感想日記

演劇とかの感想を感情的に書きなぐってます。あくまでも「感想」だし、ネタバレしまくりなのでぜひ気を付けてください。

『ポルノグラフィ』Pornography

2021/04/18

KAAT 神奈川芸術劇場 中スタジオ

f:id:monsa_sm:20210418222419p:plain

(ポスターがかっけえ…)

 

 

 しばらく新年度でバタバタしてました。

今年度1発目の生の舞台は『ポルノグラフィ』KAATです!!

 

f:id:monsa_sm:20210418222334p:plain

(KAATの表が、なんかかっこよく変わってました…!)

 

前日は天気悪くてどうなるかと思ってたんですが、この日は普通に晴れてたので良かったです。風は超強かったけどね…。

  

他に書きたいこともっといっぱいあったような気がするけど、思い出せないので感想書こうと思います。題材が題材なので、いつもよりは真面目かつローテンションでいこうと思います。

 

 

 

あらすじとか 

演出家・桐山知也がKAATプロデュース公演に初登場 ロンドンで起きた地下鉄とバス同時爆破事件に想を得た意欲作 リーディング公演『ポルノグラフィ』の上演が決定 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス (eplus.jp)

 

ざっと調べたら上記サイトに色々詳しく載ってました。以下上記サイトからの一部引用です。 

【物語】

家庭と仕事の両立をこなす女性、先生につきまとう男子生徒、近親相姦にふける兄妹、教え子を誘惑する大学教授、夫を失った孤独な老婦人、さらに爆破事件の実行犯。 登場人物の多くは事件に直接関わりは無いが、誰もがそれぞれに不満を抱き、鬱屈とした日々を過ごしている。各々が一歩を踏み出すことにより歪む世界…。そんな彼らの生活を通して見えてくるロンドン同時爆破事件とは…。黄色い線の内側とはどこなのか…。

 

【ロンドン同時爆破事件】

ロンドンオリンピックパラリンピック開催決定の翌日の2005年7月7日、午前8時50分ごろに地下鉄の3カ所が爆破。また、同9時47分ごろにブルームズベリーに位置するタビストック・スクエアを走るダブル・デッカー・バスが爆発した。死者は計52人(そのほか、実行犯4人も死亡)。全員がイギリス在住者で、うち32人が英国籍保持者。それ以外に20近い国籍の人たちが犠牲となった。

 

 公演の様子はこんな感じです。KAATの公式Twitterから。

 

f:id:monsa_sm:20210418225018p:plain

 

ほんとにリーディングって感じで、譜面台を使ってました。懐かしい…(元吹奏楽部)

 

あ、あと引用部では、

家庭と仕事の両立をこなす女性、先生につきまとう男子生徒、近親相姦にふける兄妹、教え子を誘惑する大学教授、夫を失った孤独な老婦人、さらに爆破事件の実行犯。

 になってるけど、順番としては、

 

①家庭と仕事の両立をこなす女性
②先生につきまとう男子生徒

③近親相姦にふける兄妹
④教え子を誘惑する大学教授
⑤互爆破事件の実行犯
⑥犠牲者52人(実行犯4人は抜かれてた?)についてのごく簡単な一言レポート

(後ろのスクリーンに投影。パンフレットにテキスト挟んであった)
⑦夫を失った孤独な老婦人

打つのめんどくさいので以下上記の番号使います。

 

で、それぞれ自分のある期間(爆破事件前後)のことについて事細かに語る、って感じでした。⑥だけちょっと異質といえば異質かな。

 

戯曲の指示として、それぞれのエピソードがどの順番でもいいし、俳優さん何人でやってもいいよ、って指示なので、元の戯曲の順番とは違うのかもしれないです…。元の戯曲読んでないけど…( ゚Д゚)

 

パンフレットとかにも書いてあるけど、コロナによる隔離生活、オリンピックの話題などなど、なんか重なるところが多い感じの印象を勝手に持ちました。

 

感想

観終わってすぐ

さっきも書いたし、毎度のことなんですが戯曲読んでないです。(開き直り)

でも冒頭の原文だけは授業で見たことあって知っているという謎現象。

 

What you need to do is stand well clear of the yellow line.

 

Images of hell.

They are silent. 

 

なんかこんな感じになってました。

 

「黄色い線の内側に下がっていなければ。」

地獄のようなイメージ。彼らは黙っている。

 

公演のセリフではこうなってた…気がする…。

正直、英語があんまり出来るほうじゃないので、翻訳の良し悪しとか厳密にはよく分からないんですが、小田島創志さんの訳はなんか素人目でもすごく素敵なのだけは分かります。『タージマハルの衛兵』とかも、日本の戯曲だっけこれ?と思うくらいすごかったので(購入した)、そこからもう無条件で素敵だと思っています(笑)。めっちゃすんなりくる日本語だと思ってます。

 

で、観終わった率直な感想としては

(感想ですよ。あくまで1回観ただけの!!昨年度、先生に「間違った『解釈』や『感想』もある」って言われて戦々恐々としている今日この頃です。)

 

「あ~最初のこの部分が1番強い部分なんだな~」 

 

って感じでした。どういうことだ。

 

自分の脳内の整理もかねて、順番に考えてみたいなー、と思ってます。

まあぶっちゃけると、さっき引用した【物語】の部分に、全部書いてあるような気もしなくはないけど…。うん…。

とりあえずうろ覚えの記憶で頑張る。誰か応援して。

 

黄色い線①ー「黄色い線」って?ー

セリフの中にも何回か出てきます。

演出でも、写真見れば分かると思うんですが、めっちゃ使われてます。

最初、開幕してすぐに

 

「黄色い線の内側に下がっていなければ。」

 

ってセリフが読まれたときは、客席と舞台の間に引かれた黄色い線がぼわって発光して、「かっこいい!」と思ったんですが、やっぱり明らかに黄色い線はなんか重要みたいです。

あと、エピソードごとに、毎回ではなかったような気がするんですけれど、だいだい、例えば①の話が終わると暗転しつつ強烈な光(記者会見のカメラのフラッシュみたいな光)が光ってほぼ真っ暗になって、②のために徐々に明転していく、って感じになっていたんですが、その明転した後には、さっきまでなかったはずなのに、まるで俳優さん同士を分断するみたいに、黄色いテープが舞台空間に現れる(増えていく)…てな感じでした。

(俳優さん俳優さん連呼してるのはリーディング公演だからです。登場人物じゃないし。たぶんだけど。)

 

「じゃあなんだよこの黄色い線!?」ってなりますよね。私はなりました。でもよく見たら答え書いてた。やだもううっかりさん★(対面授業始まったとはいえ友達出来なくて私も孤独感でいっぱいなんですですバカやってないとやってらんない)

 

登場人物の多くは事件に直接関わりは無いが、誰もがそれぞれに不満を抱き、鬱屈とした日々を過ごしている。

各々が一歩を踏み出すことにより歪む世界…。(中略)

 黄色い線の内側とはどこなのか…。

 

「下がっていなければ」いけない「黄色い線」を「一歩踏み出す」と「世界」が「歪む」ので、まあすごい単純にとらえると、「黄色い線の内側」って「別になんてことない安全な日常」って感じの捉え方でいいんじゃないかな、と思いました。

「変化に乏しい毎日」「死にたくなるぐらい退屈な日々」とかまあネガティブに書けばそんな感じですか。三島由紀夫あたりは地獄とか言い出しそうなアレです(笑)。

 

じゃあ「黄色い線」そのものはなんなんだよ、って感じですよね。

これもやっぱりパンフレットの解説(ライターの村上祥子さん)みたいなとこに書いてて

 

「ポルノグラフィ」に登場する人々の多くは、(中略)異様とも言える部分を内に秘めつつも淡々と暮らしている。 

 

どういうことかっていうと

 

会社の機密情報を漏らしたい衝動のようなものを持つ、共働きでかわいい子持ちの女性。

②先生のストーカーで、その思いを拒絶されるとほぼ殺意さえ見えるような暴言を吐きまくる、でもなんとなく学校では冴えない感じの、少年漫画とか厨二病とかなんとなく思い出させるような少年。そんなに裕福ではなさそう。移民に対するヘイトがすごい。

古代よりずっと人間としてタブーな、近親相姦に至る兄妹。

元教え子に肉体関係を迫る大学教授。パワハラでもセクハラでも訴えたらたぶん勝てるやつ。

無差別爆破の実行犯の1人。妻も子供もいる。(これはガチの事実)

⑥は特殊なのでとばして

⑦夫に先立たれてはいるけれど、キチンんと生活している83歳の女性。爆破事件後、交通マヒしたから歩いて帰る途中、おいしそうなチキンの匂いがするからって、何故か分けてもらおうと、全然知らない人の家の門を叩く

 

まあこんな感じでした。ややうろ覚えなんですけど…。

なんとなく色分けして示したけれど、要は「黄色い線」ってその色分けの境界ですよね。たぶん。

 

すっごく乱暴に書くと

 

普通に、常識的に、社会的に、法律的にやっていいこと、つまり安全なこと

異様で、非常識的、反社会的、法律違反的で駄目なこと、つまり危険をはらむこと

 

の境界線というか…。うーん、こうなると上手く言えない…。

危険の度合いもそれぞれ違うのでムズイです。でもなんとなくこんな印象。

 

まあ一気に、ぐるぐる考えた末の1つのまとめに飛ぶと、その「普通」「常識」「社会」「安全」とかが、ロンドンではものすごく不健康な形になっていて、そのことへの反応がもっとも極端に出現した形として、あの爆破テロ事件を捉えたって感じですかね…。

(②の少年なんかはオリンピックで一見街中が浮かれているような中で、「ロンドンは死んだやつの匂いがする」とはっきり言ってたりもします。)

 

だからこの劇では、あのテロ事件に関しては、他の異様さと同じレベルで扱われていました。軽く話題にのぼる程度で、⑤の実行犯と思しき人に至っても、テロ実行場所への移動を描きだして、それで終わりなんです。

別に実行の瞬間とかについては描いていない。むしろこの劇だけ観ると、誰かが実行したことは確かなんだけど、⑤の男が本当に実行したのか、と聞かれると「たぶん?状況的に見てそうだよね??」としか答えられないレベルです。そのぐらい爆破事件の具体的なことは描かれていない。

実際によく分かっていないことも多いというのもあるかもしれないんですが…。

(このあたりのことはWikipedia見ただけでも錯綜してるのがよく分かります。)

 

とりあえずここまで考えて、残りの考えるとっかかりというかポイントとしては2個ぐらいかな…。たぶん。

 

 

何でそんなに不健康になってんのか、ということと、

その状況がどうして人々に「黄色い線」を超えさせるのか

(あるいは少なくとも、踏ませるか、ちょっと超えさせてまた内側に戻ってくるってことをさせるに至ってんのか)

ってとこですよね…。

 

黄色い線②ー「不健康」の理由の1つー

これは私、別にロンドンの社会状況とか詳しくないので、あくまで作品や演出から受けた印象でしか言えないんですけど、孤独ってことはデカいと思います。

 

実際に、セリフとかあげると、

 

①「私は1人きり、オフィスで1人きりだ。」

②台詞は覚えていないけれど、学校でも家でもあまり気にかけてもらっている様子がない。散々現状に対する不満とか暴言を独白的に吐き散らしたあと、観客に向かって、「冗談を言っているように聞こえるか。これが冗談だって。」と吐き捨てる。自分のいうことは本気にされない傾向がある、という自覚がない限り、こんなセリフはでてこないんじゃないかな、と思った。話をしっかり聞いてもらえない、だから人の話もしっかり聞けない。だから孤独。

③これはちょっと上手く指摘できないせい、台詞も覚えていないけれど、近親相姦的な感情って、タブーだってこと当人たちが誰よりも強く思っているだろうから、それだけで社会から浮いてしまっている感覚があるんじゃないかなあ。

④「私は1人きりだった。」

⑤「(駅員とかは)私を見ようともしない。私から目をそらしている。

⑥はちょっと特殊。でもそれまでの俳優さんのそれぞれのエピソードごとの人物像の立ちあげ方が凄すぎたので、ここに出で来る52人が(本当かどうかはおいておくとしても)「ほんとにこういう1人の人たちが生きて、死んでいった」ことを「全く知らなかった」ことに対するショックはでかい。

⑦「私には分からない。全く理解できない。でも私には関係ない。

誰も、そのこと(爆破のせいで地下鉄が止まってること)を私に知らせてくれなかった。

 

ざっと、こんなかな。相も変わらずうろ覚えですが。

面白いのが、こういう直接関りがない人々…演出でも、分断するように俳優さんたちを区切っていくので、関りがないのは明らかなんですが、でもニアミスはしてる感じなんですよね。

①の人が③の人に会ったり(③の兄が道端で腕立て伏せをしていた)、①と②の人がほぼ同じセリフ(「笑っている?それとも泣いてる?」)を言ったりとか、⑦の人が④らしき人を見かけたのかもしれない、とか、いろんなとこで同じTV番組について言及されるし、出てくるコーヒーはどの人喋っていてもブルーマウンテンだし…。なによりみんなオリンピックについて、多かれ少なかれ関心持ってるし。

 

少なくとも、なにかしら、同じ「場」を共有する人々ではあるんだろうな、というか。

(それぞれのエピソードの中で、毎回1つの動作だけ、その時リーディングしていない俳優さん含め、全員微妙に違うけど、同種の動きで表現するのもそういう、何かしらの共有ってことを示唆してんのかな、と考えたり)

 

そしてなによりも、やっぱり、オリンピック(=お祭り)で、まあなんとなく、その「場」に属するのなら、浮かれていてもいいはずなのに、10にも満たない超個別的な具体例とはいえ、様々の年齢の様々の階級の人が、みんな通奏低音のように、何かしら孤独を抱えている、って、相当ヤバいと思います。

だって、そうってことは、その「場」…まあ社会でいっか。社会全体的にそうってことでしょ??ヤバくね??オリンピック頑張る前にもっと解決すべきことあるんじゃねえか英国のお偉いさn(完全にブーメラン)

 

 

… 通奏低音とか、普段使わないようなカッコいい言葉使ったのは衒学とかじゃないからね!?あえてです!!

