感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

主に春学期に生で観た舞台と、ちょっとした感想

春学期は、メンタルやられ、卒論に追われているのに、先生に気軽に院に誘われ混乱し、文字通り半死半生でした。なんとか生き残った…!

 

とりあえず休養と院試に集中するために帰省してます(お母さん、上げ膳据え膳、ありがとう)。

ついでに気分転換もしたいので、春学期(4月~7月)に観た舞台とちょっとした感想をバーッとまとめたいと思います。

 

とは言いつつ、昨年度シラノ・ド・ベルジュラック以降に観たやつも一緒にまとめちゃいます。

 

 

 

 

2022年2月

①ワールド・シアター・ラボ『サイプラス・アヴェニュー』

@上野ストアハウス

 

以前Royal Court Theatreの配信を観ていたので、正直それは超えなかったかな、という印象。配信版の赤ちゃんを袋に入れて殺す場面の衝撃が強すぎて、今回の机をたたく音のみで表現するのも悪くはなかったけど、物足りなさを少し感じた。

ただスティーブン・レイ演じるエリックは最初っから精神面でヤバそうな人感があるんだけど、今回の俳優さん(名前忘れました…すみません)は「一見理性的でまともそうに見えるけど実はヤバい」感があって、演じる人によって結構違うんだなあ、と発見。

 

リーディング公演なので、赤ちゃん役とト書きを読む担当の俳優さんがいた。最近リーディング公演に限らずなんか多いよね。ト書きも何かしらの手段で観客に伝えるやつ。流行ってんのかな。

 

②ワールド・シアター・ラボ『I Call My Brothers』

@上野ストアハウス

 

最前列をぶん取ったので、亀田佳明さんを間近で拝めて幸せ!!

 

「○○を演じてね~」みたいなワークショップのような空気で始まった割には、後半、想像(妄想?)の世界と現実がどんどん混じっていって、主人公のメンタルがどんどん不安定になっていって、観ているこっちが迫力にやられて体ガチガチになっていく(亀田佳明さんがうまいから!)。「演劇浴びてる…!」感がすごい楽しい。

 

最後に主人公が友人との交流を通して、ふっと緊張が緩和するんだけど、その直後のラストで「実は問題はなにも解決してないのではないか?」と思わせるような、上げてから落とす戯曲の構成が結構好きだった。あと戯曲タダでもらえたのも嬉しかった。

 

2022年4月

①劇団あはひ『流れる』

@シアターイース

 

初あはひ観劇。頭がすごいよくて勉強熱心な人が作ったんだな、というのがざっくりとした印象。理論武装している感がビシバシ伝わってくる。

隅田川ベースの話だけど途中から『井筒』も混じってくるわ、橋がかりが2本あってどちらから出てくるかで船長の役割が変わっているわで、能楽ファンとしては面白い仕掛けが盛りだくさん。

セリフそのものとか喋り方には岡田利規みを感じたり。

 

最後、松尾芭蕉と空くんが吸っていた煙草の煙が、徐々にトビオ君への供養の線香の煙に変化していったのは、まさに演劇マジック。

 

②劇団あはひ『光環(コロナ)』

@シアターイース

 

客席に入るドアが上手のみに限定されていて(下手側のドアが舞台美術のせいで開けられないというわけではない)疑問に思っていたら、「観客1人1人がシテ」であることが後半明らかになる構造。つまり能舞台を模している舞台の本当の正面は劇場の舞台奥の方で、客席に入るドアが指定されていたのは、観客が橋がかりにを通って舞台に入り、シテとなるためだった、みたいなことらしい(たぶん)。

 

ワキっぽく出てきた女の子が実はシテだ、という逆転の仕掛けもあり、比較的上に書いてあることはぼんやりとは分かる気もするが、ちゃんと気づくためには能楽になじみがないとなかなか難しいかも

 

③『アンチポデス』

新国立劇場小劇場

 

面白い劇を観た、というよりは、面白い人たちを観た!という印象。

アメリカらしいシチュエーション(・コメディ?)もので、フラットなはずのブレインストーミングの場で起きる、謎マウンティングや無意識ハラスメント、偏見・差別にホモソーシャルなキッつい下ネタノリetc...と、「うわ~あるある~!」となる雰囲気を、実際にその場にいるかのように体感できて(三方囲み舞台なので観客もブレインストーミングに参加している錯覚に陥る。特に1階横席とかバルコニー席とか)、空間として面白かった。音響、照明もリアルで綺麗。

 

後半にある、疲れまくった登場人物たちがそれぞれに謎の呪文を唱えだす瞬間が、最高にヤバくて面白い。締め切り前の作家先生とか見てたら胃が痛くなるレベル。

 

ただ亀田佳明さん演じるアダム(後半にある、神話ベースの長い「物語」を「物語る」の流石すぎて心の中でスタオベ)が黒人であることとかは、あんまりやっぱり分からなくて、「『ザ・ドクター』と同じ現象が起きてしまっている…」となった。日本にもいるでしょうに黒人の俳優さん。私何回か観たことあるよ…。でもそうすると白人の役には白人の俳優さんキャスティングしなきゃいけなくなるし…。ううう難しい…。

 

あと俳優さん、全員上手いは上手かったんだけど、人の話を聞く時の演戯がやや一辺倒すぎるので、そこの演出は雑だなと思った。

でも白井晃さんのサンディがマジでほんとにムカついたから(褒めてる)、演出とか芸監のお仕事も大変だろうけど、ちょくちょく舞台にも立ってほしい…。

 

④ウィリアム・ケントリッジ演出『魔笛

新国立劇場オペラパレス

 

プロジェクションマッピングは綺麗だけど、ザラストロ役が低音出てないのは致命的。音楽がなんかすごく微妙。

 

改めて観ると魔笛ってめっちゃご都合主義だな、とも思った。

それとパパゲーノが「自殺しちゃおっかな~。でも誰か止めてくれたらやめよっかな~」ってシーン、毎回客席から声が上がったらどうするんだろうとハラハラする。

まあオペラの観客でそれはないか(小劇場ならありそう笑)。

 

あとどうでもいいけど、私はのだめカンタービレ魔笛が面白そうすぎるので観てみたい。

 

⑤ショーン・ホームズ演出『セールスマンの死

PARCO劇場

 

ショーン・ホームズと福士誠治に泣かされるとは思わなかった…(謎の敗北感)。

あと最優秀主演「物」俳優賞を冷蔵庫くんにあげたい(ショーン・ホームズ冷蔵庫好きね…『FORTUNE』でも似たようなことしてたね…)。

 

原作ベースではあるんだけど、とにかくそこから導き出した演出が最高すぎ。

原作戯曲の方では、ウィリーの「回想」といった体で進んでいく感じなんだけど、この演出だと「妄想」感が強め。

場所ごとに細かく分かれた(庭の舞台とか寝室の舞台とか)可動式の舞台装置がくるくる展開していく形になっていて、まだウィリーがある場で起きたことを話しているのに、ウィリーが見ていない隙に、その場の舞台装置がハケていったり(そしてその様子を奇妙な顔をしたウィリーがじっと見つめている、つまりウィリーは自分の思考のコントロールを失っていっている)するので、ウィリーが自分の頭の中にある記憶に翻弄されている感がある。

他にも、マイクを使って場面によっては声のみで登場してくる登場人物がいたり、戯曲の方では会話になっている部分をウィリーの独り言にしてみたりと、まさにこの戯曲のもともとのタイトルのthe inside of his headという印象(ウィリーの頭の中)にまとめ上げてきたのがとにかくすごい。 

 

