感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

2022年9~12月に生で観た舞台と、ちょっとした感想

卒業論文書き終わって完全にフリーかと思ったら「例のあの賞、その勢いで出してね」と先生に無理難題を言われて、全然フリーじゃなかった正月休み、現実逃避でブログを書きます。

 

メンタルは相変わらず終わってますが、元気に好き勝手書いていこうと思います。あらすじとかは書いたり書いてなかったりです。雑感なので。

 

 

2022年9月

①『COLOR』

新国立劇場 小劇場(16日、14時)

 

《成河…ぼく、浦井健治…大切な人たち、濱田めぐみ…母》の回。

『導かれるように間違う』の、成河さんのクマのぬいぐるみ首もぎ取り事件を観てから、成河さんとクマのぬいぐるみの組み合わせに不穏な気配しか感じなくなったのだけれど、今回はUFOキャッチャーのクマがちょっと踏んづけられてちょっとわしづかみにされてちょっと酔っ払った編集者に絡まれるぐらいで安心した。

 

でもドキュメンタリー演劇的な手法を取らず、あえてそれ自体で完結したフィクションとして、リアリズムの延長にあるミュージカルという形式でやる意味が全く分からなかった。実際に出版した本があり、その本の編集者も作品内に出てきているのだから、もう少しその辺りから、何かしら単なる感動話には終わらせない、虚構としての作品とそれに実話があることを踏まえた複雑な構成にすることも可能だったのではないかと思う(ただその場合、観客の感情に訴えかけることや観客の感情の同一化が得意なミュージカルという形式は使わなかっただろうとも思う)。

正直、前もって言われなければ(ロビーには坪倉優介さん本人が染めた作品が複数おいてあったりした)実話とは分からなかったかもしれない。

ただ成河さん演じる「ぼく」と濱田さん演じる「母」の衝突の場面での、声の殴り合いみたいな歌唱は聞いててものすごい迫力ではあった。劇場の天井と床抜けるぞ。マジで。

 

それと実話なことを考えるとかなり不謹慎なのだけれど、前半の作り(身体的には成人している存在がまっさならな状態から色々学習していく)が割とNTLで観たフランケンシュタインに似ていて、こういう要素は物語を作る上で一定の人気があるのかもしれないと感じた。

あとものすごく意地悪な書き方だけれど、男性で、そこそこ金銭的に余裕がある家庭環境で不幸中の幸いだったね、と思わず思ってしまうような描写も散見された(突然思い立って所持金ほぼゼロで単身ドイツに向かう、など。どうも見知らぬ人の家を泊まり歩いたらしく、男性でも無理な人は無理だろうけど、女性だと絶対に無理だと思った)。その辺りにも一貫して無自覚だったのも少し気に入らなかった原因な気もする。

 

ところで「ぼく」の元カノらしきこずえさんとはどうなったのか作品内では解決されてなかったので、もうこれは原作を読めってことなのか…?読まないよ…?

 

素敵なピアノとパーカッションと歌唱に1万円払ったのかと思うと、ちょっと満足は出来ない公演だった。オリジナル・ミュージカルということで大々的に宣伝していたからもうちょっと何か実験的な事をやっているのかと思ったけれど、悪い方の予感が的中してしまった。

 

②シヅマ♯1.1『4.48 Psychosis』

@都内のビルのミーティングルーム(19日、14時)

 

1人で60分ノンストップでやり切った俳優さんには素直に賛辞を送りたいけれど、翻訳の言葉がものすごく厨二病的に堅苦しく、攻殻機動隊とかエヴァを思い出してしまって、心を病んだ人というよりは、そういう厨二病的な世界(言い方が不適切かもしれない)に頭を置いてきぼりにしてきてしまった人という印象が強かった。そしてサラ・ケインのこの戯曲は心を病んだ人を描いた作品のはずなので、心ではなく頭の方を病んだ人、というこの齟齬は結構致命的だと思う。

 

それと、13席しかないすごいちっちゃいミーティングルームが劇場だったのだけれど、「ビルの一室」というこのやや特殊な環境が、何も作品に反映されてなかったのが悲しかった。

ただプロジェクターによる照明は綺麗だったし、その温度のない無機質な光と俳優の身体が、都会ビルあるあるのでっかい窓ガラスに反射していたのはとても美しかったと思う。

 

③た組『ドードーが落下する』

@KAAT 大スタジオ(23日、14時30分)

 

この日、セブンイレブンのチケット発券システムの障害でチケットが発券できなくてめちゃくちゃ焦った。急いでKAATに電話したら丁寧に対応してくれて感謝。

 

統合失調症の芸人とそれをとりまく友人(?)たちの話で、特に劇的な起承転結もなく、じわじわと緩やかに状況が悪化していくのが、観ていて真綿で首を締められるようなしんどさを感じた。

悲劇喜劇に戯曲が出ているので興味のある方はぜひ。

 

私は『ザ・ウェルキン』の演出をあまり良いと思わなかったので、本当に同じ人が作・演出なのかとちょっと疑った。

ただ、明らかに笑わせようとしている演出(箱の中から突然おじいちゃんが出てきたり、電話線が異常に長かったり、殴ったミニチュアのビルが予想以上に柔らかかったり、など)あまり客席にウケてなかったのが少し気になった。それと舞台美術のミニチュアの街は、とてもいい効果を出している時とそうでない時の差が激しかった気がする。

 

それにしても日常生活であまり夫婦生活とセックスと下半身と色恋に縁がない人間なので、舞台とかであからさまにそういうことを話す人物たちを観ると、私以外はみんなこんなもんなんだろうか…と少し疑問に思う。

 

④『The Concert』

東京芸術劇場 プレイハウス(24日、14時)

 

トリプルビルだった。『スコッチ・シンフォニー』は華やかだったし『牧神の午後』は私が知ってるめちゃくちゃ官能的なやつとはまた違って綺麗だったけど、ぶっちゃけるとこの2つはあんまり印象に残ってない。

でも最後の『コンサート』は何だか変なバレエだった。「揃わないバレエ」という謳い文句だったから、なんかもっとヤバい前衛的なのを想像して行ったら違った。6人のバレエダンサーがことごとく間違い続ける場面があって、ああいう揃わない稽古を何度も繰り返して、揃う本番になってるんだろうな、と謎にしみじみした。ピアニストの人もパフォーマンスしててびっくりした。最後は虫になったダンサーをピアニストが虫取り網を持って追いかけてて、かなり笑えるバレエ作品だった。

 

ただ各作品の間にそれぞれ休憩20分は長すぎる。どっちか1回でいい。

 

⑤イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出『ガラスの動物園

新国立劇場 中劇場(30日、13時)

 

少なくとも2人、携帯鳴らしてたので猛省して欲しい(怒)。

 

もっとぶっ飛んだイヴォイヴォしい感じを想像していたら、ジムとローラのダンスシーン以外はそこまで激しくなくて、丁寧にオーソドックスに作られた印象だった。私はこれが初めて観るガラスの動物園だったので、変なの観せられたらどうしようかと思っていたので、杞憂で良かった。

 

生きるために必要な食事を作るキッチン以外はすべて取り除かれて、全体が毛皮を敷き詰めた動物のあなぐらのような舞台美術だった。そこに閉じこもっているローラは、よく同じ素材の毛布にくるまっているので、その時はまるでセットに同化しているように見えたのが印象的だった。

ただ、閉塞感というよりは「とりあえずここに居れば安心」という感覚が舞台美術からは伝わってくる。ちなみにお父さんの顔は毛の流れで複数個表現されていた(そのためダンスシーンとかで何個か消えてた)。

 

イザベル・ユペール演じるアマンダが魅力的で、夢想家というよりはものすごく生命力が強いキャラクターとして描かれていて新鮮な感じだった。生きること、幸せになること、子供たちを幸せにすることに全力で前向きに立ち向かっていて、本当に強いなこの人、と思った。

ただ料理するシーンで鳥を丸ごと鍋にぶち込んでたのは結構狂気的だった。

でもこのアマンダのハチャメチャっぷりに笑いが起きていたのも事実で、「愛すべく、同情すべきところも多い」っていう戯曲そのままのアマンダの雰囲気にもあっていて、良かったと思う。

 

それとイザベル・ユペールの独壇場になるんじゃないか、と観る前は思ってたんだけど、全然そんなことはなく、かなりバランスの取れたキャストだったと感じた。ローラ役の人の声がとにかく聴いていて心地良かったのも記憶に残っている。

キャストに関しては、ジム役が黒人の人なので、アマンダが南部の思い出を朗らかにジムに話すシーンで妙な気まずさがあった。たぶんこれは意図的。

あと、このジムの造形が最高に好きで、戯曲読んだ時も「こいつめちゃくちゃうさんくせえな」と思ったのだけれど、本当にオンラインサロンに足しげく通って自己啓発本で本棚が埋め尽くされてそうな雰囲気がひしひしと伝わってきたので、「解釈一致よ…!」とテンション上がった。というわけでそいつだけはやめとけローラ。地雷臭がすごいぞ、その男。

 

謎だったのは、黒い幕によってブツブツと切られること。(トムの)断片的な記憶ってこと?

あとローラの「ガラスの動物園」が舞台中央手前に置かれて、まるでそこからビームが発射されているみたいに薄暗い中、照明で強烈に照らされるのは一瞬ギャグかと思った。たぶん違うよね。たぶん…。

 

傑作だったかと言われると、いや別に、という感じではあるのだけれど(期待しすぎた感は正直ある)、上手い人たちが集まって、古典に現代劇としての息を吹き込むように作った一級品を観た、という満足感はある公演だった。

 

2022年10月

①『住所まちがい』

世田谷パブリックシアター(5日、14時)

 

たぶんこれはあらすじだけでも面白さが伝わると思うので、適当に書く。

 

【雑なあらすじ】

3つの出入口がある(したがって住所も3つある)建物の上の階に、それぞれ3つのドアから間違えずにたどり着いた社長、警部、教授。互いに住所を間違えたかと思ったらどうもそうではないことが明らかになる。

それぞれ会う予定の人が現れないうちに、局地的に大雨が降るわ、大気汚染警報が発出されるわで、3人仲良く一晩建物内に留まることになった。なんでも願ったものが出てくる万能冷蔵庫(教授がホカホカのココア頼んだ時も冷蔵庫のなかから出現した。そんなバカな)のお世話になりながら、とりとめもない暇つぶしの会話をしているうちに、社長が「もしかして自分たちはもう死んでいて、あの世の待合室にいるのでは」とか言い出した。そのまま議論はコミカルな要素を保ちつつどんどん哲学的な方向に飛躍していく。

マリア様との偶然とも言える微妙な共通点が多い掃除屋さんの出現で、「俺たち死んでるかも!」の混乱はピークに達するが、掃除屋さんが奈落に消えるように(!)退場していくと無事に夜が明けて、窓から見える道路にも人々が現れだし3人は息をつく。

それぞれが入ってきたドア(前半で、それぞれが入ってきたドア以外から退場しようとするとドアが開かないネタあり)から帰路につく。しばらくすると、舞台上に全員顔面蒼白で戻ってくる。下の出入口が開かないのだ。掃除屋さんが口ずさんでいたアヴェ・マリアが爆音でかかる中、いい年したおっさん3人が互いに互いを震えながら抱きしめ合い溶暗。

 

全面白色で揃えた、天井の低い箱型の舞台だったので、ペレアスとメリザンドといい、ガラスの動物園といい、流行ってんのか天井低い舞台美術、上の席からだと見えにくいんだが…、とか、日本に設定移しているのに西洋風すぎやしないかこの建物…まあこういう場所なくはないけど…、とか色々思うことはあったのだけれど、床の部分がガラス透かしみたいになって綺麗だったし、何よりも後半で示唆される「天国」とか「異界」感があって結構好きだった。この舞台美術。

 

