感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

六月大歌舞伎第二部『桜姫東文章』下の巻

2021/06/16

歌舞伎座

f:id:monsa_sm:20210616225827p:plain

 

 

 

美しすぎる…。(語彙力崩壊)

 

これで感想終わろうかと思ったんですけどさすがにあんまりなのでもうちょっと書きます(笑)。

 

四月の上の巻を中止で観られなかったので、もう観られただけでも奇跡。

末代まで自慢する。(動機が不純)

 

というか明日『キネマの天地』観に行くし、単純に坂東玉三郎さんの桜姫が観たかっただけで取った舞台だったので、さっくり順番通りに感想まとめて終わるよ…。最近寝不足なんだ…。

 

ではレッツゴー!!

 

順番通りに感想並べただけ

 

あ、全体のあらすじこれです。(他人任せ)

enmokudb.kabuki.ne.jp

 

出だし、幕外で、写真を映しながら上の巻のあらすじ説明してくれるの、親切だなー、と思いました。なんか井上ひさしの劇に出てきそうな感じの雰囲気でした。発声のせいかな?あんまり歌舞伎は詳しくないから分かんないですね。

 

なんか出だし、そういう現代劇っぽい印象で、ん?ってなりながら三階席から観てたんですけど、清玄出てきてからもうどうでも良くなった。

権助と同じ人がやってるの信じられない。どういうこと。あんなに正反対の役の切り替えって、あそこまで明確に出来るもんなのすごすぎでしょ。

 

 

 

ってぎゃああああああああ桜姫ええええええまってたあああああああああ!!!

(この程度の発狂で済んだのが奇跡なんだよきっと)

 

 

 

ええええ、やばいなんかもう後ろ姿から指先まで美しすぎるんですけど…。えええ70オーバーとか絶対嘘だってだって19かそこらにしか見えないよ…美…(あれ桜姫って17歳ぐらいだっけ…20歳はいってないよね確か…いや知らんけど…)

 

ヤバい…仁左衛門さんと玉三郎さんヤバい…もうヤバいしか言えない…。

なんか声の通りからして素敵すぎる…。

桜姫と権助の再会シーンでの、愛欲と金欲がぐちゃぐちゃになったあの雰囲気何なの…私はなにを見せられているの…。

あああ桜姫色気やべえ…瞬き1つすらなんかもうR18…(言い方)

 

桜姫の化粧のシーンとか超やばい。さっきからヤバいしか言ってないけど、マジこれ覗き見していいの?!見るよ?!思いっきり?!??っとなる。そのぐらいなんかすごい。いつものブログに比べると格段に語彙力下がっているように見えるかもしれないけど、いつものブログの内容も、キチンとしないと大体こんなレベルの事しか思ってない。

桜姫ずっと見てたいって点では清玄とお友達になれる気がする。

 

 

そして雷で蘇った(?)清玄が桜姫に襲い掛かる立ち廻り、もうこれぞ歌舞伎!!って感じだった。巻物バッて投げたのが綺麗に広がっていったり、清玄が瀕死の重傷追負ってもまだ穴の底から這いあがって桜姫に迫ってくる執着の滑稽さとかすごい。

 

だって人が死にかけてるのに観客席で笑いが起こるんだよ???

 

最高過ぎない???

 

この舞台…いや桜姫か、彼女から伝わるエネルギーが強いから、清玄がそれにすがろうとして退けられて死んでいくのが滑稽なのか。

 

前世とか知ったこっちゃねえ、お姫様だろうが好きな男についてっちゃうよ、刺青だっていれるもん!!っていう自由さが観ててすっごいかっこいい。

 

 

…あ、そっか桜姫ってかっこいいのか…納得…。

 

 

そのあと戻ってきた権助(考えてみれば清玄との早変わりとか信じられない)と花道に出た時に桜姫が「毒を喰わば…!!」ってなんもない上空に向かって叫び捨てるの、尊すぎる…。

人が何かを決定的に覚悟する瞬間ってすごいよね…なんか上手く言えないけど…。

しかもそれが超美人で色気たっぷりでなんなら事故死とはいえ直前に人死んでるんだぜ…ヤバくない…??

全然汗とかかいてなさそうだけど、桜姫のこめかみあたりから一筋落ちたような強めの幻覚は見えたよね。美しすぎる。

 

そっから色々あって桜姫による怒涛のギャップ萌えの提供過多…(表現)

あああああああなにあれぶっきらぼうな言葉遣いしながらも「自ら」とかついつい使っちゃってあわてて言い直すのマジ萌え…(70代とか考えちゃいけない)

遊女のときの世話のセリフ回しとお姫様に戻っちゃうときの時代のセリフ回しと声のトーンの使い分けとか天才でしょってそういえばこの人間国宝だったなんだお宝かじゃあもう天才だねわーい宝(テンション)

 

しかも世話っぽい時の桜姫、お姫様の時よりも強そうで、女形の本領発揮って感じでしんどい…。

 

つまり、性的魅力の最も洗練されたかたちは(そして性的快楽の最も洗練されたかたちも)本来の性に逆らうところにあるのだ。男性的な男の最も美しいところは、どこか女性的であり、女性的な女の最も美しいところは、どこか男性的である……。

 

ソンタグ「<キャンプ>についてのノート」『反解釈』438p、筑摩書房) 

 

なんかこれを実感した気がします…。というか今考えてみると女形の人って現実レベルと物語レベルでに二重に魅力的って事じゃん…強い…。

 

とにかく、眉をひそめた時の険しさとか、手とか、声の太さとか、桜姫の中にそれまでよりも男性が透けて見えた時、なんかよく分からんが喉の奥から変な声出そうになったよね…よく耐えた私…なにあれすっごい…(変態)。

 

そしてまあ、息の合うとはこういうことか、となんかものすごく腑に落ちました。権助と桜姫の二人っきりのやり取りで。二人の間に透明な糸が見えたね。伸びたり縮んだりはするけど絶対切れない感じの絶妙なバランスのなんかあれ。呼吸って大事だなあ…。

 

そんでもってさっきまで好き勝手生きてやるぜ!みたいだった桜姫が、権助と子供を、殺さなきゃいけなくなる悲劇の部分のすばらしさな。

 

「大切な子供なのに…」

「一度は愛した(というか愛してる)男なのに…」

 

みたいな最高につらそうな表情を浮かべたあとで、とんでもなく美しくてキリっとした表情で刀振りかざす桜姫まじ魔性…姐さんと呼んでもいいですか…??