というのも、ずっと電子音…あの、家電とかアンプとかそういうのが、かすかに、でもずっとたてる低い音あるじゃないですか…なんかあの手の音がずっとなっていたんですよね。公演中に。たぶん意図的だと思うんですけど。

 

要は、孤独・それに伴う不安、閉塞感が、一見、都会で、開発も進んでて、オリンピックも決まってて、なんか良さげに見えちゃう街全体・社会全体にある、ってことかな、と。

 

こういうのって、これだけでも結構不健康だと思うんですよね。

しかもたぶんロンドンに限った話じゃねえのが怖い。

 

黄色い線③ー「超えてしまう」ことー

ところでここまで根気強く読んでいただいている暇な貴方。(そもそもいるのか?)

「いつものテンションどうした?」ってなってますよね??

 

私もなってます。なんでこんなに真面目になった。

そしてここから、さらに真面目になるよ…。

 

…一応ね…真面目に考えようと思えばできるんだよ…大学生だからね…伊達にレポートA+もらってねえぜ…(やや死にかけてる)

 

あっ嘘ですすんません調子乗りました大学生ごときのレポート、見た目と形式さえ整ってりゃ少なくとも、Aぐらいはきますよね…(落ち込んできた)

 

 

気を取り直して、じゃあ、「孤独」がどうして「黄色い線」を超える・踏むに至るのかってことか。次は。

 

ここで登場!!ハンナ・アレントの『人間の条件』ちくま学芸文庫、87-88p)!!

 

「私的」という語が、「奪われている」(deprived)というそのもともとの意味合いにおいて重要になるのは、公共的領域の多元的な意義についてである。完全に私的な生活を生きるということは、何よりもまず、真に人間的な生を生きるうえで本質的な事柄が奪われていることを意味する。つまり、他者によって見られ、聞かれるという経験……から生まれるリアリティを奪われていることを意味する。私的な生から奪われているのは、他者の存在である。他者の視点からすれば、私的な生を生きる人は現われず、それゆえあたかも存在しないかのようである。

 

…くっっそ、ムズイでしょ??!?私もまだ全部は理解できた気がしません。

 

でもなんとなく

 

「他者との関りや外部からの刺激がないと、存在していないようなもんだぜ」

 

って言っているのかな、と捉えています。構造主義とかにもあったような気がしなくもないけどこんな考え方…あれ??

 

まあそれは置いといて、コロナ化を通じて、感覚的にだけど何となく分かるような気もします。部屋に1人でいると、身体が部屋に溶けていきそうになるよね…。

 

話戻すと、この劇に出てくる人は、大体家族とか友人とか孫とか、そういう人はいるっぽいので、完全に「存在しない」レベルの絶望感ではないとは思うんです。

 

でも、なんかどっか孤独。

通奏低音的なので、理由は言葉に表せるほどには、はっきりとは特定されていないし、私も知識無くて分からないんですけれど、少なくとも「生きていると自信を持って言い切れる確かな実感に乏しい」「ちょっと死んでる」状態をどっかしら感じているんじゃないかな、と。

 

印象的なセリフが⑦にあるんです。

 

「私は、私が死なないだろう、と思っている。私は生きて、生き続ける。」

 

これちょっと妙なセリフですよね。公演観た時も、83歳の女性が言うには妙なセリフだなあ、と思ったんです。

 

でもまあ、他者との関りの中で存在している・生きてる実感がないのなら、死ぬこともないから(だって死ぬためには生きて存在していないといけないから)、感覚としてそういう台詞が出てきても不思議じゃないなあ、とも思ったりもしました。

 

「私は生きて、生き続ける」っていうのは、決して前向きなニュアンスでは無かった気がします。読んでいるの聞いている感じだと。

 

たぶん「死んでいる」の反対は、言葉としてつかめる範囲だと「生きている・存在する」しかないから、こういう表現になったんだと思います。

 

生きていないから死ねない死ねないなら生き続ける(存在する)しかない。

 

これはマジでしんどいと思います。自分が生きてることを否定する意識のまま「そこにいる」わけですから。

(そうやって考えると、全員ほとんど椅子から1歩も動かなかったのも意味深に観えてきます…リーディング公演だから当たり前と言えば当たり前だけど…)

 

じゃあ、そっから回復しようとするとすると、なんかもう起爆剤みたいなのが必要なのは感覚として分かるなあ、と思いました。それも自分に着ける起爆剤

 

比較的安定して安全な自分の「普通」の日常の中で、抜き差しならないレベルまで孤独のレベルが、つまり「生きている」ことに対しての否定の意識のレベルがあがってきちゃっているので、そこから抜け出すには、なにか「普通の自分じゃやらないこと」をしなくちゃいけない。

言い換えると、「普通の自分」にストレスをかけて、「普通」から見たら「危険」なことをしなくちゃいけない。一線を越えなくちゃいけない。あるいは超えることを想像して、その輪郭を実感して、自分の存在を実感する、というか。

(おっきな声では書けないけど、自傷行為とかもそれに近い場合もあるのかもしれない)

 

 

ぐだぐだ書いてみたけど、要は日常で孤独を感じて辛いなら日常を否定してみなきゃいけない、ってことです。日常を変える、という段階を挟まないのはちょっと不思議な気もするけれど、変える否定って意識の差なだけな気が個人的にします。

実は無差別大量殺人の動機が自己否定にあるんじゃないか、っていうのは結構色んなとこで言われているみたいですが、こういうことなのかな、と思いました。

だからと言って、実際にこういう行為は断固駄目だと思いますが…。

 

そんなこんななことを考えたあとで、⑤の実行犯と思しき男が、駅のホームを眺めて

 

「ホームに描かれた黄色い線が台無しにしてしまっている」

 

って言うこのセリフを見ると、人々の関りとか、普通とか異常とか、線を引いて簡単に分けちゃいけないことを、「ここから先は駄目です」っていきなりズバッと分けちゃったことに対して、またそこから生み出された都市の病みたいな孤独感を象徴するものとして見つめた時の、軽蔑の言葉なのかな、とも考えたりしました。

 

黄色い線④ー越えた人は?ー

 

①の人は、結局、情報漏洩したのかよく分からない。

②も、言葉では暴言吐きまくるけど、それだけ。

③は、いったんは近親相姦関係になるけど、その後別れる。

④は、断られて終わる。

⑤は、おそらく実行してしまった。

⑦も、食べ物をもらってしまった。

 

じゃあ、一線を越えたのかどうか、ってことなんですけど、超えた後に戻った人もいるのでちょっと判断が難しいです。

明らかなのは⑤と⑦。

 

かなり恐ろしいことなんですが、⑤の最後らへんのセリフに

 

「いままで感じたことのないぐらいすがすがしい気持ちだ(的な内容)」

 

って喋るんです。

別に犯罪を肯定するつもりとか全くないんですけど、結果的に、この人はこの瞬間明らかに生き生きしていたと思います。

 

それと全く逆のベクトルが83歳の女性の話。

この人、夫の死後、めっちゃ孤独に生活していたらしいんですが、テロ事件その日、地下鉄ストップして長距離を歩いて帰らなきゃいけなくなったんです。

で、途中でBBQ的にいい匂いがしてきた。どうやらチキンらしい。

その匂いにつれられて、全く知らない人の玄関に突撃して、なんかめっちゃ気まずい空気が女性と住人との間には流れるんですけれど、まあお肉分けてくれるんですよ。いいやつだな住人。

これもある意味、女性は非日常的な危険をおかしたわけです。だから一線を越えたことになる。

 

それで、女性は、住人と別れて、1人になったあと泣きながら「おいしい」って食べるんですよね。まるで生まれて初めておいしいものを食べたみたいに。

 

めっちゃいい話…。超感動です。だって、他人と関わって、ぬくもりに触れて、生きてるって実感したってことでしょ??

 

しかも、「チキンの匂いがする」って女性が言った時、劇場内にほんとにチキンの匂いが立ち込めるんです。

 

これはほんとにすごかったです。

今まで5人それぞれのかなり具体的かつ叙事的な語りを、普通だったら聞くことができない細かい部分まで、薄暗い空間でじっと耳を傾けて聞いてきて、それぞれの登場人物たちの内側へ、また同時に、語られることをもとに情景をイメージする観客自身の内側へ、と、どんどん意識が集中されていって、最終的に感覚器官の1つを共有するわけですから!!

一瞬、遂に私は共感覚を手に入れたのか、想像力で匂いまでわかるようになったのか??と焦ったので、これは本当に最高な演出だと思いました。

 

もう女性に共感しまくりです。せざるを得ないでしょこんなの。

一線を越えるのにも、こんなポジティブな方向になることもあるんだ…。

 

どん詰まりかと思ったら、希望あるやん…。

絶対に越えてはいけない「黄色い線」はあるけど、こういう「黄色い線」を徐々に超えていって、なんか、少しでもあったかく生きられたらめっちゃええやん…。

 

とか思ってましたよ。ええ。

 

これは希望があるのかないのか

いや、最後にね、女性が立ったまま、もくもくと、でも泣きながら、チキンを食べてるんですが、突然上手側の窓を覆っているカーテンがあがるんですよ。シャッターみたいに。

 

で、良く晴れた日だったので、日光が入りこんできました。

 

ちょっと脱線するんですが、こういう、最後に劇場の壁を取っ払うっていう演出、大体は、劇空間を現実世界まで侵食させる試みのことがほとんどだと思ってます。

『真情あふるる軽薄さ』とか唐十郎のテント芝居とかで、片手程度しか観たことはないんですが…。

でも最低条件として、舞台・劇場内と、劇場外の現実世界が地続きっていうのが基本だと思います。感覚的にですが。

 

でもKAATの中ホールって3階ぐらいにあるので、そもそも地面が見えず、その劇空間が現実世界にまで滲みだして溶けていって、その境界があいまいになった感じがあんまりしない。もしそうしたいのなら観客席と舞台の間に1本ある黄色いテープを取っ払ったほうがまだ効果的な気がします。

 

で、じゃあどんな感じに思ったかというと、

 

「ああそっかこれお芝居だったわ」

 

こう思いました。

 

でも、その一瞬前まで、めっちゃ女性に共感してたんです。

「ああ、こういう風に、生きてる・関わっているって感じられるっていいなあ」なんて、柄にもなく素敵なこと考えてたんです。

 

でもそういうことが「全部お芝居だった」。

 

ちょっと表現するのが難しいんですが、

  • 私は劇場に来なければこの人たちの声を、話を聞くことがなかった
  • ブラックボックスのように真っ暗で緊密な状況を作ってもらわなかったら、たぶんここまで共感も感動もしていなかった

 

っていうのがあって、つまりこれは特殊な状況下、非日常下で起こる感動であった、ってことが凄く意識されたんです。

 

で、そういえば考えてみればこのチキンを食べてる女性は

  • 前代未聞のテロ事件が起きたから、歩いて帰って、それでチキンを食べてる。
  • つまり、特殊な状況下、いってみればテロ事件が起きた付近はある種非日常化、劇場化していたのかも??その中で女性は泣くほどの実感をもって気持ちが動いた??