社長のセリフで「私たちこんなに喋り続ける必要ありますか!?」「私たち無意味なことを死ぬほど喋りましたよね…」というのがあるのだけれど、本当にこれに尽きる話だった。ひょんなことから出会った3人が、話しているうちにどんどん思考だけが飛躍していく不条理的なおかしさ満載の作品。俳優さんたちも文句なしに上手いし、(実は卒論の必要性に駆られて観に行った作品だったのだけれど)とても笑えて楽しかったので観られて良かった。結局どうなったのかよく分からない最後も好き。

 

ただ渡辺いっけいさん演じる警部の衣裳が、とても汗ジミが目立つものだったので、もうちょっと目立ちにくい色味のものに変えた方がいいのではないかと思う。

 

②『浜辺のアインシュタイン

神奈川県民ホール 大ホール(8日、13時30分)

 

てっきりロバート・ウィルソンと真逆の(あるいは全く関係のない)チャレンジをするのかと思っていた。でもロビーに「お席により見えにくいと感じられる場面もあるかもしれませんが、演出上の意図として、自在にフレームの変化する世界を絵画のようにご覧いただけますと幸いです」と書かれた紙が貼ってあるし、劇場内の放送でも「絵画的な美しさを楽しんでね」(超訳)と流れるしで、「じゃあロバート・ウィルソンのあの絵画的な美しさ全開の演出を同じベクトルで超えるようなもん観せてくれんだろうなあ…!」と妙にケンカ腰になってしまった。そんな私も悪かったとは思うのだけれど、完全に蛇足の説明だった気がする。

音楽は生で聞けて感動はしたのだけれど、ぶっちゃけ音楽だけで良いかな…舞台いらないな…という感じだった。

 

プロセニアム・アーチを額として統一された絵画的なイメージが展開していくというよりは、その中で独立した複数のダンス・パフォーマンスが同時進行している形で、正直観ていてかなりごちゃごちゃした印象を受けた。

ただ、これを観て、手っ取り早く絵画的な美しさを求めるのなら、「ゆっくり動くこと」と「静止すること」が効果的なんだなということがよく分かった。ロバート・ウィルソンの演出を「静」とするなら、ダンサーがメインということもあり完全に「動」の演出なのだけれど、ダンサーが動けば動くほど絵画的な美しさをからは遠ざかり、ふとした瞬間の静止が一番美しい、という皮肉な状況になっていた。

もちろん激しく動いていて、なおかつ絵画的な美しさを保つことも可能なのだけれど、今回の演出ではそこまでの印象は受け取れなかった。

 

あと途中狂ったようにビニールを被りだしたり、海のイメージを出すために舞台の床全面をビニールで覆うシーンがあったのだけれど、そのビニールが出す音が音楽面へどのように影響を及ぼすかについては、たぶん全く考えてないのも結構致命的だなと思った。チェーンを使用するシーンについても同じことを思った。

それに関連して、セリフもとても聞き取りづらかった。一応オペラなんだからもうちょっと聴覚面にこだわって欲しかった。

 

いろいろグチグチ書いたけど、ロビーの文言と放送さえなければ「ロバート・ウィルソンと全く違う『動』の演出にトライしててすごい!!」とか、もっとポジティブにとらえられたかもしれない。

 

③『スカーレット・プリンセス』

東京芸術劇場 プレイハウス(9日、15時)

 

とりあえずよしあしはおいといて、「めっちゃプルカレーテを浴びた」という満足感のある舞台だった。

 

何故か変にチープな効果音(すべて生演奏。すごい)(刀抜くときとかに「シャララン!」って音したりする)も相まって、全体的にものすごくコミカルに演出されてるのも、妙にグロテスクな世界観も、いつも通りのプルカレーテという感じだった。

清玄の身長が、威厳に比例して伸び縮み(最初は演じるオフェリア・ポピが肩車してもらっている状態で演じているので、奇妙にでっかい)するのとか、桜姫と清玄を人非人として打ち据えるとき、なぜかショータイムみたいになって、清玄と桜姫でさえノリノリになるのがとってもグロテスクで好き。

 

あと、個人的には特に川の場面が好きで、川の中を歩くちゃぷちゃぷした水音が本当の水を使って演奏されている中、舞台床にスモークが立ち込めるので、舞台上にマジで川が出現したかと思った。とっても綺麗。

 

全体的には楽屋と地続きになったみたいな空間に設定されていて、なぜか舞台上に3ヶ所くらい女優ライト付きの化粧台(これは守銭奴 ザ・マネー・クレイジーでも使いまわされていた)が出てくるわ、俳優が途中で自分の本名を明かす小ネタがあるわで、なんだか見世物小屋で見世物を観ている感覚にもなって、「アングラ感がある…」とも思った。

 

新鮮だったのは、桜姫が子を殺す(バケツに張った水に頭を突っ込む)のとか、権助を殺す(銃でズドンと一発。今までの刀はなんだったんだと拍子抜けした)のがかなりあっさり行われたこと。歌舞伎では見せ場になるので不思議な感じだった。

桜姫による殺人のあと、突如(たしか後ろにかかってた幕とかが落ちて?)現れた、地面にみっちり倒れ伏した死体みたい人々が、たぶん桜姫に向かって「人殺し、犯罪者」ってささやく中、桜姫が取り返した都鳥を落ち武者みたいな人(頭に赤い羽根を付けたピエロ?クラウン?みたいな人も出てた。どちらも特にセリフは無くて存在するだけ。なんとなくどちらも「運命」をつかさどっていたのだろうかと思っている)に投げて倒れて幕だった。

最後はカーテンコールへと続く、華やかなカーニバルみたいになっていたのだけれど、その空虚な華やかさを視覚的に楽しみながら、なんとなく、罵られようとも復讐を成し遂げた桜姫はすごいっちゃあすごいけど、それが桜姫の心からの幸せだったのかは割と分からないラストの演出だな、と思った。

 

プルカレーテの舞台を観ると、時空間がぐにゃぐにゃになっている印象をよく受けるのだけれど、今回の演出もそれが満載で、私はやっぱりそういう意味では大満足だった。

 

④『夢と錯乱』

東京芸術劇場 シアターイースト(15日、16時30分)

 

席についたら院の先輩が隣の隣の席に座ってて、ちょっとおしゃべりできて楽しかった。一番盛り上がったのは、前の方の席に開演直前に先生が滑り込んできた瞬間。終演直後に流れるような動作で出て行って余計に面白かった。観劇プロの動作だ…。

 

美加理さんが喋ってた…というのが一番の感想で、それ以外は謎、というか正直あんまりうまくいっている感じがしない上演だった。

観ていない人には全く分からないだろうけれど、起き上がり小法師的な顔ハメ輪っかも、木くずをぶちまけるのも、声を低くさせるマイクとエコーさせるマイクを利用するのも、「なんで?」がとにかく止まらない上演だった。そもそもセリフのなかに登場する「彼」が最後までうまく像を結ばないし、もういっそ大して長い詩ではないのだから、全文印刷して観客に配ってしまえよ、と思った。

 

あとちょっと失礼な感想なのだけれど、美加理さん、ムーバーとしてはかなりすごい俳優さんなのは映像とかで観ても分かるのだけど、喋りはそこまでではないな…というか声が可愛すぎてなんか違和感…と思ってしまった。

そんなことを思っていたから、後半、後ろに字幕で詩文を投影して、光の中で爆音の音楽と共に踊るだけの場面にシフトしたときに「あッ、逃げた」と思ってしまった。

 

いろいろ書いたけど、私には理解のできない何かすごいことをやっていて、私が追い付いていないだけかもしれない。この間観た明るすぎる『盲人書簡』より真っ暗になる劇場は新鮮だったけれど、それならやっぱり楕円堂で観たかった、イーストだと開放感がありすぎだよ…と思った。

 

先輩とは「すごく小劇場って感じだけどなんだこれ」で感想が一致した。ですよね。

 

⑤映像演劇『階層』

@シアターイースト(22日、12時)

 

色々面白い部分はあったのだけれど、最初の10分ぐらいが最高に面白かった。

案内係に案内されて、客席に移動し、「あなたはそれを信じる必要はない」云々というかすかに聞こえる録音音声と思しきセリフを聞きながら幕の閉まった舞台を観ていたら、突然幕がサーッっと開いて、舞台上にある柵にもたれかかった人たちと向かいあう形で対面して、まず驚いた。

「これ映像演劇じゃなかったっけ…俳優さんいるのだろうか…」と思いつつ眺めていたら、じわじわと「あれ、そういえば上演時間70分なのに60分ごとに観客いれられてなかったっけ…」とか「前の回の観客、いつ退場した…?」「もしかしてこの人たち、前の回の観客…?」とじわじわと居心地の悪さ(正面で向かい合っている形なので)を感じていたら、突然幕が閉まって幕の後ろで「終演ですー」の声。

どうも本当に前の回の観客だったみたいで、まず観客同士が観る/観られるの「階層」に巻き込まれる形になっててゾッとした。

 

舞台上に上ったら、安全な柵の内側で「動物園」の動物を観るように映像を観てね、と案内係に説明される。舞台上には長方形のデカい穴が開いていて、その穴のなかに映像パネルがもたれかかっている。それをその穴に落ちないように設置された柵から身を乗り出す形で観る感じで、物理的にもたしかに「階層」だった。

 

 

内容としてはかなりまとめづらいのだけど、映像に映っている人々が「自分の意思」で「上の世界」から「下の世界」に来て「永遠」を手に入れたことを話はじめる。話を聞いているとどうも「自分の意思」で死んで、死後の世界という「永遠」を手に入れた人々ではないか、ということがぼんやり分かってくる。なので彼/彼女たちの1人がまるで観客を死後の世界に誘うように「飛び降りてくればいいのに」と、ぽろっと漏らすセリフにはかなりゾッとするというか、くらくらする感覚になった(実際にビルの屋上にいるような感覚になるのは上の図でもなんとなく分かるのではないかな…と思う。イーストの下の奈落?意外と深い…)。

 

しかもどうも「上の世界」から「下の世界」に行くと見た目がガラッと変わってしまうらしく、「もしかしてさっきの観客の人たちが『下の世界』に行ってしまって、映像として映っているってことか…?そしてそれを私たちは追体験している…??」と思ったあたりで閉じてた幕が開いて、次の回の観客に、「動物園」の柵の中にいる動物のように自分自身が見つめられ(見つめ返し)、幕が閉まると舞台から「下」に「降りて」退場する、という体験ができるえげつない作品。

 

「永遠」の幽霊(「映像」の半永久さと実体がそこには存在しないという亡霊感)を「上の世界」から眺めていたと思ったら、自分たちも結局いつかは「下の世界」に行くしかないようなこの「階層」が入り乱れている感じが、とにかく上手く言語化できないけど、最初っから最後まですごかった。

 

観に行けて良かった。良かったけど、メンタルの調子が悪いやつが観に行って良い作品ではなかった…とも思った。ぜひ私が元気な時に再演してください…。また観に行きます…。

 

⑥カンパニーXY withラシッド・ウランダン『Möbius/メビウス

世田谷パブリックシアター(22日、16時)

 

日付のとおり、映像演劇『階層』からのハシゴ。普段は疲れるからめったにハシゴしないんだけど、どっちも1時間ぐらいだろうと踏んで、いけると思った。案の上いけた。良かった。

 

前から4列目という超近い席で観たので、迫力がすごかった。「舞台上だけ無重力になったんですか?」とい感じだった。人って縦に4段に重なることができるんですね…(渋谷でのゲリラ的なパフォーマンスが前にTwitterでバズってたから、もしかしたら3段重なっているのを観た方もいるかもしれないけど、劇場だと4段いってた)。

こういう4段重なっていっているような難度の高い技を繰り出している時の緊張と、その技の完成形が綺麗に崩れていくときの緩和が、音楽にのってリズムよく繰り返される心地よい作品だった。

 

あと久しぶりにサーカスを観たのだけど、舞台芸術の特徴である「失敗の可能性」って、こういう身体だけで難度の高い技を繰り出していくような作品において顕著に浮き上がってくるものなんだなあ、とも思った。緊張感とかヒリヒリ感とかが凄まじい。