そして何よりも、舞台中央に異常な存在感でぶっ刺さっている黄色い冷蔵庫が本当に良い。

同じく舞台上に黄色い色で象徴的に出てくるのは、両親の「期待」を一心に背負っていた学生時代のビフだから、冷蔵庫はもちろん資本主義的な象徴でもあるんだけれども、「期待」でもある。具体的にどういう「期待」なのかは分からないけれど、その冷蔵庫に手垢がついているように薄汚れていることからも、「みんなが(この「みんな」感=手垢がついてる感も資本主義的といえばそんな気がする)何度も望んでいるような(すべてがうまくいっていること、お金もちになること、周囲から称賛されること、みたいな)期待」だと思う。ローマン一家がこの冷蔵庫を買ったときは紛れもなくそういう「期待」に満ちていたんだろうし、実際にここ十数年ローマン一家はその「期待」だけを頼りに生きてきた感が物語からもあるので、とにかくこの冷蔵庫は端的にその「きっとみんなが良いと思うことが起きるはず」という「期待」の象徴でもある。

 

そんな冷蔵庫が、時空間がぐちゃぐちゃになりながらウィリーの頭の中でコントロール不可能な状態で進んでいく「妄想(が展開する舞台上)」のど真ん中に、一切動かず異様な存在感を出しているから、ウィリーは、本当にこの資本主義的(「みんな」的な)な「期待」、本当に自分が心から願っているかは分からない「期待」に手垢が付くぐらい何度も縋り付いて生きてきたんだな、と思った。虚しさで泣いちゃう。

 

最後ウィリーが死んだとき、この冷蔵庫が照らされて、その中にウィリーが入っていくのは、死んでお金を残すことさえ「期待」になっているとも見えるし、資本主義的な「みんなが望むように、もっともっと良くなるはず」という「手垢のついた期待」に飲み込まれて死んでしまった感があって、とにかくしんどかった。

あと当時就活をしていた身としては、どうしたもんかこれ…いまからそういう市場に行かなきゃならないんですけど…と軽く絶望したりもした。つらい。

この場面、オフでリンダの「ウィリー!ウィリー?」って声が反響するのもしんどさに拍車をかけてる気がする。あと鎮魂曲はないバージョンだった。

途中途中、冷蔵庫のファンが回るぐわんぐわんした音が不穏な雰囲気で反響する場面がちょいちょいあったりもしたので、とにかく冷蔵庫がカギを握っている芝居だった…。

 

俳優さんたちも軒並みよく(俳優さんが下手なセールスマンの死とか観ていられない、特にビフ福士誠治とハッピー(林遣都)が超いい。

ビフがウィリーと言い合うシーンで「俺はひと山いくらの安物だよ…!」と言い切るシーンがあるんだけど、完全に涙腺崩壊。イケボなのがとにかくずるい。期待を背負ってたからこそ、このセリフを父の前で言うしんどさとか葛藤とかプライドズタボロな感じとかがみっちり詰まった言い方で、「まさか福士誠治に泣かされるとは…」と謎の敗北感に浸ってた。また舞台出てください。絶対観に行くんで。再演でもいいよ。

あとハッピーの女好きでちょいクズな感じ、めっちゃうまかった。ナチュラルにダメ男。最高。

 

2022年5月

①ロビー・ヒーロー

新国立劇場小劇場

 

『アンチポデス』に引き続き、黒人差別問題を含んでいる翻訳戯曲は本当に日本で上演しづらいなと思った。

 

あと本筋として、警備員のウィリアムが自分の弟を守るために警察に嘘をつく、というのがあって、後半にウィリアムの部下である主人公ジェフが、自分の利益を守るためにウィリアムに対して嘘をつく、という部分があるので、この嘘の種類とか状況のコントラストをもっと明確にしてもよかったんじゃないかと思った。明らかに似たようなモチーフの繰り返しだし。

 

最後も妙にふわっと感傷的にまとまっていて、終始演出の焦点がイマイチよく分からないままだった。でも主演の中村蒼さんは、ハマり役でよかった。

 

②エレファント・ソング

PARCO劇場

 

映画だとピーナッツ・アレルギーだけど、戯曲だとチョコレート・アレルギーなんだね、というぐらいしか感想がないぐらい、そもそも話がつまらなかった

ミステリとかよく見る人は出だしを観ただけで結末予想できるんじゃないかと思う。

気になる人は英語のウィキペディアがあるんで自動翻訳して読んでみてください。マジでつまらない。

Elephant Song (film) - Wikipedia

 

あと精神科病棟に入院しているという主人公マイケルの演戯が、正直、「なんで精神科病棟に入院している人の描かれ方ってこんなにワンパターンなんだ…」と絶望するぐらいステレオタイプすぎてキツかった。

 

客席、半分も埋まってなくて「PARCO劇場でもこんなにガラガラなことってあるんだ…」といい勉強にはなった。

文句ばっかり書いてきたけと、このガラガラな客席を前に最後まで3人だけでテンション落とさずに演じきったのは素直にすげえと思う

 

③お勢、断交

世田谷パブリックシアター

 

話に「深イイ~」となる中身があんまりないけど、いろいろな人の視点から何回も重ね塗りするみたいに物語を多角的に進めいていく構成と、寄木細工のようにパタパタと展開していく舞台美術はマッチしていて、素直にきれいだな、と思った。話は本当にスッカスカだけど。

 

④煙草の害について

@アトリエ乾電池

 

原作にいろいろ付け足して、大変にドラマチックな感じになっているけれど、私は柄本明さんが、マジで不満たらたらな感じに原作のままやっているのが観たい、と強く思った。

 

カーテンコールで「『つまんない。時間返せ』って言われても、返せないんですよね~これが〜」って苦笑いしながら言ってた時の方が、本編より500倍楽しかった。

 

⑤山本卓卓『オブジェクト・ストーリー』

@KAAT 1F~5F

 

ゲーム感覚で楽しかった。シークレットまで自力で達成して、劇場のスタッフさんに褒められてテンションも上がった。

 

KAAT、ちょいちょい来てるから見慣れた場所ではあるんだけど、今回みたいに「普通は注目して見ない場所・モノ」をじっくり探しながら見ていくと、見慣れたはずの場所がなにか新しい豊かさみたいなものを持っているように見えてきて、自分の知覚がジワッと変化していくの(解像度が上がっていっているような感じ)がとても面白かった

 

院試の研究計画書書くときに「これ面白かったです!」って言ったら、先生には「…また演劇らしくないような作品を…」と言われたので演劇なのかどうかは謎。参加型インスタレーションという方が個人的にはしっくり来る。こういうの、またやってほしい。

 

2022年6月

①演劇実験室◎万有引力『盲人書簡』

スズナ

 

めっちゃ普通に見えるじゃん!!明るい!!ド・エンタメ!