 

というか三階席から観てたのに、手に取るように桜姫の感情が伝わってくるとか何事ですか。すごくない???

あと常にヤリ目でしかない雰囲気出てた権助のクズさも最高。

 

最後は割と華やかでカーテンコール(って名称じゃないとは思うけど)主要な役者さんたちが勢ぞろいしてお辞儀しながら「本日はこれにて(的な事を言ってた)」って終わるのも、意外と後味さっぱりで最高でした。

 

あああそれにしても桜姫…かわいいしかっこいいし色気あるし度強あるし強いし…完璧じゃん…玉三郎さんはもうなんか神様の域じゃない…???

 

 

ガチで末代まで観られたことを自慢したいと思います。上の巻観られなかった時は図書館で上演台本読みながら半泣きしてたけど、ようやく報われた気がする…。

 

あ、ブロマイドは三枚買いました。我ながらいいチョイスだと思う。

f:id:monsa_sm:20210617003205p:plain

 

加工する元気がなくて無加工なのにこの美麗さ…。

桜姫が美人なだけじゃなくイケメンだったことが分かったのが今回の収穫でした…。

右下が特にお気に入りです家宝にする…。しんどい…。

『未練の幽霊と怪物―「挫波」「敦賀」―』(2021年)

2021/06/13

KAAT 神奈川芸術劇場 大スタジオ

f:id:monsa_sm:20210613212329p:plain

 

 

 

1年越しの『未練の幽霊と怪物』行ってきました!

※去年コロナで中止。その後のオンライン上演を私は観逃すという大失態をおかした。

 

去年のこれっすね。かっけえ。※再生する方、音に注意。結構鋭い音鳴る

youtu.be

 

 

で、今回の公演の様子。(最近埋め込みという技術を覚えたので楽になった)

 

あと公式。

『未練の幽霊と怪物―「挫波」「敦賀」―』 | KAAT 神奈川芸術劇場

 

そして配役表。

f:id:monsa_sm:20210613225536p:plain

 

そしてどこにも写真を見つけられなくて描いた素敵な衣裳。

私が描いたせいで魅力は半減以上していると思ってください。

それぞれの後シテのやつです。いつか写真出るかなあ…。出たらはっつけるね。

(加工激しいのは何とかして敦賀の衣裳のピンク色を出そうとしてみたから。元画像はです。頑張った。)

 

f:id:monsa_sm:20210614093115p:plain

 

お面、スケルトンで(おかげで表情もやや見える…気がした)、動くたびにキラキラしてて、この世のものではない感じがしてて綺麗…。

あと面つけたままよくあんなに動けるな。息大丈夫なのかさすがすぎるよプロフェッショナル。

 

なんでこんなに絵がざっくりしているかというと、いよいよ学校が忙しくなってきたからですね。学生辛い。

というわけで感想書くよ。ちなみに戯曲は既に読んでから観に行ったよ。

 

【そんなに重要でもないかもしれないお知らせ】

1日2日ぐらい置いて考えた時に以下に書いた感想全部ひっくり返す感じになったのでそれは最後に追記でつけます。やっぱり演劇は色々考えるきっかけになるね...。

(ただいま歌舞伎座に移動中)

 

 

戯曲読んだ時から分かってたけどかなりガッツリ「能」

既に戯曲に、次第とか名ノリとか上歌、着きゼリフとかもう謡曲集でしかお目にかからないやつが、ト書きでずらーりと並んでます。

 

大体の流れも

 

①ワキがなんかフラッと(有名な)どっかに行く。

②なんか訳アリそうな人(前シテ)とやり取り。

「実は私ね、ここにゆかりのある有名人、かもよ!」と衝撃のほのめかしをシテが披露。

③ワキがびっくりしてる間に気づいたら前シテ消えてて(中入り)、「このあたりのものでござる」的に色々詳しい近所の人(アイ)とやり取り(要はシテ=主役のお色直しの時間稼ぎ)。

④ワキが、同じところとかシテに指示されたところで待ってたら、本来の姿でシテが登場(後シテ)。開放感からか突如テンション爆上げになったシテがインド映画ばりに舞いまくる。

⑤終わったら、全員スンッとして無言で突然退場していく。(この段階の拍手はアウト。せめて囃子方が出るあたりで。)

 

 

うん、こんな感じ。能、というか夢幻能もまさにこんな感じです。ほんとに。

正しく知りたいならネット見てね。私のは曲解ですので。

 

ちなみに夢幻能の主役ってほぼ100%死んでる幽霊です。

 

死んでる人が出てきて、生前のことのうち、最も心残り(未練)なことをべらべら「物語って」、上手くするとそれで鎮魂されてハッピーエンド(能は仏教色強め)。

心残りというか執着がヤバくてほぼ鬼やん…状態(怪物)的になっているシテさんもちらほらいます。

タイトルもこれで納得だね(テンション)(普通にザハさんが幽霊で、もんじゅが怪物だと思います)

 

「じゃあその能から仏教的な救い的部分引っこ抜いたら(=近代化したら)どうなるんだよ」ってやったのが三島由紀夫です。いい趣味してるぜほんとこの人(褒めてる)。『近代能樂集』は最高だよね。生きてることへの絶望しか無くて。

 

※軌道修正※

 

それで、まあざっくりなんですけど(なんせ最後列付近で観たので)舞台、上から見た感じこんなん。まんま能楽堂です。4本の柱は無いけれど。

f:id:monsa_sm:20210613233412p:plain

 

 