 

てなってきちゃって…。

 

実際に、日光で照らされながら(「普通」の現実の視点を取り戻して見ると)突っ立ったままチキンを食べてるの、結構シュールでした。

 

そして、下側から、俳優さんたちの足元から光が帯みたいに入り込むので、それがまた余計に、黄色いテープではないけど、分断している様に見えて…。

 

あの感動は一時的な特殊なものだったのかもしれない、あの女性の泣くほどの強い情動も、またこういう風に「普通」の日常の中で薄れていくのかもしれなくない…??って考えてたら、最後にダメ押しで

 

地獄のようなイメージ。彼らは黙っている。

 

で終わったんです。確か。

 

これ…劇場とか、テロ事件後とか、そういう特殊な状況では、観客は声を聞くことができるし、他の人とのか関わり合いのなかから生きていることも実感するけど、一端それが終わると、また地獄のみたいな、生きながら死んでるみたいな、しんどすぎる各々の「普通」の日常が再開されて、その中では「存在しているけれど、自分たちの声を聞いて貰える程までは生きていない」から「黙っている」の???とか、考えて大分絶望しました。

え…救い、どこいったん…??

 

夜公演だとまた違った雰囲気だったかもしれないです。外も暗いので。その中にともる街頭とかが、日常に埋もれている「生きている実感」の象徴とかに見えて、女性の感覚とも重なって、希望があったかもしれない…。

 

少なくとも昼公演はマジ絶望の塊でした…ごめん三島由紀夫大先生馬鹿にして…この世は地獄だったよ…。

ただひたすらにしんどかったです。でもこういうの嫌いじゃない(ドM)

 

そういえばリーディング公演って初めて観ました

どれがセリフで、どれがト書きかわかんない戯曲っぽいのもあってか、なんかすごくハマってる感じがしました。

あと肉体的な俳優さん同士の触れ合いもないしで、より「孤独」が強く出てた気がします…。

英語原文の冒頭だけ持っているんですけど、読んでも正直チンプンカンプンなので、こんなに登場人物像を立ち上がらせるって俳優さんすごすぎでしょ!!?とかびっくりしてました。あと演出もスタイリッシュでかっけえ。

 

今年度初めての生舞台、いいのからスタートできた気がします。

こっちに戯曲の言葉を考える余裕もくれるリーディング公演、ハマりそうです(笑)。

 

そしてクソ真面目に考えながら書いてたらえぐい字数になりました(1万字超)

レポートより長え…。

正直かなり疲れました。もはや何のために書いているのか…(1年後ぐらいに思い出すためです。いいの観たなあって悦に入るためです←)

 

かなり繊細な内容扱っている劇だと思ったから一応テンションは頑張って抑えました。抑えられてない気がするけど。

(なにか不快な内容書いてあったりしたらすみません。頭おかしい奴が書いた感想だと思って流してください。)

 

タイトルの意味は最後まで分かりませんでした。発展して豊かそうな都市の服1枚脱がしてみれば、こんな血のにじむような痛ましい肉体=現状があるってことなんでしょうか…。「痛みとは肉体」なんですよね教科書でやったぞ…(頭はたらいていない)。

 

今週末にはパンドラの鐘観に行くのでもういいや。誤字脱字もそんなにないことを願ってアップします。ここまで読んでいただいた方、もしいれば、なんかもうお疲れ様でした…(o*。_。)oペコッ

『白いウサギ、赤いウサギ』(11:00~の回)

2021/03/13

Zoomで!

f:id:monsa_sm:20210317085432p:plain

 

 

「注意 この作品を一度でもご覧になった方は、今後一切本作品を演じることはできません。」

 

…????なんだこれ????

 

と、思って観てみました。演じる予定は、当然ながら全く無いので大丈夫。

 

このブログ読んでる方も(あんまりいないので大丈夫だとは思うんですが)、不味い!と思ったらここで閉じた方が良いかもです。

ネタバレは極力しないように、今回ばかりは気を付けるつもりですが、常時、自分用のネタバレ記事しか書いてないので、うっかりやらかさないとも限らない…。

( ゚Д゚)…反転を使えばセーフ…???どうなんだろう...。

 

 

【以下、極力気を付けながらの感想】

 

その場で、ポンっと俳優さんに台本を渡して、初見でやってもらうっていう、面白いんだか鬼畜なんだかよく分かんない作品でした。

しかも、観客も何人か、劇の進行をお手伝いしないと、話が進んでいかないタイプのやつです。わあお。

 

本当は全部観てみたかったんですが、時間が許さなかったので、11:00~の小林勝也さんの回だけ視聴しました。

世界各国で同日に同作品を上演する、みたいなプロジェクトだったようなんですが、たぶんこの小林勝也さんの回が、トップバッターだったらしいです。

 

 

率直な感想としては

「面白いけど、なんだろうこれ???」

 

 

あの、今帰省してて、手元になんにも本とか教科書とかないんで、自分の中でもモヤッとしてて、モヤッとしか書けないんですが、

 

俳優は劇作家の代弁者、とか、下手すると奴隷

 

…えっと…ほら…なんかそういう構図とか…考え方…あるじゃないですか…(???)

寺山修司あたりが「それまじ、はあ??って感じじゃね??」みたいな感じのことを、もっとちゃんとした言葉で言ってたやつ…。

 

いや実際、台詞のアドリブとかでもない限り、俳優さんが喋ったり語ったり(あとは詠んだり?)するのって、全部作者が書いた言葉なのは、めっちゃ当たり前のことなんですけど、大体、劇観てる時って、そういうの忘れるようになってるじゃないですか…。

 

なんかこの『白いウサギ、赤いウサギ』は、絶えずそのことを意識せざるを得ない感じになってるというか…。

 

 

めちゃ簡単な図にすると

 

セリフ中の「わたし」作者ある時・ある場所

「その人自身でもない」俳優(台本の言葉のスピーカーとして、ある時・ある場所から今・ここへの媒体?)

観客今・ここ

※矢印が双方向なのは、俳優さんも戯曲の言葉(指示)に答えたり、拒否したりできる余地が残されてるな、と思ったからです。観客も、たぶん。あとなんか渡辺えりさんの回は、Twitter見た限りだと、台本にキレて抗議しだしたらしい。まじか。観てみたかったです。あと、視聴した小林勝也さんの回は、あんまり台本とやり取りはされてませんでした。そのまま指示に従いつつ、読む、って感じでした。

 

 

…なんか改めて見ると違うかな…よく分からん…。でも今のところ、私の中で言語化できるギリがこれなので、ここで諦めます。

でも、とにかく、普通の演劇観てる時には、あんまり意識しないな、って感じの構造が、個人的に、「常に」(ここがやばい!)透けて見えてるな、と感じたので、奇妙な感じがしました。

透けて見える割には、それぞれが分断されているというより、連続して繋がっているので、過去なのか今なのか、嘘なのか本当なのか、とか、そういう判断がスパッとできないような時空間、演劇の普通のお約束事を疑うように仕組まれていたのも、ラストに関わってくるのかなあ…??

 

しかもほら…俳優さんの普段なら絶対見られない、たどたどしく読む感じ(初見だからね?!にしてもすごいよね??!)が、「読んでいる」じゃなくて「読まされている」感がすごくて、一歩間違えると、笑えるけど痛々しいみたいな感じになりそうな雰囲気がなかなかに、座りが悪い、というか…。

 

集団で、俳優さんを、いじめてるまではいかないにしても、いじってる、みたいな…。

(実際に、他の動物の真似をしてる動物の真似を俳優さんに無茶ぶりでさせて、観客が満足するまでやらせる、みたいな、なかなかのシーンがあったので…)

 

あと、画面越しのやり取りの独特の間とか、接続が悪くて、中断されちゃったりとか、色々のことがあって、かなり居心地の悪い奇妙な時間が、常時続いている感じでした。

手探りで、ゴールの仕方もよく分からないゲームに参加して、メインキャラ(俳優さん)がどうなるか、ちょっかい出しながら見てる、みたいなのに感覚近いかもです。

 

そういう状態の「その人自身ではない」俳優さんが、

 

自由について、とか

何も考えずに生きることは既に一つの自殺であること、とか

 

なんか、そういうような内容のことを喋らされたり、アイヒマン実験とか働きアリの法則とか思い出しちゃうようなお話とか、あと、過去の習慣がどういう風に未来を作るのか、みたいなことを(俳優さんは、今現在、過去からのスピーカーになっているのに??)語らされてるのが、やっぱり、めちゃくちゃに奇妙な感じでした。

 

語られている内容自体は、なんか当たり前のことだったんですけど、状況が状況なだけに、観ているこっち側に、罪悪感が芽生えるか芽生えないかの瀬戸際、みたいな、上手く言えないけどそんな感じでした。特に、私は、ほとんど参加しないで観ていたので…。

(だから、最後、観客の方に、片方は毒入りのコップを選ばせるぐらいはするんじゃないか??と思ってたんですが、さすがにそこまではしてなかったです。それにしても、ラストシーンの小林勝也さん、「横になって下さい」の指示で、地面に座って椅子の座面に上半身をあずけて目を閉じたのはマジでなんかすごく良かった…。全部終わって安心してひと眠りしているんだか、死んでいるんだかよく分かんない感じが好き…。)

 

観る方も変な感じだけど、俳優さんのほうもかなり奇妙な感じがするよねこれ…と思いながら観ました。演じながら、自問自答で考えることが、かなり多い気がします…。

だからこそ「人生で一回きりしか演じられない」んだろうけれど…。

 

あとは、まあこれを言ってもしょうがないんだろうけど、

 

劇場で観たいよね!?

こういう観客が参加するタイプのやつはさ!
Zoomだと、授業ですらかなり発言・参加しにくいからさ!!

 

みたいな感じになってました。

というわけで、いつか劇場で観たいです。おとなしく待ってます。(笑)

 

劇場といえば…そういえば…子午線の祀り…追加席販売したらしいし、ポストトークもするらしいけど…大丈夫なんか…??

いやもちろん大丈夫だからやるんだろうけど…なんか不安になるよね…??

私は世田谷パブリックシアターの公演は行けないので、再演待ってるよ…???(まだ言ってる)

私、この前のKAATの公演が良すぎたせいで、なぜか平家物語も原文で読んでるなう、だからね…???(だからどうした)

 

あ、今日はこの後、巻第四読みます。

昨日、重盛死んじゃったから、いよいよ大変なことになりそうです。頑張れ知盛。宗盛は駄目だきっと。子午線の祀りでも駄目だったけど、平家物語でも駄目そうな匂いしかしない。

あと平家物語のみんな、「袖もしぼりきれないほど」泣きすぎ。脱水症状には気を付けてね。

今のところは、清盛、案外、ちょろい…、というひどすぎる感想で終わってます。高校時代に古文をある程度読めるように叩き込んでくれた先生に感謝しつつ、出世したかったら厳島に行こうと思います(文脈どこいったん)。

 

【蛇足】

あと…最近…ずっと前に観た『エブリ・ブリリアント・シング』が「観客参加型」の演劇と言い切るには議論の余地がある、みたいなことを言われてですね…、個人的にめっちゃ混乱してるんですよね…「観客」が劇の進行に「必要な存在として参加」してるから「観客参加」だと思ってたんだけど…???「没入」?????え????てか、そもそも「観客」が「参加」してない演劇って??え???

 

…ってなって、夜しか眠れないので、東京戻ったら図書館に直行して、とりあえず悲劇喜劇の劇評から読んでみようと思います!!(宣言)

War Horse『戦火の馬』

2021/03/02

TOHOシネマズ日本橋

f:id:monsa_sm:20210303094048p:plain
f:id:monsa_sm:20210303094213p:plain

だいだいシネ・リーブル池袋で観るので、こんなに大きな映画館で初めて観ました。)

(迫力すごい…。)

 

 

歯医者に行くついでに『戦火の馬』を観に行ってきました。

…でも感想書く前に愚痴書きます。そのための感想日記なので。

今日、後期の成績が開示されたんですけど…、

 

1番時間かけたうえに、かなり内容も頑張ってかいたレポートが評価Aって…!!!