 

劇場のドアに板打ち付けて閉じ込めた観客に、マッチ3本渡して好きなとこで擦ってもらって、その瞬間だけ見える暗闇演劇、みたいな寺山修司の伝説ばかり聞いたことがあって期待度爆上げで行ったら、期待度上げ過ぎた感は正直ある。

 

劇場の照明落として、俳優がかっこいいポーズでマッチ擦ったら、そりゃあかっけえよな…やっぱかっこいいわ素敵…充満するマッチの匂いも良き…、で終わってしまった。

ただ暗転したときに蓄光テープすげえ目立つ。なんとかならなかったのかアレ。

 

観ていて楽しかったけど、あんまりアングラではなかった。もしかしたら今はもう「アングラ」は、当時の意味合いを持つ「アングラ」というよりは、なんか反体制的な匂いがとてもかっこいい「エンタメ」になっているのかもしれない。

 

②貴婦人の来訪

新国立劇場小劇場

 

地元に帰ってきた貴婦人が、困窮する地元への多額の寄付と引き換えに、その昔、自分のことを何重にも裏切った元恋人のイルの死刑を要求する、という、まあどう転んでも割と面白いだろうな、という感じの話。

結局、地元側は要求をのんで、イルは町の男たちによってたかって首絞めて殺される(この場面の演出結構好きだった。イル役の俳優さんにみんなで群がったかと思ったら、その瞬間人だかりから、イル役の俳優さんが魂が抜け出たみたいにすっと出てきて、「ああこれイル死んだわ」って視覚的にすごくわかりやすかった)んだけど、そこまでのあれこれがやっぱり結構面白かった。

倫理的な面から最初、要求は当然拒否られるんだけど、「でもきっと誰かがイルを殺してくれるだろう」っていう「期待」とか、多額の寄付に対する「欲望」みたいなものが、人々の間でじわじわ広がっていくのが、グロテスクで好き。

 

ただ、お金がないはずなのに寄付をあてにしてみんなツケで売買するようになって、イル以外の登場人物たちの身なりや生活がだんだんグレードアップしていく、っていうのを、舞台上にだんだん黄色い衣裳の人たちが増えていく、って形で表現していたのは、いいとは思うんだけど、白井晃演出の『アルトゥロ・ウイの興隆』で似たような演出観てしまってたから、あんまりそこは「おお~!」とはならなかった。

あとそういう風にコンセプチュアルに演出するなら、変にサスペンスじみた心理劇的な雰囲気とか入れてこないで、個人的にはもっと全編ポップにはっちゃけて欲しかった。ラストの歌のシーンみたいに。

 

それにしても衣裳がおしゃれでかわいかったし、新国くまさんも、最初はグレーの服着てたのに帰るときに見たら黄色い服に着替えてて、やっぱりかわいかった。あと煙草の煙が(気管支的に)超苦手なので、煙草をシャボン玉で表現するのはマジでグッジョブ!!と心の中で叫んでた。

 

③スペクタクル・リーディング『バイオーム』

@東京建物 Brillia HALL

 

初ブリリア。あの悪名高いブリリア。しかも3階席。反響とかで、成河さんでもたまに何言ってるのか分からない(マイク使っているからなおさら)。噂に偽りはなかった。逆に見え方はそんなに酷くなかった。見え方はコクーンシートの方が酷い。

 

あと中村勘九郎さんの演戯がとにかく気持ち悪かった(ファンの方すみません)。無理に声変わりした大人が子供に本気でなりきらなくても、子供に「見せる」演戯方法はいくらでもあっただろうに

ていうかああいう風に子供を演じさせたいなら、そもそも子役を起用するか、女性俳優を起用して。まだそっちのが耐えられる。

 

内容に関しても(うろ覚えなんだけど、直後に書いた感想メモに「セックスで全部解決しようとしてるのは、そりゃあ植物から見れば『ケモノ』だろうよ」とある)、正直授業とかでヅカ好きの人から聞く上田久美子作品の方が100倍ぐらい面白そうで、きっとこれ本人が書きたくて書いているというよりは頼まれ仕事なんじゃないか…という印象がぬぐえない。

でも花總まりさん演じるレイコの、特に2幕あたりは市原佐都子みがあって良かったと思うので、もっとそこ中心に掘ったのが観たかったなあ。花總さんの狂乱の演戯の迫力もヤバかったし。

 

あと庭師、似合ってたのはまあ似合ってたが、なんでお前だけタンクトップ風の衣裳なんだ。お前が職業的に一番長袖長ズボンじゃなきゃダメだろ。永遠の謎なんだが。

 

④てなもんや三文オペラ

PARCO劇場

 

なんで関西弁でやっているのかは終始謎だったけれど、とげとげしたブレヒト作品が3時間かけて飲み込みやすい戦後日本感動ドラマに変形していく気持ち悪さを楽しめる一品。

 

生田斗真さんを、超絶モテモテのプレイボーイ、マック役に起用したのは、嫌みなく説得感があって良かったとは思うんだけれど、ブレヒトが考えていたようなこととほぼ真逆のことをやっていて「全然ブレヒトじゃねえwwwww」と終わった後に爆笑してしまった。

 

とにかく、ブレヒトで鎮魂をやりやがった!!ブレヒトで鎮魂を!!!がしばらく脳内から消えなかったし、何なら母にずっと電話越しに言い続けた記憶がある。

落ち着いて考えてみれば別にブレヒト原作なだけでブレヒト作品ではないから、別にブレヒトっぽくなくてもいいと言えばいいんだけど…。

 

この作品については、しましまさんのブログにわかりやすく詳しく書いてあるのでそちらをどうぞ。

note.com

 

役者はみんな上手かったし、演出も要所要所は面白かったんだけど、「イリュージョンとか感傷とかに批判的精神を曇らせたらいけねえぜ!観客はある程度感じつつもしっかりてめえの頭で考えやがれ!!」って、ナチスに無批判的に扇動された大衆を念頭に置きつつ、演劇の改革、そして果ては社会の改革を目指して、死ぬまでそういうことを言い続けたブレヒトの作品を使って、戦争を起こしたそもそもの原因とかを全部、生田斗真さん演じるマックの憐れさに観客が同情するように仕向けて、意図的に考えさせないようにわざわざ構成しなおしている(戦後日本感動ドラマでよくありがちな構成にする)のは、やっぱりほとんどブレヒトに喧嘩売ってんじゃないですかね。

上演単体としては良い出来なだけあって、観客も涙の大感動フルスタンディングオベーションだし(隣の人、まじで号泣してた)。

別に私はブレヒトとお友達ではないけれど、たぶんだけどブレヒト、キレてると思う。

 

それとも、そういう、「いかに感傷は人の目を曇らせるか」を計測するための劇場実験でもしてたのか…?

でも、ブレヒトの異化効果がブレヒトの意図通りに働くことは今日ではまず無い、っていうのは割と言われていることではあるけど、それを証明しようとしたようにはとても見えないし...。

 

下品なキャバレーっぽい演出とか、マックが処刑される時に、みんなで盆踊りしながら「忘れてしまうのが私たち(日本人)の特技」とか歌ってたあたりはそれこそ「ブレヒトっぽい」だけに、ラストにかけてどんどんメランコリックに鎮魂になだれ込んでいく感じが本当に気持ち悪くて笑えました。

 

あと音響が悪くて歌詞聞き取りづらいのはどうにかならなかったのか。それとも私の耳の問題かなあ…。

 

2022年7月

氷川きよし特別公演

明治座

 

謎に招待券をもらってしまった(しかもS席)ので行ってみた。

新興宗教みがあってとても面白かった。

 

きよシート(なんかめっちゃ高い席)とかスタンプラリー(期間中に公演を何回も観に来ると景品がもらえる)とかあって、宗教のように信じるだけでは救われず、金を貢がないと(ファンとしては)何かが報われない感じがとってもカルトめいててよかった。

 

正直第1部に関しては、氷川きよしのコスチューム・ショーといった感じで、まあフリフリのドレスのきよしがとっても輝いてんな…!、ぐらいの感想しかないのだけれど、第2部のコンサートは歌手の本領発揮といった感じで、客席からのアツいペンライトの応援もあってか、観ていてかなり楽しかった。

 

特にこのコンサート部分はアンコールにかけて、和服で凛々しい氷川きよしから、kiinaらしい、おしゃれかわいいポップなスタイルに変化していって(髪も最終的にはさらさらポニーテールになってた)、第1部の内容も雑にまとめるとタイムスリップして女になる内容だから、全体通して壮大なカミングアウト公演になっていて、「もう好きに生きればいいじゃない!輝いてるよ!!きよし!!!」と謎に上から目線になってしまうぐらいには「きよしを浴びた」としか形容できない不可思議観劇体験だった。

 

あと客席に天海祐希さんがいてめっちゃビビった。マスク越しでも超美しい。すごい。

 