結論から言うと「能だ!」って期待しすぎな状態で観たのが不味かった気がします。私が悪かったマジで。マジごめん。でも私、あのノーマルな能が好きなんだ…。

 

 

あ、あと今回別段内容に関しての感想はほぼ無いです。

要は日本の国技って「忘却」だよね、ていう話です。(毎度のことながら雑)

その後ろで確実に苦しんでいる誰か・何かがいるってことに目を向けようよ、っていう演劇でよくあるやつです。(言い方に悪意)

そういう内容の演劇がオリンピックが近いのに上演されること(2020年も今時期に上演予定だった)の皮肉が最高にクールだと思うのは私だけですかね。

(しかも片方はもろオリンピック関連の「忘却」の話)

 

ただまあ能の問題点としては、それでもやっぱり有名な人じゃないとシテ、主役におけないことなんだよなあ…。『藤戸』とかは庶民がシテだけど…。あとなんかあるか…??勉強不足で思いつかない…。

まあ「このあたりのもの」についてやりたかったら狂言の方使えってことなのかなあ…。

 

まあ、とにかく内容よりは形式重視の感想でいくよ、ってことです。

…あれ…??いつもやってることか…???

 

「挫波」

世の中の意見の流れ、波みたいなので挫折したザハ・ハディドさんってことでいいのかな。すごいぴったりな字だなあ、と毎回見て思います。

 

太田信吾さんが出られている段階で『三月の5日間』しかよぎらないけどそこはおいておく。

 

ごくごく普通の感想

あの、確か名ノリ笛?次第?、というか能で、登場人物出てくる時に「ピイーーー!」って結構鋭い笛の音のやつあると思うんですけど、それがなんかめちゃくちゃロック?パンク?(追記:違う、テクノだ!)な感じで、でもあれだな、と分かる程度に演奏されていて、初っ端から面白かったです。

 

なんの楽器なんだろう。囃子方さんが演奏してるの。面白い音がしました。

追記:たぶん...ダクソフォン...かな。

 

あと、岡田さんというかチェルフッチュというかその辺関連(雑)、とにかく俳優さんたちが独特の身体の動きするじゃないですか。あれが意外と、能の極度に抑制した動きの現代バージョンに見えて、ハマってるように感じました。

 

能だと舞に当たる部分で、森山未來さんのダンス観られたのもラッキーて感じでした。そういうえば生で観るのは初めてのような…。あれ…??(薄れゆく記憶)

中入りするために橋掛かりから一旦退場するとき、右手は斜め上空にあげたまま、反対に左手は左膝あたりを抱え込んで、重心がかなり下のまま身体全体が大きく斜めに傾いた状態で、そのまま横方向に足を引きずりながら出ていったのが、すごくおもくて最高でした。

 

あと、シテが、建築家なので。後シテのメインの舞の時に、囃子方の音楽+ドリルなどの工事音が組み合わさった音楽になっていたのはマジでカッコイイ。惚れる。

 

あと、アイの片桐はいりさん、橋掛かりに立っていらっしゃるだけで何となく目がそっちに行っちゃうというか…。この方の身体性も面白いですよね…。

囃子方の音楽に合わせながらどんどん熱が入るにつれて重心が下へ下へ(しまいには寝ころびそうな勢い)いくのがめっちゃ良かったです。

発声の仕方というか喋り方も、狂言方みたいに、シテ方とはちょっと違うスピード感の喋り方になっていたのも、「ほんとに能だわ…」ってなりました。

※いわゆる普通の能観てみれば分かるけど、黄色い足袋履いてる人(狂言方)のセリフは、他の人たちより聞き取りやすいはず、と思ってる。どうだろう…

 

ちょっと個人的な好みのせいで「合わないな…」と思ってしまった部分の感想

 あのこれ、次の「敦賀」にも言えることが大分入っちゃうと思うんですが、まあ…いっか。よし書こう。

 

小見出しにもあるけど、あくまで「個人的な好み」です。これが「最高!」って方も勿論いると思う。

「能ってこういうものなの!こういう能が好きなの!!」っていう固定概念私の中でちょっと強すぎた弊害と言い換えてもいいかもしれないです。

 

というわけで反省も込めて書くぞ。

 

でもこれだけは言わせて。セリフがきこえないのはややまずいんでないか?

まあ能でも、聞こえない時って多々あるんですけれど…。

ちょっと音楽大きいかな…。あと、機械音というかマイクだからなのかな、反響があって、ホワンってした音になっているんですよ。謡も囃子方も。

それで、音楽と謡とセリフ、全部そういう一緒の音質で…。

そりゃあごちゃごちゃになって聞こえない部分出てくるよな…って感じでした。

 

まあそのぼんやり夢幻的なのがいいんだろ、と言われてしまうとぐうの音しか出ないんですが…ぐう…。

 

軽すぎる

沈黙の重み、が、ない、というか。

能楽堂で観る、ピンと張り詰めた感じを期待していたら、意外とゆるくて個人的に拍子抜けしてしまったというか。(あとで書くけどたぶん柱のせいだと思う。)

とにもかくにも、身体性がものすごく軽いんですよね。いや軽いのは良いんだけれど、軽すぎる、というか。

後シテの衣裳…装束…?も、めちゃ柔らかくて風を感じる!みたいな質感で、ちょっと妖精ちっくというか…。いやこれはこれですごい綺麗なんですけど…。

あ、さっきから軽いとかなんとか言ってますが、反対に白石加代子さんみたいな方の身体性は、重い、と思う。平幹二郎さんとかでもいいけど。なんかそんなぼんやりした感じ。

 

あの、たぶんこれ、高さは無いけれど、なんちゃって能舞台になっているじゃないですか。で、能舞台って、下手すると、「はじかれる」んですよね。

もしかしたらテレビとかで、スーツのアナウンサーさんとか、能舞台にあがってたりする映像見たことある人とかだったら分かると思うんですけど、ああいう、「なんとなく」「普段の延長」であがると、舞台に拒否られる。だからみんな正座とかしてなんとか適応しようとする。今だと、和室とかもややその傾向あるかも??要は能舞台に負けないように特殊に身体を動かさないとはじかれる」空間になってる、んじゃないかなあ、と個人的には思っていて…。