 

⑦『レオポルトシュタット』

新国立劇場 中劇場(26日、13時)

 

ハンナ演じる岡本玲さんのピアノの生演奏には感動したのだけれど、小川絵梨子さんは相変わらずユーモアを殺す天才だな、と思った以外に特に感想はなかった。

 

舞台美術に「家」感があまりなく変な広場っぽいのも「家」の物語なのにどうかと思ったし、何より最後の方に決定的に突入してくるナチスの人が全然怖くなくて「いや今そこにいる男性陣で寄ってたかって押さえつければ絶対倒せるぞそいつ…」という小物感がすごくて、とにかくしまりがなかった。

 

那須佐代子さんがいるから大丈夫とか思ってたけど、考えてみれば那須さん演じるエミリアおばあちゃん、前半以外出てこないんだった…と舞台を観ながら絶望してた。俳優さんたち、戯曲の勉強会をしてから挑んだ的なことをパンフレットに書いていたけど、ほんとにした?と疑いたくなるレベルで「分かってない」感じのセリフまわしをしていて、なんだかなあ…と思ってしまった。これ観るくらいなら、悲劇喜劇で戯曲だけ読んだ方がなんか感動できる気がする。

 

1月のNTLの方に期待しておこうと思う。

 

⑧akakilike『捌くーSabaku』

@シアターウエスト(29日、14時)

 

好きか嫌いかで言われたら、あんまり好きではないのだけれど、誠実だな、という印象はある作品だった。

 

さまざまなバックグラウンドを持つパフォーマーが、それぞれの動作をひたすら繰り返すような場面が、あてこすりです!と言わんばかりの爆音のクラシック音楽によって中断されながらも連続していて、観ている感覚としては、公共の場で奇声を発しているやっべえやつを目撃し続けているような感じなんだけれど、その中でひと際目立つのが、中央の手術台みたいなのに横たわっているたった一人の女性。

その寝ていたり手術台?の上に立っていたりする女性の周りには、常に直立不動の男性パフォーマーたちが女性をじっと見つめるように立っているのだけれど、それがどこか不穏で気味が悪い。

 

後半になると、東京大学誕生日研究会レイプ事件とかを想起させるようなセリフが断片的に耳に入ってきて、寝そべったまま男性に見つめられる女性はレイプの暗喩だったのかと、気持ち悪さの原因が判明した。

 

ただそれ以外は、簡単に理解できないような構成になっていて、細かい部分はどういう意味があったのかはよく分からない。観客に簡単にカタルシスを与えない(簡単にスッキリ理解しきって、忘れることを許さない)、という一貫したドラマトゥルギーのもとに作品が作られていて、それが(おそらく)現実の事件を取り扱う手つきとして、とても誠実だなと感じた。

そういえば、音楽にやたらとチャイコフスキーとかのバレエ音楽が多かったことを考えると、バレエにおける「女性」の表象への批判かもしれない、とも思った。エド・シーランの曲がかかってたのは、本当に謎だったけど。

 

2022年11月

①『May B』

埼玉会館(19日、15時)

 

11月は卒論完成させたかったので、これ1本だけ。頭ぶっ壊れるぐらい面白いわけではなかったけれど、有名な作品を生で観られて良かった。

 

冒頭、とても長い間、劇場が真っ暗になるのだけれど、その間にじわじわと目が慣れだして、舞台上にいつの間にか登場していた全身漆喰を塗りたくったダンサーの輪郭が、真っ暗ななか照明もないのにうっすら発光して観えたのが個人的には感動ポイントだった。

照明がついてからは、動くたびに漆喰がはがれて舞い上がるので、なんだか人がバラバラに砕けていくような感じで奇妙だった。

 

あと音がない場面で、全員でぴったり合わせて動く時とかも、じっと目を凝らしていると、誰がリードが分かってちょっと面白かったり、ケーキが人数分なくて、ケーキがのってたお盆を悲しそうにつついてたり、と意外とかわいい場面もあった。

 

最後は、カバンを持った青年が1人「終わり、終わりだ、もうすぐ終わる、きっと終わる(Fini, c’est fini, ça va finir, ça va peut-être finir.)」とベケット『エンドゲーム』のセリフを喋ってから、舞台中央で静止したままものすごく時間をかけて溶暗していくのが、妙に辛くて悲しかった。人生は酷い、でもきっといつか終わる。そこに救いを見いだしてもいいんじゃないかな、なんて思ったりした。

要約すると、とってもベケットだった(雑)。

 

2022年12月

①『守銭奴 ザ・マネー・クレイジー

東京芸術劇場 プレイハウス(3日、13時)

 

たまたま隣の席だった院の先輩とも話したのだけれど、完全にポスター詐欺の作品だった。私はポスターの扮装で上演される守銭奴を期待して行ったので、ちょっと肩透かしを食らった。

 

『スカーレット・プリンセス』の舞台美術(女優ライト付きの化粧台、あと木で作った組み合わせデスク的な踏み台、もしかしたらアンセルムさんのコートとかも?)を結構使いまわしていて、とってもエコだな、と思った。ビニールを案の上しこたま使っているからせめてもの環境配慮なんだな、と忍び寄るSDGsの影を感じたりもした。

 

卒論でバタバタしていて戯曲を読まずに行ったのだけれど、主人公が金に対する態度を最後まで全く改めなくて、いっそすがすがしい話だなと思った。

あと、『リチャード三世』もそうだったけど、何かに執着してなりふり構ってなくて、他のことはマジでどうでもいい!みたいな佐々木蔵之介さんがプルカレーテの癖なんだろうかと思った。最後に金の入った小箱を、ライナスの毛布のようにうっとり抱えているのが、良かったねとも思ったし、何となく物悲しくもあった。

 

結構長めの客席降りと、客いじりみたいなのがあって、久しぶりに観たなこういうの、と思った。あと金を失って無様に取り乱すハゲのおっさんという、ぜんぜん恰好良くない蔵之介をとっても堪能できた。いいぞもっとやってください、こういう役。

 

②『ライカムで待っとく』

@KAAT 中スタジオ(4日、13時)

 

今年の一番はショーン・ホームズ演出のセールスマンの死だろうか…とぼんやり思ってたところに突如現れた作品。とりあえず悲劇喜劇で戯曲が読めるのでぜひ読んで!後悔はさせないから!という感じ。

 

「あっち側」(内地)の平和維持のためのバックヤードとして「こっち側」(沖縄)が利用されていることを、沖縄の人は心から諦めているということを、ユーモアあふれる筆致で、三線の音楽とか踊りとか華やかな場面も含みつつ、ミステリ的要素でエンタメとしての面白さも確保しながら描く、このバランス感覚が天才的だと思った。

沖縄の使える部分を都合よく引っ張ってきて、内地の人が感情移入してカタルシスを得ることができる悲劇的な「物語」を作って、それを消費することで沖縄のために何かした気になって、結局日常の中の娯楽として忘れ去ってしまうっていうことを、何度も何度も繰り返してきましたよね?ということを、突き放すようにではなく、あたたかみを持って伝えてくるのが、「沖縄の人は本当に諦めてしまっているんだ」とすごくしんどかった。

そしてそういうことを、フィクションであることに自覚的で、毎日繰り返し同じ上演を行う演劇という形式で表現しているのも、終わらない「物語」、繰り返されてきた「物語」、というメッセージの鋭さを増していると思った。きつかったけど、すごく内容に適切な形式を選んでいると思った。

 

あと亀田佳明さん演じる浅野(神奈川の記者)の、無自覚で雑で素直な「いい人」としてのマジョリティ仕草がえげつなく上手かったのも、言い方悪いけど最高だった。内地の方(区別、差別している方、特権を持っている方)から「区別はやめましょうよ」とか「寄り添いたい」とか簡単に言ってしまうことの暴力性が、本当にとんでもなく刺さってきたし、それがどのくらい暴力的なのかくっきりと分かるように構造を明らかにする方法も、シンプルだけどとても効果的だったと思う(この辺は戯曲をぜひ読んで、なんだけど、タクシーの運転手が「[浅野の]娘がいなくなったら寄り添いますよ」的なことを言い返すシーン)。

 

回転舞台の使い方も効果的だったし、「沖縄は日本のバックヤード」という作品に通底するイメージに集結していく段ボールを主とした舞台美術もセンスよくて良かった。紗幕が舞台中央にかかっていて、誰が/何がそこから出てくるのか先が読めない感じが、ミステリ的な要素がある作品全体としても、どうなるか予想もつかない沖縄の未来にもぴったりだと思った。

紗幕の後ろで明滅する光は、完全に基地に見えたし、全体的に最小限の演出といった感じで抑制が効いてたのも「簡単に感動するな」という作品のメッセージとも合っていたと思う。

キャストも、沖縄の登場人物には沖縄出身の人をちゃん割り当てていて、もしそうじゃなかったらもっと違う印象を受けていたと思った。

 

あと、個人的なことなのだけど、私の地元にも基地があってよく飛行機から落下物は落ちてくるわ、核燃料のごみ箱はあるわで「バックヤード」的な役割が多分にあるので、どちらかというと沖縄の方のあきらめにとても「同じでは全然ないけど似たようなあきらめは確かにあるなあ…」となってしまった。これ本当に東京生まれ東京育ちの人とかが観たらまた違った刺さり方をしそうだな、と思った。

 

これぞ公共劇場としての仕事!というとんでもない良作を、これまた低価格で観てしまった。とにかくすごい作品だったので再演が待ち遠しい。勝手だけど、多くの人に観られる/読まれるべき作品だと思う。

 

③『建築家とアッシリア皇帝』

@シアタートラム(10日、13時)

 

上京してきた母と観に行ってとても楽しかったのだけど、満足したかと言われると微妙な公演。全体的に「もっとできたんじゃないですかね…」と(鬼みたいなこと)言いたくなる感じだった。

戯曲が結構好きなこともあって色々書きたいことがある。とっ散らかりそうなので、なんとなく便宜的に分けて書く(でもたぶんみんなでアイデア出し合って作ってる感があるので、本当はこんなにすっぱり分けてはいけないとも思う)。

あと建築家が成河さんで、皇帝が岡本さんだった。

 

演出についてー全体的なこと

1幕。とにかく後ろに出てくるかもめ?やら戦車やらが本当に謎。たぶんウクライナのことをイメージしたのだろうけれど、そのメッセージを入れたいなら同じアラバールの『戦場のピクニック』の方がよほど適切だと思う。取ってつけた感がすごくて、全体にはめ込んだ時の意図がハッキリしないし、そもそも2幕では全くそういうことしてなかったから別に無理に入れなくても良かったんじゃないかと思う。

あと、演出の生田さん、よく訳の分からん戯曲のカットをする人なのだけれど、今回も、例えば、皇帝が建築家の真似をして(正確に言うなら「建築家」を演じて)おまる(特注らしい。蝶ネクタイがついていて「あのおまる、最高じゃん」と母と盛り上がった)での排便を試みるシーンを入れているくせに、その前段階としての、皇帝は便秘だから、皇帝は建築家が排便しているのを観るのが好き、という、セリフとしてはほんの数行の部分をカットしていたり、と解せないカットの仕方が多かった。

他にも色々あるのだけれど、こんなふうに、特に皇帝が「建築家」を演じているということがぼやけてしまうのはどうかと思った。

 

休憩中。建築家がお片付けと次の場面を用意している。アイデアとしては良いと思うし、アナウンスとか客席のくしゃみに建築家が過剰反応するメタ性も笑えたのだけれど、休憩をこういうメタ感あふれる感じにするのなら、全体を通してそのメタ感(特に1幕)をもっと一貫して欲しかったと思った。

 