ペレアスとメリザンド

新国立劇場オペラパレス

 

歌手のレベルが総じて激高く(あんなに動きながらよくそんなに歌えるなというレベル)演劇方面から観るとそこそこ面白い演出だったけれど、オペラ目線から観るとブチ切れる人は結構いるだろうな、という演出だった。

 

舞台を3つのパーツに区切り、使わないところは幕を下げて覆っておくという演出で、幕が下がっている間に大胆に舞台美術が変化していくので、最初の方は視覚的にとにかく楽しい。ただ後半になるとそれに慣れてきてしまい、悪夢という設定もあるから後半は幕を全部上げたまま、全ての部屋で同時多発的に何かが進んでいく、みたいな感じで、せっかく広いオペラパレスの舞台空間の使い方をもっと工夫してもよかったのではないかな、と個人的には思う。

 

気になる点としては、音楽と歌詞と演出が決定的にミスマッチしている部分がかなり多い。というかもはやほとんど音楽を無視していた感もある。

たとえば、思いっきりペレアスとメリザンドが性行為をしている場面を、ゴローが目撃しているにも関わらず、その後にゴローがメリザンドに「ペレアスと関係があったのかなかったのか」と詰め寄るシーンがあったり、ペレアスとメリザンドの立ち位置的にどう考えても不可能なのに、歌詞上ではメリザンドがペレアスの額を拭いていたり…と、とにかく視覚情報と聴覚情報のズレがすごい。

 

これを、もはや誰の夢かもわからなくなってしまうぐらいの悪夢による混乱と見るか、単に演出のツメの甘さと見るかで、だいぶ評価が分かれそうな演出だなと感じた。

 

あとこの記事に書いてあるようなことは、少なくとも私は観ている最中は全く分からなかった。

www.nntt.jac.go.jp

 

ハリー・ポッターと呪いの子

赤坂ACTシアター

 

ハリポタガチ勢からすると、本当に観られて良かった!!という感想。

 

ただ、タイムターナーをああいう風に使っていいんだったらそもそもヴォルデモーが生まれた時に遡って息の根止めてしまえ、という感想が浮かばないわけでもなく…。

公式による壮大な二次創作を楽しむつもりで観ると、1番ダメージが少ないかもしれない。

あとハリポタ微塵も知らない初見さんとかだと、絶対最初の15分ぐらいでおいていかれるので、せめて映画ぐらいは全部観てからじゃないときついと思う。

 

ディメンターとヴォルデモーの客席降り(!)はあるし、スネイプ先生は(原作ファンからすると顎が抜けるぐらいのキャラ変している感はあるけど、きっとハリーが死んで丸くなったってことかな⁉)ちょっと出てくるしで、とにかく楽しいが過ぎる。

最後の大人のハリーと赤ちゃんハリーの泣き声が重なる部分なんか号泣ものですよ…(これ以上は盛大なネタバレになるのでもう観に行ってくれという感じ)

 

魔法の処理も面白く、ほとんどアナログなのがすごい。

『夜中に犬に起こった奇妙な事件』とか『戦火の馬』あたりから、そういうアナログ表現がイギリスで流行ってるらしいというのをチラッと聞いたことがあるので、そういうのもあるのかもしれないけど、舞台奥に意図的に作り出した暗闇を利用したり、黒いローブを翻したりして観客の視線から何かを隠したり、照明によって何かに視線誘導するのが本当に上手かった。1個でもタイミングミスると絶対魔法に見えなかったと思う。

 

キャストも全員上手く、最初はどうかなと思った藤原竜也さんのハリーも良かったし、嘆きのマートル(美山加恋)なんかはそのまんま映画から抜け出てきたみたいでテンション上がった。

あとスコーピウス(斉藤莉生)が、客席から笑いを取るのが本当に上手い。ネガティブな方向にポジティブなオタクのスコーピウスというキャラの性格もばっちり伝わってくるし、「あれは嫌ってる目じゃない…憐れんでいる目だ!!」と嬉々として言う瞬間には私の腹筋は耐えきれずに崩壊した。

 

ちなみに、ヴォルデモートじゃなくてヴォルデモーになってた理由は翻訳した先生が書いてる。

webronza.asahi.com

webronza.asahi.com

 

ところで、記憶違いじゃなければ原著ではスコーピウスのセリフにAlways.っていうのがあって、これはハリポタガチ勢なら「スネイプ先生のアレね…!!」とテンション爆上がりするやつだった気がするんだけど、特に舞台観ていてそういうテンションの上がり方はした記憶がないので「永遠に」と翻訳するのはたぶん断念したんだな、と思った。

でも確かにあのキャラのスコーピウス、言わないよな、「永遠に」なんて。

 

来年ぐらいにもう1回ぐらい観に行きたいかも。

 

④2020(ニーゼロニーゼロ)

PARCO劇場

 

とりあえず全然一人芝居ではなかった。ダンサーがいて、俳優が一人で喋る芝居だった。

 

照明のバトンがむき出しになっていたり、存在定義がちょっと謎の女性ダンサーがいたり、カーテンコールにかけての演出(2020から2021、2022と投影されていった)があったり、観客席を赤い照明で照らしたりするのがあったり、などなど、「うわあ~白井演出あるあるだ~~(とは言っても私は実質3.5作品ぐらいしか観てないニワカ)」とテンション上がったけれど、全体として私はほとんど面白いと思えなかった。

 

自己紹介をただひたすらしていく作品を、PARCO劇場で、80分間喋り続けるスタイルで持たせた(とは言っても厳しい部分もあった。やっぱり一人芝居でPARCO劇場は広すぎる気がする。400席ぐらいが限界じゃないかな…)高橋一生さんは素直にすごいと思うけれど、なんかハマらない。

 

コロナ禍で、みんなが同調圧力的な無言の力に屈して「正しい」と思われる方向に右ならえしたのが「肉の海」と称したくなるぐらい気持ちの悪い現象だったことは伝わってはくるが、

 

あの年、沈黙を選んだことへの後悔。君たちを「肉の海」へと追いやったあの出来事。僕は決して、見過ごすべきではなかったんだ

 

この、そういうこととはまるで自分は一切無縁でした!という立ち位置から、観客(しかもほとんどが主演のファンで主演を観るという共通の目的がある)をあざけってくる(ようにも思える)舞台上のあのGenius lui-luiとか言う男の特権意識は一体どこからくるのだろう、と考えて、その都会エリートの男性らしい(これも私の偏見ではあるけれど)ものの考え方に終始ムカついてしまった。そういうことをやりたいならいっそ「こんにちは~僕は神様です!」ぐらいのはっちゃけた出方をしてきてほしかった。誰だよGenius lui-luiって本当に。登場人物=作者ではないのは分かってはいるんだけれど、作者に対してキレそうなぐらい、その「僕だけは本当のことを分かっている」ような意識のあり方にムカついた。

 

まあ「『みんな』と共同体をつくりすぎないでね~飲み込まれないでね!」ということを、よりによって観客っていう共同体を目の前にして、ほぼ1対多数の一人芝居っぽい形式で喋るのは挑発的といえばそうなのかもしれない。でもどちらかと言うと観客に対してというよりは、演者のメンタル的に挑戦的な芝居だなと思った。観客を敵だと思っている演者だったら相当にきつい芝居だと思う。救済措置としての仲間のダンサーは一応いるけれども…。

 

あとB29とか特攻隊の話を軽いタッチで扱うのはいいんだけれど、まるでその他の9割方フィクションのエピソードと同列に扱えるようなものとして、気軽に大田正一とか実際の人名とかを引用してきているのは、ちょっとマジでどうなんだこれ…、と思った。