そして大爆笑しながらふざけて書いた「バ美肉おじさん」についての考察とかいう、とんでもないレポートがA+って…!?!?

三島由紀夫のエッセイ的なものとか、歌舞伎とか引用しながら、果てはウィニコットの中間領域まで引っ張りだして無理矢理つなげた超ヘンテコなレポートです。笑。)

 

大学の評価基準が分かりません。本当に謎です。

形式さえしっかりしてればA+くれるやさしい先生と、そう甘くないぜ(にっこり)な先生が混在してるってことでしょうか…。(現実逃避)

 

…まあでも、『ヴォイツェク』の演出を半ギレ状態で考えたレポートが、絶対Bだろうな、と思ってたら、何かがマシだったらしく、A+来たので、それで心の中で相殺することにします…。あのバラバラになってる場面を、文字どおりバラバラにして、カルタみたいなカードを作って並べながら演出考えたのが良かったのか何なのか…。ほぼ太陽劇団『1789』とかの演出マルパクリしてんじゃね、みたいなのをベースにした演出案だったんですけど…。(つまりコロナ禍じゃ絶対無理なヤツ)

 

レポートって評価しか分からないので、どこが問題で、どういう箇所を直せばもっと良くなるのか全然分からないので、常に手探り状態なんですよね…。そういうのも自分で考えろよ、ってことだとは思うんですけど…。難しい…ね…。

 

愚痴はこのぐらいにして、いつものように感想書きなぐろうと思います。

 

【以下ネタバレしかしてないよ!!】

比較的真面目な感想

ざっくり、ほんとに大雑把に感想まとめると、

 

演劇的な想像力を刺激するようなスペクタクル性と音楽の力、それと物語の普遍性で、どう頑張っても感動せずにはいられないタイプの演劇

 

でした。

老若男女問わず、誰が観ても超良かった!!って言っちゃうタイプのあれです。もちろん最高!!だったよね。観に行って良かったです。

(この前観た子午線の祀りとかは、当然こういう面もありつつ、でも、ある程度観る方も考えたうえでの感動、みたいなのに重心を置いていたような気が個人的にするような…??でもどっちにしろ面白くて楽しい舞台って、両方の面をバランスよく含んでるから結局一緒か。)

 

 

 

あらすじとかは良いよね…映画も出てるし…観てないけど…。

アルバートって少年が、ジョーイって馬とせっかく仲良くなったのに、戦火のせいで離ればなれになって、探しまくって(ジョーイを探すために年齢詐称してまで軍隊に入るくらい)、もう死んだかも、って絶望したあたりで奇跡の再会を果たす、的なやつです。

我ながら雑過ぎる説明に逆にびっくりしてます。詳しくはウィキ先生に聞こう。

 

ちなみに、原作の小説では、「馬の一人称」で語られているらしいです。何それ面白そう。今度読む。

幕間の特典的なインタビュー映像で、演出家の1人の方が(どうも2人の方による共同演出っぽい)、「さすがに舞台化にあたって、馬が喋るの無理だ、と思ったからそこは変えて…」みたいなことおっしゃってました。

たしかにこの物語だと無理かもしれないけど、人間と馬の関係がもう少しドロッとしてて、やや依存じみた関係に(少なくとも私には見えた)、パラドックス定数『トロンプ・ルイユ』(オンラインの期間限定無料配信のときに観た)だと、普通に馬(人間がそのまま演じる)が喋っていて、かつそれが最高なので、根本的に無理、というよりは、内容と形式の一致さえクリアすれば、馬でもバクテリアでも、たぶん舞台上だと喋れるんだろうなあ、と思いました。

 

やや脱線したので戻します。

とにかくもう、色んなところで色んな人が言ってると思うんですが、馬のパペットがすごい!!

手を突っ込んだりして動かす人形のことを基本的にパペットって呼ぶらしいんですが、でもパペットって表現するにはデカすぎな印象だよね、とかどうでもいいことは思うけれど、とにかくマジで舞台上に馬がいる。生きてる…。

 

特に最初に馬が登場するシーンが最高というか上手いというかなんというか…。

舞台後方に、スモークが立ち込めてて、そんなに強くはない照明がその部分に当たってるんですが、そのスモークの向こうから馬が登場するんです。
スモークがかかっているし暗めだし、全体的にぼんやりとして、馬のパペットの細部というよりは、全体的なシルエットの方が強調されてて、この部分だけは操作している人も見えにくいので、「そこに馬がいる」みたいな錯覚にすごく入りやすかったな、と個人的に思いました。

 

あととにかくパペットを操る方々が本当にウマすぎる(…かけてないよ…??)。馬がマジで生きてる。馬の耳の動きとかで馬の気持ちが手に取るように伝わってくる…。

(でも、日本伝統芸能とかをよく観る方だと、馬のパペットの緻密な美しい造形とかには息を呑んでも、人形自体がまるで1つの生命体に見えるのには、感動はするだろうけど、そこまで新鮮な驚きを伴った感動、というものではないのかな、とも思いました。正直人形浄瑠璃とかでよく観るし…。あと意外と、パペットを操る方々が表情豊かだったのが面白かったです。馬の声も担当されてるからですかね。)

(あと、後半で戦車が、車輪部分というか、全体構造の枠組みだけで出てきたときなんかは、能とかで見る、舟の作リ物なんか思い出したりもしました↓。なんかやたら似てるって思うの私だけかな…??画像は公式Twitterから)

f:id:monsa_sm:20210303113502p:plain


 

ACT1途中の、ジョーイとトップソーンの馬同士の戦いとかはすごい迫力でした。舞台上で馬2頭だけが立ち回るので、人間誕生以前の神話を目撃したみたいな衝撃です。映像でこれなんだから生で観たらもっとすごそう…。

あとACT1のラストは壮観でした。いざ突撃!!って場面なんですが、幕切れにかけてだんだんとスローモーションになる動きと、アオリのカメラアングルも相まってマジ最高です。パペットの存在感と、身体の中心まで響いてくる爆音の音楽と、スケッチ風の映像が場面ごとに投影されるセットとか、配置の美しさと、照明の作る雰囲気すべてに圧倒されるとしか言えません。語彙力よ、来い。

 

 

f:id:monsa_sm:20210303110600p:plain

(映像だともっとアオリだったような…公式Twitterより)

(あとなんか、どっかで読んだんですけど、アオリって主観的な印象で、フカンって客観的な印象になるらしいです。なんか分かるかも…。)

 

そういえば、幕間のインタビュー映像で知ったんですが、照明もかなり意識的に使いわけているそうです。


高いところから暖色系の柔らかい光→デヴォンの田舎の風景とか。
低くて動的。個人的に寒色系が多かった気がする→戦争の場面とか。

 

ACT2から気を付けて観てみたら、ほんまや…!!って謎に関西弁になるほど興奮しました。東北人なのに。おかしい。

アドルフ・アッピア(この人の、階段多めな舞台装置のデッサン画とかめっちゃきれい)の「我々の演出をいかに改革するか(Comment réformer notre mise en scène ?)」(『西洋演劇論アンソロジー』)とか読んで、「照明ってなんかすごいんだな…( ゚д゚)」とは思ってたけど、やっぱり実際に観て気づいて初めて納得したよね。照明ってすごい…。今度舞台観るときとかは、照明も、もっと楽しんで観てみたいです。

 

あと、ACT1のお気に入りのシーンは、クリスマスプレゼントの場面です。ジョーイを売ったことで生まれたアルバートと父の確執、みたいなのがチラ見えするとこなんですけど、その前の場面が、戦場で、予想外のマシンガンによる攻撃のために倒れ伏した兵士と馬、みたいな感じで、その後にそのアルバートの家の場面に時空を超えて移っていくんですが、場面転換上の制約だったのか、演出意図なのかは定かではないんですが、馬とか兵士がそのまま舞台上に倒れ伏したままで進行していくんですよね…。

戦争による、不安な雰囲気が、片田舎の家の中まで影を落とすように入りこんできている感じとか、それ以外にも色々とリンクしているみたいに感じられて、個人的に素敵だな、と思いました。

実際、そのアルバートの場面で、ジョーイを買い取った軍隊の人が戦死した、みたいな知らせも飛び込んでくるし…。

 

倒れ伏すと言えば、ACT2で馬が死ぬ時(トップソーンが死んじゃうんですが…(´;ω;`))、パペットの木組みとかが、バラバラに砕け散りそう(なんとなく何個かの大きなパーツの組み合わせで出来ていそうだったし)になりながらゆっくり倒れるのとか、生命体の崩壊を具体化して、それを目の前で見せられた感じがしてほんとにしんどかったです。つら…。

 

近すぎる戦争の話って、やっぱどんなに凄くても、演劇の、「全部本当の事じゃなくて嘘っぱちです!!」みたいな虚構性の前だと、どうしてもややシラケる瞬間って出てくる時があるんですが、パペットの馬を本物だと信じ込む、みたいに、みんなで共有できる了解を作り出してくれているから、虚構を本物として信じやすくなってるし、なによりそれを補って余りあるスペクタクル性のすごさですよね。

音楽とかも、さっきも書きましたが、お腹とかに響くレベルなので、真面目に戦争を体験してるみたいに思いました。爆撃の瞬間のびっくり度合いとか、映画の『1917』観た時の感覚に近いかもです。

 

あと、ACT2で、英独両軍の中間地点にある有刺鉄線に絡まってしまったジョーイを助けるために、舞台両側の、客席と同じ高さの地面に(たぶん塹壕??)隠れていた、英軍と独軍から、兵士が1人ずつおずおずと進み出て、舞台中央の、文字通りの「中間地点」で、馬1頭と1人と1人になった時、敵味方関係なく、1つの生命としてお互いにお互いをそれなりに尊重しあって、それなりの敬意を表しながら、英、独、そして馬、言葉が通じないもの同士、なんとかして意思疎通して分かり合いたい、みたいな人間の根っこの素敵な部分を見た気がして、個人的にハイライトでした。

実際途中のインタビュー映像でも、「ジョーイは英独どちらにも属さない中立の存在なんだ」(うろ覚え)的なことを原作者さんが言っていたような気がするので、まさにこの場面で象徴的にそのことが出てる~!、なんて勝手に思ってました。(笑)

 

たしかに、物語全体の流れとして、感動の再会、みたいにハッピーエンドに向かっていくし、舞台上空に浮かぶページの切れ端スクリーン上に投影されるスケッチ風の映像とか、舞台冒頭で、語り部的な人が出てくる部分とか、とにかく演出家の方だか誰かが言ってたみたいに、おとぎ話っぽい部分があって、戦争をこういう風に描くことに否を唱える人も、もちろんいそうだな、とは思ったんですが、おとぎ話の形式って、ある種の型があるからか、いつまでも意識に刻み着くような強さがある気がするし、そもそもこれ、上に書いたシーンでも分かるけど、和解(Reconciliation)がテーマだしな…。みたいにぐるぐる考えてました(笑)まだまとまってない感じがします。

でも、今回の作品とは特に関係なく、個人的に、戦争を演劇で描くのは難しい部分とかクリアしなきゃダメな部分があるよね、というのはなんとなく思ってます。映画とかの方がまだ安全かな、と漠然と思う…。たぶん「嘘っぱち」感が少ないからかな…???