2幕。1幕よりは集中して観られるけれど、これはそもそもの戯曲の作りがそうなっているし、あと俳優さんの技量に関わってくる部分なので、演出が良かったから、とは一概に言えなさそうな感じ。でも運動会のシーンはとても楽しかった。ただ建築家の袋飛びが異常に速いのを見て皇帝が「練習してただろ…!」と悔しがるとても笑えるシーンがあるので、それこそ建築家がお片付けのついでに休憩中に練習してれば伏線回収ができて面白かったんじゃないかなと思った。

あと最後入れ替わるやつは、あんなに唐突ではなく、もう少し何が起きているか観客に伝える演出でも良かったのではないかと個人的に思う。

 

演出についてー音楽

なにがしたいのか分からない音楽だった。場面場面にそれなりに適した違和感のない音楽を、これまた違和感のない音量で流すので、耳に残らず流れていってしまう。流れていってしまうのなら、別にこの手の俳優と俳優の身体的なぶつかり合いが重要な作品では要らないのでは、とも思ってしまった。正直、あまり趣味の良いとは言えない作品で趣味の良い音楽をつつましく流している、そのちぐはぐさが気に食わなかった。

もっと作品に即した耳に引っかかるような音楽をかけるか、クラシックだとしても趣味の悪い音質&爆音でかけて、異化的な効果を引き出して欲しかったと個人的には思う。

 

演出についてー美術

段ボールを使った美術は、大人の秘密基地感があって(実際に色んな仕掛けもあって)楽しかったのだけれど、妙にリアリズム的な木はあるし、天井と壁がついていて縦と横には閉塞感がある割には、奥に関しては黒いビニールでどこまでも続く海を表現していて、なんとなく狙ってやったとは思えないちぐはぐな印象がぬぐえなかった。

基本的にこの作品、俳優(または俳優的な存在)が「演じている」という設定なので、本当に島である必要性もない、との判断で、あんな汚部屋というかゴミ捨て場みたいな美術だと思うのだけれど、そうなると南国風にリアリズム的な木がすごく違和感があった。「木」に見立てたハシゴかなんかで十分だったのではないかと思う。

あと2人だけの関係性に歴史や人生や存在価値などがどんどん集約していって、その関係性の中に閉じていくことに重きをおくのか、逆にその関係性に無限の可能性を感じて「俺さま万才!」のセリフに象徴されるような全能感と開放感に浸ることに重きをおくのか、どっちかに絞って徹底したほうが(好きか嫌いかはおいておいて)意図としてはクリアになるのではないかと勝手に思った。

端的にまとめると、壁(どうもピンヒールが初日にぶっ刺さったらしい)と天井(観た日、葉っぱが引っかかって落ちてこなかった)めっちゃ邪魔だなと個人的に思った。

 

演出についてー衣裳

衣裳は(世界観は謎だったけど)かっこよくて結構好きだった。あとポスター観た時から岡本さんと成河さんのサイズ感が同じすぎて笑ってたのだけれど、最後に衣裳交換していたの観てなんか納得した。

トレーラーの最後の方(「成河」ってでかでかとキャスト紹介してる部分?)に映っていたと思うのだけど、建築家がある部分で女性を演じる際に、オーバーサイズのシャツの袖を抜いて、袖を首に巻き付けて縛ってホルタ―ネック風のワンピースにしていたのが上手いと思った。

あと建築家もそうなんだけど、皇帝もほぼ戯曲通りの恰好(ほぼ裸と、裸よりもヤバめの恰好)をするので、「めっちゃ身体はってる…ジャニーズの本気…53歳とは思えない肉体美…」とびっくりした。先生(たぶん岡本さんと年齢近い)も、全般的にはけちょんけちょんに貶しながらも肉体美についてはめっちゃ褒めてて笑った。

 

演技について

おんなじことをやれと言われたら速攻逃げ出すのだけれど、もうちょっと予定調和感少なめで、観客を後半おいてけぼりにする勢いで、アドリブだらけのガチの取っ組み合いみたいな演技を期待して行ったら、ちょっと肩透かしだった。

 

作品自体の流れとして「俳優(的な存在)が『建築家』と『皇帝』を演じている」段階から、2幕の裁判の場面のあたりで「『建築家』と『皇帝』が裁判劇の登場人物を演じている」と観客に信じ込ませ(ナンセンスな「建築家」と「アッシリア皇帝」という存在を観客が信じてしまうという段階)、ラストの人肉パーティあたりから「あくまでも俳優(的な存在)が『建築家』と『皇帝』を演じている」に戻る流れなので、1幕は最悪「演出家に3時間持たせろと無理ゲー言われてやってます」という予定調和感丸出しでもいいのだけれど、2幕冒頭~中盤との落差をもっとつけて欲しかった。

いかにベケット的なことをベケットっぽくなくやるかという作品でもあるので、そういう意味ではトップスピードでドタバタ突っ走っているのはとても良いのだけど、もうちょっと緩急つけれるよねこの人たちなら…と思った。

細かい場面が即興的に連続するからこそ、その中で、「俳優(的な存在)」「俳優(的な存在)が演じている『建築家』と『皇帝』」「『建築家』と『皇帝』」「『建築家』と『皇帝』が演じている劇の登場人物」(これに付け加えるなら「岡本健一」「成河」)ようなさまざまなレベルを、どのように行き来すれば、「演技」とか「俳優術」に関する作品であるという面を最も効果的に表せるか、その辺をもっと詰めたものが観たかったなあと思った(というかこの2人ならその辺まで詰めてくれるだろう、とちょっと期待しすぎたのかもしれない)。

 

演技で一番良かったのは皇帝が心臓痛がるシーン(もちろん戯曲にある)で、建築家の反応も「えっ、マジ?マジでやばい?」的な反応だったから、一瞬マジで岡本さんが体調崩したのかと思った。こういう緩急で3時間ずっとやってたらスタオベしてたと思う。

 

あと意外とコメディアンとか漫才が出来る人とかがやったら面白いかもと漠然と思った。

 

母と私のハイライト

おまるの蝶ネクタイと皇帝の遅すぎる袋飛びと建築家の異常に速すぎる袋飛びと成河さんのラクダです。観た人なら分かるはず。観てない人はごめんなさい。

 

まとめ

きっともっと性格が悪くてドギツい感じに突き抜けてる人が演出した方がいいなあと思った。でもやってる2人がとんでもなく楽しそうなので、まあいっかと思った。

 

あとジュネの『女中たち』もそうだけど、この手の芝居ってなんでか読む方が面白かったりするのはとても謎。

 

そして失礼なんだけど、私は白井さんのことを、作品で発散しているから良い人なだけで、根っこはそこそこ性格悪いと思っている(というかそうでなきゃあんな演出できないだろうと思う作品が複数ある)ので、白井晃皇帝と長塚圭史建築家(兼共同演出)を、もう台本持っててやっても全然問題ない(そもそも問題ない作品だし)ので、一刻も早く観たいと思った。誰か力のある人が働きかけてくれることを祈ってる。

 

④『市川海老蔵改め十三代目市川團十郎白猿襲名披露「十二月大歌舞伎」八代目市川新之助初舞台』

歌舞伎座(15日、11時)

 

悪くない席のチケットを頂いてしまったので観に行ってきた。3演目だった。

 

「鞘當」

鞘が当たっただけで唐突に喧嘩し出した兄ちゃんたちを、これまた唐突に現れた姉ちゃんが仲裁する訳の分からない話だった。なんなんだこれ。

 

「京鹿子娘二人道成寺 鐘供養より『歌舞伎十八番の内 押戻し』まで」

これは授業で観て知ってた演目。何回も衣裳が変わって華やかで綺麗。踊りもかわいい。團十郎は最後にちらっと出てきただけだったけれど、客席の盛り上がりで「出てきたな…」ということが分かって面白かった。

 

歌舞伎十八番の内 毛抜」

新之助の初舞台。溌溂と演じていてかわいかったし、歌舞伎のよしあしはあんまり分からないのだけど、この年齢(9歳だったっけ?)でこの演技は普通に上手いのでは…?と思った。特に、スケベ親父みたいな部分がある役だったから中の人との年齢のギャップもあって、かなり笑える作品だった。

 

久しぶりに歌舞伎を(タダで)観られて得をした気分になった。

 

⑤『東京キャラバン the 2nd』

池袋西口公園野外劇場グローバルリングシアター(17日、13時)

 

田中泯のやつ観に来たら早く着きすぎて、暇を持てあまし外に出たら、13時からやるらしかったので、会場には入らず外側から(ハトの群れにおびえながら)ぼんやり鑑賞。

 

暇つぶしにタダで観る分には「文化のサーカスねえ…確かに…」という感じでまあ楽しかったのだけれど、1つの作品として観るには、日本各地のお祭り要素となんかすごい人達適当に集めました!感がどうしてもあるなあ、と感じた。

個人的に、一貫性がないなら一貫性がないことで一貫して欲しい性質なのだけど、前田敦子さん演じるピーターパンとかアリスみたいな物語の語り手が語る、何かしらきちんとお話として成立している物語部分が前半と後半に分かれて組み込まれているのも謎だった。

 

あと、外で観たので鑑賞後あまりの寒さに、芸劇の下の自販機コーナーになんか買いに行こうとエスカレーター乗って、目の前にド金髪でフリフリスカートのかわいい人いるな…と思ってたら前田敦子さんでびっくりした。至近距離で見るとさらにかわいいですね…。あと後ろ振り返ったら普通に野田さんもいた。

なんだこのエスカレーター。なんではさまれてるんだ私。

 

⑥芸劇dance 踊り辺 田中泯『外は、良寛。』

東京芸術劇場 プレイハウス(17日、15時)

 

そろそろ田中泯を観ておかないといつか後悔する気がする…!と謎の使命感に動かされてチケットをとった。2階席から観たのだけれど、妙に指先の動きまでクリアに見えて「田中泯すごい…(放心)」となった以外は全体的に謎が多かった。

 

てっきり田中泯良寛なのかと思っていたのだけれど、どうもそう簡単でもないらしかった。良寛かと思っていた田中泯が何回か舞台脇の台の上に座って、「良寛は~」と小説の地の文みたいなセリフを本を持ち読みあげる形で言うので、「いやあなたは誰だ」と混乱した。しかも3回目は別撮りの音声が流れる形で、4回目以降は普通にセリフ言うみたいに(本とかも持たずに)喋っていたのでマジで「その他の場面では良寛として踊っていそうなあなたの存在は一体なんなんだ…?」と大混乱。

ただ後半、本当に終わりの部分で、ほぼ暗闇じゃんという薄暗い舞台で「気がつけば、外は良寛良寛だらけだ」と放心したように言い放った田中泯を、両脇からサーッと現れたアンサンブルの人たちが抱えるようにして退場していったので、田中泯が演じてたのは、なんか良寛について調べるうちに、良寛に同一化していって、ありとあらゆるものに良寛の存在を感じるようになっちゃった人的な感じ?とも思った。間違っているかもしれない。

 

あと好きだった場面は2つある。

 

1つ目は煙のところ。舞台上に結構でかめの長方形の穴が開いているのだけれど、その穴に舞台両脇から流れ出たものすごく大量のスモークがぐんぐん飲み込まれて行っているさまを田中泯良寛?)がじっと見つめているのが、なんだか地獄というか異界を見つめている感じがして良かった。

 

2つ目は、その穴の周りを田中泯良寛?)が旗を持って、なんとも判別しにくい母音を発しながらぐるぐる回り続けるところ。

この場面の前に、田中泯と若いアンサンブルの人達が「いろはにほへと」を強迫観念的に繰り返しながら飛び跳ねる場面があって(田中泯は流石に老いがあるので、だんだんアンサンブルの人たちに翻弄されてそれを行っていくようにも見えてくる)、それからアンサンブルの人たちに旗を渡されてぐるぐる回りだすのだけれど、この時穴の中央に天井から垂らされた白い糸が、上から下へ、下から上へとうねる表現がある。