不謹慎なのはいいんだけれど、もうちょっと考えて不謹慎に笑い飛ばせるように作ってくれ。てかそもそも1エピソードとして気軽に引用できるレベルの話じゃねえぞ、その辺は。

 

それと観ているときに全然分からなかった「ブロック(これ)」に関しては、戯曲読んでみて、たぶん「技術」かな、という結論には一応達したけど、間違っている気もする。

 

  • 「ブロック(これ)」は「人間がこの世に登場するようになってから」現れたということ。
  • バベルの塔のイメージを出したあとに、「ブロック(これ)」を「積み上げていこうとする」描写が続く。バベルの塔の時に、人間が積み上げようとしたのは、神様から貰った石とか漆喰じゃなくて、自分たちが作った新技術であるレンガやアスファルトだった。
  • 「ブロック(これ)」が現れるスピードは「産業革命の時代」から「毎年スピードアップ」している。
  • ボイジャーのゴールデンレコードと並列すべきものである。

 

ってことが主に読み取れるので、まあ「技術」だろう、と結論は一応出なくはないんだけど、戯曲上で他の部分に「技術」という単語が出てきてしまうこと、また戯曲上で、「ブロック(これ)」が「樹齢150年を越える木」(樹齢という部分は「技術」かもしれないけれど、木は流石に「技術」と結びつかない気がする…)に見立てられる部分がある(舞台の記憶がはるかかなた…)ことから、私の読み方が間違っていて「ブロック(これ)」の定義はもっとふんわりしたものなのか、そもそもそこまで考えては書いていないかのどちらかになる気がする。

 

⑤ザ・ウェルキン

シアターコクーン

 

演出の意図がずっと謎(なんとなくスタイリッシュでかっこよくはある)だったけど、大原櫻子さんは良かった。でも全体的に声が(2階後方席からだとかなり)聞こえづらい。ここまで聞こえづらいならマイク使ってほしい。

 

戯曲の邦訳も出ているので話はそっちで読んでください、という感じなんだけれど、十二人の怒れる男の18世紀女性バージョン(女性たちは家事その他にすごく追われている)って感じの話。

殺人で有罪死刑判決になったサリーが妊娠しているかどうか(妊娠していれば死刑にはならない)を、助産師のエリザベスを筆頭に12人の女性たちであれこれと話し合っていくうちにいろいろな事実が明らかになっていって…、みたいな流れに一応なっている。

 

男性中心社会における女性の生きづらさ、その中で強かに生きながらも最終的には男性的権威に責任をゆだねてしまう女性たちの姿なんかが、結構しんどい描写で表現されていて、なかなかにきつい芝居なのだけれど、たぶんその辺のことは他のきちんとした劇評でちゃんと書かれていると思うのでそっちを読んでください。まだあんまりうまく言いたいことがまとまってない感じがある。

 

問題の演出に関して3つ不可解な点があった。

 

1つ目、エリザベスの娘の動作から始まって、女性たちが宣誓をする間中鳴り響くバター搾乳器の音(戯曲に明記されている)をカットした明確な理由が見受けられないこと。

2つ目、2幕冒頭、サリーと被害者の少女が飛行機遊び(18世紀の設定なのに「飛行機遊び」をしていることが戯曲に明記されている)をする部分は、全く飛行機遊びをしていなかったこと。これも意図が謎。子役が、飛行機遊びをするには(サリー役との体格差的に)ちょっと大きかったにしても、両手を広げて「ぶーん!」と走り回るとかでも全然できただろうに。

3つ目、サリーの最後のセリフである「あっ」は、戯曲上では「彗星を見つけたことに対する『あっ』」と「エリザベスに首を絞められたことに対する『あっ』」のどちらにも取れる「あっ」なんだけれど、今回の演出では前者に限定していたこと。それにしては最後にセットの暖炉が前に迫って来て閉塞感が半端ではなくなる(天空=the Welkin感が全くない)し、そもそも客席に向かってやっているので、まるで壁に向かってやっている様に思える(窓は舞台奥にあって、最後に至るまで客席側の見えない壁にも窓があるような描写は一切ない)。

 

字幕で場面名を出す演出も説明以上の効果があったようにも思えなかったし、1幕ラストは暖炉からのススで何も見えなくなる設定なのだが、暗転はせずに何故か上から幕が下りてくる。幕を使うなら(現代演劇では)それなりの理由が必要だと思うんだけど、それも特に見当たらなくて、ただただ違和感だった。せめて下からススが舞い上がるように幕を上げる形で閉めてほしい。

 

俳優さんたちにとってもかなり難しい芝居だったと思う。途中から13人ほぼ全員出ずっぱりであり、若手は常に中堅、ベテランと比べられ続けるからたまったものではないと思う。

でも大原櫻子さんのサリーは、ちゃんと「ヤな奴」感が出て良かったと思う。

ただ吉田羊さん演じるエリザベスが、終始ヒステリックにがなっていて、あれだと完全に自分で批判している「子宮で考える女」になってるぞ…とゲンナリしながら観た。

一番ストレスなく聞き取れたのは那須佐代子さん。さすが。

あとサラ・ホリスは20年ぶりに喋ったにしては少し滑らかすぎる気もする。

クームスさんは、女性たちが評議しているなか、ずっと突っ立ている唯一の男性なんだから、もっと異様な存在感で舞台上にいて欲しかった…。最後に自分のことをからかった女性の数(12人)だけ、13人目のサリーのお腹を踏んづけるという恐怖場面があるのだから…。

 

でも、カークウッド作品のなかで、めちゃくちゃに面白いわけでもないこの作品を、テンポよく(休憩込みで2時間30分)退屈せずに観られたのは普通にすごいと思う。

 

あと全然関係ないけれど、同じ渋谷で、ちょっとしたSF思考実験的な男性の一人芝居をやっていて、かたや女性の集団による芝居で、生活していくための家事だの生きるだの死ぬだのをテーマにぐちゃぐちゃやっているの、結構現代において象徴的だな、なんて思ったりもした。

そういうのもあってやっぱり『2020(ニーゼロニーゼロ)』は、「男性はたいそうな御身分ですね」と偏見交じりに思ってしまって、どうしてもムカついて好きになれない。身体的に女性の俳優さんがやってくれてたら、なんか印象変わったような気もする。

 

⑥導かれるように間違う

彩の国さいたま芸術劇場小ホール

 

観た人なら分かると思うけど、首がちぎれるほど頑張っていたくまさんに盛大な拍手を送りたい。ぬいぐるみとおしゃべりできる派の人間からしたら大絶叫ものだった。私のリュックサックについてるくまも恐怖のあまり絶句してた。ぬいぐるみを抱えた男(成河)がこっち向くたびに私のくま、ちょっと震えてた気もする。「成河さんがくま持ってる舞台写真かわいいじゃん~」とか先輩正気か??あの人首根っこ捕まえてんだぞ??

