感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

2022年9~12月に生で観た舞台と、ちょっとした感想

卒業論文書き終わって完全にフリーかと思ったら「例のあの賞、その勢いで出してね」と先生に無理難題を言われて、全然フリーじゃなかった正月休み、現実逃避でブログを書きます。

 

メンタルは相変わらず終わってますが、元気に好き勝手書いていこうと思います。あらすじとかは書いたり書いてなかったりです。雑感なので。

 

 

2022年9月

①『COLOR』

新国立劇場 小劇場(16日、14時)

 

《成河…ぼく、浦井健治…大切な人たち、濱田めぐみ…母》の回。

『導かれるように間違う』の、成河さんのクマのぬいぐるみ首もぎ取り事件を観てから、成河さんとクマのぬいぐるみの組み合わせに不穏な気配しか感じなくなったのだけれど、今回はUFOキャッチャーのクマがちょっと踏んづけられてちょっとわしづかみにされてちょっと酔っ払った編集者に絡まれるぐらいで安心した。

 

でもドキュメンタリー演劇的な手法を取らず、あえてそれ自体で完結したフィクションとして、リアリズムの延長にあるミュージカルという形式でやる意味が全く分からなかった。実際に出版した本があり、その本の編集者も作品内に出てきているのだから、もう少しその辺りから、何かしら単なる感動話には終わらせない、虚構としての作品とそれに実話があることを踏まえた複雑な構成にすることも可能だったのではないかと思う(ただその場合、観客の感情に訴えかけることや観客の感情の同一化が得意なミュージカルという形式は使わなかっただろうとも思う)。

正直、前もって言われなければ(ロビーには坪倉優介さん本人が染めた作品が複数おいてあったりした)実話とは分からなかったかもしれない。

ただ成河さん演じる「ぼく」と濱田さん演じる「母」の衝突の場面での、声の殴り合いみたいな歌唱は聞いててものすごい迫力ではあった。劇場の天井と床抜けるぞ。マジで。

 

それと実話なことを考えるとかなり不謹慎なのだけれど、前半の作り(身体的には成人している存在がまっさならな状態から色々学習していく)が割とNTLで観たフランケンシュタインに似ていて、こういう要素は物語を作る上で一定の人気があるのかもしれないと感じた。

あとものすごく意地悪な書き方だけれど、男性で、そこそこ金銭的に余裕がある家庭環境で不幸中の幸いだったね、と思わず思ってしまうような描写も散見された(突然思い立って所持金ほぼゼロで単身ドイツに向かう、など。どうも見知らぬ人の家を泊まり歩いたらしく、男性でも無理な人は無理だろうけど、女性だと絶対に無理だと思った)。その辺りにも一貫して無自覚だったのも少し気に入らなかった原因な気もする。

 

ところで「ぼく」の元カノらしきこずえさんとはどうなったのか作品内では解決されてなかったので、もうこれは原作を読めってことなのか…?読まないよ…?

 

素敵なピアノとパーカッションと歌唱に1万円払ったのかと思うと、ちょっと満足は出来ない公演だった。オリジナル・ミュージカルということで大々的に宣伝していたからもうちょっと何か実験的な事をやっているのかと思ったけれど、悪い方の予感が的中してしまった。

 

②シヅマ♯1.1『4.48 Psychosis』

@都内のビルのミーティングルーム(19日、14時)

 

1人で60分ノンストップでやり切った俳優さんには素直に賛辞を送りたいけれど、翻訳の言葉がものすごく厨二病的に堅苦しく、攻殻機動隊とかエヴァを思い出してしまって、心を病んだ人というよりは、そういう厨二病的な世界(言い方が不適切かもしれない)に頭を置いてきぼりにしてきてしまった人という印象が強かった。そしてサラ・ケインのこの戯曲は心を病んだ人を描いた作品のはずなので、心ではなく頭の方を病んだ人、というこの齟齬は結構致命的だと思う。

 

それと、13席しかないすごいちっちゃいミーティングルームが劇場だったのだけれど、「ビルの一室」というこのやや特殊な環境が、何も作品に反映されてなかったのが悲しかった。

ただプロジェクターによる照明は綺麗だったし、その温度のない無機質な光と俳優の身体が、都会ビルあるあるのでっかい窓ガラスに反射していたのはとても美しかったと思う。

 

③た組『ドードーが落下する』

@KAAT 大スタジオ(23日、14時30分)

 

この日、セブンイレブンのチケット発券システムの障害でチケットが発券できなくてめちゃくちゃ焦った。急いでKAATに電話したら丁寧に対応してくれて感謝。

 

統合失調症の芸人とそれをとりまく友人(?)たちの話で、特に劇的な起承転結もなく、じわじわと緩やかに状況が悪化していくのが、観ていて真綿で首を締められるようなしんどさを感じた。

悲劇喜劇に戯曲が出ているので興味のある方はぜひ。

 

私は『ザ・ウェルキン』の演出をあまり良いと思わなかったので、本当に同じ人が作・演出なのかとちょっと疑った。

ただ、明らかに笑わせようとしている演出(箱の中から突然おじいちゃんが出てきたり、電話線が異常に長かったり、殴ったミニチュアのビルが予想以上に柔らかかったり、など)あまり客席にウケてなかったのが少し気になった。それと舞台美術のミニチュアの街は、とてもいい効果を出している時とそうでない時の差が激しかった気がする。

 

それにしても日常生活であまり夫婦生活とセックスと下半身と色恋に縁がない人間なので、舞台とかであからさまにそういうことを話す人物たちを観ると、私以外はみんなこんなもんなんだろうか…と少し疑問に思う。

 

④『The Concert』

東京芸術劇場 プレイハウス(24日、14時)

 

トリプルビルだった。『スコッチ・シンフォニー』は華やかだったし『牧神の午後』は私が知ってるめちゃくちゃ官能的なやつとはまた違って綺麗だったけど、ぶっちゃけるとこの2つはあんまり印象に残ってない。

でも最後の『コンサート』は何だか変なバレエだった。「揃わないバレエ」という謳い文句だったから、なんかもっとヤバい前衛的なのを想像して行ったら違った。6人のバレエダンサーがことごとく間違い続ける場面があって、ああいう揃わない稽古を何度も繰り返して、揃う本番になってるんだろうな、と謎にしみじみした。ピアニストの人もパフォーマンスしててびっくりした。最後は虫になったダンサーをピアニストが虫取り網を持って追いかけてて、かなり笑えるバレエ作品だった。