実は舞台冒頭に(たぶん)良寛の書を投影する部分があって(しかもまるで文字を書いている存在がそこにいるかのように徐々に投影していく)、それも黒地に白の崩し字だったので、この全体的に薄暗い舞台で妙なうねり方をする白い糸が、崩し字になりきれない「なにか」に見えてしまい、それが言葉になりきれない母音をひたすら発し続ける田中泯良寛?)と相まって「やっぱり詩人とかってこういう風に言語化できないものにたくさん振り回されて、強迫観念的に追い回されて、その上で何かを言語化しているのかもしれないな」と妙にしみじみとした(でも糸がうねるのがごく短い間だけなので、もしかしたらトンチンカンな感想かもしれない)。

 

ただダンスを観るのに慣れていない上に、本当に謎が多い上演だったので、上に書いたこと全部間違ってるかもしれないな、とも思っている。

全体的に水墨画のような色彩で作られていて、とりあえず観ていて美しかった。2022年の観劇おさめとしては、まあまあいいチョイスだったんじゃないかなと思う。

 

2022年個人的まとめ

 

なんとか書き終わりました。これで安心して年越せます。

年間通して一番良かったのは、海外のものでショーン・ホームズ演出セールスマンの死、日本のもので『ライカムで待っとく』です。

 

その他良かったのは以下の通りです。

 

冒険者たち~JOURNEY TO THE WEST~』@KAAT中スタジオ

 

monsa-sm.hatenablog.com

 

ワールド・シアター・ラボ『I Call My Brothers』@上野ストアハウス

山本卓卓『オブジェクト・ストーリー』@KAAT 1F~5F

ハリー・ポッターと呪いの子』@赤坂アクトシアター

(以上3つとセールスマンの死の感想は以下の記事に)

monsa-sm.hatenablog.com

 

映像演劇『階層』東京芸術劇場 シアターイース

カンパニーXY with ラシッド・ウランダン 『Möbius/メビウス世田谷パブリックシアター

 

以上計8本でした。生で観たのは47本で、そのうち心から良いと思えたものが8本もあったのは、少ないような気もするんですが、思っていた以上にあったので、まあ今年は結構ついてたな、と思います。

実は買ってたチケットも、全公演中止になったヒトラーを画家にする話』以外は全部無事に観られたので、本当に良かったです。

 

来年の観劇はNTLの『レオポルトシュタット』からの予定で、生の観劇は『ジョン王』からの予定です。

たぶん2月中旬から下旬ぐらいに、また観たものをまとめてブログ更新します。

 

ここまで読んでくれる方がいるかは分かんないんですけど、みなさんよいお年をお迎えください。

私は先生に原稿を叩きつけて(言い方)スッキリした大晦日を迎えられるように頑張ります!

主に春学期に生で観た舞台と、ちょっとした感想

春学期は、メンタルやられ、卒論に追われているのに、先生に気軽に院に誘われ混乱し、文字通り半死半生でした。なんとか生き残った…!

 

とりあえず休養と院試に集中するために帰省してます(お母さん、上げ膳据え膳、ありがとう)。

ついでに気分転換もしたいので、春学期(4月~7月)に観た舞台とちょっとした感想をバーッとまとめたいと思います。

 

とは言いつつ、昨年度シラノ・ド・ベルジュラック以降に観たやつも一緒にまとめちゃいます。

 

 

 

 

2022年2月

①ワールド・シアター・ラボ『サイプラス・アヴェニュー』

@上野ストアハウス

 

以前Royal Court Theatreの配信を観ていたので、正直それは超えなかったかな、という印象。配信版の赤ちゃんを袋に入れて殺す場面の衝撃が強すぎて、今回の机をたたく音のみで表現するのも悪くはなかったけど、物足りなさを少し感じた。

ただスティーブン・レイ演じるエリックは最初っから精神面でヤバそうな人感があるんだけど、今回の俳優さん(名前忘れました…すみません)は「一見理性的でまともそうに見えるけど実はヤバい」感があって、演じる人によって結構違うんだなあ、と発見。

 

リーディング公演なので、赤ちゃん役とト書きを読む担当の俳優さんがいた。最近リーディング公演に限らずなんか多いよね。ト書きも何かしらの手段で観客に伝えるやつ。流行ってんのかな。

 

②ワールド・シアター・ラボ『I Call My Brothers』

@上野ストアハウス

 

最前列をぶん取ったので、亀田佳明さんを間近で拝めて幸せ!!

 

「○○を演じてね~」みたいなワークショップのような空気で始まった割には、後半、想像(妄想?)の世界と現実がどんどん混じっていって、主人公のメンタルがどんどん不安定になっていって、観ているこっちが迫力にやられて体ガチガチになっていく(亀田佳明さんがうまいから!)。「演劇浴びてる…!」感がすごい楽しい。

 

最後に主人公が友人との交流を通して、ふっと緊張が緩和するんだけど、その直後のラストで「実は問題はなにも解決してないのではないか?」と思わせるような、上げてから落とす戯曲の構成が結構好きだった。あと戯曲タダでもらえたのも嬉しかった。

 

2022年4月

①劇団あはひ『流れる』

@シアターイース

 

初あはひ観劇。頭がすごいよくて勉強熱心な人が作ったんだな、というのがざっくりとした印象。理論武装している感がビシバシ伝わってくる。

隅田川ベースの話だけど途中から『井筒』も混じってくるわ、橋がかりが2本あってどちらから出てくるかで船長の役割が変わっているわで、能楽ファンとしては面白い仕掛けが盛りだくさん。

セリフそのものとか喋り方には岡田利規みを感じたり。

 

最後、松尾芭蕉と空くんが吸っていた煙草の煙が、徐々にトビオ君への供養の線香の煙に変化していったのは、まさに演劇マジック。

 

②劇団あはひ『光環(コロナ)』

@シアターイース

 

客席に入るドアが上手のみに限定されていて(下手側のドアが舞台美術のせいで開けられないというわけではない)疑問に思っていたら、「観客1人1人がシテ」であることが後半明らかになる構造。つまり能舞台を模している舞台の本当の正面は劇場の舞台奥の方で、客席に入るドアが指定されていたのは、観客が橋がかりにを通って舞台に入り、シテとなるためだった、みたいなことらしい(たぶん)。

 

ワキっぽく出てきた女の子が実はシテだ、という逆転の仕掛けもあり、比較的上に書いてあることはぼんやりとは分かる気もするが、ちゃんと気づくためには能楽になじみがないとなかなか難しいかも

 

③『アンチポデス』

新国立劇場小劇場

 

面白い劇を観た、というよりは、面白い人たちを観た!という印象。

アメリカらしいシチュエーション(・コメディ?)もので、フラットなはずのブレインストーミングの場で起きる、謎マウンティングや無意識ハラスメント、偏見・差別にホモソーシャルなキッつい下ネタノリetc...と、「うわ~あるある~!」となる雰囲気を、実際にその場にいるかのように体感できて(三方囲み舞台なので観客もブレインストーミングに参加している錯覚に陥る。特に1階横席とかバルコニー席とか)、空間として面白かった。音響、照明もリアルで綺麗。

 

後半にある、疲れまくった登場人物たちがそれぞれに謎の呪文を唱えだす瞬間が、最高にヤバくて面白い。締め切り前の作家先生とか見てたら胃が痛くなるレベル。

 

ただ亀田佳明さん演じるアダム(後半にある、神話ベースの長い「物語」を「物語る」の流石すぎて心の中でスタオベ)が黒人であることとかは、あんまりやっぱり分からなくて、「『ザ・ドクター』と同じ現象が起きてしまっている…」となった。日本にもいるでしょうに黒人の俳優さん。私何回か観たことあるよ…。でもそうすると白人の役には白人の俳優さんキャスティングしなきゃいけなくなるし…。ううう難しい…。

 

あと俳優さん、全員上手いは上手かったんだけど、人の話を聞く時の演戯がやや一辺倒すぎるので、そこの演出は雑だなと思った。

でも白井晃さんのサンディがマジでほんとにムカついたから(褒めてる)、演出とか芸監のお仕事も大変だろうけど、ちょくちょく舞台にも立ってほしい…。

 

④ウィリアム・ケントリッジ演出『魔笛

新国立劇場オペラパレス

 

プロジェクションマッピングは綺麗だけど、ザラストロ役が低音出てないのは致命的。音楽がなんかすごく微妙。

 

改めて観ると魔笛ってめっちゃご都合主義だな、とも思った。

それとパパゲーノが「自殺しちゃおっかな~。でも誰か止めてくれたらやめよっかな~」ってシーン、毎回客席から声が上がったらどうするんだろうとハラハラする。

まあオペラの観客でそれはないか(小劇場ならありそう笑)。

 

あとどうでもいいけど、私はのだめカンタービレ魔笛が面白そうすぎるので観てみたい。

 

⑤ショーン・ホームズ演出『セールスマンの死

PARCO劇場

 

ショーン・ホームズと福士誠治に泣かされるとは思わなかった…(謎の敗北感)。

あと最優秀主演「物」俳優賞を冷蔵庫くんにあげたい(ショーン・ホームズ冷蔵庫好きね…『FORTUNE』でも似たようなことしてたね…)。

 

原作ベースではあるんだけど、とにかくそこから導き出した演出が最高すぎ。

原作戯曲の方では、ウィリーの「回想」といった体で進んでいく感じなんだけど、この演出だと「妄想」感が強め。

場所ごとに細かく分かれた(庭の舞台とか寝室の舞台とか)可動式の舞台装置がくるくる展開していく形になっていて、まだウィリーがある場で起きたことを話しているのに、ウィリーが見ていない隙に、その場の舞台装置がハケていったり(そしてその様子を奇妙な顔をしたウィリーがじっと見つめている、つまりウィリーは自分の思考のコントロールを失っていっている)するので、ウィリーが自分の頭の中にある記憶に翻弄されている感がある。

他にも、マイクを使って場面によっては声のみで登場してくる登場人物がいたり、戯曲の方では会話になっている部分をウィリーの独り言にしてみたりと、まさにこの戯曲のもともとのタイトルのthe inside of his headという印象(ウィリーの頭の中)にまとめ上げてきたのがとにかくすごい。 

 

そして何よりも、舞台中央に異常な存在感でぶっ刺さっている黄色い冷蔵庫が本当に良い。

同じく舞台上に黄色い色で象徴的に出てくるのは、両親の「期待」を一心に背負っていた学生時代のビフだから、冷蔵庫はもちろん資本主義的な象徴でもあるんだけれども、「期待」でもある。具体的にどういう「期待」なのかは分からないけれど、その冷蔵庫に手垢がついているように薄汚れていることからも、「みんなが(この「みんな」感=手垢がついてる感も資本主義的といえばそんな気がする)何度も望んでいるような(すべてがうまくいっていること、お金もちになること、周囲から称賛されること、みたいな)期待」だと思う。ローマン一家がこの冷蔵庫を買ったときは紛れもなくそういう「期待」に満ちていたんだろうし、実際にここ十数年ローマン一家はその「期待」だけを頼りに生きてきた感が物語からもあるので、とにかくこの冷蔵庫は端的にその「きっとみんなが良いと思うことが起きるはず」という「期待」の象徴でもある。

 

そんな冷蔵庫が、時空間がぐちゃぐちゃになりながらウィリーの頭の中でコントロール不可能な状態で進んでいく「妄想(が展開する舞台上)」のど真ん中に、一切動かず異様な存在感を出しているから、ウィリーは、本当にこの資本主義的(「みんな」的な)な「期待」、本当に自分が心から願っているかは分からない「期待」に手垢が付くぐらい何度も縋り付いて生きてきたんだな、と思った。虚しさで泣いちゃう。

 

最後ウィリーが死んだとき、この冷蔵庫が照らされて、その中にウィリーが入っていくのは、死んでお金を残すことさえ「期待」になっているとも見えるし、資本主義的な「みんなが望むように、もっともっと良くなるはず」という「手垢のついた期待」に飲み込まれて死んでしまった感があって、とにかくしんどかった。