あと成河さんのブログの写真だとすごく無造作にくまさんが置かれていたので、もうちょっと丁重に扱ってあげて欲しい。頭から箱に突っ込むとかやめてあげて欲しい。せめてケツからいってくれ。頼むから。

 

話の内容としては、記憶喪失の男(成河)が退院を言い渡されるんだけど、奇妙な患者たちに出会ううちにどんどん退院できなくなっていく…みたいな話だった。

この男が入院していた病院と言うのが、いわゆる社会的に「普通」ではない人たちを収容し治療する(ロボトミー手術を連想させる描写あり)施設らしい。退院したあとは、就労施設に「ベルトコンベア」みたいに送られ、「普通」に働けるようになって社会に復帰する、というのが一連の流れ。

それで、この記憶喪失の男というのが、実はくま型爆弾を用いて、そういう画一的な「普通」を押し付けてくる全体主義国家に対してテロを起こしたテロリストだった、ということが後半で明らかになる。最後は一緒に病院に収容されていたファンの女の子と共に無理矢理退院して幕、という形だった。

 

全体的に不満が多くある公演だった。1番の不満が、正面席からはたぶんすべてのシーンが過不足なく見えるのに、移動式の舞台美術のせいで観客席の横側に座っている人達からは完全に見えないシーンが多々あること。せっかくギリシアの野外劇場みたいな、民主的(どこからでもきれいに舞台が見える)なつくりになっている円形劇場のようなホールなのに、良さを殺してしまっている気がする。

というかせっかくダンサーをいっぱい起用しているんだし、視覚面ではもっと美しさを追求した方が良いと思う。ガレリアでやってるパパイオアヌーの展示観た後だとどうしても比べちゃうよ…。

 

もう1つの不満が、この作品、結構上演前から「不条理劇」ってことを売りにしていたと思うんだけれど、不条理劇っぽいだけで、全然不条理劇じゃなかったこと。

不条理劇の定義はいろいろあるんだろうけれど、何かしら「世界」そのものとか「人間存在そのもの」を見つめるすごく鋭い視線のもとに、信じられない程ものすごく奇妙な出来事のなかに日常に通じる何かを発見したり、ごくごく普通の日常の出来事のなかに何か吐き気を催すぐらいの驚くべき奇妙さを発見したりするのが(しかも通常は「笑い」を伴って)、不条理劇だと思っているので、その驚くべき奇妙さが全て精神病の次元、つまり日常(にすでに納得され受け入れられている奇妙さ)の次元に溶け込んでしまっているのがすごく不満だった。

もしかしたらこれは観客側の受容の問題かもしれないけれど、そもそもロボトミー手術とかトゥレット症候群とか具体的な対応物を明確に連想させてしまう段階で、もはや不条理劇的な感じは皆無というか…。

 

せっかく、言語表現を必ずしも必要としないダンスとジャンル・クロスしているんだから、もっと身体表現を信用してもいいんじゃないかと思った。

というか私は、骨折とかで入院してた成河さんが普通に心身ともに元気よく退院していこうと思ったら、病院が広すぎてどんどん迷っていくうちに、「生きるために酸素テントに入って結局身動きできない人」とか「トイレするためにいちいち看護師さんを呼ばなきゃいけない人」とか「遺体安置所の真上にある病室の上で生活する人」とか「患者のことを番号で呼びすぎて自分の名前にすら疎外感を覚えてきた受付の人」とかそういう人たちに延々と白い廊下を歩きながら出会っていって、最終的には「退院」することそれ自体もまた新たな「日常」という病院に「健康」という「病」を抱えて「入院」することなのではないか…??と不思議のアリスばりに混乱してく様子が観たかった…。誰か作ってよ、そういうの…。観たい…。

 

でも部分部分は面白いところも多かった。

例えば記憶喪失の男は、「人の真似を過剰にしてしまう」という癖を持っているんだけれど、これってそもそも「普通」に周りに合わせていく生き方でもある、っていう指摘はなるほどと思った。

あと、このテロリストが、全体主義的なものに反旗を翻したはずなのに、いつの間にか模倣犯とか「あなたのファンです!(あなたのやることなすこと全部正義です!)」タイプのファンが出てきて、「結局自分も体制側とやっていることは同じじゃないか…」となるとことかは結構グロテスクで良かった。

 

車いすと松葉杖を使って舞台全体をぐるぐる器用に動き回る様子は観ていて迫力あってすごく面白かったし、何より『タージマハルの衛兵』好きとしては「立場が入れ替わったバーブとフマだ…!」とテンション上がったりもした。

ところで、私、亀田佳明さんを去年から今年にかけて結構舞台で観ているんだけど、大体メンタルが不安定な役しかやってない…。今回も変に知識があるせいで出血量とかが半端じゃない自傷癖をもつ(しかもその自傷行為で他人を脅すヤバヤバさ)お医者さんという難儀な役で、1回でいいから「酒!金!タバコ!人生楽しいぜヒャッハー!」みたいな役演じてるのが観てみたいなあ、と思ったりもした。

あと全体的にふわっと軽いタッチでまとめている作品ではあったので、周囲に比べて身体が少し重くぎこちない亀田さんがめちゃくちゃに存在感はなっていたのは、意図的なものなのか、偶然の産物なのかは謎だった。

 

それと「スープの1滴」という表現が出てきた段階で『2020(ニーゼロニーゼロ)』の「肉の海」を思い出したのは私だけじゃないはず。

個人と全体とか共同体みたいなテーマを扱うなとは言わないけれど、いい加減その共同体の最たるものに簡単になりうる観客を、もっとこうどうにか組織し直してみようみたいな気概のある作品が観たいなあ、というのが最近の雑感。コロナじゃあ厳しいかなあ。

 

あと、そういう共同体の中の疎外感(特別感)を男性に語られてもなあ…、どっちかというと共同体の方で利益受け取ってる方じゃんね…、というのも個人的にはある。たぶんちょっとだいぶ偏見だけど。

 

タイトルの面白さに中身がついて行ってない感がどうしてもある公演だった。

 

ヒトラーを画家にする話

@シアターイース

 

全公演中止で払い戻し

知り合いが(といっても多分向こうは覚えていない)出る予定だったし、話も面白そうだったので楽しみにしてたから残念。タカハ劇団、またの機会に期待。

 

 

何とか書き終わった

だらだら書いてきたんですけど、春学期の推しはセールスマンの死でした。

7月に向かって文量が多くなるのは単に記憶の新しさの問題です。でも長ければ長いほど何かしら引っかかった舞台ということになるんで、面白かった舞台ってことに一応はなると思います。

ハリー・ポッターと呪いの子』『オブジェクト・ストーリー』と並んで次点と言う感じ。ファンのひいき目がありそうなので…。

 

それにしてもセールスマンの死観てから、本当に面白かったんだけど、いつから演劇って(特に古典とか翻訳もの)、演出意図をどれだけ綺麗に解読できるか(伝達できるか)、そしてそれをいかに解釈するか、がものすごく大事なことに(作る方も受け手側も)なっているんだろう、とちょっと空しくなっています。それなら別に映画とか小説でも似たようなことできるじゃん、と。

解釈とかが入り込む余地のないぐらい、目の前にある存在それ自体が死にそうなぐらい美しい舞台が観たいです…。ないかなそんなの…。

 

とりあえず、ちょっと休養したらあとは大学院入試のために勉強頑張ります。

観劇再開は9/16に観に行く『COLOR』から!!

特に秋学期は『建築家とアッシリア皇帝』プルカレーテが楽しみです。コロナとかで無くなったら1週間は落ち込む気がする。

(あと成河さん感染されたみたいで...。お大事に...コロナ最近本当にやばい...。)

ちょっとお休みします。

大したことないとは思うんだけど精神面のアレがナニ状態になって、個人的にいつもよりやべえ感があるのでしばらく更新しないかも(でもテンション上がってするかも)です。

とりあえず私が観ることの出来ないBSで再放送された『タージマハルの衛兵』を思い地団駄踏めるぐらいには元気です。
だからたぶんほんとに大したことはないと思います。

今年度中に感想書ききりたい!第2弾:風姿花伝プロデュースvol.8『ダウト〜疑いについての寓話』

2021/12/19
シアター風姿花伝 14:00

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第2弾は『ダウト~疑いについての寓話』

映画にもなってるし、2022年5月号の悲劇喜劇に戯曲載る(ヤッタネ!)らしいし、ネットで探せば大学の先生が書いた批評もあるらしいので、マジで感想だけまとめます。

 

ちなみに勝手に始めた企画第1弾はこれ☟

monsa-sm.hatenablog.com

 

当日席が分かる感じだったので、劇場に行ってチケット引き換えたら、最前列でテンション上がりました。

 

フリン神父(亀田佳明)の説教から始まったので

 

(えッ近ッッッ!!??てか爪長ッッッ!!??)