 

ただ各作品の間にそれぞれ休憩20分は長すぎる。どっちか1回でいい。

 

⑤イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出『ガラスの動物園

新国立劇場 中劇場(30日、13時)

 

少なくとも2人、携帯鳴らしてたので猛省して欲しい(怒)。

 

もっとぶっ飛んだイヴォイヴォしい感じを想像していたら、ジムとローラのダンスシーン以外はそこまで激しくなくて、丁寧にオーソドックスに作られた印象だった。私はこれが初めて観るガラスの動物園だったので、変なの観せられたらどうしようかと思っていたので、杞憂で良かった。

 

生きるために必要な食事を作るキッチン以外はすべて取り除かれて、全体が毛皮を敷き詰めた動物のあなぐらのような舞台美術だった。そこに閉じこもっているローラは、よく同じ素材の毛布にくるまっているので、その時はまるでセットに同化しているように見えたのが印象的だった。

ただ、閉塞感というよりは「とりあえずここに居れば安心」という感覚が舞台美術からは伝わってくる。ちなみにお父さんの顔は毛の流れで複数個表現されていた(そのためダンスシーンとかで何個か消えてた)。

 

イザベル・ユペール演じるアマンダが魅力的で、夢想家というよりはものすごく生命力が強いキャラクターとして描かれていて新鮮な感じだった。生きること、幸せになること、子供たちを幸せにすることに全力で前向きに立ち向かっていて、本当に強いなこの人、と思った。

ただ料理するシーンで鳥を丸ごと鍋にぶち込んでたのは結構狂気的だった。

でもこのアマンダのハチャメチャっぷりに笑いが起きていたのも事実で、「愛すべく、同情すべきところも多い」っていう戯曲そのままのアマンダの雰囲気にもあっていて、良かったと思う。

 

それとイザベル・ユペールの独壇場になるんじゃないか、と観る前は思ってたんだけど、全然そんなことはなく、かなりバランスの取れたキャストだったと感じた。ローラ役の人の声がとにかく聴いていて心地良かったのも記憶に残っている。

キャストに関しては、ジム役が黒人の人なので、アマンダが南部の思い出を朗らかにジムに話すシーンで妙な気まずさがあった。たぶんこれは意図的。

あと、このジムの造形が最高に好きで、戯曲読んだ時も「こいつめちゃくちゃうさんくせえな」と思ったのだけれど、本当にオンラインサロンに足しげく通って自己啓発本で本棚が埋め尽くされてそうな雰囲気がひしひしと伝わってきたので、「解釈一致よ…!」とテンション上がった。というわけでそいつだけはやめとけローラ。地雷臭がすごいぞ、その男。

 

謎だったのは、黒い幕によってブツブツと切られること。(トムの)断片的な記憶ってこと?

あとローラの「ガラスの動物園」が舞台中央手前に置かれて、まるでそこからビームが発射されているみたいに薄暗い中、照明で強烈に照らされるのは一瞬ギャグかと思った。たぶん違うよね。たぶん…。

 

傑作だったかと言われると、いや別に、という感じではあるのだけれど(期待しすぎた感は正直ある)、上手い人たちが集まって、古典に現代劇としての息を吹き込むように作った一級品を観た、という満足感はある公演だった。

 

2022年10月

①『住所まちがい』

世田谷パブリックシアター(5日、14時)

 

たぶんこれはあらすじだけでも面白さが伝わると思うので、適当に書く。

 

【雑なあらすじ】

3つの出入口がある(したがって住所も3つある)建物の上の階に、それぞれ3つのドアから間違えずにたどり着いた社長、警部、教授。互いに住所を間違えたかと思ったらどうもそうではないことが明らかになる。

それぞれ会う予定の人が現れないうちに、局地的に大雨が降るわ、大気汚染警報が発出されるわで、3人仲良く一晩建物内に留まることになった。なんでも願ったものが出てくる万能冷蔵庫(教授がホカホカのココア頼んだ時も冷蔵庫のなかから出現した。そんなバカな)のお世話になりながら、とりとめもない暇つぶしの会話をしているうちに、社長が「もしかして自分たちはもう死んでいて、あの世の待合室にいるのでは」とか言い出した。そのまま議論はコミカルな要素を保ちつつどんどん哲学的な方向に飛躍していく。

マリア様との偶然とも言える微妙な共通点が多い掃除屋さんの出現で、「俺たち死んでるかも!」の混乱はピークに達するが、掃除屋さんが奈落に消えるように(!)退場していくと無事に夜が明けて、窓から見える道路にも人々が現れだし3人は息をつく。

それぞれが入ってきたドア(前半で、それぞれが入ってきたドア以外から退場しようとするとドアが開かないネタあり)から帰路につく。しばらくすると、舞台上に全員顔面蒼白で戻ってくる。下の出入口が開かないのだ。掃除屋さんが口ずさんでいたアヴェ・マリアが爆音でかかる中、いい年したおっさん3人が互いに互いを震えながら抱きしめ合い溶暗。

 

全面白色で揃えた、天井の低い箱型の舞台だったので、ペレアスとメリザンドといい、ガラスの動物園といい、流行ってんのか天井低い舞台美術、上の席からだと見えにくいんだが…、とか、日本に設定移しているのに西洋風すぎやしないかこの建物…まあこういう場所なくはないけど…、とか色々思うことはあったのだけれど、床の部分がガラス透かしみたいになって綺麗だったし、何よりも後半で示唆される「天国」とか「異界」感があって結構好きだった。この舞台美術。

 

社長のセリフで「私たちこんなに喋り続ける必要ありますか!?」「私たち無意味なことを死ぬほど喋りましたよね…」というのがあるのだけれど、本当にこれに尽きる話だった。ひょんなことから出会った3人が、話しているうちにどんどん思考だけが飛躍していく不条理的なおかしさ満載の作品。俳優さんたちも文句なしに上手いし、(実は卒論の必要性に駆られて観に行った作品だったのだけれど)とても笑えて楽しかったので観られて良かった。結局どうなったのかよく分からない最後も好き。

 

ただ渡辺いっけいさん演じる警部の衣裳が、とても汗ジミが目立つものだったので、もうちょっと目立ちにくい色味のものに変えた方がいいのではないかと思う。

 

