感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

『未練の幽霊と怪物―「挫波」「敦賀」―』(2021年)

2021/06/13

KAAT 神奈川芸術劇場 大スタジオ

f:id:monsa_sm:20210613212329p:plain

 

 

 

1年越しの『未練の幽霊と怪物』行ってきました!

※去年コロナで中止。その後のオンライン上演を私は観逃すという大失態をおかした。

 

去年のこれっすね。かっけえ。※再生する方、音に注意。結構鋭い音鳴る

youtu.be

 

 

で、今回の公演の様子。(最近埋め込みという技術を覚えたので楽になった)

 

あと公式。

『未練の幽霊と怪物―「挫波」「敦賀」―』 | KAAT 神奈川芸術劇場

 

そして配役表。

f:id:monsa_sm:20210613225536p:plain

 

そしてどこにも写真を見つけられなくて描いた素敵な衣裳。

私が描いたせいで魅力は半減以上していると思ってください。

それぞれの後シテのやつです。いつか写真出るかなあ…。出たらはっつけるね。

(加工激しいのは何とかして敦賀の衣裳のピンク色を出そうとしてみたから。元画像はです。頑張った。)

 

f:id:monsa_sm:20210614093115p:plain

 

お面、スケルトンで(おかげで表情もやや見える…気がした)、動くたびにキラキラしてて、この世のものではない感じがしてて綺麗…。

あと面つけたままよくあんなに動けるな。息大丈夫なのかさすがすぎるよプロフェッショナル。

 

なんでこんなに絵がざっくりしているかというと、いよいよ学校が忙しくなってきたからですね。学生辛い。

というわけで感想書くよ。ちなみに戯曲は既に読んでから観に行ったよ。

 

【そんなに重要でもないかもしれないお知らせ】

1日2日ぐらい置いて考えた時に以下に書いた感想全部ひっくり返す感じになったのでそれは最後に追記でつけます。やっぱり演劇は色々考えるきっかけになるね...。

(ただいま歌舞伎座に移動中)

 

 

戯曲読んだ時から分かってたけどかなりガッツリ「能」

既に戯曲に、次第とか名ノリとか上歌、着きゼリフとかもう謡曲集でしかお目にかからないやつが、ト書きでずらーりと並んでます。

 

大体の流れも

 

①ワキがなんかフラッと(有名な)どっかに行く。

②なんか訳アリそうな人(前シテ)とやり取り。

「実は私ね、ここにゆかりのある有名人、かもよ!」と衝撃のほのめかしをシテが披露。

③ワキがびっくりしてる間に気づいたら前シテ消えてて(中入り)、「このあたりのものでござる」的に色々詳しい近所の人(アイ)とやり取り(要はシテ=主役のお色直しの時間稼ぎ)。

④ワキが、同じところとかシテに指示されたところで待ってたら、本来の姿でシテが登場(後シテ)。開放感からか突如テンション爆上げになったシテがインド映画ばりに舞いまくる。

⑤終わったら、全員スンッとして無言で突然退場していく。(この段階の拍手はアウト。せめて囃子方が出るあたりで。)

 

 

うん、こんな感じ。能、というか夢幻能もまさにこんな感じです。ほんとに。

正しく知りたいならネット見てね。私のは曲解ですので。

 

ちなみに夢幻能の主役ってほぼ100%死んでる幽霊です。

 

死んでる人が出てきて、生前のことのうち、最も心残り(未練)なことをべらべら「物語って」、上手くするとそれで鎮魂されてハッピーエンド(能は仏教色強め)。

心残りというか執着がヤバくてほぼ鬼やん…状態(怪物)的になっているシテさんもちらほらいます。

タイトルもこれで納得だね(テンション)(普通にザハさんが幽霊で、もんじゅが怪物だと思います)

 

「じゃあその能から仏教的な救い的部分引っこ抜いたら(=近代化したら)どうなるんだよ」ってやったのが三島由紀夫です。いい趣味してるぜほんとこの人(褒めてる)。『近代能樂集』は最高だよね。生きてることへの絶望しか無くて。

 

※軌道修正※

 

それで、まあざっくりなんですけど(なんせ最後列付近で観たので)舞台、上から見た感じこんなん。まんま能楽堂です。4本の柱は無いけれど。

f:id:monsa_sm:20210613233412p:plain

 