 

それにしても、何回も劇中に出てきた

 

Only remembered for what we have done.(行いだけは残る、って訳だった気がする)

 

っていう歌の歌詞の重みやばくない…??なんか上手くいえないけど「行為・行動」をみせる舞台でこんなこと言われるとすごく考えこんじゃうよね…。おかげで頭の中若干混乱してるけど…。

人間、この後も第二次世界大戦起こしたしな…とか、コロナ禍での差別とかなんかね、色々…。

 

真面目な感想に入りきらなかったテンション高めな感想

パペットは馬がもちろんメインだけど、ヒルがいい仕事してませんか??笑笑笑笑。
アルバートのいとこのビリーを追いかけまわす時とか、散々追いかけまわして颯爽とアヒルが退場していく時、そのまさに去り際に、舞台上に、何枚かの羽が、余韻みたいに舞うのが謎にかっけえ笑笑笑笑

あとカーテンコールもお茶目でした。観客のハートをがっちりつかんでる気がするよアヒル君…。

 

追記:もしかしたらアヒル君じゃなくてガチョウ君だったかもしれない。そんなバカな。というかイモリとヤモリ、キャベツと白菜の区別すら怪しいのに(重症)、アヒルとガチョウの区別は難易度高くないか?(多分そんなことはない)

 

同じく、空を飛ぶ模型的な鳥が(長い棒のてっぺんに鳥の人形?がついてる。その棒を操作主が動かす)、ページの切れ端スクリーンに投影された空を飛んでいるように、人形として三次元の舞台空間上に実際にいつつ、スクリーン上の影絵として二次元空間にもいたのが、マジで飛び出す絵本の進化系。めっちゃ綺麗だった。

あとフランスかぶれみたいな軍曹の人、個人的に好きです。役名も俳優さんの名前も知らんけど。セリフ回しが好きでした。

 

今年度まとめ

もうすぐ帰省しようと思っているので、たぶんこの『戦火の馬』が、今年度、劇場及び映画館で観る演劇の最後かな、って感じです。

てか、劇場で観た演劇、メモが正しければ今年11公演か…すくな…。まあようやく行けたのが7月!!『アンチ・フィクション』(シアター風姿花伝)だったしな…(面白くて受付で売ってた戯曲買いました)。半年で11公演なら、コロナ禍だと観られた方か…。

 

来年度はもっと観たいな…と思います。

というか世田谷パブリックシアターKAATのラインアップが面白そうすぎて、今からチケットとれるか大分ハラハラしてます。最高過ぎない??

少なくとも狂言劇場その九「法螺侍」「鮎」』『未練の幽霊と怪物』が取れなかったら、軽く5年ぐらい廃人になっちゃうからそこんとこ神様的な人よろしく!!って今から心の中でフランクにお願いしてます。きっと大丈夫…だよね??たぶん…。

 

ちなみに11公演しか観てないけど(NTLiveは、そもそもが全部面白過ぎるので除外。笑。)、今年度、1番個人的に最高に面白くてやばかったのは、

 

子午線の祀り!!!

(感想16000字超えた。アホすぎる)

再演待ってます!!!

(でっかい声で書いとけば伝わると信じてる)

 

monsa-sm.hatenablog.com

 

(ただ今年度2020年4月~2021年3月じゃなくて、2020年1月から、とかにしちゃうと『エブリ・ブリリアント・シング』とか天保十二年のシェイクスピアとかねじまき鳥クロニクルとか最高過ぎるのがちらほら出てくる。もはや優劣つけられない無理。全部尊くてしんどい。)

 

あとNTLive、来年度何やるんだろう…いっそ本国英国でやったのに日本でやってないやつとかこの際全部吐き出しちゃわない???

 

わたしThis Houseとか全力で待ってるよ…??

(でっかい声で以下略)

 

そんなこんなで、しんどかったけどまあまあに楽しい観劇が出来た1年でした。

たぶんチケットとれたら、来年度初っ端はパンドラの鐘かな。プリセール見る限りいけそうかな…。

芸劇の安く買えるチケット狙ってるので、発売初日まで息をひそめてじっと様子をうかがっています…。

『子午線の祀り』を観たからその後『知盛の声がきこえる』も読みました。

2021/03/01

大学の図書館と地域の図書館からバラバラに借りてるから返すとき細心の注意が必要(笑)

f:id:monsa_sm:20210301155222p:plain

 

 

Twitterでおすすめされたし(ありがとうございます…!!)、近くの図書館にあったので借りて読んでみました!

一番下のウィリアム・ギャスキル著の『俳優を動かす言葉』は、同時期に読んだ本です。

この本と子午線の祀り『知盛の声がきこえる』で、完全に自分の今までの戯曲の読み方が、どんなに甘かったかがめちゃくちゃによく分かりました。辛い。

 

今度からなんか戯曲を読むときは、いつか、ちょっとでもレベルアップした読み方が出来るように、もっと考えながら読むようにします…。

 

あと子午線の祀りも最初読んだときは、わけわからんなんじゃこれ?苦手というか嫌いかもよ、ってなってたけど、舞台観て、『知盛の声がきこえる』読んだあとだと、もう最高過ぎていつのまにか好きな戯曲になってたました。天才すぎないこの戯曲…???

 

あと『知盛の声がきこえる』最高に面白かったです。役者さんってすげえ…こんなに深く考えながら演じてるとかすごすぎ…とバカみたいな感想しか出てきません。どうしましょう。でもとにかくすごい。子午線の祀りの解像度があがるあがるあがりまくるぞヒャッハー。

 

追記:読んでて、謎の図が頭に浮かんだのでそのまま描いておきます。

あとで見返した時になんかわかる…かもしれないし全く分からないかもしれない(笑)

f:id:monsa_sm:20210302215431p:plain


 

この間観た舞台の演出とかも、そういうことかああああ!?!!って改めてなったりして、自分で書いた長すぎる感想のトンチンカンな理解の部分とかみつけてゲンナリしてます…。

 

monsa-sm.hatenablog.com

 

まだ色々経験と勉強足りなすぎるから許して…。

足りないなりに感動して考えたフレッシュ(笑)な感想なの…。

再演するとき(勝手に再演があるものだと信じて疑っていない)までに1ミリくらいは成長してたい…。

…出来るかな……???

 

とりあえずいい動機が出来たので、春休み残り、平家物語を勉強しようかと思います…。

たぶん今のがしたら、死ぬまで絶対やらない気がする…。

やるなら今でしょ…。頑張ろう…。

 

でも明日は観に行ってくるよ!!『戦火の馬』!!!

めっちゃくちゃ観たかったやつなので、その前に行く歯医者もめんどくさくなんかないよ!!たぶん!!(いいきかせる)

『子午線の祀り』-Requiem on the Great Meridian-(2021年)

2021/02/23

KAAT 神奈川芸術劇場〈ホール〉

f:id:monsa_sm:20210224105837p:plain

(あっ…正面から撮ったから映り込みやばい…失敗した…)

 

 

前置き

久しぶりに来ました。KAAT!!

前に来たのが『ドクター・ホフマンのサナトリウムカフカ第4の長編~』(2019/11/08に観劇)だったので、まるっと1年ぶりぐらいです。面白いのたくさん上演してる劇場なんですけど、ちょっと行くまでに時間かかるから足が遠のきがちです…。もっと行くようにしたい…。

 

でも今回は1年ぐらい前に情報が出てから、ずっと観たかったやつだったので、はるばる行ってきましたよ!!はるばるっていっても2時間弱ぐらいだけど!!各駅で!!

 

ポスターに写ってる3人出てるだけでも観に行きたいのに、木下順二子午線の祀りなら余計観に行くしかない…。というか大学のお勉強的に観といた方が良いというか、もしも今春休みじゃなくて授業があったら(そしてコロナ禍じゃなかったら)「いいから観に行っとけ!?」って先生に言われるヤツ…。

 

とかグダグダ考えてたんですけど…いやほんと…

 

…観に行って良かった……(ノω・、)゚.+。*

 

追記:今回、いつに増しても感想長いです。17000字越え(笑)。

 

最高過ぎた演出その他をつれづれなるままに書く(笑)

 

 

 

 追記:長めのトレーラー出てた!でもなんかやっぱ劇場で観るのの5割減!(失礼すぎる)

 

「子午線の祀り」|KAAT 神奈川芸術劇場

 (↑写真とかいっぱい載ってます)

 

 

もうね…なんかね…こういうネットにあがってる映像画像より、倍以上綺麗な舞台でした…。

 

珍しく前もって戯曲読んでたので、どんな感じなんだろうとわくわくしながら劇場入ったら、三日月型の傾斜が付いた回転装置(回転舞台?とも思ったんですが、どうも人力で三日月型の装置だけ回してるっぽい。黒子さんすごい。)があって、しかもその装置で囲まれてる円形の部分が鏡みたいに反射する素材の床でしてですね…その真ん中に蝋燭(たぶん蝋燭…だと思う…)1個おいてるんですよ…。

 

あッもうなんか尊い(語彙力)

厳島神社能舞台での観月能思い出しちゃう…

(実際に行ったことはない。辛い。)

(良かったら調べてみてください。本当に雰囲気似てる…。)

 

みたいな、あほな感想抱いておりました。

いやほんとに反射してる部分がマジで海…。あと、その床面に映り込む、星の照明が綺麗というか、もう美しいの域…。

 

追記:またまたTwitterで情報を頂いてしまいました…ありがとうございます!!!

勉強不足が身に沁みます頑張る…。

この三日月型のセット、『敦ー山月記名人伝ー』(2015)(動画の3:05-あたりから)の時に使ってたらしいです。ほんとだ。かっけえ。あと中島敦の『山月記』は教科書で読んだときに、クラスでBLとか好きな子がえらく興奮して語ってくれたので、もはや彼女によって英才教育された偏った読み方しかできない(笑)

てかこの動画の作品観たことないやついっぱいだし全部面白そう…。

youtu.be

 

 

 

この日の開演前にスキップしながらトイレに行ってた怪しい若者に見覚えのある奇異な方とかもしいらっしゃたら、たぶんそれ私です(笑)テンション爆上がりでした。完全に変質者。

 

3階席で、舞台からの距離は遠かったので、ご尊顔を拝みたいとかいうミーハーな欲望は叶えにくいけど、この映り込みをしっかり見られたのは良かった…。そもそも「宇宙視点で人間の営み見てみよっかな~」みたいなテーマだと思うので、上から見下ろすように観劇できたの逆にラッキーというか…。

舞台上空に星の照明が、奥行きも取りつつ立体的にぶら下がってるわ、下の床面に星の光が映り込むわ、で、なんちゃって360度星の夜空なんですよ…ヒュー!!ロマンチックウウウウウ!!!宇宙の真ん中にいながら人間ども(表現)を見下ろしてる感じです。

グローブ座とかも、もしかしたらこんな感じなのかな。上に天国あって下に地獄あるし。いつか行ってみたいです。

とにかく宮沢賢治銀河鉄道の夜から鉱物のトゲトゲ度を5割減した舞台セットの綺麗さでした。伝われ…!!!

(…本音言うと、若村麻由美さんの美しさとか最前列で浴びたい気持ちはあるっちゃああるんですけどね…。できることなら、席を変え日を変えもう1回ぐらい観に行きたいので誰かS席のチケット代ください。真剣に。それか年齢詐称して高校生になりたい。制服さえあればギリいけそう…??無理か。)

 

 

【かなり脱線】

 Twitterの方に妙な感想連続投稿した時に、「戯曲は嫌い(好みじゃないだけで面白いしすごいとはもちろん思う)」みたいなこと、ノリで書いたんですけど、もともと「宇宙視点から~」のテーマのやつだと、ソーントン・ワイルダー『わが町』Our Townとかそれこそシェイクスピアとかギリシャ悲劇とかの方が何となく好きです。

 

あと読んでる最中に、神(とか運命?)vs>>>(越えられない壁)>人間みたいなギリシア悲劇的ベースに、リア王みとかマクベスみとか、なんかハムレットみ(ハムレットみ、という語彙の破壊力に、自分で書いててツボってます笑)を感じさせるセリフが満載で、微妙にうんざり感じたのも事実。

探してみるのも面白そうなレベルであります*1

そんなこんなで読み進めていったら第2幕最後(今回の公演では休憩後。ただ台詞としてはカットされてた)に、「コペルニクスの地動説を誰も信じていなかった十六世紀西欧の劇詩人」とかいうセリフ出てきて、まんまシェイクスピアのことじゃんYO!!BINGO!って思っちゃって、逆に萎えたという(笑)

 

あと、結構天文学とかそういう学術的な事実をふんだんに盛り込んだセリフで「宇宙」的なことを伝えてくるので(第4幕とか特にそう)、正直理科の教科書を眺めてるような冷静すぎる気分になって、日常からは遠くにありすぎて漠然としかとらえられないけど、確かにあるなんか莫大なもの、みたいなのを思ってくらくらする感じが、他の戯曲読んだ時よりしなかったんです…。

井上ひさし『きらめく星座』人間広告のところの方が、同じく学術的な事実に基づいてるんだろうけど、平易な言葉で普通に語られてるから、すんなり意識の深いところに入ってきて、めまいがしそうな感じがあって好きです…。

 

とどのつまり、私に教養が足りないので、あんまり小難しい言葉使われると、分からない!!のの裏返しでむかついて「ケッ(´∀`)」ってなる、ってとんでもない理由です(笑)

 

 

…でも読んだ時そんな印象だったのに演出がマジでかっこよすぎて惚れちゃったじゃないですか責任取ってコロナ終わったら短縮とか規模縮小とかしないフルバージョンでやってくださいできれば世田谷パブリックシアターで私がU24つかえるうちにあっでも『まちがいの狂言でも全然いいよあれの公演のとき幼児だったしなにより地方だったけど今なら楽勝で観に行ける黒草の民に「ヤヤコシヤ」ってきゃぴきゃぴ言われながら客席とかで問答無用でオペラグラス奪われたいとにかく良心的なチケット値段でよろです(理不尽)

 

【妙な方向に走り出したので脱線終わり】

 

※そしてここからは本当にネタバレしかしてない 

 

客電が落ちないままのっそり始まったのは、よく見ると言えばよく見るけど、ちょっとびっくりしました。なんか全身黒づくめの人々(マスクまで黒いよ!)が、ゆったり舞台に集合する感じで…。

f:id:monsa_sm:20210225111113p:plain

(急いで描いてるから色々酷いけど、あとから思い出す分には支障ないよね?!)