 

だから「不安定さみたいなのを強調して意図的に動かしている」時はすごいハマって見えたんです。さっき書いたけど。

 

ただそのなんていうか、…というよりもはや踊りですよねあれは。後シテの時とか両作品顕著だったんですけれど、なんかめちゃくちゃにコンテンポラリーダンスな感じで。

まあ私、好きでたまに舞踊とか舞踏観るぐらいで、全然詳しくないので間違ってるのかもしれないんですが、そのための感想ブログなので書きます。レポートじゃないしね(笑)。

 

その、所謂、「動きの反動(自然さ)」とか「しなやかさ(これも自然さ)」みたいなのが見えてしまった時に、私の中で拒絶反応が起きてしまって…。

例えば指の動きなんか、能だと全部ピタッと閉じてるんですが、今回は全部バラバラ、しなやか~に動いていて。

 

それはそれでやっぱり美しいくて観てて「うわあ…(感動)」って感じなんですけど、でもこれって、「未練」の話じゃないですか。

で、さっきも書いたけど、「最も心残り」なことを語らなきゃいけないわけで。

そのためには、シテは自分の内面深くに潜らなきゃいけないですよね。

そういう時ってべらべらすらすら喋れないじゃん?あれ?でも私はそう思う。

実際能だってよくよく聞いてりゃ、ほぼ地謡ばっかりで、シテなんてポツポツとしか言葉言わないし。もちろんこの『未練~』も能の構造ほぼそのままなので同じ感じ。

 

じゃあそういう言葉、外界を遮断するみたいに、内側へ内側へ、と行くべきときに、しなやかで自然な動き、あるいは速い動きが合うかっていったら合わない気がして…。

 

やっぱり、そういう時って内側と外側の連結が異常なまでに強くなるから、しなやかで(外界の物理法則に対して)自然な動き、というよりは、身体の周りの空気がもったりするようなレベルで意図的で、そのために重い動きになるんじゃないかな…って思ってる節があります。

 

ただ何回も書いてるけどダンスはダンス単体で、すげえもん観たなって感じました。

でも能舞台と言うより、もっと横に長い普通の舞台でのダンスみたいだったんよ…。(これがジレンマか!?) 

 

何はともあれやっぱ柱は欲しい

これアンケートにも思わず書いちゃったことなんですが、やっぱり柱がないのが(個人的に!)問題な気がします。

遠くてよく見えないものも、筒を通して見れば見えたりするじゃん。なんか、私、能舞台の柱について、そんなイメージを持っているんです…。

たった4本なんですけど、ピント調整機能を持っているというか。あれがないと、シテの情念とかそういうのが、ぼやけるどころか下手すると伝わってこない感じがする…。

今回、後ろの方の席で観たせいもあるかもしれないんですけど、なんか、舞台と私の間に1枚幕があるみたいに、自分の手前でストンって全部何かが落ちてしまう感じがしました。

 

観客席まで、ブワッと勢いよく届くには、まず舞台上で充満してからじゃないと駄目な気がするのに、柱がないから、一見能舞台にはなっているけど、空間が横に伸びている感覚、充満しきる前に横に全部流れてしまう感覚があって余計に駄目でした…。

 

なんかもうビニールテープとかさ、千羽鶴上からぶら下げるとか、そんなちょっとした仕掛けレベルででもあったら違った気がする…。ほんと思わずアンケートに書いちゃったよ素人のくせに生意気言いました許してください…。

 

でも、踊りの部分の指を閉じて、指の周りの空気の密度あげてみるとか、リラックスした状態でも意識的に手を軽く握りこむとか、重心は下にしておくとか、それとも舞台をもう少し嵩上げしてみる、とかしたら、また全然雰囲気変わりそうだな、と思いました。

 

なんだか、未練未練言う割には、シテの身体性が軽すぎで、「ねえねえ、橋掛かり(彼岸と此岸を結ぶ橋でもある)通ってこっちにきちゃうレベルで未練あるらしいけど、その割にはあなた割とすぐ浮かんでいっちゃいそうだね?」って感じでした。

 

衣裳もね…めっちゃ素材が柔らかいんですよ…空気感すごい…動くたびにひらひらするよ…綺麗だけど『羽衣』の天女かよ…。(さっきも書いたなこれ。というか能の装束はもっとパリッとしてる感じがする。)

 

まあなんだ、とにかく

 

あなたの気持ちを少しでも分かりたいので、もうちょっと地上に引っかかってくれ。頼むから。

 

軽すぎて切実な感じがしないしこっちも切実に受け取れん。すごくぬるぬる滑っていっちゃう。

 

ただ、もし、切実な問題なはずなのに、現代的な言葉と身体の前では、そういう切実さみたいなものも、どこか希薄なぬるっとしてつかみきれないものにしかならない、ということをいいたかったんだとしたら、完全に私の受容力不足です、でももしそうなら能舞台でやんな。(逆ギレ)

 

引っかかると言えば、ワキは両作品ともリュック持っていたり、旅行鞄ひきずっていたりで、むしろ引っかかてましたね。重石がついている状態なので。

片桐さんについては、意識的なのか分かんないけれど、たぶんこの人の身体の雰囲気が1番重かった気がする…。

 

敦賀」(書きたいこと大体書いちゃったので短め)

 「挫波」の方に書き尽くした感はあるので、あっさりと。

 

栗原類さんが、ワキだったんですけど、なんかおおおってなりました。

芯があるしっかりした、って感じではないんですけど、だらんと脱力した存在感があってなんかびっくりしました。

あと普通にスタイルすごい。(薄い感想)

 

ただそういえば、後シテの踊りを見る時に、なんで両作品とも、ワキが立ったままなんだろうなあ、とは思いました。座ってもいいのに。

というか重くあってほしいから座って欲しい!(個人的願望) 

 

あとなんか、囃子方に合わせた台詞の喋り…語り方?なんか聞いたことあるなあ、ってうーんってなってたんですけど、あれかも。宮城聰演出の『アンティゴネとかに似てると思ったんだわ。

…それだけです。はい。だからどうってわけでもない(笑)。

 

まとめ

全体を通して衣裳の色とかがポップで可愛かった!!