 

とか思ってたら爪長いのはフリン神父の設定なだけでした。ビビった……。

でも性犯罪の常習犯だったら何となく爪は短くそろえているような気もしないでもないけど……。

あと、個人的に爪が妙に長い人(楽器やってるとかネイルとかしてるなら話は別)に対して「なんかやだあ……」と思ってしまう偏見があるので、校長先生がフリン神父にイライラしてるのにすごく「ああなんか分かる……生理的に避けたいよねあのタイプ……」と謎の共感をしてしまいました。たぶんすごくどうでもいい。

 

冒頭に限らず説教シーンは客席に向かって語る構図になっているので、毎回聴衆気分(生徒気分?)で観てました!あんな先生だったらバスケも頑張ったかもしれない!!

背が高めだから意外と得意ではあったけど!!

 

 

公式と一応のあらすじ

www.fuusikaden.com

 

 

雑なあらすじ(戯曲を買おう!そうしよう!)

舞台は1964年、NYにあるカトリック学校。

厳格な校長先生のシスター・アロイシスが、上司にあたるフリン神父の進んだ考えに抵抗を感じている、というのが前提としてあって、校長先生は、同僚、というか部下のシスター・ジェームズとの話から、フリン神父が、最近入ってきた黒人の男子生徒に性的虐待を行ったのではないかという疑いを持ちます。もちろん神父はその疑いを否定するし、シスター・ジェームズなんかは神父の説明に納得したりもするんですが、校長先生は全く信じず、神父を辞めさせようとする校長先生と、校長先生を辞めさせようとする神父が舌戦を繰り広げる!みたいなのが一応山場になってます。

あとその男子生徒の母のミラー夫人とのやり取りも結構ヒリヒリしてます。

 

最終的にはフリン神父は栄転の形で学校を去る、というモヤっとした終わり方です。

やったのかやってないのかは結局よくわからない終わり方になってます。

 

観客目線的には、キュートでチャーミングでコミカル担当のシスター・ジェームズの見方に大分引っ張られる気がするので

 

どうなんだろ分からん→言われてみればやってそう?→だよね~やってないよね~(とは思いつつちょっと不信感)→たぶんやってなさそうだ!!→まじかやっぱりやってんじゃん……ってえ??結局どっち??分からん~~!!

 

となりそうです。個人的な感覚としては、フリン神父と当該の男子生徒の間には何かしらのプライベートにすべきことがあったのは事実だけど、それが性的虐待だと断言できる根拠はなにもない、というこれまたモヤっとした結論です。

私自身が、キラキラニコニコしてる先生に対して不信感を持ってしまうのも大きいとは思うんですが、最初っからフリン神父、なんかヤバめ……??てかたぶん何かしらやらかしてる……!感が全体的にあったのも肌感覚としてはありました。

 

でもたぶんこれ、そういうやったやってないのサスペンスは今回はあくまでエンタメ要素で、そこが1番の焦点じゃないんだと思います。

そもそもやったやってないに関しては戯曲上ですら解決してない……。

 

公式サイトにも

疑惑と言うものは、確信と同じくらい強力で、長続きする絆になり得るということです

っていうフリン神父の最初の説教の〆の部分がどでかく引用されてるし……。

 

役者さんたちが最高だよね、という話。

フリン神父と校長先生

いや控えめに言って最高オブ最高だったよね……。

後半にあるタイマン部分の、亀田佳明さんと那須佐代子さんの口論が迫力ないわけがないよね!

しかも最前列だしね!!みんながよく言うけどまさに「浴びた」よね!!!

 

テンションは爆上がりでした。あそこまで叫ばなくても好きかもだけど、もうすごかったのでこれでいい、これがいい(面白い演劇に飢えている人間だとこうなる気がする)。

 

シアター風姿花伝だから登場人物間の微妙な空気の揺れとかが、ハッキリ空気感として伝わってくるし、口論になった時なんて劇場の壁みたいなのがビリビリしてて、ひょええええッッ!!!となってました。

最前列なんで!!勝った!!!(何に)

 

でもあの2人の間に流れる空気感は、初っ端から一触即発☆一歩手前レベルでヤバいので、最初の方でもろに挟まれてたシスター・ジェームズの胃が心配です。

 

校長先生なんてもう、フリン神父が紅茶に砂糖をいれることにすらムカついてたからね……。校長先生は一切いれてなかった……。

甘い人厳しい人ってことの象徴っぽそうな砂糖。他にも「寓話」だからキリスト教関連で色々象徴的なこととかもあったんだろうけど、知識不足で分かんなかったです。キリスト教に慣れ親しんだ人が観たらどういう部分にそういう表現とかを見つけるのか聞いてみたい。ちなみに私は紅茶花伝のミルクティーが大好きですが甘いミルクティーなんてミルクティーじゃねえ派の友人もいます。これは単なる好みかな。

 

あと、その紅茶の場面で、校長先生がシスター・ジェームスと一緒に(どうもシスターと神父は密室で1対1になってはいけないという決まりがあるらしい)、最初にフリン神父に本題切り出す時、救急車のサイレンが外からうっすら聞こえてきてテンションがあがりました。ドキッっとする場面なので一瞬演出かと思いました。きっと大したことはないけれど一応呼んだ救急車とかだと思うんでグッジョブと素直に喜んでおきたいと思います。

 

校長先生とミラー夫人

こっちはこっちで迫力がすごい……。

ミラー夫人って1場面しか出て来なくて、戯曲で読んだ時は正直あんまり印象なかったんですけど、ミラー夫人が出てきて、ミラー夫人の価値観みたいなのが舞台上で明確になってくると、また違った方向から光が当たってくるような感じがしてめちゃくちゃ面白かったです。

たぶんそれまではどっちかというと聖職者、教育者サイド、というか、大きいくくりで言えば割と上の方の特別区域で生活しているような人たちの見方だけだった部分に、労働者とか主婦とかそういう反対側に近いような、現実ってものとの折り合いのつけ方を毎日身をもって痛感している側の、下方面からの見方が入ってくるような感覚がしました。

 

あと、衣裳!

言葉遣いも、フリン神父やシスターたちとは明らかに違っているのはもちろん、着ている服で、何となくの階級とかこれまでどんな生活だったのかとかを感じるのってすごいな、と思いました。当たり前のことと言えばそれまでなんですけど……。

 

シスター・ジェームズと校長先生

シスター・ジェームズ、愛らしい、とか純粋、っていうのがぴったりな感じでした。

結構劇全体がバチバチしていて、シリアスな感じなんですけど、コミカル担当で親近感もある感じで、上の方にも書いたけど、1番感情移入しやすい登場人物です。

 

シスター・ジェームズがフリン神父に紅茶を注いでいるまさにその瞬間に、校長先生が当該の男子生徒について切り出すんですが、その瞬間に「ありえないだろ」というぐらいあからさまに震えだしていたりして、クスクス笑ってしまいました。(あとから確認したらト書きだったという。マジか)

 

あと、この2人のやり取り、たまにコントみたいだったり、お互い信頼してないとできないようなからかい含みのコミュニケーションが見えたりする瞬間もあったので、そこもかなり好きでした。

カトリック教会のヒエラルキー構造、完全男性優位社会の構造が見えるように書かれている戯曲なので、シスター同士のつながりが感じられると不利な女性たちvs有利な男性たちの対立構造がよりはっきりして、問題としてクリアに見えてくる、というか……。

それ以外にも、性的マイノリティに対しての理解のなさとか、BLMとか、あと家庭内における暴力とか、主題となっているキリスト教会での子供への性的虐待だけでなく、いろいろな現代にあてはまりまくる問題を含んでいる戯曲なので、15年以上前の戯曲とかマジで信じられません。

現状が15年前とほぼ変わってないってことだったりしないよね??