②『浜辺のアインシュタイン

神奈川県民ホール 大ホール(8日、13時30分)

 

てっきりロバート・ウィルソンと真逆の(あるいは全く関係のない)チャレンジをするのかと思っていた。でもロビーに「お席により見えにくいと感じられる場面もあるかもしれませんが、演出上の意図として、自在にフレームの変化する世界を絵画のようにご覧いただけますと幸いです」と書かれた紙が貼ってあるし、劇場内の放送でも「絵画的な美しさを楽しんでね」(超訳)と流れるしで、「じゃあロバート・ウィルソンのあの絵画的な美しさ全開の演出を同じベクトルで超えるようなもん観せてくれんだろうなあ…!」と妙にケンカ腰になってしまった。そんな私も悪かったとは思うのだけれど、完全に蛇足の説明だった気がする。

音楽は生で聞けて感動はしたのだけれど、ぶっちゃけ音楽だけで良いかな…舞台いらないな…という感じだった。

 

プロセニアム・アーチを額として統一された絵画的なイメージが展開していくというよりは、その中で独立した複数のダンス・パフォーマンスが同時進行している形で、正直観ていてかなりごちゃごちゃした印象を受けた。

ただ、これを観て、手っ取り早く絵画的な美しさを求めるのなら、「ゆっくり動くこと」と「静止すること」が効果的なんだなということがよく分かった。ロバート・ウィルソンの演出を「静」とするなら、ダンサーがメインということもあり完全に「動」の演出なのだけれど、ダンサーが動けば動くほど絵画的な美しさをからは遠ざかり、ふとした瞬間の静止が一番美しい、という皮肉な状況になっていた。

もちろん激しく動いていて、なおかつ絵画的な美しさを保つことも可能なのだけれど、今回の演出ではそこまでの印象は受け取れなかった。

 

あと途中狂ったようにビニールを被りだしたり、海のイメージを出すために舞台の床全面をビニールで覆うシーンがあったのだけれど、そのビニールが出す音が音楽面へどのように影響を及ぼすかについては、たぶん全く考えてないのも結構致命的だなと思った。チェーンを使用するシーンについても同じことを思った。

それに関連して、セリフもとても聞き取りづらかった。一応オペラなんだからもうちょっと聴覚面にこだわって欲しかった。

 

いろいろグチグチ書いたけど、ロビーの文言と放送さえなければ「ロバート・ウィルソンと全く違う『動』の演出にトライしててすごい!!」とか、もっとポジティブにとらえられたかもしれない。

 

③『スカーレット・プリンセス』

東京芸術劇場 プレイハウス(9日、15時)

 

とりあえずよしあしはおいといて、「めっちゃプルカレーテを浴びた」という満足感のある舞台だった。

 

何故か変にチープな効果音(すべて生演奏。すごい)(刀抜くときとかに「シャララン!」って音したりする)も相まって、全体的にものすごくコミカルに演出されてるのも、妙にグロテスクな世界観も、いつも通りのプルカレーテという感じだった。

清玄の身長が、威厳に比例して伸び縮み(最初は演じるオフェリア・ポピが肩車してもらっている状態で演じているので、奇妙にでっかい)するのとか、桜姫と清玄を人非人として打ち据えるとき、なぜかショータイムみたいになって、清玄と桜姫でさえノリノリになるのがとってもグロテスクで好き。

 

あと、個人的には特に川の場面が好きで、川の中を歩くちゃぷちゃぷした水音が本当の水を使って演奏されている中、舞台床にスモークが立ち込めるので、舞台上にマジで川が出現したかと思った。とっても綺麗。

 

全体的には楽屋と地続きになったみたいな空間に設定されていて、なぜか舞台上に3ヶ所くらい女優ライト付きの化粧台(これは守銭奴 ザ・マネー・クレイジーでも使いまわされていた)が出てくるわ、俳優が途中で自分の本名を明かす小ネタがあるわで、なんだか見世物小屋で見世物を観ている感覚にもなって、「アングラ感がある…」とも思った。

 

新鮮だったのは、桜姫が子を殺す(バケツに張った水に頭を突っ込む)のとか、権助を殺す(銃でズドンと一発。今までの刀はなんだったんだと拍子抜けした)のがかなりあっさり行われたこと。歌舞伎では見せ場になるので不思議な感じだった。

桜姫による殺人のあと、突如(たしか後ろにかかってた幕とかが落ちて?)現れた、地面にみっちり倒れ伏した死体みたい人々が、たぶん桜姫に向かって「人殺し、犯罪者」ってささやく中、桜姫が取り返した都鳥を落ち武者みたいな人(頭に赤い羽根を付けたピエロ?クラウン?みたいな人も出てた。どちらも特にセリフは無くて存在するだけ。なんとなくどちらも「運命」をつかさどっていたのだろうかと思っている)に投げて倒れて幕だった。

最後はカーテンコールへと続く、華やかなカーニバルみたいになっていたのだけれど、その空虚な華やかさを視覚的に楽しみながら、なんとなく、罵られようとも復讐を成し遂げた桜姫はすごいっちゃあすごいけど、それが桜姫の心からの幸せだったのかは割と分からないラストの演出だな、と思った。

 

プルカレーテの舞台を観ると、時空間がぐにゃぐにゃになっている印象をよく受けるのだけれど、今回の演出もそれが満載で、私はやっぱりそういう意味では大満足だった。

 

④『夢と錯乱』

東京芸術劇場 シアターイースト(15日、16時30分)

 

席についたら院の先輩が隣の隣の席に座ってて、ちょっとおしゃべりできて楽しかった。一番盛り上がったのは、前の方の席に開演直前に先生が滑り込んできた瞬間。終演直後に流れるような動作で出て行って余計に面白かった。観劇プロの動作だ…。

 

美加理さんが喋ってた…というのが一番の感想で、それ以外は謎、というか正直あんまりうまくいっている感じがしない上演だった。

観ていない人には全く分からないだろうけれど、起き上がり小法師的な顔ハメ輪っかも、木くずをぶちまけるのも、声を低くさせるマイクとエコーさせるマイクを利用するのも、「なんで?」がとにかく止まらない上演だった。そもそもセリフのなかに登場する「彼」が最後までうまく像を結ばないし、もういっそ大して長い詩ではないのだから、全文印刷して観客に配ってしまえよ、と思った。

 