 

なんかこの演出観て、「あ~多分コロナじゃなかったらロビー?ホワイエ?とかも使いたかったんだろうな」と思いました。

黒草の民的な。(絶対違う)

真面目なこと書くと、舞台の上に、舞台の上の何かを観てる人がいるって、結構意味深というか、観客とか演者とかそういうの無くしたい、「舞台上の私たち」の話でなくて「劇場にいる私たち」の話にしたい、みたいな意識感じる気がします。マスクもしてたしね。黒マスクちょっとカッコイイね。

 

追記:ちょっとブログ書き終わってお風呂に入ってぼんやり何書いたか思い出してたら、この「誰が誰だか(3階席からとかだと本当に顔は見えないし、というか1階席の観客の方と区別つかないよ!)よく分かんない状態の人たち」が次の瞬間には「歴史上の誰か」になってるの最高じゃないですか??こういう雰囲気だから、下に書いてるみたいに「降霊術」とかそういうの感じたのかも。

あ、あとびっくりしたのはコロナのせいで、こういう客席使った演出見なくなったからですかね...。そう思うともはや懐かしい的な変な感想が出てくる...。

コロナ...まじ滅せよ...。みんな演出エトセトラの幅を狭めざるを得ないんだぞお前のせいで...。

 

とかぼんやり思ってたら、影身…というかまだ影身になってない若村麻由美さんが蝋燭持ってたか持ってなかったかはちょっと忘れたんですけど、とにかく蝋燭以外の照明が全部落ちて…。

 

で、野村萬斎さんの声で、館内放送みたいなスピーカーから冒頭のセリフが流れるという…。

100人単位の集団が、暗闇で1個の小さな灯を見つめてると、全方向から低い声で突如語り掛けてくるんですよ。なんの集団催眠だよ。好き。

戯曲読んだときは全然くらくらしなかったけど、強制的にぼんやりさせられました。天才かな???

しかも、台詞にあわせて、北極星の照明が光ったり、別の光で空間に直線が描かれたりして幾何学的にすんごい綺麗…。美的センス最高…。魔法で星図を描いてるみたい…ダンブルドア先生出てきそう…。

 

あと、この冒頭の語り、「あなたはすっくと立っている。」で終わるんですけど、間の取り方として「あなたは、すっくと、立っている」って感じになっててめっちゃテンション上がりました。

他の読点は普通にそこに入るだろうなって分かるけど、赤色のとこの読点と、「いる」の強調、最高すぎませんか???

(ラストにある同じ語りは、三日月の円の真ん中で、蝋燭掲げて若村麻由美さんが喋ってたけど、同じところで切ってたりしたので、たぶん意図的だと思います。)

 

「立っている(standing)」じゃなくて、「立っているbeing)」って感じで、「そこにいること」に意識向けさせる感じが鳥肌ものでした。

だってテーマ的に「宇宙的な俯瞰視点から人間の営みとか存在とかみる」やつでしょ。確か。

セリフいじってないのに読点だけで深イイ感じにするっていやほんと天才かよしんどい尊い

 

なんか、英題のRequiem on the Great Meridianの意味が何となく分かった気がします。

死者への鎮魂歌というより生きてる人への鎮魂歌的な??

観客席とつなげた開演の演出も、戯曲の冒頭の語りも「あなた」って観客に呼びかけることとかも、そういうことなのかな。

 

「あなたもそこにいるし、別のあなたもそこにいるし、みんな楽しかったり苦しかったり寝てたり戦ったり負けたり色々あるけど、地球規模とか宇宙規模でみるとめちゃくちゃちっぽけで個体差ないようにすらみえる存在だよね。でもそんな莫大な時空間のなかで、『今・ここ』にあなたがいるのって逆にすごくない??」的なあれですか?

 

…ねえやっぱりどう考えても『わが町』じゃん。ダメだもう完全に『わが町』にしか見えなくなってきた誰かヘルプミ―。

 

演劇ってギリシア悲劇とかからそうだけど、個別のことを普遍に結びつけるの得意な形式だよね…。

 

別役実とかも「『それがそこに在る』ことの感動こそが、演劇のもっとも原初的な感動である」とか言ってるし(※そしてこれも『わが町』に対しての感想です、という)、冒頭でこんだけすごいの繰り出してきて大丈夫なんか、と余計なお世話の心配までしてました(笑)

 

 

 

…大丈夫だった!!!全然そこから凄すぎでした!!!

(語彙力以前に日本語がおかしい)

 

 

 

なんか、その最初の部分終わったらすぐ、第1幕に移行してたんですが、知盛の登場の仕方がマジ降霊術。夢幻能かッ!?ってツッコミに共感してくれる方お友達になって下さい。_(┐「ε:)_

舞台後方真ん中にある扉が開いて、ゆったり(軸が全然ぶれない体幹すごいし、謎の威圧感があるよ。3階席からでも圧を感じるとか何事。)出てきたんですが、影身?影身になってない影身??が、それを上手で見ていたような記憶があるので、冥界から、巫女とかその辺、イタコでもいいけど、…とにかくなんか呼び寄せちゃった感が凄い。

橋掛かりついてないか思わず確認したよね、さすがになかったよね。

でも、後半で死んでいく人、だいたいこの扉の向こうに飲み込まれていくことが多かったので、めちゃくちゃトンチンカンな感想ではない…と…思い…たいです。

 

あと三日月型装置も巧みに使った、全体としてはかなり動的なんだけど、語りに合わせた抽象的な動作とか、かっこいいしか言えませんでした。語彙力が来て?

 

後半の戦の時とかも、(コロナのせいかもしれないけど)めちゃくちゃに動きとしては激しいのは激しいんですが、肉弾戦という感じではなくて、扇??的な短い棒(3階席だったので良く見えず)を弓に見立ててやったりとかもしてて、どっか抽象的で素敵でした。

あとその弓引く時の所作が野村萬斎さんだけ1人えぐいぐらい綺麗…いや美しいという…。身体に叩き込まれる伝統芸能つよい…。

(あと歌舞伎、能楽観てると、親よりも年齢いってる人、しかも男性に対して「美しい」しか言えなくなるのがなぜかムカつくのは、まだ思春期ひきずってる年齢なんで許してください。能だと、これにさらにプラスして、ちょい肥満体形で二重顎なのにめっちゃ美女になるからキレたくもなるよね。面と装束だけの力ではないんだろうけどずるいわ。)

 

三日月型装置使ってた戦のシーンで、一番好きだったのは、義経のやつかな。

上に引っ張ってきたトレーラーにもあるんですけど、三日月型装置の回転方向と反対側に全力疾走、みたいなやつ。

 

で、この後に、両方停止したか、少なくとも上に乗って走ってた義経率いる源氏の人間の方は停止して、回転する三日月型装置に乗ったまま舞台後方に回りこむんですが、そうすると床面にいた、装置に隠されてて見えてなかった平氏側の人が突然目に入ってきて、

 

「背後から屋島を襲って、平家を海に追い落す」

 

って群読のセリフがその瞬間に、ビシッと決まるんですよ!!!!

かっこよすぎる心臓止まる!!!!!マジで背後に源氏いるじゃんしんどい!!!!!

 

というかもうこの装置が万能でイケメン!!!

もともと戯曲の指定に「三日月の装置」とか書いてそうなレベルで色んなところでピッタリすぎ!!!

下弦の月」とか言ってた時に、客席から見てちゃんと下弦になってたのも細かくてすごいぃぃぃ.....(放心)

 

…ってなってました。(あほ)

 

演出全編通して超絶かっこいいけど、ここは心臓発作起こしそうでした。

救急車で運ばれると、えらく金かかるので耐えたよ頑張った私の心臓。

 

そういえば、能にハマったきっかけって屋島でして(でも平家物語は読んだこともなく全く知らないという矛盾)、義経マジイケメンすぎるし、朝になった瞬間に全部が霧みたいに消えてくの辛すぎて悲しすぎるけどとにかく美しすぎ…ってなってたので、

 

義経=なんかやっぱりどこか儚い美男

 

って固定観念あったんですけど、今回ことごとく裏切られました。

 

「その時義経、少しも騒がず」(『船弁慶』)な訳ないじゃん。

知盛の亡霊とエンカウントとかしたら絶対「滾るぜェ...!」的に騒ぐタイプじゃん。(偏見)

なにあのガキ大将。(言葉のチョイス)

 

戯曲読んでたはずなのに、何この新鮮な義経!!??

 

人の話をあんまり聞かない上にこらえ性のない猪突猛進タイプなくせして、兄ちゃん(頼朝)と後白河院を喜ばせようとして頑張って武功たてても、なんか世渡り苦手な感じだからうまくかみ合わなくて、「どうすればよいのだおれは?」っていうとことか「しらんがな」と突っ込みたくなるぐらいお子様でした。(書いててブーメランで自分に返って来てる気がすごくします)。

そして弁慶も、その問いに対して「思案に暮れます」じゃねえよお前が唯一大人っぽいんだから頑張れよ。とりあえず人の話聞いて落ち着けよ。

それかもう1人連れてきて3人で考えればなんか出るって。

でもアイデア出たら、下手すりゃこの劇ここで終わる。それは駄目(笑)

 

飛躍してく私の思考回路は置いといて、なぜか観たこともないのにドラゴンボールの文字列とかクリリンとかなんかその辺が浮かび上がってきました。脳内に。メモに残ってます。でっかく「悟空」って書いてます。最初ブログ書くために開いてなんじゃこれ、ってなりました。

 

でも、とにかく義経を主に演じる成河さん(今回コロナで人数減らすことを意識したらしくて、何役かやられて方が多数いた気が…。たぶん成河さんも…?)どっから声出してんの???ってぐらい声がキャンキャン高い。甲高い。まさに甲声。狂犬になりそうなわんこ感。通りまくるし、超絶技巧って言ってもいいんじゃないか、というスピード。誰も口を挟めない。だから人の話も聞けない(笑)。だからかなりコミカル。

(それで漫画のキャラクター思い出したのか?!)

 

何回か舞台で観たことあって好きな俳優さんですがここまで高い音程で張り上げてるのは初めて聞きました。よく枯れないな。

対立する知盛が乙…呂…???音楽の授業でやったような気もするけど、ちょっと日本音楽の用語詳しくないんでうろ覚えです。まあとにかく低めの声なので、声で対立出すって面白いなあ、と思いました。

 

戯曲でも、義経パートって、部下たちとかの喜劇的な部分多いので、読んでても割と楽しかったんですけど、俳優さんの身体通すと倍楽しいですね。

戦いの日取りが潮の流れ的に最高の日だったことを正利に褒められた時とかなんか特に最高でした。

義経が「なに?―いや、この日取りを選んだわけではない、…」って答えるんですけど、読んだときは普通に流してたんですが、このセリフを「(いや~そ、そんなつもりじゃ、なか…ッたんだけど…??あれ…?なんか褒められてる…??)」みたいな感じで喋るとめっちゃドッカンと笑い起きるんですね。すご。

 

あと毎度のことながら成河さん身体能力すごいね?階段の3段目に軽々飛び乗るとか何事??