 

橋掛かりの傍の松が黄色い三角コーンだったりとか。工事現場っぽくもあるし、色味がとにかくカラフル。

 

あと、別に「能をやりますー」って言ってたわけじゃないのに、なんとなく自分のなかにある「能」像で期待しすぎて拒絶反応起こしちゃったのが失敗したかな、と思いました。反省。

まだ若いはずなのでもう少し柔らかい頭を持つようにしたい…あとは寝不足解消かな…マジで疲れている時って演劇を観るの相当辛くなるからね…。

 

でもまあ色々おいておくとして、とりあえず

 

7月後半ぐらいに

千駄ヶ谷国立能楽堂

国立競技場の脇に仮設能舞台でも作って

「挫波」だけでもやれば

色んな意味で最高に素敵だと思います。

                                  (確信犯)

 

 

そして明日は桜姫東文章行ってくるよ!?

上の巻は中止のせいで観られなかったけど!!

きっと明日でその未練だけは救われるはず!!わーい!!

 

楽しんできます。早くも美しさでしんでしまいそうな予感。そして翌日に『キネマと天地』も観に行く予定。待ってて新国立劇場めっちゃ久しぶりに行く気がするけどたぶん無事に辿りつけるはずだから…?

 

【以下追記】

スマホから打ち込んでるのでちょっと何かしらおかしくなるかもだけど、そこはあとで直します。( ˙꒳​˙  )キリ

 

えーと、なんか、「軽くてぬるっとしててそれが思ってたのと違ってうーんってなった」とか上の人はほざいてますが(おい)、多分この人、修羅能的なもの想像していったんですねたぶん。

 

夢幻能ってだいたい2パターンぐらいあると思ってて、

 

①修羅能みたいなやつ

②『井筒』とかのやつ

(神様系のやつもこれに入るのかな)

 

 

ってなんとなく把握してて、①のほうは「成仏させて欲しい!」っていうのが最終目的にあるんですよ。これは上の人も言ってるけど(あくまで他人として通す)。

 

でも②の系統のシテは、そういう、特別に達成したい、ってことはほぼない。あるのは生前の思いを、シテの内面的には大切なことなんだろうけれど、対外的には(それこそワキに観せるパフォーマンスとして)「成仏したい!」とかいうハッキリした目的と比べると、ほぼ無意味に反芻してるだけ。というかその反芻こそ目的。

 

あの...なんかたぶんなんですけど、すっごい悲しくてすっごい辛い記憶でも、思い出す時って、どっかに懐かしさみたいなものがあると思うんですよね...。いやほんとにたぶんなんだけど...。あと、ぜんぜんプラスの意味ではないです...電車の景色が遠ざかっていくあのぼやっとした感じに近いと思う...ぬるま湯みたいな...。

それが修羅能みたいに地獄に落ちてると、「今実際に地獄で苦しんでること」になるから、その懐かしさみたいなのが消える気がする...。

 

たぶん、この懐かしさみたいなのが「ぬるっとした」感じだったんだろうな...と。

遠くのこと(生前のこと、ありえたはずなのにありえなかったこと)を思い出すってまさに夢みたいなことなので、どっかおぼつかなくて、ぼやっとして、「軽く」もなるわな。

 

「よっしゃ屋島観るぞー!」って観に行ったら「ごめーん今日『井筒』なんだ(๑´ڡ`๑)♡テヘペロ」みたいな感じになれば、上の文章書いてる心の狭いの人(あくまで他人を通す)なんかは「ええええ...」ってなりますよね...。でもこの人どうやら疲れてたみたいだから許してあげてください...。

 

どうりで、敦賀の近所の人(アイ)の

 

「誰だって眠って夢を見ている人がいたら、その人の周り歩く時はそっと歩くものでしょう。」「それが人としての最低限のマナーですよ、違いますか?」

 

っていうセリフが観終わったあとに妙に引っかかったわけだわ...(戯曲読んだ時はそこまでてはなかった)

 

私、たぶんマナーちょっと悪い人になってたんですね...。

それ以上語れない、語りたくない、語る必要のないと思っている相手に対して引き留めて語らせたがるとか最低すぎるね...。

 

...あ、私って書いちゃった...。まあいっか...ちょっとショック受けたからふざけ口調で書いてただけだし...。

あ、でも柱に関しての意見は変わりません。能舞台から柱取ったらあかん。ここは譲らない。

 

レポート課題こっそり供養(笑)

いや、前なんかとんでもない課題が出たんですよ。

仮名手本忠臣蔵』を任意の一人称視点で書き直せ、みたいな。

 

そんなレポート課題あるのかよ!?って感じですよね。あったんだよこれが。

去年の秋学期だからそろそろ時効だろ、ということで供養します。

結構頑張って書いたからパソコンから消す前にどっかにあげておきたい(笑)。

 

たぶん一周回って楽しくなってきて、調子乗りまくって蛇足しまくったから評価Aでした。A+ではなかった。たぶんどっか辻褄とかもおかしいんだと思う。わかんないけど。

 

戯曲風に書きました。ただ戯曲になっているかは謎。たぶんなってないと思う。課題の性質上、かなり説明口調だし。というか課題提出のときは流石にふざけすぎかと思ってト書きはつけなかった(笑)。

以下本文。

 

 

 

仮名手本忠臣蔵』お軽、その後

 

 

出演者…一名。年齢性別不問。喪服を着ている。その中は腰元のような服装。

時 代…不明。

場 所…不明。

※本文中の「…」は短い沈黙のつもりで書いていますが長さは適宜変えてください。深い意味はありません。

 

薄暗い舞台に、まるく照明が落ちている。

その円の中に、洋風の椅子が一脚。

 

若くはない女が一人、出てくる。

ひどく疲れた様子で椅子に座る。

ふと、観客に気が付いたように、おもむろに。

 