あとちょっと失礼な感想なのだけれど、美加理さん、ムーバーとしてはかなりすごい俳優さんなのは映像とかで観ても分かるのだけど、喋りはそこまでではないな…というか声が可愛すぎてなんか違和感…と思ってしまった。

そんなことを思っていたから、後半、後ろに字幕で詩文を投影して、光の中で爆音の音楽と共に踊るだけの場面にシフトしたときに「あッ、逃げた」と思ってしまった。

 

いろいろ書いたけど、私には理解のできない何かすごいことをやっていて、私が追い付いていないだけかもしれない。この間観た明るすぎる『盲人書簡』より真っ暗になる劇場は新鮮だったけれど、それならやっぱり楕円堂で観たかった、イーストだと開放感がありすぎだよ…と思った。

 

先輩とは「すごく小劇場って感じだけどなんだこれ」で感想が一致した。ですよね。

 

⑤映像演劇『階層』

@シアターイースト(22日、12時)

 

色々面白い部分はあったのだけれど、最初の10分ぐらいが最高に面白かった。

案内係に案内されて、客席に移動し、「あなたはそれを信じる必要はない」云々というかすかに聞こえる録音音声と思しきセリフを聞きながら幕の閉まった舞台を観ていたら、突然幕がサーッっと開いて、舞台上にある柵にもたれかかった人たちと向かいあう形で対面して、まず驚いた。

「これ映像演劇じゃなかったっけ…俳優さんいるのだろうか…」と思いつつ眺めていたら、じわじわと「あれ、そういえば上演時間70分なのに60分ごとに観客いれられてなかったっけ…」とか「前の回の観客、いつ退場した…?」「もしかしてこの人たち、前の回の観客…?」とじわじわと居心地の悪さ(正面で向かい合っている形なので)を感じていたら、突然幕が閉まって幕の後ろで「終演ですー」の声。

どうも本当に前の回の観客だったみたいで、まず観客同士が観る/観られるの「階層」に巻き込まれる形になっててゾッとした。

 

舞台上に上ったら、安全な柵の内側で「動物園」の動物を観るように映像を観てね、と案内係に説明される。舞台上には長方形のデカい穴が開いていて、その穴のなかに映像パネルがもたれかかっている。それをその穴に落ちないように設置された柵から身を乗り出す形で観る感じで、物理的にもたしかに「階層」だった。

 

 

内容としてはかなりまとめづらいのだけど、映像に映っている人々が「自分の意思」で「上の世界」から「下の世界」に来て「永遠」を手に入れたことを話はじめる。話を聞いているとどうも「自分の意思」で死んで、死後の世界という「永遠」を手に入れた人々ではないか、ということがぼんやり分かってくる。なので彼/彼女たちの1人がまるで観客を死後の世界に誘うように「飛び降りてくればいいのに」と、ぽろっと漏らすセリフにはかなりゾッとするというか、くらくらする感覚になった(実際にビルの屋上にいるような感覚になるのは上の図でもなんとなく分かるのではないかな…と思う。イーストの下の奈落?意外と深い…)。

 

しかもどうも「上の世界」から「下の世界」に行くと見た目がガラッと変わってしまうらしく、「もしかしてさっきの観客の人たちが『下の世界』に行ってしまって、映像として映っているってことか…?そしてそれを私たちは追体験している…??」と思ったあたりで閉じてた幕が開いて、次の回の観客に、「動物園」の柵の中にいる動物のように自分自身が見つめられ(見つめ返し)、幕が閉まると舞台から「下」に「降りて」退場する、という体験ができるえげつない作品。

 

「永遠」の幽霊(「映像」の半永久さと実体がそこには存在しないという亡霊感)を「上の世界」から眺めていたと思ったら、自分たちも結局いつかは「下の世界」に行くしかないようなこの「階層」が入り乱れている感じが、とにかく上手く言語化できないけど、最初っから最後まですごかった。

 

観に行けて良かった。良かったけど、メンタルの調子が悪いやつが観に行って良い作品ではなかった…とも思った。ぜひ私が元気な時に再演してください…。また観に行きます…。

 

⑥カンパニーXY withラシッド・ウランダン『Möbius/メビウス

世田谷パブリックシアター(22日、16時)

 

日付のとおり、映像演劇『階層』からのハシゴ。普段は疲れるからめったにハシゴしないんだけど、どっちも1時間ぐらいだろうと踏んで、いけると思った。案の上いけた。良かった。

 

前から4列目という超近い席で観たので、迫力がすごかった。「舞台上だけ無重力になったんですか?」とい感じだった。人って縦に4段に重なることができるんですね…(渋谷でのゲリラ的なパフォーマンスが前にTwitterでバズってたから、もしかしたら3段重なっているのを観た方もいるかもしれないけど、劇場だと4段いってた)。

こういう4段重なっていっているような難度の高い技を繰り出している時の緊張と、その技の完成形が綺麗に崩れていくときの緩和が、音楽にのってリズムよく繰り返される心地よい作品だった。

 

あと久しぶりにサーカスを観たのだけど、舞台芸術の特徴である「失敗の可能性」って、こういう身体だけで難度の高い技を繰り出していくような作品において顕著に浮き上がってくるものなんだなあ、とも思った。緊張感とかヒリヒリ感とかが凄まじい。

 

⑦『レオポルトシュタット』

新国立劇場 中劇場(26日、13時)

 

ハンナ演じる岡本玲さんのピアノの生演奏には感動したのだけれど、小川絵梨子さんは相変わらずユーモアを殺す天才だな、と思った以外に特に感想はなかった。

 

舞台美術に「家」感があまりなく変な広場っぽいのも「家」の物語なのにどうかと思ったし、何より最後の方に決定的に突入してくるナチスの人が全然怖くなくて「いや今そこにいる男性陣で寄ってたかって押さえつければ絶対倒せるぞそいつ…」という小物感がすごくて、とにかくしまりがなかった。

 

那須佐代子さんがいるから大丈夫とか思ってたけど、考えてみれば那須さん演じるエミリアおばあちゃん、前半以外出てこないんだった…と舞台を観ながら絶望してた。俳優さんたち、戯曲の勉強会をしてから挑んだ的なことをパンフレットに書いていたけど、ほんとにした?と疑いたくなるレベルで「分かってない」感じのセリフまわしをしていて、なんだかなあ…と思ってしまった。これ観るくらいなら、悲劇喜劇で戯曲だけ読んだ方がなんか感動できる気がする。