途中で階段に飛び乗ったとき体勢崩して落ちかけてた時も、とっさにフォローした周りもプロだし、足とかも挫いた様子とかもなく何事もなかったかのように試合、じゃなかった演技続行してたのすごいね。ほんとプロってすごい…。

(でも、「やっっべ!」って焦った空気はさすがに伝わってきて観ててかなりヒヤッとはしました。生の舞台観てる感はすごかったけど。)

 

そんなこんなで結構男性陣が激しく走りまわり、たまに飛んだりもするので、Twitterのほうでやり取りさせていただいた方からもお聞きしたんですが、どうも男性陣、ゴム底の地下足袋を履いていたようです。

だから三日月型装置の中にある反射する素材の床面を歩くときに、めちゃくちゃキュッキュッ音がなるんです。安全面上しょうがないとは思うんですけど、シリアスでそんな動きない場面とかだと、超超気になりました。

 

劇場の音響効果いいのがあだになってるんじゃ…。

 

やり取りさせて頂いた方が、「アンケートに書いてみようかな」とおっしゃっていたので、これから約1カ月のなかで演出も当然変わるだろうし、その中で何か変化あるかもしれません。

私はもう観に行けないけどね?1回しか観に行けないのが悔しいね!?!?

私も「推し」とかが出来たりすれば、金銭的にも精神的にも体力的にもクリアして同じ舞台を何回も観に行くようになるんだろうか…。

(そこまでの熱意がまだないので。ネットでこっそり色んな方の感想チラ見して想像してよう…。ネットって便利…。)

 

ただ同じように、床がきしむ音は、船板がきしむ音に聞こえて、なんか逆にリアルだったので、いっそのこともうちょっと気にせずキュッキュッ鳴らして、いくつかの場面で流れてた海鳥の鳴き声とかの音源を、足袋で床が擦れる音混ぜたやつに差し替えたら、ワンチャン「と、鳥で~す。この音、海鳥なんですよ…??ね??(圧)ぽいでしょ?!」ってごまかせんじゃね( ,,`・ω・´)?、と考えて1人で爆笑してました。絶対無理(笑)

 

とはいえ私が観たこの日は、知盛と民部の後半のヒリヒリのやり取りの場面で、スマホだか何かが、盛大に1階の客席で落下してて、ちょうど沈黙の時に爆音立ててたので、そっちの方がやばかったです。明日は我が身で、私も気を付けたいと思います。

 

 

…なんか長々と書いてきて話が迷子になってきました…。あと何書いてないっけ…。

 

あ、迷子といえば、圧倒的イノバーバス感のある民部!!(※脚注1)

イノバーバスも、アントニーとかクレオパトラとかと比べると、等身大な感じで共感しやすいけど、子午線の祀りの民部も、知盛とか、義経とかなんかその辺に比べると、セリフの言葉の感じとか見ても、共感しやすい人物だな~と思いました。

最後に源氏に寝返ったあと、他に誰もいない舞台で1人、自分の裏切り行為を後悔するような、あるいはまさか自分がこんな行為をするなんて…みないな呆然とした感じで

 

「民部、心、はぐれてしまい申した。」

 

っていうのはなんかちょっとぐっと来ました。

たぶん、それまで民部って、大体誰かと一緒に対話してる形で舞台に出てたので、いざこういう、後悔とかをする最後の最後で、1人、とか、なかなかに辛かったです…。空間の使い方すごくいいね…。

(あと、影身と知盛のお邪魔虫するところで、毎回毎回、三日月型装置の同じような部分からひょっこり顔出す、っていう繰り返しの笑いも前半で担当してたので、余計にギャップで悲痛というか…。というか繰り返しの笑いを、登場の仕方を型にはめることで作り出すとかすごいね。古典だと確かに西洋でもよく見るけどこういうの。でも気づいて取り出すのすごすぎるね...??)

 

あと、宗盛(知盛の兄ちゃん)、戯曲でもお貴族様感あって、おじゃるおじゃる言ってそう、とか酷すぎる感想持ってたんですけど、あそこまでヘタレに描き出すとはwwwwww古い表現かもだけど草生えちゃうwwwwwwww着物もそういえばたしか紫色だったねwwww雅で高貴なのねwwwww

 

ことあるごとに「とももりいいいいいいいぃぃぃぃ(べそかきながら)」みたいな感じだったので「兄上、少し落ちついて座にお直り下さい。」って知盛がやや呆れながら言うとことか、「それなwwww」ってなっちゃった。ごめん宗盛。そこそこ偉いのに。最高だったよ(サムズアップ)。でも弟の胃が心配だね。

 

...ゲラゲラ笑いながら書いてましたが、考えてみれば、そういうなんか、胃が痛いというか、生きづらいって意味では知盛と義経、そんなに変わんないとかあるんですかね...分からん...。

その気持ちの裏返しで、戦ガンガンやってるとかだったりしたらマジで虚しい感じじゃん。

あと一般人からすると大迷惑(笑)

影身、代表してその辺もっと言ってやって(笑)

 

それにしても、この兄貴(とその息子)のラストも最高だから。これは戯曲読んでも笑ったからwwww

「早く海に沈みやがれよみんな身投げしてんだろうが」って味方に海に落とされるも、水泳得意でなかなか海に沈めない!!どうしよう!!!ってクロールみたいな動きしながら、反射する床の部分(海)を行ったり来たりしてて...

 

おまえらwwwwマジかwwwww

 

ってなりました。ごめん宗盛。どこまで史実か知らないし、調べる気もさらさらないけど、すげえ笑った。マジでごめん。

さわやかに素敵な悪意ある戯曲と演技演出エトセトラ最高でした。私は大好きです。笑っていいんだよねこれ(笑)

 

めちゃくちゃかっこいい(能登殿?とか?)or潔い死に方とかする人がその辺でいっぱい出てくるので余計ギャップでね...。死に様は生き様ってか。深い...のか???どうなんだろう。

(個人的には簡単に死ぬよりも無様にでも生きてろよ、って思うので。だから宗盛は好きです。この後普通に死にそうだけど。あと知盛も自害するけど、そこに至るまで、力じゃなくて知恵のほうで、戦避けたいな、みたいな感じでなんとか生きようと頑張ってるのもちろん好き)

 

最高過ぎるが故つけたくなる個人的好みのイチャモン

 

タイトルにも書いてるけど、ここからは殆ど言いがかりです(笑)。

満点すぎるからこそ自分の好みに合わせたくなる観客のエゴあるあるです(笑)。

 

その1

テンポ、速!!!

 

もうこれにつきます。戯曲読んでるか、平家物語知ってるか、あるいは、私がまだ地方にいて、演劇と映画の違いも分からず、野村萬斎さんはたまににほんごであそぼでコスプレしてるトリッキーなおじさんで、若村麻由美さんはマリコさんとわちゃわちゃしてる風丘先生としか認識してなかったころに(失礼なことに、成河さんは誰それ?てかなんて読むの??状態)、どうもやってたらしい前回の子午線の祀り観た(私も理解できるかはおいておいて観たかった…)人じゃないと、たぶん途中で振り落とされます。私の隣で観てたおじさんは途中完全に寝てました。だよね。分からなくもない。

 

もちろん源氏と平氏の戦のシーンとかで、どっちが優勢か、とかは、舞台上に占める面積や旗とか使って視覚的にも分かりやすくしてあって(すごい)、ついていけないわけではないし、そもそも全員語りが上手い方々ばっかりなので、「よくこんなくそ小難しいセリフ軽々と言えるな…耳が楽しいよ…」な感じなんですが、たぶんあのジェットコースターばりのスピードは、この言葉遣いだと、ついていくのが辛い。物語が全然入ってこない。耳が楽しい反面、滑る部分も多い気がします。

 

原文でロミオとジュリエットを2時間で収まるようなスピードでフルで観るとたぶんネイティブでも絶対ついていけないじゃん…なんかあんな感じなんじゃない…(適当)。

 

その2

カットむずそう

 

作者の木下順二もカット無し希望だった、ってどっかで読んだけど、確かに…。

カットすんな、ってことではないと個人的には思うん(思いたいん)だけど、確かになんか、焦点がぼけた気がする…。

例えば、戯曲だと確か、色んな人が、特に知盛とかが何回か、「戦とかマジ無意味」的なことを喋ってた気がするんだけど、上演観てたらあんまり記憶にない…。

たぶん何個かあるからこそカットされたんだとは思うんだけど、もしも「そこに在ること、いること」とかが中心のテーマなら、繰り返し出てきて、命大切に、みたいな感じのこういうセリフ、耳に残るほうが良かったなあ…、と思ったり…。

 

平家物語の有名シーン詰め込んだみたいな怒涛の第4幕とか特にフルでやって欲しいよね…。

 

カットって難しいね。三島由紀夫の作品とかも難しいって聞くけど。

 

その3

舞台上で人対人のプラトニック(精神的な)愛は難しいものがあると個人的に思う。

 

めちゃくちゃに偏見かもしれないんですが。

小説ならいざ知らず、舞台上で生身の人が抱える、同じく舞台上に生身でいる人に対してのプラトニックな愛を表現するのって結構むずい気がするんです。目の前にある肉体から観客の意識をそらす必要が出てくるし。

 

あと、戯曲で読んだときにも、突然知盛が「影身愛してるーー!!!(俺の弟の女だけど)」みたいなこと言って「どうしたお前?!」ってなったんです。

別に言わなくても知盛が影身愛してるのぐらいわかるよ???

「月が綺麗ですね」ぐらいにしとけって漱石も言ってるやんけ??

あとどう考えても()内の内容が妙に生々しい気がするのは私だけですか???要るかその情報???要らないよね???

実際聞いてみても、やっぱり昼ドラか歌舞伎の世話物でも始まんのかと思ったよ??

まあ、ここは本当に完全に好みの問題ですけど…。

 

影身って途中で死ぬけど、最初から最後まで知盛と精神的に一心同体みたいな感じなのに、なんかこのせいで妙に、なんか、生々しい、というか…。

 (だって後半、影身なんか知盛の心の声的なものになってるし...)

 

しかもほら、短縮バージョンでカットするとなると絶対、影身と知盛の場面はカットしないじゃないですか…。したとしてもちょっとでしょ…?

だから他の分量が軽くなった分、余計そこが重く見えたというか…。

 

追記:だからと言って舞台上の影身が生々しかったか、と言われるとちょっと違う気もします。むしろ象徴的な女って感じだった。セリフ回し含めてマジ理想の影身。戯曲読んでから行くとこういう弊害(頭の中で戯曲、というか「劇文学」として同時進行で舞台が再生されるから、観てるやつと混ざる)起きるのがたまにキズです。てことは、単純にこのあたりのセリフが生理的に嫌いなだけなのかな?(笑)

 

それで知盛の最後のセリフ、「(絶叫)影身よ!」だべ?あれ、何がテーマの劇だったけ???って一瞬なった私は悪くない。

(しかもここ、ほんとに物理的な絶叫なのか、心理的な絶叫なのかマジどっちが正解なの???)

 

「そういう部分が人間ぽく見えていい部分なんじゃん」とか言われたらそれまでなんですけど。(笑)

人生経験詰んだら良さが分かるんだろうか…。

 

その4

義経が割と剛速球な感じの印象だから、対する知盛、もうちょい感情爆発したみたいに叫ぶ部分とかを絞りに絞ったのが観たい!(もはやただの願望)

 

ただの願望です。完全なる好みの問題。

あと私、単純に野村萬斎さんの叫んだ?(張り上げた?なんて言えばいいのかな…)時の声が、場面によっては苦手、というのもあるかもしれないです。だれか分かって…。

 

…いや、なんか声の芯が下にあるときの張り上げたみたいな声は普通に好きなんですけど、その芯が上にあるときの声、加えて声の形がスポンジみたいになってる時が、特にシリアスな場面とかだと、なんか声自体というより、場面と声の印象ズレる感じがしちゃって苦手というか…。

というか、それは義経の方の声だろってメモに書いてて…、観ながら書いてるメモだから言葉遣い荒すぎるけど率直な感想すぎる…。

 

めっちゃコミカルな場面とか、普通に喋ってたり、喋るぞー!って完全にコントロールして喋ってたり、ぽかんと脱力した時の声は、癖あるけど、なんか音程もついてるし、声の幅も奥行きもあって、なにより聞いてて面白いので好きなんですけど。

 

張り上げた瞬間に、ごくごくたまに、それこそ弦を限界まで張り詰めすぎたみたいに、ベターッって幅も奥行きも、下手すりゃ響きも消えるのなんで。謎なんだけど。あんなに良い声なのに。

 

それとも普通の人もそうなんだけど、もともと音程ついたみたいな喋り方する人だからやたら耳につくだけなのか???