 

 (静かな声で)…ええ、そうです、早野勘平、ご存じでいらっしゃいますでしょう、私(わたくし)、軽(かる)の、亡き良人にございます。こんなに月日がたちますと、勘平さん、と口に出してみようと思いましても、見ず知らずの他人(ひと)に話しかけるように、何だか気恥ずかしく思われるもので、本当に不思議なものでございます。不思議、と申しますと、あの出来事も、今では、とおくにぼんやりと思えるようなことばかりで…、何にしろ、私も、じかに全てを見たわけではございませんし、それに、もうこのような歳でございますから…。

 勘平さんと夫婦になったのは、まさにその出来事が起こったからなのでございます。いえ、それ以前からお互いに好き合ってはおりましたので、そのあたりは、みだらだ、などとおっしゃられてしまうと、どうにも申し上げることができず、お恥ずかしい限りなのでございますが、そんな折に、二人そろってお仕えしている旦那様の塩冶判官様が、高師直様に斬りかかる、という事件が起きたのでございます。…われながら本当に馬鹿なことをしたと思いますわ。…今思い返しても、自分の首を絞めて、殺してやりたいくらいに…。…これは、ずっとずっと後になって、やっと気がついたことなのですけれど、私が、奥様のお手紙をお届けしてしまったことが、全てのきっかけだったのでございます。

 師直様が奥様に、たいそう執心なさっているご様子だというのは、私も噂として存じておりました。なにしろ女好きで有名なお方でしたから。奥様も、鶴ヶ岡八幡宮に、亡き新田義貞様の兜改めをなさるために、旦那様とご一緒に行かれた日からは、随分と大変そうなご様子で…。いいえ、もちろん奥様は旦那様を愛していらっしゃいましたから、そのようなことはあり得ないのですけれど、そうはいってもお相手はあの師直様でございましょう。あんまりつれなくしてしまわれると、旦那様になにか不都合が起きるのではないか、と心配なさって、程よい頃合いに改めてお断りしようと考えられての、お手紙だったのでございます。

 それに、奥様はあの時、「今日は旦那様もお取込みのようだから、お届けするのは今度にした方が良いでしょうね」とおっしゃっておりました。…ああ、奥様の聡明なご判断といったら!それなのに、どうしようもなく馬鹿だった私は、旦那様にお仕えしている勘平さんに会いたいが一心で、あの日、無理を言って、お城まで届けに行ってしまったのでございます。…思い出しても本当に辛いことでございます。奥様からのお断りのお手紙をご覧になって、お怒りになられた師直様に、散々にあざけられた旦那様が…。本当にひどいお言葉だったと…。 

 …あとから、師直様のあの時のお怒りは、奥様に失恋なさったお怒りだけではなく、それよりも前の、先程も申し上げた鶴ヶ岡八幡宮で、桃井若狭之助様とご口論なさった際のことも関係しているのだ、桃井様のご家老加古川本蔵様が裏で画策なさって、双方のお怒りを鎮めなさったが、そうはいってもあの師直様、行き場のない怒りが、あの日旦那様に向かってしまわれたのだ、だからあまり気に病みすぎてはいけない、と心優しくも慰めてくださる方もいらっしゃいましたけれど、私には、どう考えてみましても、救いようもなく愚かな私が、奥様のお手紙を、ろくにお言葉もお聞きしないまま届けてしまったことにこそ、全ての始まりがあるように思えてならないのでございます。

 …しかも私の罪はそれだけではないのでございます。むしろこちらの方が、重い。こともあろうにその時、まさに旦那様の刃傷事件のその時に、お側にいるはずだった勘平さんは、私がふしだらにも誘惑したばっかりに、旦那様のお側にいることができなかったのでございます。…後悔してもしきれない、とは本当にこのことですわ…。私は、自分の無分別な行いのせいで、この世で最も愛する人に、最も酷い恥をかかせてしまったのです。

 私は自分を呪いました。あの人の様子といったら、もうすぐにでも切腹しかねないくらい、とても見ていられないほどひどいものでございました。私は、なんとかしてこの人の恥をすすぐお手伝いができないかしら、と女子(おなご)の頭で考えに考え、早まるあの人を必死に引き止めました。

 無念の中で切腹なさった旦那様に、美しく聡明な奥様に、そしてなによりも愛するあの人に、一生恨まれても仕方のないことをしてしまったのですから、文字通りなんでもする覚悟でございました。この、吹けば飛ぶようなわが身で償うためには、そうするしかないと思っておりました。それで、ひとまずは、私の実家、京都の山崎に二人で身を寄せることにしたのでございます。

 …そうして晴れて、…ああ、小娘の恥知らずさといったら!そのような中でも私は、あの人と、たとえなりゆきにでも、夫婦になることができて、たいそう嬉しかったのでございます。鮮やかな菜の花と、薄桃色の桜の花がうつくしく咲く、澄んだ青空の下、あの人と2人きりで、身を寄せ合ってゆく旅路の中、私の瞳には全てが輝いて見えたのでございます。きっと大丈夫、この人はまた立派な武士に戻ることができる、私はそのためだったらなんでもできる…今思うと、なんて可愛らしい考えでございましょう!