 

1月のNTLの方に期待しておこうと思う。

 

⑧akakilike『捌くーSabaku』

@シアターウエスト(29日、14時)

 

好きか嫌いかで言われたら、あんまり好きではないのだけれど、誠実だな、という印象はある作品だった。

 

さまざまなバックグラウンドを持つパフォーマーが、それぞれの動作をひたすら繰り返すような場面が、あてこすりです!と言わんばかりの爆音のクラシック音楽によって中断されながらも連続していて、観ている感覚としては、公共の場で奇声を発しているやっべえやつを目撃し続けているような感じなんだけれど、その中でひと際目立つのが、中央の手術台みたいなのに横たわっているたった一人の女性。

その寝ていたり手術台?の上に立っていたりする女性の周りには、常に直立不動の男性パフォーマーたちが女性をじっと見つめるように立っているのだけれど、それがどこか不穏で気味が悪い。

 

後半になると、東京大学誕生日研究会レイプ事件とかを想起させるようなセリフが断片的に耳に入ってきて、寝そべったまま男性に見つめられる女性はレイプの暗喩だったのかと、気持ち悪さの原因が判明した。

 

ただそれ以外は、簡単に理解できないような構成になっていて、細かい部分はどういう意味があったのかはよく分からない。観客に簡単にカタルシスを与えない(簡単にスッキリ理解しきって、忘れることを許さない)、という一貫したドラマトゥルギーのもとに作品が作られていて、それが(おそらく)現実の事件を取り扱う手つきとして、とても誠実だなと感じた。

そういえば、音楽にやたらとチャイコフスキーとかのバレエ音楽が多かったことを考えると、バレエにおける「女性」の表象への批判かもしれない、とも思った。エド・シーランの曲がかかってたのは、本当に謎だったけど。

 

2022年11月

①『May B』

埼玉会館(19日、15時)

 

11月は卒論完成させたかったので、これ1本だけ。頭ぶっ壊れるぐらい面白いわけではなかったけれど、有名な作品を生で観られて良かった。

 

冒頭、とても長い間、劇場が真っ暗になるのだけれど、その間にじわじわと目が慣れだして、舞台上にいつの間にか登場していた全身漆喰を塗りたくったダンサーの輪郭が、真っ暗ななか照明もないのにうっすら発光して観えたのが個人的には感動ポイントだった。

照明がついてからは、動くたびに漆喰がはがれて舞い上がるので、なんだか人がバラバラに砕けていくような感じで奇妙だった。

 

あと音がない場面で、全員でぴったり合わせて動く時とかも、じっと目を凝らしていると、誰がリードが分かってちょっと面白かったり、ケーキが人数分なくて、ケーキがのってたお盆を悲しそうにつついてたり、と意外とかわいい場面もあった。

 

最後は、カバンを持った青年が1人「終わり、終わりだ、もうすぐ終わる、きっと終わる(Fini, c’est fini, ça va finir, ça va peut-être finir.)」とベケット『エンドゲーム』のセリフを喋ってから、舞台中央で静止したままものすごく時間をかけて溶暗していくのが、妙に辛くて悲しかった。人生は酷い、でもきっといつか終わる。そこに救いを見いだしてもいいんじゃないかな、なんて思ったりした。

要約すると、とってもベケットだった(雑)。

 

2022年12月

①『守銭奴 ザ・マネー・クレイジー

東京芸術劇場 プレイハウス(3日、13時)

 

たまたま隣の席だった院の先輩とも話したのだけれど、完全にポスター詐欺の作品だった。私はポスターの扮装で上演される守銭奴を期待して行ったので、ちょっと肩透かしを食らった。

 

『スカーレット・プリンセス』の舞台美術(女優ライト付きの化粧台、あと木で作った組み合わせデスク的な踏み台、もしかしたらアンセルムさんのコートとかも?)を結構使いまわしていて、とってもエコだな、と思った。ビニールを案の上しこたま使っているからせめてもの環境配慮なんだな、と忍び寄るSDGsの影を感じたりもした。

 

卒論でバタバタしていて戯曲を読まずに行ったのだけれど、主人公が金に対する態度を最後まで全く改めなくて、いっそすがすがしい話だなと思った。

あと、『リチャード三世』もそうだったけど、何かに執着してなりふり構ってなくて、他のことはマジでどうでもいい!みたいな佐々木蔵之介さんがプルカレーテの癖なんだろうかと思った。最後に金の入った小箱を、ライナスの毛布のようにうっとり抱えているのが、良かったねとも思ったし、何となく物悲しくもあった。

 

結構長めの客席降りと、客いじりみたいなのがあって、久しぶりに観たなこういうの、と思った。あと金を失って無様に取り乱すハゲのおっさんという、ぜんぜん恰好良くない蔵之介をとっても堪能できた。いいぞもっとやってください、こういう役。

 

②『ライカムで待っとく』

@KAAT 中スタジオ(4日、13時)

 

今年の一番はショーン・ホームズ演出のセールスマンの死だろうか…とぼんやり思ってたところに突如現れた作品。とりあえず悲劇喜劇で戯曲が読めるのでぜひ読んで!後悔はさせないから!という感じ。

 

「あっち側」(内地)の平和維持のためのバックヤードとして「こっち側」(沖縄)が利用されていることを、沖縄の人は心から諦めているということを、ユーモアあふれる筆致で、三線の音楽とか踊りとか華やかな場面も含みつつ、ミステリ的要素でエンタメとしての面白さも確保しながら描く、このバランス感覚が天才的だと思った。

沖縄の使える部分を都合よく引っ張ってきて、内地の人が感情移入してカタルシスを得ることができる悲劇的な「物語」を作って、それを消費することで沖縄のために何かした気になって、結局日常の中の娯楽として忘れ去ってしまうっていうことを、何度も何度も繰り返してきましたよね?ということを、突き放すようにではなく、あたたかみを持って伝えてくるのが、「沖縄の人は本当に諦めてしまっているんだ」とすごくしんどかった。

そしてそういうことを、フィクションであることに自覚的で、毎日繰り返し同じ上演を行う演劇という形式で表現しているのも、終わらない「物語」、繰り返されてきた「物語」、というメッセージの鋭さを増していると思った。きつかったけど、すごく内容に適切な形式を選んでいると思った。

 