 

狂言の時は、発声とか根本から違うからなのかぜんぜん気にならないんですけど、ゴリゴリの現代劇とか、翻訳劇とかになると一気に気になる。ほんとになんで。私の耳がおかしい???(たぶんそう)

 

義経が出てきてからは、相補的な感じに響き始めたのでそこまで気にならなくなったんですが、でも考えてみれば、知盛、登場もなんか幽霊ぽかったしなあ…。

それに、もともと知盛に限らず、戯曲のほうでも、登場人物ほとんど、自分のことを三人称語りする部分が結構でてくるので…。

 

知盛  ここに新中納言知盛の卿、「見るべき程のことは見つ。今は自害せん」とて、わが身に鎧二領着て、壇の浦の水底(みなそこ)深く入り給う。

 

こんな感じに。

 

これ喋ってんの(詠んでんの?語ってんの?)誰だよ?!

知盛なの?

知盛を演じてる俳優さんなの??

それとも知盛を演じてる俳優さんが、こういうとこだけ語り部としての意識で喋ってんの??

 

っていうのが知盛以外の登場人物にもたっくさんあります。

群読もたくさんあるしね。能の地謡かよ。

なんかイタコ的な感じとか、そういうとこのメリハリもっとあからさまで、色んな虚構の次元が錯綜していて多重構造が手につかめるようにハッキリしてるのが観たい&義経があんな感じで、知盛がもし義経と対になっているんだとしたら、もうちょい抑えたほうが好きだな~、とちょっと思っただけでしたすみませんド素人がなにプロの演技に口出ししてんだよって感じですよねもう黙りますすいません単純に演劇での演技は「今演技してます!!!」ていうのが透けて見えるのが好きなだけなんです特にこんだけかっこいい感じのリズム感溢れる日本語たっぷりなセリフだらけなんだったらいっそ全部ある種の型が見えるぐらいにスタイルめいた喋り方で全編ぶっ通しで「喋ってる人が楽しそうに言ってのける」ぐらいのやつが聞いてみたいんですそれありきでその上に物語世界がリアリティ持って形成されるみたいな限界突破して素敵なやつが観たい...みんな気持ちのうえでは義経ぐらいはっちゃけてもええんやで…感情爆発(してるわけではないんだろうけど)、というかそういう風に叫んだりしてるのは微妙に引いちゃうんです...。

 

同じ張り上げるにしても、絶叫するとかじゃなくて、知盛が手紙を口述筆記的に書きとらせる時とか、最初は感情の赴くまま、みたいな感じだったのに、徐々に言葉に酔ってるみたいな、自意識というか、とにかくああいう「言ってのける」感が出てきたりするところとは、上手く言えないけどなんか超絶最高でした。ああいうのがもっと観たい…です…(小声)

 

色々好みで書いたけど、思い返してみれば、程度のことで、どっちにしろ普通に、全員べらぼうに上手くて、すっげーーーー、としか言えないんですけどね!!?すごすぎだよね???!

 

聞いてて気持ちいいから、覚えるの自体はプロの方ならまあそれなりに...ってレベルなんだろうけど、とにかく固有名詞とか多すぎでほんと難しそうなセリフなのに...すごすぎる...どうしてあんなりすんなり言えるの...??

たぶん「音読して」とか言われたら、私は開始3行で噛む自信しかないです。というか漢字読めなくて確実に1行で詰まる。

(読んだ時、知盛の名前の読み方すら怪しかった。よく大学に受かったなこれで)

 

…個人的には、若村麻由美さんのやや歌うような、それでいて聞き取りやすくて落ちついたセリフ回しが最高に好みのど真ん中でした。『少女仮面』でも惚れたけどさらに惚れる…圧倒的存在感…。美しすぎる…。美の権化...。理想の影身…。

 

あ、そういえば、なんで後半の戦シーンで、知盛ずーーーーっと舞台の1番後ろでゆったり歩きながら上から俯瞰してんだろ???って思ってたんですけど、「見るべき程のことは見つ」って言うために見てたんですね。俯瞰して。

なるほど!!ってなりました。

 

あと、なんか俯瞰して見ちゃった人、宇宙的な視点とか、死者の視点持っちゃって、そういう視点で世の中を常に見つめてる人って大体自殺するよね。『わが町』でもサイモン・スチムソン自殺しちゃってるしね。ほんと似てるなこの戯曲。

 

書き残したこと

色々長々書きなぐったけど、音楽について書き忘れました!!!!

あんまり詳しくないんだけど、劇の雰囲気にぴったりですね???!!!

バイオリンとか使ってるぽいのにそれこそ能の囃子方の音楽とか思い出したり、波の音聞こえてきそうな素敵かつ不安感あおる部分もある音楽でした。

 

…演劇を言葉で語る以上に音楽ってむずいね?!

 

エモかったです!!!(もともとない語彙力をかなぐり捨てる)

 

あと弁慶イケボだった。誰がやられてたんだろう今度調べよう…。

 

なんかほんとに長々長々書いたんですけど、最後に若村麻由美さんの語りをきけて、ふっと気が遠くなるぐらい宇宙!子午線の視点!を感じたんで、もうそれで全部最高だったです(言葉遣い)。

あとほんとに演出天才すぎる。コロナ終わって、観客席も演出とかも、色んな制限全部フリーになったら、フルバージョンで同じキャストで再演を五体投地して信じて待ってます。信じてるから...ね...??

 

…3階席で観られたのは、結果として最高だったけど、カーテンコールで、演者さん全員マスクして、客席の通路通って退場してったので、やっぱり1階席いいな…となったのはしょうがないですよね。

まだまだ立派なお上りさんなので、田舎者としては、芸能人は近くで見てみたいよね!!!(あふれ出る本音)

 

それにしても1年前から気になっていたけど、思い切って観に行って良かったです。

超最高でした!!!!

(日本の舞台でここまで興奮したの久しぶりかもしれないです。生ってすごい)

 

…とりあえず感想を書ききった気がする。辛うじてですが。

毎度のことながらごちゃごちゃです。今回は興奮してるからいつもの5倍うるさいし。

でもいつか再演(あると信じてるからね※2回目)の時に読み返す用で書いとかないと、後悔しそうだったので…。

 

あと、あれだ、私が観た時に、誰かわかんないけど源氏側の旗持ってた方で、旗が上手く垂れなくて、タイミング見ながらひっそり直そうと苦戦してた方、すごく気持ち分かる…。あれは進行に差しさわりなくても気になるよね…。全員の美意識高い舞台観られて幸せでした…。

(あと、あれも。舞台後方に何故か逆さまに映ってた影も綺麗でした。もうとにかくどこ切りとっても全部綺麗だった)

 

最後になるし…。くそ真面目なことを…一応書いておこうかな…(笑)。

なんか、あの、知盛と影身のハイライトシーン(第3幕ラスト)実際に観てみて、「大自然の動き」とか「人の世の大きな動き(=歴史のメカニズム的な??)」とかは「人の世の営みとはかかわりもない」、なんも関係ないというその一点でこそ関係あると考えたりも出来るのかな、と思いました。

だからこそ影身は、しっかり見つめろ、って忠告するのかな、と。

自分なんかいなくても、世界は回るし、たくましいってか。

(自分がいない方の確率、世界と関わらない確率の方が明らかに大きいのに、その世界にそれでもいることの奇跡・意味、実感しろよ的な?まさにコロナ禍で落ち込みまくってる時にぴったりだね)

 

ただこんなの常日頃から考えてたら、それこそ死にたくなると思うので、やっぱり舞台でちょっと触れるぐらいがベストな気がします(笑)

 

明後日は『ドレッサー』(2020/02/27)観に行くので予習頑張ります。

 

追記:子午線の祀りせいでハードルがいつもより上がりまくってた状態で観たら、申し訳ないけど休憩中に帰りたくなりました。思わず「この程度のセリフで噛むなよ...」と失礼なことを思ってしまうぐらい…。

あと『ドレッサー』はもっと、コミカルで軽いテンポと皮肉の中に、流しきれない、なんか汚泥みたいな情念と重さが、ノーマン(=No Man、誰でもない→『リア王』のNothingFoolとか)と座長の共依存的関係性の中に見え隠れしてほしかったです。

今回は、個人的にですが、軽すぎた気がします。

長々と書いたら暴言しかでなそうだったのでここにまとめて終わる!!

コロナのせいで稽古も満足にできなかったんだろうけど子午線の祀りのクオリティ観た後だと評価も厳しくなるよねごめんね(笑)

 

流石にこの長さのブログは疲れました(笑)

*1:試しに個人的に連想したものあげてみます。

 

リア王

→星に関するくだりとか。星占いとか全然信じないエドマンドに騙されるエドガー含むリア側の人、みたいな対立とかあるし。エドマンドがI shoud have been that I am.て言うあたりとか。(戯曲持ってないんで怪しいですけど「この私生児が生まれた時、天でいっとう清純な星が輝いていたとしても、おれは今のおれになっていただろう」的なめっちゃ悪かっこいい感じのセリフだった気がする。エドマンド演じる人は胸焼けしそうなレベルで色気ダダ洩れな人じゃないと許さない…(謎の主張)

 

マクベスTomorrow Speechとか

子午線の祀りのハイライトシーン、戯曲で言うと第3幕のラストの、影身と知盛のやり取りのなかで「あの星から眺めれば、いつか必ずそうなるはずの運命の中へ、ひと足ひと足進み入って行くわれら人間の姿が、豆粒ほどの人形の動きのようにも見て取れるのかも知れぬ。」って知盛言うけど、マジでマクベスみしか感じないのは私だけですか!?!?!戯曲持ってる方、見比べてみてよほんとに!!!!???

 

ハムレット

→民部が三種の神器持って海に沈もうか沈まないか悩むときに「成るか—成らぬか―」って繰り返すけど、こういう肯定と否定の言葉の並びTo be or not to be...にしか聞こえないのは、もはや病気なんじゃないかな。人生にはハムレットがいっぱい。

→あと、「天と地の間にはなホレイショー...」的なあれ。これに関しては焼き直したレベルで似た、知盛のセリフがあった。戯曲持ってないからうろ覚えで怪しいけど...。

追記:これか。

There are more things in heaven and earth, Horatio Than are dreamt of in your philosophy.(1-5)

 

アントニークレオパトラのイノバーバス

→言わずもがな民部。圧倒的なイノバーバス感を感じるのは私だけかな?驚きの一致率だと思う(笑)。

 

『リチャード二世』とか。

義経が、埒が明かないから水主楫取(かこかんどり、船こぐ白い着物着た人たち。ほんとは戦のルール的に殺しちゃダメ)殺っちゃおうヒャッハー!!!てなった時に「天と地を覆そうこの期に及んで法も掟もあるものか!」(かっこいい!!)って言ったのを聞いて思い出した。まさにそういう話だったから。このセリフ、読んだときには流してたけど、舞台で見たら義経演じる成河さん、めっちゃ強調して喋ってたから、ハッてなって気が付いた。俳優さんってすごい。

 

あと所々の展開がシェイクスピアのやつでなんか見た事あるぞ...ってなる。

イルカとかまじダンカン。

民部裏切るかも、って場面の終わりに知盛突然言うところとか超劇的だし。

知盛の「お前は今宵かぎりこの知盛の前から消えてしまうのだ!」とか、何事?!、レベルで役者さん的に喋るの超楽しそうなセリフ。

よくこんなん考え付くな、というか、全編通してなんかそもそも知盛ハムレットやばい。てか福田恆存訳のハムレット知盛感やばい(そろそろ自分が何言ってるか、わけわかんなくなってきた)。

そういえば前に図書館で映像で野村萬斎さんのハムレット観たな…。変な重箱的な記憶しかないけど…。あと日本語のセリフとか、リズム良かったことぐらいしか覚えてない…(たしか、河合祥一朗訳?だった気が)。あと「ハーフアップのハムレット、私初めてみた」ってメモに書いてる。髪…??

 

とにかくなんか漠然と、日本題材、日本語で、日本人がシェイクスピア劇書いたらこうなった感がすごい(表現)