 ええ、それでも、愛する人との山崎での暮らしは、決して豊かではありませんでしたが、幸せなものでございました。あの人の猟人姿も、腕の方はまあ、それとして、なかなか様になっておりまして、私も毎日、ああ、この人が私の良人なのだ、と、恥ずかしさが半分、嬉しさが半分、といった調子でございました。

 そのような日々を過ごす中で、塩冶家のご家老の大星由良助様率いる仇討のお話が、いつしかあの人の耳にも入っていたようでございまして、私も、お顔の様子から薄々は気が付いてはおりました。でもあの人、なかなか言い出してはくださらなくって…と申しますのも、その仇討に加わるためには、かなりの額のお金が必要なようでございました。それに、実家と申しましても、貧しい田舎暮らしでございましたから…、あの人、きっと遠慮をしていたのだわ…。いえ、もちろん、そのような大金を用立てるということは、たしかに、簡単なことではございませんでした。まして、私は女子、一体何ができましょう…私があの人のためにできることといったら…。けれど幸いなことに、その時分、私はまだ若く、器量も、自分で申し上げるのもおかしな話ですけれども、でもまあ、悪くはない、という次第でございまして、父様と母様ともご相談して、祇園の茶屋に奉公に行くことにしたのです。ええ、もちろん初めから、あの人には内緒のつもりでございました。優しい人でしたから…。ただ、いざ、というまさにその時に、あの人が帰ってきてしまって…。本当はその前に、私は行ってしまうつもりでいたのですけれど…。

 ああ、あの時、迎えの駕籠に乗り込むあの瞬間、私は、この人と離れるのは、たとえ一時でも耐えられない、と、みっともなく叫び出したいような気持ちと、でも、それと同じくらいに、本当に嬉しい気持ちでいっぱいだったのでございます。…もしもこの時、少しでも落ち着きをもって、あの人のお顔をちゃんと見てさしあげていたら、って、今でも…。いえ、とにかく、私が作ることのできるだけのお金で、あの人はまた武士に戻ることができるかもしれない、もしも仇討を見事果たしたら、きっとあの人は、誇りをもって死んでゆける、これでようやく私は償うことができる、と祇園に向かう駕籠にゆられながら、本気でそう思っていたのでございます。

 今から考えると、その思いだけで、苦しい廓での生活も耐えることができたのですわ。本当、どこまでも能天気な娘でございました。兄さんが、仇討に加わるために、由良助様よりも先に私を殺そうとしてくださらなかったら、終ぞ何も知らないままに死んでしまっていただろう、そう思うと今でも血の気が引く気持ちが致します。

 尤も、由良助様の大事なお手紙を、…その時はまだ内密であるはずの討ち入りに関するあのお手紙を、好奇心から鏡を使って覗き見た私がいけないのですから、あのお方に殺されても当然のことでございます。…本当のところ、身請けしてやるという優しいお言葉に騙されて、そのまま殺されていた方が、私はしあわせだったのかもしれません。ただ、この時のことは、あまりに目まぐるしく、とにかく、兄さんからお聞きした、父様が亡くなったことと、あの人が、私の良人が、…死んでしまったということ、もうこの世にはいない、二度と会えないということ、…そのことだけが、胸の内をずたずたに引き裂いたのでございました。

 …私も死ぬしかない、と肚の底から思いました。からだの芯がすっとつめたくなって、もうほとんど気を失いかけておりました。それに、兄さんにしても、私の死骸が必要なようでしたので、兄さんが私を殺すよりも、私が自害した方が、まだ母様を悲しませまい、とわずかに残った正気で兄さんを押しとどめたのでございます。その時に、陰で全てをお聞きになっていた由良助様が、突然ばっ、と出ていらして、もう兄妹揃って、腰を抜かしそうなほど驚きましたわ。

 それから我を取り戻しますと、いつの間にか兄さんは由良助様に認められ、立派に仇討に加わることになっておりまして、私はというと、一人も討ち取ることができなかった愛しいあの人の代わりに、縁の下に隠れていた斧九太夫という下郎を、由良助様のご助力もあり、見事、とはとても言えませんけれど、討ち取っておりました。人ひとりを殺してしまった恐怖よりも、あの人の無念をこれで晴らせた、という、誇らしいような、陶然とした気持ちでございました。本当に…、なんておめでたかったことでしょう。

 

 …あとのことは全て兄さんからお聞きしました。刃傷事件の際に、加古川本蔵様が、私どもの旦那様がせめて切腹にはならないように、と抱き留めなさったことや、…ええ、もちろんそれは、本蔵様が旦那様を思う優しいお気持ちに違いはなかったのでございますけれど、このことがきっかけとなりまして、大星家から加古川家へと憎しみの溝が生まれてしまい、ご両家のご子息ご息女の縁談もそれっきりになってしまっていたのでございます。それが、痛ましくも本蔵様の死という形で和解なさって、また、そうして夫婦になられたお二方も、仇討のために再び引き裂かれてしまったということ、堺の商人でいらっしゃる天川屋義平さんという方が、本当に立派なお心持ちの方で、そのお方のおかげで、討ち入りの際の武具をそろえることができたということ、…そうそう、討ち入りの際の合言葉でございました「天」「川」というのは、どうもこのお方のお名前から頂いたそうなんでございますのよ…、そうして本懐を見事遂げられた由良助様が、あの人の形見の縞の財布をずっとお持ちになっていて、そのような形ですけれども、あの人も討ち入りに参加できたこと、兄さんがその財布を受け取って、あの人の代わりに旦那様のご焼香をしてくださったこと…。

 由良助様が以前おっしゃられたように、あの人を含め、今まで亡くなった方々の供養をして、残りの生を静かに過ごしていこう、とやや落ち着きを取り戻して考えておりました私は、事の仔細を聞いて、恐ろしさのあまり、本当にお恥ずかしいことではあるのですけれど、ふっと気を失ってしまったのです。…今、考えても…おぞましい…ああ、縞の財布!私は、その財布のことはほとんど忘れてしまっていたのでございます。でも、お聞きしたお話から、私が愚かにもそれまで気が付かなかったことが、その時になってようやく、だんだんと、朧気ながらも、はっきりとしてきたのでございます…!

 

 

女、興奮した様子。

喪服の内側が見え、顔に血がのぼったのか、非常に若く見える。

立ち上がっているかもしれない。

 

 

 (調子変わって、うたいあげるように)京都山崎から私が、祇園に向かう前の日の、墨混ぜたよなまっくろの、雨ふりしきる、雷の夜…!