あと当時就活をしていた身としては、どうしたもんかこれ…いまからそういう市場に行かなきゃならないんですけど…と軽く絶望したりもした。つらい。

この場面、オフでリンダの「ウィリー!ウィリー?」って声が反響するのもしんどさに拍車をかけてる気がする。あと鎮魂曲はないバージョンだった。

途中途中、冷蔵庫のファンが回るぐわんぐわんした音が不穏な雰囲気で反響する場面がちょいちょいあったりもしたので、とにかく冷蔵庫がカギを握っている芝居だった…。

 

俳優さんたちも軒並みよく(俳優さんが下手なセールスマンの死とか観ていられない、特にビフ福士誠治とハッピー(林遣都)が超いい。

ビフがウィリーと言い合うシーンで「俺はひと山いくらの安物だよ…!」と言い切るシーンがあるんだけど、完全に涙腺崩壊。イケボなのがとにかくずるい。期待を背負ってたからこそ、このセリフを父の前で言うしんどさとか葛藤とかプライドズタボロな感じとかがみっちり詰まった言い方で、「まさか福士誠治に泣かされるとは…」と謎の敗北感に浸ってた。また舞台出てください。絶対観に行くんで。再演でもいいよ。

あとハッピーの女好きでちょいクズな感じ、めっちゃうまかった。ナチュラルにダメ男。最高。

 

2022年5月

①ロビー・ヒーロー

新国立劇場小劇場

 

『アンチポデス』に引き続き、黒人差別問題を含んでいる翻訳戯曲は本当に日本で上演しづらいなと思った。

 

あと本筋として、警備員のウィリアムが自分の弟を守るために警察に嘘をつく、というのがあって、後半にウィリアムの部下である主人公ジェフが、自分の利益を守るためにウィリアムに対して嘘をつく、という部分があるので、この嘘の種類とか状況のコントラストをもっと明確にしてもよかったんじゃないかと思った。明らかに似たようなモチーフの繰り返しだし。

 

最後も妙にふわっと感傷的にまとまっていて、終始演出の焦点がイマイチよく分からないままだった。でも主演の中村蒼さんは、ハマり役でよかった。

 

②エレファント・ソング

PARCO劇場

 

映画だとピーナッツ・アレルギーだけど、戯曲だとチョコレート・アレルギーなんだね、というぐらいしか感想がないぐらい、そもそも話がつまらなかった

ミステリとかよく見る人は出だしを観ただけで結末予想できるんじゃないかと思う。

気になる人は英語のウィキペディアがあるんで自動翻訳して読んでみてください。マジでつまらない。

Elephant Song (film) - Wikipedia

 

あと精神科病棟に入院しているという主人公マイケルの演戯が、正直、「なんで精神科病棟に入院している人の描かれ方ってこんなにワンパターンなんだ…」と絶望するぐらいステレオタイプすぎてキツかった。

 

客席、半分も埋まってなくて「PARCO劇場でもこんなにガラガラなことってあるんだ…」といい勉強にはなった。

文句ばっかり書いてきたけと、このガラガラな客席を前に最後まで3人だけでテンション落とさずに演じきったのは素直にすげえと思う

 

③お勢、断交

世田谷パブリックシアター

 

話に「深イイ~」となる中身があんまりないけど、いろいろな人の視点から何回も重ね塗りするみたいに物語を多角的に進めいていく構成と、寄木細工のようにパタパタと展開していく舞台美術はマッチしていて、素直にきれいだな、と思った。話は本当にスッカスカだけど。

 

④煙草の害について

@アトリエ乾電池

 

原作にいろいろ付け足して、大変にドラマチックな感じになっているけれど、私は柄本明さんが、マジで不満たらたらな感じに原作のままやっているのが観たい、と強く思った。

 

カーテンコールで「『つまんない。時間返せ』って言われても、返せないんですよね~これが〜」って苦笑いしながら言ってた時の方が、本編より500倍楽しかった。

 

⑤山本卓卓『オブジェクト・ストーリー』

@KAAT 1F~5F

 

ゲーム感覚で楽しかった。シークレットまで自力で達成して、劇場のスタッフさんに褒められてテンションも上がった。

 

KAAT、ちょいちょい来てるから見慣れた場所ではあるんだけど、今回みたいに「普通は注目して見ない場所・モノ」をじっくり探しながら見ていくと、見慣れたはずの場所がなにか新しい豊かさみたいなものを持っているように見えてきて、自分の知覚がジワッと変化していくの(解像度が上がっていっているような感じ)がとても面白かった

 

院試の研究計画書書くときに「これ面白かったです!」って言ったら、先生には「…また演劇らしくないような作品を…」と言われたので演劇なのかどうかは謎。参加型インスタレーションという方が個人的にはしっくり来る。こういうの、またやってほしい。

 

2022年6月

①演劇実験室◎万有引力『盲人書簡』

スズナ

 

めっちゃ普通に見えるじゃん!!明るい!!ド・エンタメ!

 

劇場のドアに板打ち付けて閉じ込めた観客に、マッチ3本渡して好きなとこで擦ってもらって、その瞬間だけ見える暗闇演劇、みたいな寺山修司の伝説ばかり聞いたことがあって期待度爆上げで行ったら、期待度上げ過ぎた感は正直ある。

 

劇場の照明落として、俳優がかっこいいポーズでマッチ擦ったら、そりゃあかっけえよな…やっぱかっこいいわ素敵…充満するマッチの匂いも良き…、で終わってしまった。

ただ暗転したときに蓄光テープすげえ目立つ。なんとかならなかったのかアレ。

 

観ていて楽しかったけど、あんまりアングラではなかった。もしかしたら今はもう「アングラ」は、当時の意味合いを持つ「アングラ」というよりは、なんか反体制的な匂いがとてもかっこいい「エンタメ」になっているのかもしれない。

 

②貴婦人の来訪

新国立劇場小劇場

 

地元に帰ってきた貴婦人が、困窮する地元への多額の寄付と引き換えに、その昔、自分のことを何重にも裏切った元恋人のイルの死刑を要求する、という、まあどう転んでも割と面白いだろうな、という感じの話。

結局、地元側は要求をのんで、イルは町の男たちによってたかって首絞めて殺される(この場面の演出結構好きだった。イル役の俳優さんにみんなで群がったかと思ったら、その瞬間人だかりから、イル役の俳優さんが魂が抜け出たみたいにすっと出てきて、「ああこれイル死んだわ」って視覚的にすごくわかりやすかった)んだけど、そこまでのあれこれがやっぱり結構面白かった。

倫理的な面から最初、要求は当然拒否られるんだけど、「でもきっと誰かがイルを殺してくれるだろう」っていう「期待」とか、多額の寄付に対する「欲望」みたいなものが、人々の間でじわじわ広がっていくのが、グロテスクで好き。

 

ただ、お金がないはずなのに寄付をあてにしてみんなツケで売買するようになって、イル以外の登場人物たちの身なりや生活がだんだんグレードアップしていく、っていうのを、舞台上にだんだん黄色い衣裳の人たちが増えていく、って形で表現していたのは、いいとは思うんだけど、白井晃演出の『アルトゥロ・ウイの興隆』で似たような演出観てしまってたから、あんまりそこは「おお~!」とはならなかった。

あとそういう風にコンセプチュアルに演出するなら、変にサスペンスじみた心理劇的な雰囲気とか入れてこないで、個人的にはもっと全編ポップにはっちゃけて欲しかった。ラストの歌のシーンみたいに。

 

それにしても衣裳がおしゃれでかわいかったし、新国くまさんも、最初はグレーの服着てたのに帰るときに見たら黄色い服に着替えてて、やっぱりかわいかった。あと煙草の煙が(気管支的に)超苦手なので、煙草をシャボン玉で表現するのはマジでグッジョブ!!と心の中で叫んでた。

 

③スペクタクル・リーディング『バイオーム』

@東京建物 Brillia HALL

 

初ブリリア。あの悪名高いブリリア。しかも3階席。反響とかで、成河さんでもたまに何言ってるのか分からない(マイク使っているからなおさら)。噂に偽りはなかった。逆に見え方はそんなに酷くなかった。見え方はコクーンシートの方が酷い。

 

あと中村勘九郎さんの演戯がとにかく気持ち悪かった(ファンの方すみません)。無理に声変わりした大人が子供に本気でなりきらなくても、子供に「見せる」演戯方法はいくらでもあっただろうに

ていうかああいう風に子供を演じさせたいなら、そもそも子役を起用するか、女性俳優を起用して。まだそっちのが耐えられる。

 

内容に関しても(うろ覚えなんだけど、直後に書いた感想メモに「セックスで全部解決しようとしてるのは、そりゃあ植物から見れば『ケモノ』だろうよ」とある)、正直授業とかでヅカ好きの人から聞く上田久美子作品の方が100倍ぐらい面白そうで、きっとこれ本人が書きたくて書いているというよりは頼まれ仕事なんじゃないか…という印象がぬぐえない。

でも花總まりさん演じるレイコの、特に2幕あたりは市原佐都子みがあって良かったと思うので、もっとそこ中心に掘ったのが観たかったなあ。花總さんの狂乱の演戯の迫力もヤバかったし。

 

あと庭師、似合ってたのはまあ似合ってたが、なんでお前だけタンクトップ風の衣裳なんだ。お前が職業的に一番長袖長ズボンじゃなきゃダメだろ。永遠の謎なんだが。

 

④てなもんや三文オペラ

PARCO劇場

 

なんで関西弁でやっているのかは終始謎だったけれど、とげとげしたブレヒト作品が3時間かけて飲み込みやすい戦後日本感動ドラマに変形していく気持ち悪さを楽しめる一品。

 

生田斗真さんを、超絶モテモテのプレイボーイ、マック役に起用したのは、嫌みなく説得感があって良かったとは思うんだけれど、ブレヒトが考えていたようなこととほぼ真逆のことをやっていて「全然ブレヒトじゃねえwwwww」と終わった後に爆笑してしまった。

 

とにかく、ブレヒトで鎮魂をやりやがった!!ブレヒトで鎮魂を!!!がしばらく脳内から消えなかったし、何なら母にずっと電話越しに言い続けた記憶がある。

落ち着いて考えてみれば別にブレヒト原作なだけでブレヒト作品ではないから、別にブレヒトっぽくなくてもいいと言えばいいんだけど…。

 

この作品については、しましまさんのブログにわかりやすく詳しく書いてあるのでそちらをどうぞ。

note.com

 

役者はみんな上手かったし、演出も要所要所は面白かったんだけど、「イリュージョンとか感傷とかに批判的精神を曇らせたらいけねえぜ!観客はある程度感じつつもしっかりてめえの頭で考えやがれ!!」って、ナチスに無批判的に扇動された大衆を念頭に置きつつ、演劇の改革、そして果ては社会の改革を目指して、死ぬまでそういうことを言い続けたブレヒトの作品を使って、戦争を起こしたそもそもの原因とかを全部、生田斗真さん演じるマックの憐れさに観客が同情するように仕向けて、意図的に考えさせないようにわざわざ構成しなおしている(戦後日本感動ドラマでよくありがちな構成にする)のは、やっぱりほとんどブレヒトに喧嘩売ってんじゃないですかね。

上演単体としては良い出来なだけあって、観客も涙の大感動フルスタンディングオベーションだし(隣の人、まじで号泣してた)。

別に私はブレヒトとお友達ではないけれど、たぶんだけどブレヒト、キレてると思う。

 

それとも、そういう、「いかに感傷は人の目を曇らせるか」を計測するための劇場実験でもしてたのか…?