 

結論から言うと「能だ!」って期待しすぎな状態で観たのが不味かった気がします。私が悪かったマジで。マジごめん。でも私、あのノーマルな能が好きなんだ…。

 

 

あ、あと今回別段内容に関しての感想はほぼ無いです。

要は日本の国技って「忘却」だよね、ていう話です。(毎度のことながら雑)

その後ろで確実に苦しんでいる誰か・何かがいるってことに目を向けようよ、っていう演劇でよくあるやつです。(言い方に悪意)

そういう内容の演劇がオリンピックが近いのに上演されること(2020年も今時期に上演予定だった)の皮肉が最高にクールだと思うのは私だけですかね。

(しかも片方はもろオリンピック関連の「忘却」の話)

 

ただまあ能の問題点としては、それでもやっぱり有名な人じゃないとシテ、主役におけないことなんだよなあ…。『藤戸』とかは庶民がシテだけど…。あとなんかあるか…??勉強不足で思いつかない…。

まあ「このあたりのもの」についてやりたかったら狂言の方使えってことなのかなあ…。

 

まあ、とにかく内容よりは形式重視の感想でいくよ、ってことです。

…あれ…??いつもやってることか…???

 

「挫波」

世の中の意見の流れ、波みたいなので挫折したザハ・ハディドさんってことでいいのかな。すごいぴったりな字だなあ、と毎回見て思います。

 

太田信吾さんが出られている段階で『三月の5日間』しかよぎらないけどそこはおいておく。

 

ごくごく普通の感想

あの、確か名ノリ笛?次第?、というか能で、登場人物出てくる時に「ピイーーー!」って結構鋭い笛の音のやつあると思うんですけど、それがなんかめちゃくちゃロック?パンク?(追記:違う、テクノだ!)な感じで、でもあれだな、と分かる程度に演奏されていて、初っ端から面白かったです。

 

なんの楽器なんだろう。囃子方さんが演奏してるの。面白い音がしました。

追記:たぶん...ダクソフォン...かな。

 

あと、岡田さんというかチェルフッチュというかその辺関連(雑)、とにかく俳優さんたちが独特の身体の動きするじゃないですか。あれが意外と、能の極度に抑制した動きの現代バージョンに見えて、ハマってるように感じました。

 

能だと舞に当たる部分で、森山未來さんのダンス観られたのもラッキーて感じでした。そういうえば生で観るのは初めてのような…。あれ…??(薄れゆく記憶)

中入りするために橋掛かりから一旦退場するとき、右手は斜め上空にあげたまま、反対に左手は左膝あたりを抱え込んで、重心がかなり下のまま身体全体が大きく斜めに傾いた状態で、そのまま横方向に足を引きずりながら出ていったのが、すごくおもくて最高でした。

 

あと、シテが、建築家なので。後シテのメインの舞の時に、囃子方の音楽+ドリルなどの工事音が組み合わさった音楽になっていたのはマジでカッコイイ。惚れる。

 

あと、アイの片桐はいりさん、橋掛かりに立っていらっしゃるだけで何となく目がそっちに行っちゃうというか…。この方の身体性も面白いですよね…。

囃子方の音楽に合わせながらどんどん熱が入るにつれて重心が下へ下へ(しまいには寝ころびそうな勢い)いくのがめっちゃ良かったです。

発声の仕方というか喋り方も、狂言方みたいに、シテ方とはちょっと違うスピード感の喋り方になっていたのも、「ほんとに能だわ…」ってなりました。

※いわゆる普通の能観てみれば分かるけど、黄色い足袋履いてる人(狂言方)のセリフは、他の人たちより聞き取りやすいはず、と思ってる。どうだろう…

 

ちょっと個人的な好みのせいで「合わないな…」と思ってしまった部分の感想

 あのこれ、次の「敦賀」にも言えることが大分入っちゃうと思うんですが、まあ…いっか。よし書こう。

 

小見出しにもあるけど、あくまで「個人的な好み」です。これが「最高!」って方も勿論いると思う。

「能ってこういうものなの!こういう能が好きなの!!」っていう固定概念私の中でちょっと強すぎた弊害と言い換えてもいいかもしれないです。

 

というわけで反省も込めて書くぞ。

 

でもこれだけは言わせて。セリフがきこえないのはややまずいんでないか?