 

 

 (調子は戻るが、かなり早口。他人が聞いているという意識が、だんだんと内側に向かって、薄れていく)私の奉公で頂くことのできたお金の半分が入った縞の財布を、父様が持って帰ってくる途中、そのお金のせいで盗賊に狙われて、財布ごと奪われた挙句に、父様はあわれにも殺されてしまったというのです。ちょうどその近くで猟をしていたのが、ああ、何にも知らない勘平さん…!あの人が猪を撃とうとした時に、鉄砲玉がその盗賊に当たってしまって、それで、あの人は父様の仇を取ってくれた形になったのだそうですけれど…、あの人、変なところでついているでしょう、おかしいでしょう、でもそのせいで、可哀そうな勘平さんは、…勘平さんは、あの人、盗賊の懐からその縞の財布ごと、お金を持ってきてしまったのよ!そのせいで…あの人、私の父様を殺してお金を奪ってしまったと勘違いして、…ああ、どうしてあの時、あの人の思いつめた様子に気が付いてあげられなかったのかしら?駕籠に乗る私をきつく、きつく抱きしめてくれて、あの人があんなに近くにいたのに…!引き止めることができたのかもしれないのに!!…でも、結局、あの人は、そのすぐ後に、勘違いしたまま、切腹してしまって…。もう手遅れになってから、なにもかもが間違いだったって分かったのだというのです…。あんまりですわ…あんまりじゃありませんか…。そりゃあこの義父(ちち)の仇(かたき)討ちというたいそうなご名誉のおかげで、勘平さんは討ち入りの連判状に名前を加えてもらえたのだ、と兄さんはおっしゃるけれど、…それって全部、私の用意したお金のせいじゃない!兄さんは、違う、縞の財布のせいだよ、とおっしゃるけれど、布切れで作った財布だけなら、そもそも人は盗んだり持って行ったりしないのではなくて!?だからあの忌々しいお金のせいで、父様も勘平さんも死んだようなものなのよ!!全部全部、私が、あの手紙を届けたせいで、私が、あのお金を作ったせいで…、…たくさんの人が、死んで…、ああ、あの人、どんなに苦しかっただろう、お腹からだらだらと血が抜けていって、どんなに寒かっただろう!私の着物をかけてほんの少しでもいいからあたためてやりたかった!あの人の青ざめていくお顔が、見てもいないこの瞼の裏に焼き付いて…!

 

 

女、目玉から血が噴き出そうになっている。

 

 

 ……(強いまなざしで、しかし、なにもないところへ向かって)勘平さん?ねえ、あなた!勘平さんでしょ!?ねえ、お願い、こっちを見て!!一言、許すと言って頂戴!あたし、こんなにしわくちゃになるまで生きても、まだ死ぬのが怖いの、でも、この腐った肉に食い込む痛みが怖いんじゃなくて、そっちにいってもあなたが待っていてくれないのが、大好きなあなたに許してもらえないのが、何よりも怖いのよ!!申し訳ありません旦那様、皆様も!本当にごめんなさい父様、母様、ごめんなさい勘平さん、許して頂戴、あなた!!

 

 

 (まぶしいものでも見たかのように顔をしかめて)…やめて、ねえ、どうしてそんなに優しいお顔をしているの、あたしがよぼよぼのおばあちゃんになってしまったからかしら?あなた、変わらないわね、ずっと綺麗なお顔のままね、あたし、あなたが死んだときの歳をとっくに超えてしまったのよ…汚いでしょう、醜いでしょう、(吠えるように)…でも醜くなって初めて分かったこともあってよ!!若くて馬鹿な私が気が付かなかったこと、ご立派なあなたたちが、たぶん死ぬまで分からなかったことよ…、ねえ分かる?分かるかしら?……あたしは、あなたに、生きていて欲しかったのよ!!どんなに蔑まれようと、どんなに罵られようと、どんなに恥辱にまみれようと、身分とか忠義とかも、もうどうでもよくって、貧しくても、あなたが、老いて、醜くなるまで……、ただ一緒に生きていきたかっただけなのよ…!青空の下で、桜が咲いては散るのを、あの戸塚での一回きりじゃなくて、何回も何十回もただ二人、並んで一緒に見たかっただけなのよ…!ねえあなた、分かる!?

 

 お願いだからあたしの今の顔をちゃんと見て、許すと言って頂戴!

 

 あたし、このままだと、怖くてとても死ねないわ……。(ハッとして)勘平さん?待って、どこに行くの?お顔がなんだかとってもとおいわ!薄い幕でもかかっているみたい…。待って、ねえ、待ってよ、待って頂戴!……今でも、いいえ、あたし、愛しているわ!ずっとよ!!

 

 

女、正気に戻った様子。出来るだけ長い間、沈黙。

 

 

 (つぶやくように)…ねえ、勘平さん、あたしずっと気にしないように、って、でもずっと気になっていることが、もうひとつだけあるのよ…。…あなた、死んだあの時に、ちょっとでもあたしのこと、考えてくれてたのかしら…って…。

 

再び沈黙。

 

身なりを整える。

微笑み。

女、先程よりしぼんだように見える。

 

 

 …取り乱してしまって申し訳ございません。いつもはこんなことはないのですけれど…どうしてかしら、本当、お恥ずかしい限りですわ。とにかく、これが私の思い出せる、あの出来事の全てでございます。

 私が忘れてしまわないうちに、あなたにお伝えしておくことができて…、…ほんとうに……

 

 

言葉が続かずに途切れる。

お辞儀するようにからだを折る。

 

泣いている、ようだった。

 

                   暗転。

 

 

いつものブログの方が文字数多くて、今コピペしてびっくりしてます。なんでだ。

あとこれを書いた時の私のテンションが知りたいです。何がどうしてこうなった。ごめんお軽。あなたこんなんじゃないよね。分かってるマジごめん。


ただまあ、この「女」を演じるのが別に女性じゃなくてもいいし、「お軽」じゃなくて「女」って記している上に、その女が最後に勝ち誇って高笑いしそうな雰囲気、ってこと思うと、単に「恥だー!」ってだけで死のうとするあの精神に(時代背景とか考えなきゃダメなんだろうけど)「は?クソじゃん??」とイラついていたんだろうな、ってのはなんとなく分かるよ過去の私(笑)。たぶんコロナ禍て余計にね。うん。