あと亀田佳明さん演じる浅野(神奈川の記者)の、無自覚で雑で素直な「いい人」としてのマジョリティ仕草がえげつなく上手かったのも、言い方悪いけど最高だった。内地の方(区別、差別している方、特権を持っている方)から「区別はやめましょうよ」とか「寄り添いたい」とか簡単に言ってしまうことの暴力性が、本当にとんでもなく刺さってきたし、それがどのくらい暴力的なのかくっきりと分かるように構造を明らかにする方法も、シンプルだけどとても効果的だったと思う(この辺は戯曲をぜひ読んで、なんだけど、タクシーの運転手が「[浅野の]娘がいなくなったら寄り添いますよ」的なことを言い返すシーン)。

 

回転舞台の使い方も効果的だったし、「沖縄は日本のバックヤード」という作品に通底するイメージに集結していく段ボールを主とした舞台美術もセンスよくて良かった。紗幕が舞台中央にかかっていて、誰が/何がそこから出てくるのか先が読めない感じが、ミステリ的な要素がある作品全体としても、どうなるか予想もつかない沖縄の未来にもぴったりだと思った。

紗幕の後ろで明滅する光は、完全に基地に見えたし、全体的に最小限の演出といった感じで抑制が効いてたのも「簡単に感動するな」という作品のメッセージとも合っていたと思う。

キャストも、沖縄の登場人物には沖縄出身の人をちゃん割り当てていて、もしそうじゃなかったらもっと違う印象を受けていたと思った。

 

あと、個人的なことなのだけど、私の地元にも基地があってよく飛行機から落下物は落ちてくるわ、核燃料のごみ箱はあるわで「バックヤード」的な役割が多分にあるので、どちらかというと沖縄の方のあきらめにとても「同じでは全然ないけど似たようなあきらめは確かにあるなあ…」となってしまった。これ本当に東京生まれ東京育ちの人とかが観たらまた違った刺さり方をしそうだな、と思った。

 

これぞ公共劇場としての仕事!というとんでもない良作を、これまた低価格で観てしまった。とにかくすごい作品だったので再演が待ち遠しい。勝手だけど、多くの人に観られる/読まれるべき作品だと思う。

 

③『建築家とアッシリア皇帝』

@シアタートラム(10日、13時)

 

上京してきた母と観に行ってとても楽しかったのだけど、満足したかと言われると微妙な公演。全体的に「もっとできたんじゃないですかね…」と(鬼みたいなこと)言いたくなる感じだった。

戯曲が結構好きなこともあって色々書きたいことがある。とっ散らかりそうなので、なんとなく便宜的に分けて書く(でもたぶんみんなでアイデア出し合って作ってる感があるので、本当はこんなにすっぱり分けてはいけないとも思う)。

あと建築家が成河さんで、皇帝が岡本さんだった。

 

演出についてー全体的なこと

1幕。とにかく後ろに出てくるかもめ?やら戦車やらが本当に謎。たぶんウクライナのことをイメージしたのだろうけれど、そのメッセージを入れたいなら同じアラバールの『戦場のピクニック』の方がよほど適切だと思う。取ってつけた感がすごくて、全体にはめ込んだ時の意図がハッキリしないし、そもそも2幕では全くそういうことしてなかったから別に無理に入れなくても良かったんじゃないかと思う。

あと、演出の生田さん、よく訳の分からん戯曲のカットをする人なのだけれど、今回も、例えば、皇帝が建築家の真似をして(正確に言うなら「建築家」を演じて)おまる(特注らしい。蝶ネクタイがついていて「あのおまる、最高じゃん」と母と盛り上がった)での排便を試みるシーンを入れているくせに、その前段階としての、皇帝は便秘だから、皇帝は建築家が排便しているのを観るのが好き、という、セリフとしてはほんの数行の部分をカットしていたり、と解せないカットの仕方が多かった。

他にも色々あるのだけれど、こんなふうに、特に皇帝が「建築家」を演じているということがぼやけてしまうのはどうかと思った。

 

休憩中。建築家がお片付けと次の場面を用意している。アイデアとしては良いと思うし、アナウンスとか客席のくしゃみに建築家が過剰反応するメタ性も笑えたのだけれど、休憩をこういうメタ感あふれる感じにするのなら、全体を通してそのメタ感(特に1幕)をもっと一貫して欲しかったと思った。

 

2幕。1幕よりは集中して観られるけれど、これはそもそもの戯曲の作りがそうなっているし、あと俳優さんの技量に関わってくる部分なので、演出が良かったから、とは一概に言えなさそうな感じ。でも運動会のシーンはとても楽しかった。ただ建築家の袋飛びが異常に速いのを見て皇帝が「練習してただろ…!」と悔しがるとても笑えるシーンがあるので、それこそ建築家がお片付けのついでに休憩中に練習してれば伏線回収ができて面白かったんじゃないかなと思った。

あと最後入れ替わるやつは、あんなに唐突ではなく、もう少し何が起きているか観客に伝える演出でも良かったのではないかと個人的に思う。

 

演出についてー音楽

なにがしたいのか分からない音楽だった。場面場面にそれなりに適した違和感のない音楽を、これまた違和感のない音量で流すので、耳に残らず流れていってしまう。流れていってしまうのなら、別にこの手の俳優と俳優の身体的なぶつかり合いが重要な作品では要らないのでは、とも思ってしまった。正直、あまり趣味の良いとは言えない作品で趣味の良い音楽をつつましく流している、そのちぐはぐさが気に食わなかった。

もっと作品に即した耳に引っかかるような音楽をかけるか、クラシックだとしても趣味の悪い音質&爆音でかけて、異化的な効果を引き出して欲しかったと個人的には思う。

 

演出についてー美術

段ボールを使った美術は、大人の秘密基地感があって(実際に色んな仕掛けもあって)楽しかったのだけれど、妙にリアリズム的な木はあるし、天井と壁がついていて縦と横には閉塞感がある割には、奥に関しては黒いビニールでどこまでも続く海を表現していて、なんとなく狙ってやったとは思えないちぐはぐな印象がぬぐえなかった。

基本的にこの作品、俳優(または俳優的な存在)が「演じている」という設定なので、本当に島である必要性もない、との判断で、あんな汚部屋というかゴミ捨て場みたいな美術だと思うのだけれど、そうなると南国風にリアリズム的な木がすごく違和感があった。「木」に見立てたハシゴかなんかで十分だったのではないかと思う。