 

校長先生(シスター・アロイシス)も、初っ端からマクゴナガル先生かなというぐらい厳格な雰囲気なんですけど、所々お茶目だったり意外な過去とかがちらちら見えて、意外と嫌いになれないキャラクター……。

というか嫌いになっちゃったらこの話、単に頑固な校長先生が気に入らない若い上司をあれこれ理由つけてやめさせようとしている話になっちゃうので、観客が校長先生のことを嫌いになった段階で失敗になってしまうとは思うんですけど……。

 

男子は、砂利と煤とタールで出来ているのです。

 

って真面目な顔でシスター・ジェームズに言い放った時の、客席の湧き具合が特にヤバかったです。那須さん最高。

 

フリン神父とシスター・ジェームズ

この2人だけのやり取り(外のベンチで座ってやり取りする部分)だけ見てると、別にフリン神父なんもしてないんじゃねえか、と思っちゃうんです。不思議。

 

たぶん、構造的に、フリン神父が、シスター・ジェームズ(観客が1番親近感を持っているであろう登場人物)を通して、観客自体を説得しにかかっている場面だからなのかな。

自分で書いててなんだけど、なにその構造。怖い。みんなあのいつもは元気でキラキラマックスなのに今日はしょんぼりしちゃってるみたいな人の好さそうな演技に騙されたらあかん。上手いから余計タチ悪いぞ!もっとやれ!!戯曲最高かよ!!

 

とは言いつつ、シスター・ジェームズを無事に説得し終わって、フリン神父もそのまますごすご落ち込んで帰れば観客も7割程度は説得しきれたんじゃないかと思うんですけど、この場面の最後、シスター・ジェームズが退場して、舞台に1人残されたときに、フリン神父がギャーギャー鳴いていたカラスに結構な声量でブチ切れてたんです。

 

えッなにこの人やっぱヤバい人なんじゃない??となってしまったという。

 

たぶんここもうちょい脱力した感じにやったり、うんざりしてる感全開でやってたら「根も葉もないことでギャーギャー言われる」のと「ギャーギャー鳴いてる烏」を重ね合わせて、ああ神父、疲れてんだろうなあ、ぐらいだったとは思うんですけど、如何せんそれまでシスター・ジェームズと比較的穏やかに話していた時とのテンションの落差がなかなかにヤバめ。精神状態の方を心配になるレベルでした。

 

おかげで、「フリン神父の説明、筋は通っているけど、なんか人としてヤバそう……」という印象は変わらず……。

やってそう→やってないかな→いやでもやっぱやってそうだな、と気持ちを乱されただけで終わりました。

私はそろそろメンタルを安定させてくれる役を演じている亀田さんが観たいです??不安になるのしか観たことないよ??

 

意外とフリン神父、演じる役者さんとか、プロダクションによって変わりそうだな、と思いました。面白いのでどんどん色んなとこで色んな人がやっているのが観たいです!!

 

あとこれはたぶん大変な数の同士の方がいると信じて書くんですが、この場面の冒頭で、フリン神父が「あれは何の鳥だろう?ムクドリ?九官鳥??」的なことを喋った時に『タージマハルの衛兵』(2019、新国立劇場小劇場)が頭をよぎった人は至急お知らせください。私、たぶん、とてもよきお友達になれると思います(⁉)

あと再放送はBS観られる方は観ましょう。というか全人類観ましょう。そして円盤化かあわよくば初演キャスト・スタッフでの再演に向けて働きかけよう。そうしよう。

 

ラストが1番好きだった

最終的に、校長先生が「前にいた教会のシスターに聞いたらあなたには前歴があった」という内容のことを言うので、観客としては「もうこれフリン神父、アウトじゃね!?」みたいな感じにになるんですけれど、最後、フリン神父が栄転して出て行った後に、シスター・ジェームズとの場面で、それは校長先生によるフリン神父の反応を見るためのカマかけだったことが分かるんです。

観客としても「じゃあフリン神父があの時動揺したのは『そんなことまでしたのかこの人は!(そこまで疑われていたのか自分は!)』的な場合もあったということか……」となって、本当に、やったのかやってないのかについては真面目に分からないという……。

 

結果として退職願を出したんだから、私の考えは間違っていなかった、と校長先生はシスター・ジェームズに言うんですけれど、その後に「疑い」を感じる、と小さく漏らし(それを聞いたシスター・ジェームズは校長先生にそっと寄り添う)、白いハンカチに墨汁を垂らしたようにジワッと溶暗……。

いやこの時の照明の表現力な。劇中通して浮かび上がってきたり、自然光っぽかったりするときの照明えぐいぐらい綺麗だったけど……とか思っていたら照明の松本大介さん、読売演劇大賞受賞されてる~~!!ですよね!!

 

心のなかに疑いがジワッと、変化の前の不安として広がっていく感じがして、ここが1番好きでした。

 

自分の信念や正義に対して疑いを持つこと、そういうものに厳密な意味での絶対はあり得ないということ(もちろん広く人々の間に浸透していて、かつ求められるべき・求められなけらばならない正義はあるけれど)、そのような疑いをもつことはすごく不安で心細いこと、のような、たぶんこの作品の1番の核みたいな部分が、確信をもって突き進んできた校長先生のこの最後の弱弱しいつぶやき(自分の信じていたことに対する疑い)に凝縮されている感じがして(照明とシスター・ジェームズの寄り添いで、その不安や心細さが強調されて)、白黒はっきりつけたいし、相手のことを論破したいパーソンがいっぱいいる現代に対して、とんでもない切れ味の批評だなあ、と感動しました。

感動してちゃいけない気もするけど……。

 

あなたが確実だと感じていても、それは感情であって、事実ではないのです。

 

ってフリン神父の校長先生へのセリフがあるんですけれど、まさにこれ、という感じでした。

 

ただまあ行動しなきゃいけない時はあるし、というか今回の場合は、何故当該の男子生徒に「話したいことがあれば話して欲しいし、話したくないことは話さなくてもいい。ただあなたが今、もしも何かしらに辛い、おかしいと感じているのならならそれは恥ずかしいことではないし、私たちはあなたを守ることが1番の仕事なんだから、何があってもあなたの味方でいるし、守る用意はある」と、真っ先に話を聞かないんだ、という感じはありますけどね……。

 

なぜか劇中で一切出てこない生徒……。授業から抜け出すために自力で鼻血出すような生徒がいる学年なら、そのくらいのことは話せば通じるんじゃないか、と思うのは楽観的すぎますかね……。

というかまずはその生徒を家庭内暴力から救ってあげてくれよ……。

 

みんな悲劇喜劇買おうね!!(結局そこ)

フリン神父が非常にキラキラうさんくさい(さっきマクゴナガル先生出したけど、フリン神父のうさんくささはロックハート先生とルーピン先生を3対7で混ぜた感じのうさんくささ=とにかくなんか裏にありそう)のはおいといて、説教の内容は結構身近に当てはまることとかあって、「え、こういう説教ならもっと聞きたいような……(だがしかしうさんくさい)」って感じで面白かったです。

 

それにしてもタージマハル案件(『タージマハルの衛兵』の初演の演出、翻訳、出演者の4人うち2人以上関わっていると勝手にそう呼ぶことにしている。勝手に。)にハズレなし説が濃厚になってきました。

 

『アンチポデス』はもちろんとったよ!

でもB席とったしばらくあとに、新国立劇場からA席はU25なら半額だよ!お得だよ!!今度の日曜に売るね!!ってメール来て、スマホなのに逆パカしそうになりました!!

 

すっごい楽しみです!!(やけくそ)