演出(というか舞台美術)

舞台が最沈下してて、客席17席ぐらいが舞台上にのってるみたいな形になっていました。

その17席は椅子も、舞台上の廃墟に投げ捨てられている椅子と似たようなデザインになっていて、意図的かなと思いました。

上手脇側にも舞台美術が伸びてて、登場人物の廃墟の一室への入退場は全部そこから行われていました。上手の観客の方はラッキー?です。

 

たぶん客席が舞台に食い込み気味なのは、時間感覚を客席と共有している作品だから、空間も、ってことだったんだろうなと思っています。

ただ3階席からだとあんまりその効果みたいなのは感じなかったです。

トラムみたいな小さい空間だと強制的にそうなったんだろうけど…。残念です。

 

でも客席が舞台にやや食い込んでいて、その分アクティングスペースがやや後方になっていたので、3階席の手すりにも俳優さんがあまり被らず、かなり観やすかったです。

 

あと劇の最初にも飛行機とかサイレンの音とかが入っていて、「なんかやばいところだ…!」というのが分かって、好きでした。それと、最後に、舞台を下げることで崩落を示唆するやつなんて今まで観たことなくて「す、すごい…!!」となりました。

白井さんすごい一生ついていくというか今年は白井さん追いかけてみようと思います。『アンチポデス』では演者ですか楽しみですね…えへへ…。

 

演技

ド素人なので演技に関しては全然分かんないんですがこれだけは書かせてください。

 

吉沢亮さん、高橋一生さんに声似すぎ…

というか寄せすぎじゃない!?!

 

私、初演観てないけど、高橋一生さんなら何回か舞台で観たことあるので、もうなんかエリオットというよりは高橋一生さん演じるエリオットを1回トレースしたんか??と思うぐらい声の出し方とか似てました。なんだあれ。逆に怖い。

 

北村匠海さんは、ダレンが途中で歌歌うんですけど、明らかにそんじょそこらのギャングのレベルではない上手さで「…ダレン…謎の宝の持ち腐れ…」と奇妙な感情になりました。

 

兄(低)と弟(高)で声の高さを使い分けていたのが音声的に面白かったです。

初演のキャストもそんな感じな気がする…。

 

あとダレンが蝋燭に火をつける場面で、ライターがつかないハプニングがあったんですけど、スピンクスとかと一緒に蝋燭同士で火をつけたりとスムーズに対処していて、一瞬そういう演出なのかと疑ったくらいでした。

これで初舞台とかすごいよダレン。衝撃だよ…。

あと舞台上で、蝋燭1本つけるのも確か消防に届けが必要だったはず(たぶん)だから、舞台で火を見ると「手続きおつです…!!」と謎の感情が湧き上がる…。

 

声も全員マイクなしで聞き取りやすかったし、聞き取れない公演がままあることを考えると平均的にすごい良かったんじゃないかなと思います。

 

ただ、以下に書く点から私はその「上手いねえ…」という点が超モヤモヤするというか…。

 

現実に実際起きていることなので…

細かい指摘はめんどくさいのでしないんですが、劇中の時代が不明で政治的な立場もめちゃくちゃはっきり読み取れないこともあって、9.11とかイラク戦争とか、あとさっきも書いたけどアヘン戦争とか、それと第二次世界大戦の併合とか、とにかく色々な時代に(もちろん今も)起きている争い、紛争、戦争と簡単にリンクしてしまいます。

 

実際に、こういう残酷で残虐で理不尽なことが今もどこかで、なんならこの劇を上演している今もどこかで起きていることに簡単に気が付いてしまう、ってことなんですけれど…。

 

だから、劇場の中で、血のりまみれになって、俳優さんたちがどったんばったんその様子を一生懸命身体はって上手に演じているんですが、この瞬間もどこかしらでこのひどい状況を、フィクションじゃなく現実として味わっている人がいる、ということを常に思ってしまいました。