まあ能でも、聞こえない時って多々あるんですけれど…。

ちょっと音楽大きいかな…。あと、機械音というかマイクだからなのかな、反響があって、ホワンってした音になっているんですよ。謡も囃子方も。

それで、音楽と謡とセリフ、全部そういう一緒の音質で…。

そりゃあごちゃごちゃになって聞こえない部分出てくるよな…って感じでした。

 

まあそのぼんやり夢幻的なのがいいんだろ、と言われてしまうとぐうの音しか出ないんですが…ぐう…。

 

軽すぎる

沈黙の重み、が、ない、というか。

能楽堂で観る、ピンと張り詰めた感じを期待していたら、意外とゆるくて個人的に拍子抜けしてしまったというか。(あとで書くけどたぶん柱のせいだと思う。)

とにもかくにも、身体性がものすごく軽いんですよね。いや軽いのは良いんだけれど、軽すぎる、というか。

後シテの衣裳…装束…?も、めちゃ柔らかくて風を感じる!みたいな質感で、ちょっと妖精ちっくというか…。いやこれはこれですごい綺麗なんですけど…。

あ、さっきから軽いとかなんとか言ってますが、反対に白石加代子さんみたいな方の身体性は、重い、と思う。平幹二郎さんとかでもいいけど。なんかそんなぼんやりした感じ。

 

あの、たぶんこれ、高さは無いけれど、なんちゃって能舞台になっているじゃないですか。で、能舞台って、下手すると、「はじかれる」んですよね。

もしかしたらテレビとかで、スーツのアナウンサーさんとか、能舞台にあがってたりする映像見たことある人とかだったら分かると思うんですけど、ああいう、「なんとなく」「普段の延長」であがると、舞台に拒否られる。だからみんな正座とかしてなんとか適応しようとする。今だと、和室とかもややその傾向あるかも??要は能舞台に負けないように特殊に身体を動かさないとはじかれる」空間になってる、んじゃないかなあ、と個人的には思っていて…。

 

だから「不安定さみたいなのを強調して意図的に動かしている」時はすごいハマって見えたんです。さっき書いたけど。

 

ただそのなんていうか、…というよりもはや踊りですよねあれは。後シテの時とか両作品顕著だったんですけれど、なんかめちゃくちゃにコンテンポラリーダンスな感じで。

まあ私、好きでたまに舞踊とか舞踏観るぐらいで、全然詳しくないので間違ってるのかもしれないんですが、そのための感想ブログなので書きます。レポートじゃないしね(笑)。

 

その、所謂、「動きの反動(自然さ)」とか「しなやかさ(これも自然さ)」みたいなのが見えてしまった時に、私の中で拒絶反応が起きてしまって…。

例えば指の動きなんか、能だと全部ピタッと閉じてるんですが、今回は全部バラバラ、しなやか~に動いていて。

 

それはそれでやっぱり美しいくて観てて「うわあ…(感動)」って感じなんですけど、でもこれって、「未練」の話じゃないですか。

で、さっきも書いたけど、「最も心残り」なことを語らなきゃいけないわけで。

そのためには、シテは自分の内面深くに潜らなきゃいけないですよね。

そういう時ってべらべらすらすら喋れないじゃん?あれ?でも私はそう思う。

実際能だってよくよく聞いてりゃ、ほぼ地謡ばっかりで、シテなんてポツポツとしか言葉言わないし。もちろんこの『未練~』も能の構造ほぼそのままなので同じ感じ。

 

じゃあそういう言葉、外界を遮断するみたいに、内側へ内側へ、と行くべきときに、しなやかで自然な動き、あるいは速い動きが合うかっていったら合わない気がして…。

 

やっぱり、そういう時って内側と外側の連結が異常なまでに強くなるから、しなやかで(外界の物理法則に対して)自然な動き、というよりは、身体の周りの空気がもったりするようなレベルで意図的で、そのために重い動きになるんじゃないかな…って思ってる節があります。

 

ただ何回も書いてるけどダンスはダンス単体で、すげえもん観たなって感じました。

でも能舞台と言うより、もっと横に長い普通の舞台でのダンスみたいだったんよ…。(これがジレンマか!?) 