あと2人だけの関係性に歴史や人生や存在価値などがどんどん集約していって、その関係性の中に閉じていくことに重きをおくのか、逆にその関係性に無限の可能性を感じて「俺さま万才!」のセリフに象徴されるような全能感と開放感に浸ることに重きをおくのか、どっちかに絞って徹底したほうが(好きか嫌いかはおいておいて)意図としてはクリアになるのではないかと勝手に思った。

端的にまとめると、壁(どうもピンヒールが初日にぶっ刺さったらしい)と天井(観た日、葉っぱが引っかかって落ちてこなかった)めっちゃ邪魔だなと個人的に思った。

 

演出についてー衣裳

衣裳は(世界観は謎だったけど)かっこよくて結構好きだった。あとポスター観た時から岡本さんと成河さんのサイズ感が同じすぎて笑ってたのだけれど、最後に衣裳交換していたの観てなんか納得した。

トレーラーの最後の方(「成河」ってでかでかとキャスト紹介してる部分?)に映っていたと思うのだけど、建築家がある部分で女性を演じる際に、オーバーサイズのシャツの袖を抜いて、袖を首に巻き付けて縛ってホルタ―ネック風のワンピースにしていたのが上手いと思った。

あと建築家もそうなんだけど、皇帝もほぼ戯曲通りの恰好(ほぼ裸と、裸よりもヤバめの恰好)をするので、「めっちゃ身体はってる…ジャニーズの本気…53歳とは思えない肉体美…」とびっくりした。先生(たぶん岡本さんと年齢近い)も、全般的にはけちょんけちょんに貶しながらも肉体美についてはめっちゃ褒めてて笑った。

 

演技について

おんなじことをやれと言われたら速攻逃げ出すのだけれど、もうちょっと予定調和感少なめで、観客を後半おいてけぼりにする勢いで、アドリブだらけのガチの取っ組み合いみたいな演技を期待して行ったら、ちょっと肩透かしだった。

 

作品自体の流れとして「俳優(的な存在)が『建築家』と『皇帝』を演じている」段階から、2幕の裁判の場面のあたりで「『建築家』と『皇帝』が裁判劇の登場人物を演じている」と観客に信じ込ませ(ナンセンスな「建築家」と「アッシリア皇帝」という存在を観客が信じてしまうという段階)、ラストの人肉パーティあたりから「あくまでも俳優(的な存在)が『建築家』と『皇帝』を演じている」に戻る流れなので、1幕は最悪「演出家に3時間持たせろと無理ゲー言われてやってます」という予定調和感丸出しでもいいのだけれど、2幕冒頭~中盤との落差をもっとつけて欲しかった。

いかにベケット的なことをベケットっぽくなくやるかという作品でもあるので、そういう意味ではトップスピードでドタバタ突っ走っているのはとても良いのだけど、もうちょっと緩急つけれるよねこの人たちなら…と思った。

細かい場面が即興的に連続するからこそ、その中で、「俳優(的な存在)」「俳優(的な存在)が演じている『建築家』と『皇帝』」「『建築家』と『皇帝』」「『建築家』と『皇帝』が演じている劇の登場人物」(これに付け加えるなら「岡本健一」「成河」)ようなさまざまなレベルを、どのように行き来すれば、「演技」とか「俳優術」に関する作品であるという面を最も効果的に表せるか、その辺をもっと詰めたものが観たかったなあと思った(というかこの2人ならその辺まで詰めてくれるだろう、とちょっと期待しすぎたのかもしれない)。

 

演技で一番良かったのは皇帝が心臓痛がるシーン(もちろん戯曲にある)で、建築家の反応も「えっ、マジ?マジでやばい?」的な反応だったから、一瞬マジで岡本さんが体調崩したのかと思った。こういう緩急で3時間ずっとやってたらスタオベしてたと思う。

 

あと意外とコメディアンとか漫才が出来る人とかがやったら面白いかもと漠然と思った。

 

母と私のハイライト

おまるの蝶ネクタイと皇帝の遅すぎる袋飛びと建築家の異常に速すぎる袋飛びと成河さんのラクダです。観た人なら分かるはず。観てない人はごめんなさい。

 

まとめ

きっともっと性格が悪くてドギツい感じに突き抜けてる人が演出した方がいいなあと思った。でもやってる2人がとんでもなく楽しそうなので、まあいっかと思った。

 

あとジュネの『女中たち』もそうだけど、この手の芝居ってなんでか読む方が面白かったりするのはとても謎。

 

そして失礼なんだけど、私は白井さんのことを、作品で発散しているから良い人なだけで、根っこはそこそこ性格悪いと思っている(というかそうでなきゃあんな演出できないだろうと思う作品が複数ある)ので、白井晃皇帝と長塚圭史建築家(兼共同演出)を、もう台本持っててやっても全然問題ない(そもそも問題ない作品だし)ので、一刻も早く観たいと思った。誰か力のある人が働きかけてくれることを祈ってる。

 

④『市川海老蔵改め十三代目市川團十郎白猿襲名披露「十二月大歌舞伎」八代目市川新之助初舞台』

歌舞伎座(15日、11時)

 

悪くない席のチケットを頂いてしまったので観に行ってきた。3演目だった。

 

「鞘當」

鞘が当たっただけで唐突に喧嘩し出した兄ちゃんたちを、これまた唐突に現れた姉ちゃんが仲裁する訳の分からない話だった。なんなんだこれ。

 

「京鹿子娘二人道成寺 鐘供養より『歌舞伎十八番の内 押戻し』まで」

これは授業で観て知ってた演目。何回も衣裳が変わって華やかで綺麗。踊りもかわいい。團十郎は最後にちらっと出てきただけだったけれど、客席の盛り上がりで「出てきたな…」ということが分かって面白かった。

 

歌舞伎十八番の内 毛抜」

新之助の初舞台。溌溂と演じていてかわいかったし、歌舞伎のよしあしはあんまり分からないのだけど、この年齢(9歳だったっけ?)でこの演技は普通に上手いのでは…?と思った。特に、スケベ親父みたいな部分がある役だったから中の人との年齢のギャップもあって、かなり笑える作品だった。

 

久しぶりに歌舞伎を(タダで)観られて得をした気分になった。

 

⑤『東京キャラバン the 2nd』

池袋西口公園野外劇場グローバルリングシアター(17日、13時)

 