でも、ブレヒトの異化効果がブレヒトの意図通りに働くことは今日ではまず無い、っていうのは割と言われていることではあるけど、それを証明しようとしたようにはとても見えないし...。

 

下品なキャバレーっぽい演出とか、マックが処刑される時に、みんなで盆踊りしながら「忘れてしまうのが私たち(日本人)の特技」とか歌ってたあたりはそれこそ「ブレヒトっぽい」だけに、ラストにかけてどんどんメランコリックに鎮魂になだれ込んでいく感じが本当に気持ち悪くて笑えました。

 

あと音響が悪くて歌詞聞き取りづらいのはどうにかならなかったのか。それとも私の耳の問題かなあ…。

 

2022年7月

氷川きよし特別公演

明治座

 

謎に招待券をもらってしまった(しかもS席)ので行ってみた。

新興宗教みがあってとても面白かった。

 

きよシート(なんかめっちゃ高い席)とかスタンプラリー(期間中に公演を何回も観に来ると景品がもらえる)とかあって、宗教のように信じるだけでは救われず、金を貢がないと(ファンとしては)何かが報われない感じがとってもカルトめいててよかった。

 

正直第1部に関しては、氷川きよしのコスチューム・ショーといった感じで、まあフリフリのドレスのきよしがとっても輝いてんな…!、ぐらいの感想しかないのだけれど、第2部のコンサートは歌手の本領発揮といった感じで、客席からのアツいペンライトの応援もあってか、観ていてかなり楽しかった。

 

特にこのコンサート部分はアンコールにかけて、和服で凛々しい氷川きよしから、kiinaらしい、おしゃれかわいいポップなスタイルに変化していって(髪も最終的にはさらさらポニーテールになってた)、第1部の内容も雑にまとめるとタイムスリップして女になる内容だから、全体通して壮大なカミングアウト公演になっていて、「もう好きに生きればいいじゃない!輝いてるよ!!きよし!!!」と謎に上から目線になってしまうぐらいには「きよしを浴びた」としか形容できない不可思議観劇体験だった。

 

あと客席に天海祐希さんがいてめっちゃビビった。マスク越しでも超美しい。すごい。

 

ペレアスとメリザンド

新国立劇場オペラパレス

 

歌手のレベルが総じて激高く(あんなに動きながらよくそんなに歌えるなというレベル)演劇方面から観るとそこそこ面白い演出だったけれど、オペラ目線から観るとブチ切れる人は結構いるだろうな、という演出だった。

 

舞台を3つのパーツに区切り、使わないところは幕を下げて覆っておくという演出で、幕が下がっている間に大胆に舞台美術が変化していくので、最初の方は視覚的にとにかく楽しい。ただ後半になるとそれに慣れてきてしまい、悪夢という設定もあるから後半は幕を全部上げたまま、全ての部屋で同時多発的に何かが進んでいく、みたいな感じで、せっかく広いオペラパレスの舞台空間の使い方をもっと工夫してもよかったのではないかな、と個人的には思う。

 

気になる点としては、音楽と歌詞と演出が決定的にミスマッチしている部分がかなり多い。というかもはやほとんど音楽を無視していた感もある。

たとえば、思いっきりペレアスとメリザンドが性行為をしている場面を、ゴローが目撃しているにも関わらず、その後にゴローがメリザンドに「ペレアスと関係があったのかなかったのか」と詰め寄るシーンがあったり、ペレアスとメリザンドの立ち位置的にどう考えても不可能なのに、歌詞上ではメリザンドがペレアスの額を拭いていたり…と、とにかく視覚情報と聴覚情報のズレがすごい。

 

これを、もはや誰の夢かもわからなくなってしまうぐらいの悪夢による混乱と見るか、単に演出のツメの甘さと見るかで、だいぶ評価が分かれそうな演出だなと感じた。

 

あとこの記事に書いてあるようなことは、少なくとも私は観ている最中は全く分からなかった。

www.nntt.jac.go.jp

 

ハリー・ポッターと呪いの子

赤坂ACTシアター

 

ハリポタガチ勢からすると、本当に観られて良かった!!という感想。

 

ただ、タイムターナーをああいう風に使っていいんだったらそもそもヴォルデモーが生まれた時に遡って息の根止めてしまえ、という感想が浮かばないわけでもなく…。

公式による壮大な二次創作を楽しむつもりで観ると、1番ダメージが少ないかもしれない。

あとハリポタ微塵も知らない初見さんとかだと、絶対最初の15分ぐらいでおいていかれるので、せめて映画ぐらいは全部観てからじゃないときついと思う。

 

ディメンターとヴォルデモーの客席降り(!)はあるし、スネイプ先生は(原作ファンからすると顎が抜けるぐらいのキャラ変している感はあるけど、きっとハリーが死んで丸くなったってことかな⁉)ちょっと出てくるしで、とにかく楽しいが過ぎる。

最後の大人のハリーと赤ちゃんハリーの泣き声が重なる部分なんか号泣ものですよ…(これ以上は盛大なネタバレになるのでもう観に行ってくれという感じ)

 

魔法の処理も面白く、ほとんどアナログなのがすごい。

『夜中に犬に起こった奇妙な事件』とか『戦火の馬』あたりから、そういうアナログ表現がイギリスで流行ってるらしいというのをチラッと聞いたことがあるので、そういうのもあるのかもしれないけど、舞台奥に意図的に作り出した暗闇を利用したり、黒いローブを翻したりして観客の視線から何かを隠したり、照明によって何かに視線誘導するのが本当に上手かった。1個でもタイミングミスると絶対魔法に見えなかったと思う。

 

キャストも全員上手く、最初はどうかなと思った藤原竜也さんのハリーも良かったし、嘆きのマートル(美山加恋)なんかはそのまんま映画から抜け出てきたみたいでテンション上がった。

あとスコーピウス(斉藤莉生)が、客席から笑いを取るのが本当に上手い。ネガティブな方向にポジティブなオタクのスコーピウスというキャラの性格もばっちり伝わってくるし、「あれは嫌ってる目じゃない…憐れんでいる目だ!!」と嬉々として言う瞬間には私の腹筋は耐えきれずに崩壊した。

 

ちなみに、ヴォルデモートじゃなくてヴォルデモーになってた理由は翻訳した先生が書いてる。

webronza.asahi.com

webronza.asahi.com

 

ところで、記憶違いじゃなければ原著ではスコーピウスのセリフにAlways.っていうのがあって、これはハリポタガチ勢なら「スネイプ先生のアレね…!!」とテンション爆上がりするやつだった気がするんだけど、特に舞台観ていてそういうテンションの上がり方はした記憶がないので「永遠に」と翻訳するのはたぶん断念したんだな、と思った。

でも確かにあのキャラのスコーピウス、言わないよな、「永遠に」なんて。

 

来年ぐらいにもう1回ぐらい観に行きたいかも。

 

④2020(ニーゼロニーゼロ)

PARCO劇場

 

とりあえず全然一人芝居ではなかった。ダンサーがいて、俳優が一人で喋る芝居だった。

 

照明のバトンがむき出しになっていたり、存在定義がちょっと謎の女性ダンサーがいたり、カーテンコールにかけての演出(2020から2021、2022と投影されていった)があったり、観客席を赤い照明で照らしたりするのがあったり、などなど、「うわあ~白井演出あるあるだ~~(とは言っても私は実質3.5作品ぐらいしか観てないニワカ)」とテンション上がったけれど、全体として私はほとんど面白いと思えなかった。

 

自己紹介をただひたすらしていく作品を、PARCO劇場で、80分間喋り続けるスタイルで持たせた(とは言っても厳しい部分もあった。やっぱり一人芝居でPARCO劇場は広すぎる気がする。400席ぐらいが限界じゃないかな…)高橋一生さんは素直にすごいと思うけれど、なんかハマらない。

 

コロナ禍で、みんなが同調圧力的な無言の力に屈して「正しい」と思われる方向に右ならえしたのが「肉の海」と称したくなるぐらい気持ちの悪い現象だったことは伝わってはくるが、

 

あの年、沈黙を選んだことへの後悔。君たちを「肉の海」へと追いやったあの出来事。僕は決して、見過ごすべきではなかったんだ

 

この、そういうこととはまるで自分は一切無縁でした!という立ち位置から、観客(しかもほとんどが主演のファンで主演を観るという共通の目的がある)をあざけってくる(ようにも思える)舞台上のあのGenius lui-luiとか言う男の特権意識は一体どこからくるのだろう、と考えて、その都会エリートの男性らしい(これも私の偏見ではあるけれど)ものの考え方に終始ムカついてしまった。そういうことをやりたいならいっそ「こんにちは~僕は神様です!」ぐらいのはっちゃけた出方をしてきてほしかった。誰だよGenius lui-luiって本当に。登場人物=作者ではないのは分かってはいるんだけれど、作者に対してキレそうなぐらい、その「僕だけは本当のことを分かっている」ような意識のあり方にムカついた。

 

まあ「『みんな』と共同体をつくりすぎないでね~飲み込まれないでね!」ということを、よりによって観客っていう共同体を目の前にして、ほぼ1対多数の一人芝居っぽい形式で喋るのは挑発的といえばそうなのかもしれない。でもどちらかと言うと観客に対してというよりは、演者のメンタル的に挑戦的な芝居だなと思った。観客を敵だと思っている演者だったら相当にきつい芝居だと思う。救済措置としての仲間のダンサーは一応いるけれども…。

 

あとB29とか特攻隊の話を軽いタッチで扱うのはいいんだけれど、まるでその他の9割方フィクションのエピソードと同列に扱えるようなものとして、気軽に大田正一とか実際の人名とかを引用してきているのは、ちょっとマジでどうなんだこれ…、と思った。

不謹慎なのはいいんだけれど、もうちょっと考えて不謹慎に笑い飛ばせるように作ってくれ。てかそもそも1エピソードとして気軽に引用できるレベルの話じゃねえぞ、その辺は。

 

それと観ているときに全然分からなかった「ブロック(これ)」に関しては、戯曲読んでみて、たぶん「技術」かな、という結論には一応達したけど、間違っている気もする。

 

  • 「ブロック(これ)」は「人間がこの世に登場するようになってから」現れたということ。
  • バベルの塔のイメージを出したあとに、「ブロック(これ)」を「積み上げていこうとする」描写が続く。バベルの塔の時に、人間が積み上げようとしたのは、神様から貰った石とか漆喰じゃなくて、自分たちが作った新技術であるレンガやアスファルトだった。
  • 「ブロック(これ)」が現れるスピードは「産業革命の時代」から「毎年スピードアップ」している。
  • ボイジャーのゴールデンレコードと並列すべきものである。

 

ってことが主に読み取れるので、まあ「技術」だろう、と結論は一応出なくはないんだけど、戯曲上で他の部分に「技術」という単語が出てきてしまうこと、また戯曲上で、「ブロック(これ)」が「樹齢150年を越える木」(樹齢という部分は「技術」かもしれないけれど、木は流石に「技術」と結びつかない気がする…)に見立てられる部分がある(舞台の記憶がはるかかなた…)ことから、私の読み方が間違っていて「ブロック(これ)」の定義はもっとふんわりしたものなのか、そもそもそこまで考えては書いていないかのどちらかになる気がする。

 

⑤ザ・ウェルキン

シアターコクーン

 

演出の意図がずっと謎(なんとなくスタイリッシュでかっこよくはある)だったけど、大原櫻子さんは良かった。でも全体的に声が(2階後方席からだとかなり)聞こえづらい。ここまで聞こえづらいならマイク使ってほしい。

 

戯曲の邦訳も出ているので話はそっちで読んでください、という感じなんだけれど、十二人の怒れる男の18世紀女性バージョン(女性たちは家事その他にすごく追われている)って感じの話。

殺人で有罪死刑判決になったサリーが妊娠しているかどうか(妊娠していれば死刑にはならない)を、助産師のエリザベスを筆頭に12人の女性たちであれこれと話し合っていくうちにいろいろな事実が明らかになっていって…、みたいな流れに一応なっている。

 

男性中心社会における女性の生きづらさ、その中で強かに生きながらも最終的には男性的権威に責任をゆだねてしまう女性たちの姿なんかが、結構しんどい描写で表現されていて、なかなかにきつい芝居なのだけれど、たぶんその辺のことは他のきちんとした劇評でちゃんと書かれていると思うのでそっちを読んでください。まだあんまりうまく言いたいことがまとまってない感じがある。

 

問題の演出に関して3つ不可解な点があった。

 

