8月に観た『桜の園』と『エブリ・ブリリアント・シング ~ありとあらゆるステキなこと~』のちょっとした感想
タイトルまんまです。最近は、先生にせかされた卒論の要約(なんか知らんけどあとあと履歴書に書けるらしい)が一発OKが出て良かったな、ぐらいで特に変わりはありません。あと『呪術廻戦』にどっぷりハマっているくらい。推しはパンダと東堂と高田ちゃん。真希さんも好き。
というわけで以下感想です。8月東京に行ったのは部屋を整えるのがメインの目的だったので、2つしか観られませんでした。
①『桜の園』
@PARCO劇場(10日、13時)
戯曲を読んだ時から「何この戯曲、登場人物にイライラする」と思ったのだけど、上演を観ても途中で帰りたくなるぐらいイライラするだけで、あんまり面白さが分からなかった。
登場人物にイライラするのは一旦脇に置いておくとして、いたずらに過去に縋りつく人物としてのラネーフスカヤとガーエフ、現在を象徴する(現在しか有効でない解決策を示すため*1)人物としてのロパーヒン、新しい未来への希望としてのアーニャとトロフィーモフ、という構造は分かる。
そして会話のキャッチボールを試みているのが現在を担うロパーヒンだけで、あとは登場人物全員ピッチングマシンみたいな喋り方*2しかしていないのも、見ようによっては面白いのは分かる。過去と未来を担う人物たちが一方的にふわふわとした主張を繰り広げるだけで、現在の問題(ロパーヒンの提案や問いかけ)にはまるで目を向けない様子なんかは、例えば現在の日本の政治状況なんかと照らし合わせて演出したりなんかしたら、それこそ抱腹絶倒ものだと思う。
ただなぜかこのプロダクションで強調されていたのはラネーフスカヤの子供の死だった。これはサイモン・スティーブンスによる翻案からそうなっているらしい。
演出も翻案に従って、子供の死の話題が出る時は不穏な音楽を流したり…ということをやたらにしていて妙にセンチメンタルになっていた。たしかに子供の死は戯曲全体にわたってちょいちょい言及されるし、主にラネーフスカヤに大きな傷を残してはいるとは思うのだけれど、1つの上演を通してそのことばかりを強調し続ける意味が分からず、ただただセンチメンタルな感じになっていて、そこが本当に気に食わなかった。さっきも書いたように『桜の園』はもっと「政治的」に面白くできる作品のはずなのだ。それがあんまり意識されていないように見えたのが本当に好みじゃなくて、私の中での低評価の大きな原因になっているような気がする。
あとその子供を象徴するものとして、子供用?の三輪車があったのだけれど、クマの被り物をしたままその三輪車漕いでた俳優がすごかった。なんであんなに三輪車漕ぐの上手いわけ?
それと現代風に演出しているのはいいとは思うんだけれど、それならまず翻訳の口調を現代風にしろよ、と思ってしまった。翻訳翻訳している口調(特に女性の登場人物が)だったし、俳優たちもそれに合わせて新劇みたいにハキハキ叫ぶしで、なんだかなあ、とゲンナリしてしまった。あとガーエフの演説の時とかにマイクを使う演出はなんの意味があったのかさっぱり分からない。
上下する箱みたいな舞台美術に関しては、古く美しい思い出をそのまま箱の中に密封するってことかな(安易な考えだな)、と思ったのと、こういう天井が上下するタイプの舞台美術最近本当に海外モノでよく見るな、と思った以外特に感想はない。ただラストのフィールスの場面で、米津玄師のLemonの着信音鳴らしたやつは、村井國夫に誠心誠意土下座して謝罪すればいいと思う。
まあ、天野はなが演じていたメイドのドゥニャーシャのキャピキャピっぷりと、川上友里演じる家庭教師の不気味さは半端なく良かったと思うので、そこは観られて良かったかな、とうっすら思う。あとアーニャ(川島海荷)の顔がとにかくかわいい。あれはトロフィーモフ一目ぼれするわ。
②『エブリ・ブリリアント・シング ~ありとあらゆるステキなこと~』
@シアターイースト(12日、13時)
初演を観てあまりに感動してしまって美化しすぎている感があったので、頭を冷やしに行ってきた(言い方)。
舞台美術は初演の時の方がもっとごちゃごちゃしていた。今回はカーペットと小さいテーブルのみになっていた。ちなみに初演の感想もブログにあるけど読まないでください。黒歴史なんで。フリじゃないです。