田中泯のやつ観に来たら早く着きすぎて、暇を持てあまし外に出たら、13時からやるらしかったので、会場には入らず外側から(ハトの群れにおびえながら)ぼんやり鑑賞。

 

暇つぶしにタダで観る分には「文化のサーカスねえ…確かに…」という感じでまあ楽しかったのだけれど、1つの作品として観るには、日本各地のお祭り要素となんかすごい人達適当に集めました!感がどうしてもあるなあ、と感じた。

個人的に、一貫性がないなら一貫性がないことで一貫して欲しい性質なのだけど、前田敦子さん演じるピーターパンとかアリスみたいな物語の語り手が語る、何かしらきちんとお話として成立している物語部分が前半と後半に分かれて組み込まれているのも謎だった。

 

あと、外で観たので鑑賞後あまりの寒さに、芸劇の下の自販機コーナーになんか買いに行こうとエスカレーター乗って、目の前にド金髪でフリフリスカートのかわいい人いるな…と思ってたら前田敦子さんでびっくりした。至近距離で見るとさらにかわいいですね…。あと後ろ振り返ったら普通に野田さんもいた。

なんだこのエスカレーター。なんではさまれてるんだ私。

 

⑥芸劇dance 踊り辺 田中泯『外は、良寛。』

東京芸術劇場 プレイハウス(17日、15時)

 

そろそろ田中泯を観ておかないといつか後悔する気がする…!と謎の使命感に動かされてチケットをとった。2階席から観たのだけれど、妙に指先の動きまでクリアに見えて「田中泯すごい…(放心)」となった以外は全体的に謎が多かった。

 

てっきり田中泯良寛なのかと思っていたのだけれど、どうもそう簡単でもないらしかった。良寛かと思っていた田中泯が何回か舞台脇の台の上に座って、「良寛は~」と小説の地の文みたいなセリフを本を持ち読みあげる形で言うので、「いやあなたは誰だ」と混乱した。しかも3回目は別撮りの音声が流れる形で、4回目以降は普通にセリフ言うみたいに(本とかも持たずに)喋っていたのでマジで「その他の場面では良寛として踊っていそうなあなたの存在は一体なんなんだ…?」と大混乱。

ただ後半、本当に終わりの部分で、ほぼ暗闇じゃんという薄暗い舞台で「気がつけば、外は良寛良寛だらけだ」と放心したように言い放った田中泯を、両脇からサーッと現れたアンサンブルの人たちが抱えるようにして退場していったので、田中泯が演じてたのは、なんか良寛について調べるうちに、良寛に同一化していって、ありとあらゆるものに良寛の存在を感じるようになっちゃった人的な感じ?とも思った。間違っているかもしれない。

 

あと好きだった場面は2つある。

 

1つ目は煙のところ。舞台上に結構でかめの長方形の穴が開いているのだけれど、その穴に舞台両脇から流れ出たものすごく大量のスモークがぐんぐん飲み込まれて行っているさまを田中泯良寛?)がじっと見つめているのが、なんだか地獄というか異界を見つめている感じがして良かった。

 

2つ目は、その穴の周りを田中泯良寛?)が旗を持って、なんとも判別しにくい母音を発しながらぐるぐる回り続けるところ。

この場面の前に、田中泯と若いアンサンブルの人達が「いろはにほへと」を強迫観念的に繰り返しながら飛び跳ねる場面があって(田中泯は流石に老いがあるので、だんだんアンサンブルの人たちに翻弄されてそれを行っていくようにも見えてくる)、それからアンサンブルの人たちに旗を渡されてぐるぐる回りだすのだけれど、この時穴の中央に天井から垂らされた白い糸が、上から下へ、下から上へとうねる表現がある。

実は舞台冒頭に(たぶん)良寛の書を投影する部分があって(しかもまるで文字を書いている存在がそこにいるかのように徐々に投影していく)、それも黒地に白の崩し字だったので、この全体的に薄暗い舞台で妙なうねり方をする白い糸が、崩し字になりきれない「なにか」に見えてしまい、それが言葉になりきれない母音をひたすら発し続ける田中泯良寛?)と相まって「やっぱり詩人とかってこういう風に言語化できないものにたくさん振り回されて、強迫観念的に追い回されて、その上で何かを言語化しているのかもしれないな」と妙にしみじみとした(でも糸がうねるのがごく短い間だけなので、もしかしたらトンチンカンな感想かもしれない)。

 

ただダンスを観るのに慣れていない上に、本当に謎が多い上演だったので、上に書いたこと全部間違ってるかもしれないな、とも思っている。

全体的に水墨画のような色彩で作られていて、とりあえず観ていて美しかった。2022年の観劇おさめとしては、まあまあいいチョイスだったんじゃないかなと思う。

 

2022年個人的まとめ

 

なんとか書き終わりました。これで安心して年越せます。

年間通して一番良かったのは、海外のものでショーン・ホームズ演出セールスマンの死、日本のもので『ライカムで待っとく』です。

 

その他良かったのは以下の通りです。

 

冒険者たち~JOURNEY TO THE WEST~』@KAAT中スタジオ

 

monsa-sm.hatenablog.com

 

ワールド・シアター・ラボ『I Call My Brothers』@上野ストアハウス

山本卓卓『オブジェクト・ストーリー』@KAAT 1F~5F

ハリー・ポッターと呪いの子』@赤坂アクトシアター

(以上3つとセールスマンの死の感想は以下の記事に)

monsa-sm.hatenablog.com

 

映像演劇『階層』東京芸術劇場 シアターイース

カンパニーXY with ラシッド・ウランダン 『Möbius/メビウス世田谷パブリックシアター

 

以上計8本でした。生で観たのは47本で、そのうち心から良いと思えたものが8本もあったのは、少ないような気もするんですが、思っていた以上にあったので、まあ今年は結構ついてたな、と思います。

実は買ってたチケットも、全公演中止になったヒトラーを画家にする話』以外は全部無事に観られたので、本当に良かったです。

 

来年の観劇はNTLの『レオポルトシュタット』からの予定で、生の観劇は『ジョン王』からの予定です。

たぶん2月中旬から下旬ぐらいに、また観たものをまとめてブログ更新します。

 

ここまで読んでくれる方がいるかは分かんないんですけど、みなさんよいお年をお迎えください。

私は先生に原稿を叩きつけて(言い方)スッキリした大晦日を迎えられるように頑張ります!