 

何はともあれやっぱ柱は欲しい

これアンケートにも思わず書いちゃったことなんですが、やっぱり柱がないのが(個人的に!)問題な気がします。

遠くてよく見えないものも、筒を通して見れば見えたりするじゃん。なんか、私、能舞台の柱について、そんなイメージを持っているんです…。

たった4本なんですけど、ピント調整機能を持っているというか。あれがないと、シテの情念とかそういうのが、ぼやけるどころか下手すると伝わってこない感じがする…。

今回、後ろの方の席で観たせいもあるかもしれないんですけど、なんか、舞台と私の間に1枚幕があるみたいに、自分の手前でストンって全部何かが落ちてしまう感じがしました。

 

観客席まで、ブワッと勢いよく届くには、まず舞台上で充満してからじゃないと駄目な気がするのに、柱がないから、一見能舞台にはなっているけど、空間が横に伸びている感覚、充満しきる前に横に全部流れてしまう感覚があって余計に駄目でした…。

 

なんかもうビニールテープとかさ、千羽鶴上からぶら下げるとか、そんなちょっとした仕掛けレベルででもあったら違った気がする…。ほんと思わずアンケートに書いちゃったよ素人のくせに生意気言いました許してください…。

 

でも、踊りの部分の指を閉じて、指の周りの空気の密度あげてみるとか、リラックスした状態でも意識的に手を軽く握りこむとか、重心は下にしておくとか、それとも舞台をもう少し嵩上げしてみる、とかしたら、また全然雰囲気変わりそうだな、と思いました。

 

なんだか、未練未練言う割には、シテの身体性が軽すぎで、「ねえねえ、橋掛かり(彼岸と此岸を結ぶ橋でもある)通ってこっちにきちゃうレベルで未練あるらしいけど、その割にはあなた割とすぐ浮かんでいっちゃいそうだね?」って感じでした。

 

衣裳もね…めっちゃ素材が柔らかいんですよ…空気感すごい…動くたびにひらひらするよ…綺麗だけど『羽衣』の天女かよ…。(さっきも書いたなこれ。というか能の装束はもっとパリッとしてる感じがする。)

 

まあなんだ、とにかく

 

あなたの気持ちを少しでも分かりたいので、もうちょっと地上に引っかかってくれ。頼むから。

 

軽すぎて切実な感じがしないしこっちも切実に受け取れん。すごくぬるぬる滑っていっちゃう。

 

ただ、もし、切実な問題なはずなのに、現代的な言葉と身体の前では、そういう切実さみたいなものも、どこか希薄なぬるっとしてつかみきれないものにしかならない、ということをいいたかったんだとしたら、完全に私の受容力不足です、でももしそうなら能舞台でやんな。(逆ギレ)

 

引っかかると言えば、ワキは両作品ともリュック持っていたり、旅行鞄ひきずっていたりで、むしろ引っかかてましたね。重石がついている状態なので。

片桐さんについては、意識的なのか分かんないけれど、たぶんこの人の身体の雰囲気が1番重かった気がする…。

 

敦賀」(書きたいこと大体書いちゃったので短め)

 「挫波」の方に書き尽くした感はあるので、あっさりと。

 

栗原類さんが、ワキだったんですけど、なんかおおおってなりました。

芯があるしっかりした、って感じではないんですけど、だらんと脱力した存在感があってなんかびっくりしました。

あと普通にスタイルすごい。(薄い感想)

 

ただそういえば、後シテの踊りを見る時に、なんで両作品とも、ワキが立ったままなんだろうなあ、とは思いました。座ってもいいのに。

というか重くあってほしいから座って欲しい!(個人的願望) 

 

あとなんか、囃子方に合わせた台詞の喋り…語り方?なんか聞いたことあるなあ、ってうーんってなってたんですけど、あれかも。宮城聰演出の『アンティゴネとかに似てると思ったんだわ。

…それだけです。はい。だからどうってわけでもない(笑)。

 

まとめ

全体を通して衣裳の色とかがポップで可愛かった!!