1つ目、エリザベスの娘の動作から始まって、女性たちが宣誓をする間中鳴り響くバター搾乳器の音(戯曲に明記されている)をカットした明確な理由が見受けられないこと。

2つ目、2幕冒頭、サリーと被害者の少女が飛行機遊び(18世紀の設定なのに「飛行機遊び」をしていることが戯曲に明記されている)をする部分は、全く飛行機遊びをしていなかったこと。これも意図が謎。子役が、飛行機遊びをするには(サリー役との体格差的に)ちょっと大きかったにしても、両手を広げて「ぶーん!」と走り回るとかでも全然できただろうに。

3つ目、サリーの最後のセリフである「あっ」は、戯曲上では「彗星を見つけたことに対する『あっ』」と「エリザベスに首を絞められたことに対する『あっ』」のどちらにも取れる「あっ」なんだけれど、今回の演出では前者に限定していたこと。それにしては最後にセットの暖炉が前に迫って来て閉塞感が半端ではなくなる(天空=the Welkin感が全くない)し、そもそも客席に向かってやっているので、まるで壁に向かってやっている様に思える(窓は舞台奥にあって、最後に至るまで客席側の見えない壁にも窓があるような描写は一切ない)。

 

字幕で場面名を出す演出も説明以上の効果があったようにも思えなかったし、1幕ラストは暖炉からのススで何も見えなくなる設定なのだが、暗転はせずに何故か上から幕が下りてくる。幕を使うなら(現代演劇では)それなりの理由が必要だと思うんだけど、それも特に見当たらなくて、ただただ違和感だった。せめて下からススが舞い上がるように幕を上げる形で閉めてほしい。

 

俳優さんたちにとってもかなり難しい芝居だったと思う。途中から13人ほぼ全員出ずっぱりであり、若手は常に中堅、ベテランと比べられ続けるからたまったものではないと思う。

でも大原櫻子さんのサリーは、ちゃんと「ヤな奴」感が出て良かったと思う。

ただ吉田羊さん演じるエリザベスが、終始ヒステリックにがなっていて、あれだと完全に自分で批判している「子宮で考える女」になってるぞ…とゲンナリしながら観た。

一番ストレスなく聞き取れたのは那須佐代子さん。さすが。

あとサラ・ホリスは20年ぶりに喋ったにしては少し滑らかすぎる気もする。

クームスさんは、女性たちが評議しているなか、ずっと突っ立ている唯一の男性なんだから、もっと異様な存在感で舞台上にいて欲しかった…。最後に自分のことをからかった女性の数(12人)だけ、13人目のサリーのお腹を踏んづけるという恐怖場面があるのだから…。

 

でも、カークウッド作品のなかで、めちゃくちゃに面白いわけでもないこの作品を、テンポよく(休憩込みで2時間30分)退屈せずに観られたのは普通にすごいと思う。

 

あと全然関係ないけれど、同じ渋谷で、ちょっとしたSF思考実験的な男性の一人芝居をやっていて、かたや女性の集団による芝居で、生活していくための家事だの生きるだの死ぬだのをテーマにぐちゃぐちゃやっているの、結構現代において象徴的だな、なんて思ったりもした。

そういうのもあってやっぱり『2020(ニーゼロニーゼロ)』は、「男性はたいそうな御身分ですね」と偏見交じりに思ってしまって、どうしてもムカついて好きになれない。身体的に女性の俳優さんがやってくれてたら、なんか印象変わったような気もする。

 

⑥導かれるように間違う

彩の国さいたま芸術劇場小ホール

 

観た人なら分かると思うけど、首がちぎれるほど頑張っていたくまさんに盛大な拍手を送りたい。ぬいぐるみとおしゃべりできる派の人間からしたら大絶叫ものだった。私のリュックサックについてるくまも恐怖のあまり絶句してた。ぬいぐるみを抱えた男(成河)がこっち向くたびに私のくま、ちょっと震えてた気もする。「成河さんがくま持ってる舞台写真かわいいじゃん~」とか先輩正気か??あの人首根っこ捕まえてんだぞ??

あと成河さんのブログの写真だとすごく無造作にくまさんが置かれていたので、もうちょっと丁重に扱ってあげて欲しい。頭から箱に突っ込むとかやめてあげて欲しい。せめてケツからいってくれ。頼むから。

 

話の内容としては、記憶喪失の男(成河)が退院を言い渡されるんだけど、奇妙な患者たちに出会ううちにどんどん退院できなくなっていく…みたいな話だった。

この男が入院していた病院と言うのが、いわゆる社会的に「普通」ではない人たちを収容し治療する(ロボトミー手術を連想させる描写あり)施設らしい。退院したあとは、就労施設に「ベルトコンベア」みたいに送られ、「普通」に働けるようになって社会に復帰する、というのが一連の流れ。

それで、この記憶喪失の男というのが、実はくま型爆弾を用いて、そういう画一的な「普通」を押し付けてくる全体主義国家に対してテロを起こしたテロリストだった、ということが後半で明らかになる。最後は一緒に病院に収容されていたファンの女の子と共に無理矢理退院して幕、という形だった。

 

全体的に不満が多くある公演だった。1番の不満が、正面席からはたぶんすべてのシーンが過不足なく見えるのに、移動式の舞台美術のせいで観客席の横側に座っている人達からは完全に見えないシーンが多々あること。せっかくギリシアの野外劇場みたいな、民主的(どこからでもきれいに舞台が見える)なつくりになっている円形劇場のようなホールなのに、良さを殺してしまっている気がする。

というかせっかくダンサーをいっぱい起用しているんだし、視覚面ではもっと美しさを追求した方が良いと思う。ガレリアでやってるパパイオアヌーの展示観た後だとどうしても比べちゃうよ…。

 

もう1つの不満が、この作品、結構上演前から「不条理劇」ってことを売りにしていたと思うんだけれど、不条理劇っぽいだけで、全然不条理劇じゃなかったこと。

不条理劇の定義はいろいろあるんだろうけれど、何かしら「世界」そのものとか「人間存在そのもの」を見つめるすごく鋭い視線のもとに、信じられない程ものすごく奇妙な出来事のなかに日常に通じる何かを発見したり、ごくごく普通の日常の出来事のなかに何か吐き気を催すぐらいの驚くべき奇妙さを発見したりするのが(しかも通常は「笑い」を伴って)、不条理劇だと思っているので、その驚くべき奇妙さが全て精神病の次元、つまり日常(にすでに納得され受け入れられている奇妙さ)の次元に溶け込んでしまっているのがすごく不満だった。

もしかしたらこれは観客側の受容の問題かもしれないけれど、そもそもロボトミー手術とかトゥレット症候群とか具体的な対応物を明確に連想させてしまう段階で、もはや不条理劇的な感じは皆無というか…。

 

せっかく、言語表現を必ずしも必要としないダンスとジャンル・クロスしているんだから、もっと身体表現を信用してもいいんじゃないかと思った。

というか私は、骨折とかで入院してた成河さんが普通に心身ともに元気よく退院していこうと思ったら、病院が広すぎてどんどん迷っていくうちに、「生きるために酸素テントに入って結局身動きできない人」とか「トイレするためにいちいち看護師さんを呼ばなきゃいけない人」とか「遺体安置所の真上にある病室の上で生活する人」とか「患者のことを番号で呼びすぎて自分の名前にすら疎外感を覚えてきた受付の人」とかそういう人たちに延々と白い廊下を歩きながら出会っていって、最終的には「退院」することそれ自体もまた新たな「日常」という病院に「健康」という「病」を抱えて「入院」することなのではないか…??と不思議のアリスばりに混乱してく様子が観たかった…。誰か作ってよ、そういうの…。観たい…。

 

でも部分部分は面白いところも多かった。

例えば記憶喪失の男は、「人の真似を過剰にしてしまう」という癖を持っているんだけれど、これってそもそも「普通」に周りに合わせていく生き方でもある、っていう指摘はなるほどと思った。

あと、このテロリストが、全体主義的なものに反旗を翻したはずなのに、いつの間にか模倣犯とか「あなたのファンです!(あなたのやることなすこと全部正義です!)」タイプのファンが出てきて、「結局自分も体制側とやっていることは同じじゃないか…」となるとことかは結構グロテスクで良かった。

 

車いすと松葉杖を使って舞台全体をぐるぐる器用に動き回る様子は観ていて迫力あってすごく面白かったし、何より『タージマハルの衛兵』好きとしては「立場が入れ替わったバーブとフマだ…!」とテンション上がったりもした。

ところで、私、亀田佳明さんを去年から今年にかけて結構舞台で観ているんだけど、大体メンタルが不安定な役しかやってない…。今回も変に知識があるせいで出血量とかが半端じゃない自傷癖をもつ(しかもその自傷行為で他人を脅すヤバヤバさ)お医者さんという難儀な役で、1回でいいから「酒!金!タバコ!人生楽しいぜヒャッハー!」みたいな役演じてるのが観てみたいなあ、と思ったりもした。

あと全体的にふわっと軽いタッチでまとめている作品ではあったので、周囲に比べて身体が少し重くぎこちない亀田さんがめちゃくちゃに存在感はなっていたのは、意図的なものなのか、偶然の産物なのかは謎だった。

 

それと「スープの1滴」という表現が出てきた段階で『2020(ニーゼロニーゼロ)』の「肉の海」を思い出したのは私だけじゃないはず。

個人と全体とか共同体みたいなテーマを扱うなとは言わないけれど、いい加減その共同体の最たるものに簡単になりうる観客を、もっとこうどうにか組織し直してみようみたいな気概のある作品が観たいなあ、というのが最近の雑感。コロナじゃあ厳しいかなあ。

 

あと、そういう共同体の中の疎外感(特別感)を男性に語られてもなあ…、どっちかというと共同体の方で利益受け取ってる方じゃんね…、というのも個人的にはある。たぶんちょっとだいぶ偏見だけど。

 

タイトルの面白さに中身がついて行ってない感がどうしてもある公演だった。

 

ヒトラーを画家にする話

@シアターイース

 

全公演中止で払い戻し

知り合いが(といっても多分向こうは覚えていない)出る予定だったし、話も面白そうだったので楽しみにしてたから残念。タカハ劇団、またの機会に期待。

 

 

何とか書き終わった

だらだら書いてきたんですけど、春学期の推しはセールスマンの死でした。

7月に向かって文量が多くなるのは単に記憶の新しさの問題です。でも長ければ長いほど何かしら引っかかった舞台ということになるんで、面白かった舞台ってことに一応はなると思います。

ハリー・ポッターと呪いの子』『オブジェクト・ストーリー』と並んで次点と言う感じ。ファンのひいき目がありそうなので…。

 

それにしてもセールスマンの死観てから、本当に面白かったんだけど、いつから演劇って(特に古典とか翻訳もの)、演出意図をどれだけ綺麗に解読できるか(伝達できるか)、そしてそれをいかに解釈するか、がものすごく大事なことに(作る方も受け手側も)なっているんだろう、とちょっと空しくなっています。それなら別に映画とか小説でも似たようなことできるじゃん、と。

解釈とかが入り込む余地のないぐらい、目の前にある存在それ自体が死にそうなぐらい美しい舞台が観たいです…。ないかなそんなの…。

 

とりあえず、ちょっと休養したらあとは大学院入試のために勉強頑張ります。

観劇再開は9/16に観に行く『COLOR』から!!

特に秋学期は『建築家とアッシリア皇帝』プルカレーテが楽しみです。コロナとかで無くなったら1週間は落ち込む気がする。

(あと成河さん感染されたみたいで...。お大事に...コロナ最近本当にやばい...。)

ちょっとお休みします。

大したことないとは思うんだけど精神面のアレがナニ状態になって、個人的にいつもよりやべえ感があるのでしばらく更新しないかも(でもテンション上がってするかも)です。

とりあえず私が観ることの出来ないBSで再放送された『タージマハルの衛兵』を思い地団駄踏めるぐらいには元気です。
だからたぶんほんとに大したことはないと思います。