上手く書けないんですけど、舞台で一生懸命リアルな感情をこめて、上手に演じている俳優さんたちを見ても、本当に怪我してるわけでもないことは分かっているので、本当っぽく見えれば見えるほど「でも嘘じゃん…もしかしたら今この瞬間に本当にこういう風に死んでいる人がいるのに何一生懸命それを演じているの…?」と醒めてしまう…という摩訶不思議だけど、演劇では割とありがちな現象に遭遇しました。

 

フィクションって究極「嘘をつくこと」なので、そこには「実際にそういうことを経験した何ものか」への不遜さが含まれてしまうのは、ごく当たり前なんですけど、とりわけこういう暴力とか生死にかかわるものに関しては、現代に時代設定が近いように見えれば見えるほど、当事者のことを考えてしまい、その不遜さが倫理的にアウトなんじゃないかというレベルに見えちゃう時があって…。

美学的な視点に基づいて上手く物語にまとめること、当事者でもない俳優さんがそれをあたかも当事者であるように演じることにものすごい暴力性を感じてしまい、もう自分でもどうしようもないというか…。

『マーキュリー・ファー』は完全にフィクションで直接の当事者とかはいないとは思うんですけど、ちょっと寓話的な部分もあって、さっきも書いたように簡単に色々な現実を連想してしまうので、そこが結構きつかったです。

 

『フェイクスピア』の時にも似たようなイラつきとモヤつきは感じました。

 

monsa-sm.hatenablog.com

 

結局は何に一番モヤついてイラついているのかというと、それを観て感動しちゃったり「こういう切り口できたのか…これは面白い手法だ!」とか思っちゃってる自分に対してなので性質悪いんです。

 

現代においての政治とか社会的な問題に直接的にしろ、間接的にしろ、何らかの形で結びつく問題を扱った演劇を観て、それがどれほど巧みにその問題をさばいているか、どれほど妥当か、俳優はどれほど巧みに演じているか、演出はどういう意図で構成しているのか、それは成功しているのかしていないのか、というのをみんなで劇場で確認して、良かったら拍手を送って忘れて帰る、という行為が、よくよく考えると気持ち悪すぎませんか?(私だけかな…)

映画とかだと演劇よりはリアリティがあるのであまりこういう醒め方はしないんですが…。

【追記】Twitterの方にあげたやつ、一応こっちにもはっとく。

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純粋に感動した方の気分を害したいわけではないんですけど、やっぱりあれ見て「感動した!」とかは胸張って言えないです…。社会問題系感動ポルノとして観ました!言っているようなもんなんで…。

 

あくまでPLAY(あそび)である・があることを意識して感じさせてほしいみたいな気持ちが個人的にあります...。

 

たぶんイギリスがアメリカと仲良くお手手つないでイラクに戦争仕掛けた時にイギリスで観たらまた違った感想なんだろうけど...。

 

確かに疲れる劇だった

上に書いたような居心地の悪さが半端じゃないので。まさかそれが狙いか?

 

でも、たぶん愛とか以前に

 

テセウスミノタウロスと話せたかもしれないだろ。ミノタウロスだって絶対ラビリンスから出たかったと思うんだ。そしたら一緒に糸をたどって出て行けた。

 

って、ダレンが言う印象的なセリフがあるんですけど、この一言を言いたいがためにこの劇作ったんじゃないかな…、と思いました。

 

人間も所詮獣かもしんないけど言葉があるだろ言葉が!ってことですかね…。

その言葉もある種の暴力ではあるんだけどキリがなくなるのでやめます。

 

あとまああれかな…ちょっと舞台暗めだったかな…。私はああいう暗さ好きですが、やや目を凝らした瞬間が何回かあって疲れました。

主演のファンの方のこととかも考えるともうちょっと明るくした方がいいのかなあ…と漠然と思います。

 

もしかしたら配信の方が素直に感動できたかもしれません。世田谷パブリックシアターの配信は観たことないけど、たぶん、準映画、みたいな感じになってると思うので。