 

橋掛かりの傍の松が黄色い三角コーンだったりとか。工事現場っぽくもあるし、色味がとにかくカラフル。

 

あと、別に「能をやりますー」って言ってたわけじゃないのに、なんとなく自分のなかにある「能」像で期待しすぎて拒絶反応起こしちゃったのが失敗したかな、と思いました。反省。

まだ若いはずなのでもう少し柔らかい頭を持つようにしたい…あとは寝不足解消かな…マジで疲れている時って演劇を観るの相当辛くなるからね…。

 

でもまあ色々おいておくとして、とりあえず

 

7月後半ぐらいに

千駄ヶ谷国立能楽堂

国立競技場の脇に仮設能舞台でも作って

「挫波」だけでもやれば

色んな意味で最高に素敵だと思います。

                                  (確信犯)

 

 

そして明日は桜姫東文章行ってくるよ!?

上の巻は中止のせいで観られなかったけど!!

きっと明日でその未練だけは救われるはず!!わーい!!

 

楽しんできます。早くも美しさでしんでしまいそうな予感。そして翌日に『キネマと天地』も観に行く予定。待ってて新国立劇場めっちゃ久しぶりに行く気がするけどたぶん無事に辿りつけるはずだから…?

 

【以下追記】

スマホから打ち込んでるのでちょっと何かしらおかしくなるかもだけど、そこはあとで直します。( ˙꒳​˙  )キリ

 

えーと、なんか、「軽くてぬるっとしててそれが思ってたのと違ってうーんってなった」とか上の人はほざいてますが(おい)、多分この人、修羅能的なもの想像していったんですねたぶん。

 

夢幻能ってだいたい2パターンぐらいあると思ってて、

 

①修羅能みたいなやつ

②『井筒』とかのやつ

(神様系のやつもこれに入るのかな)

 

 

ってなんとなく把握してて、①のほうは「成仏させて欲しい!」っていうのが最終目的にあるんですよ。これは上の人も言ってるけど(あくまで他人として通す)。

 

でも②の系統のシテは、そういう、特別に達成したい、ってことはほぼない。あるのは生前の思いを、シテの内面的には大切なことなんだろうけれど、対外的には(それこそワキに観せるパフォーマンスとして)「成仏したい!」とかいうハッキリした目的と比べると、ほぼ無意味に反芻してるだけ。というかその反芻こそ目的。

 

あの...なんかたぶんなんですけど、すっごい悲しくてすっごい辛い記憶でも、思い出す時って、どっかに懐かしさみたいなものがあると思うんですよね...。いやほんとにたぶんなんだけど...。あと、ぜんぜんプラスの意味ではないです...電車の景色が遠ざかっていくあのぼやっとした感じに近いと思う...ぬるま湯みたいな...。

それが修羅能みたいに地獄に落ちてると、「今実際に地獄で苦しんでること」になるから、その懐かしさみたいなのが消える気がする...。

 

たぶん、この懐かしさみたいなのが「ぬるっとした」感じだったんだろうな...と。

遠くのこと(生前のこと、ありえたはずなのにありえなかったこと)を思い出すってまさに夢みたいなことなので、どっかおぼつかなくて、ぼやっとして、「軽く」もなるわな。

 

「よっしゃ屋島観るぞー!」って観に行ったら「ごめーん今日『井筒』なんだ(๑´ڡ`๑)♡テヘペロ」みたいな感じになれば、上の文章書いてる心の狭いの人(あくまで他人を通す)なんかは「ええええ...」ってなりますよね...。でもこの人どうやら疲れてたみたいだから許してあげてください...。

 

どうりで、敦賀の近所の人(アイ)の

 

「誰だって眠って夢を見ている人がいたら、その人の周り歩く時はそっと歩くものでしょう。」「それが人としての最低限のマナーですよ、違いますか?」

 

っていうセリフが観終わったあとに妙に引っかかったわけだわ...(戯曲読んだ時はそこまでてはなかった)

 

私、たぶんマナーちょっと悪い人になってたんですね...。

それ以上語れない、語りたくない、語る必要のないと思っている相手に対して引き留めて語らせたがるとか最低すぎるね...。

 

...あ、私って書いちゃった...。まあいっか...ちょっとショック受けたからふざけ口調で書いてただけだし...。

あ、でも柱に関しての意見は変わりません。能舞台から柱取ったらあかん。ここは譲らない。