結論:初演のときにもうっすら思ったけどこれ演出うんぬんというより佐藤隆太がすごいだけじゃね?てかこれに佐藤隆太をキャスティングしようと考えた人が神。ありがとう。
まず、これは観客参加型の作品なので、俳優はある程度毎回観客の位置を覚えておかなきゃいけない。SNSとか見た感じ、それに大きく失敗している回ってないんじゃないだろうか。すごい記憶力と臨機応変力。
あと、「観客参加」にビビっている観客(つまり私みたいな観客)すら「これならちょっと参加してみても良かったかも」と思わせる佐藤隆太の雰囲気がすごい。よく少年漫画とかで見る「裏表がなくてただただめちゃくちゃに人柄の良いネアカ」みたいな雰囲気にプラスして「近所のお兄ちゃん」感を出してくるからすごい。だって「近所の気のいい兄ちゃん」のお手伝いなら自分でも出来そうって思えちゃうじゃん。とにかく、もしかしたら佐藤隆太ってもとからそういう人なのかもしれない…と錯覚させる能力がすごい。裏表のない人間なんている訳ないだろと思ってる偏見人間(=私)ですらそう思わせるのマジでやばい。
あと自殺と鬱という割とセンシティブな内容を扱う作品なんだけれど、その1つ1つのセリフを確かな実感と説得力を持って観客に語り掛けられる佐藤隆太がすごい。もうなんか人間としてすごい。「自殺を考えている人へアドバイスがあります。自殺しないでください」みたいな、割と読むだけだとペラっとした印象のセリフがあるんだけれど、そのセリフを「自殺を考えている人へアドバイスがあります。(こんなことを自殺したいあなたに向かって言ってもなんの救いにもならないことは百も承知なんだけれど、それでも僕はあなたに今心の底から死んでほしくなくて、だからこう言うしかない)自殺しないでください」みたいな感じで言うのですごい。一言への含みがやばい。しかもそれを「演技」ではなくて「本心」から言っているのではないか?と錯覚させる演技力がやばい。とにかく佐藤隆太がすごくてやばい。毎回泣きそうになる。
心の底から佐藤隆太をキャスティングした人に拍手を送りたい(何回目)。
しいて言うならすべてが「佐藤隆太がすごい」に収束していくことこそが問題なんじゃないかと思う。もうちょっと演出頑張れよ(暴論)。
もちろん戯曲自体も「観客参加」という点で面白く出来ているなと思う。
最初は突然べらべらと自分のこれまでの人生を語りだす「僕」の手伝いを、割と「積極的」な観客がしていく(自ら志願する形でカードを読み上げたり、ある登場人物を「僕」の言うとおりに演じたりする)形になっている。まだこの段階では、上記のような「積極的」に参加する観客と、シャイだったり声を出せなかったりなどの色々な理由で参加に「消極的」な観客が一見存在するように見える。
でも最後の方で、この場が実はグループカウンセリングの場であり、だから「僕」は観客に自分のこれまでのことを話していたのだ、という事実が開示される。要はこの場(劇場)に来て、「僕」の話にじっと耳を傾けているだけで、十二分にグループカウンセリングの「参加者」として作品に深く「参加」していたことが開示される。つまり観客の全員が最初から「積極的」な「参加者」であることが明らかになる、という面白い構造を持っている。
ただしこの作品が「イマーシブ」なのかについては結構慎重な議論が必要だとは思う。
ただ唯一この公演で失敗しているな、と思うのは「自殺」に関して扱っていますよ、というトリガーワーニングを一切していないこと。公式サイトですらしていないのだからこれは批判されても文句は言えないと思う。だってこんなタイトルであんなポップなポスターならひたすら楽しい子ども向けの芝居かと思うじゃん?絶対よく分かんないまま来てる親子連れとか結構いたよ?
ちなみに私が観に行ったときは、(開演前に佐藤隆太が志願者にカードを配るんだけど)カードをもらえなくて泣き出しちゃって劇場から一人で出て行っちゃった女の子の機嫌を必死に追いかけながらとっている佐藤隆太、という面白ほほえましい場面が観られた。それと同時にそんなちっちゃい子が観て大丈夫か!と内容知ってる私はヒヤヒヤしてた。
総論:たぶん佐藤隆太さえ確保できれば私でも演出できる(大暴論)
懸念点:佐藤隆太以外のこのレベルでできそうなちょうどいい俳優がパッと思いつかない。
9月10月はいっぱい観るよ!
なぜなら東京にいるからね!芸術祭とかあるから!!あとNTLive!!!頑張る!!!!