感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

舞台美術のネオンサインが1本切れたのが最後まで気になってしまった『愛するとき 死するとき』

2021/11/28
シアタートラム

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久しぶりにシアタートラムに行きました。

現代能楽集X『幸福論』以来だから1年ぶりぐらいか…。

嘘だろ…そんな来てなかったっけ…。

monsa-sm.hatenablog.com

☝この時も10カ月ぶりって…。

 

渋谷から電車1本ってことで、心理的KAATと同じぐらい遠いんだよなあ…。

あと世田谷パブリックシアターの方に行きがちっていうのもある…。

悩ましい…。来年こそ…。

 

ちなみに大学の先生も観に行ったそうなんですけど、コミュ障こじらせているので突撃隣の観劇感想!できませんでした(そんなものはない)

卒論指導とかで(強制的に)仲良くなれたら聞いてみたいけど…いつになるやら…

 

 

公式の舞台写真とかちょっと映像とか

setagaya-pt.jp

spice.eplus.jp

youtu.be

 

戯曲が、たまに見るタイプの、句読点一切ないうえに、どこからがセリフでどこからがト書きなのか、そもそも1部と3部は1人語りのよう書かれているから何人で演じればいいのか…、と演出家の人が見たらたぶんワクワクする半面、こういう書き方を決定的にやり始めちゃったであろうハイナー・ミュラーあたりに製作途中で1回キレそうだな…、となるやつだったので、意外とポップな雰囲気の演出で驚きました。

私は、このタイプの戯曲は黙読が出来ないので、ブツブツ音読したんですが、句読点がないとどこで切っていいかマジで分からないので、「???」となりながら読んでました。

www.amazon.co.jp

☝あ、今回の翻訳とは違うけど戯曲も読めます!

 

あと、あんまり舞台の内容とかには関係ないんですけど、観に行った日、第1部の最後らへんで、ブチッとかなり嫌な音がしたのでびっくりしていたら、ネオンサイン(でいいのかな…?)が1本切れてしまっていたんです。

第3部までそのままで続行していたので、ライティングが綺麗な舞台美術だった分、すごく気になっちゃったし残念でした…。運が悪かった…。休憩中に変えるとかは…無理っすよね…。うん…。

 

演出を楽しむ舞台だった気もする…

物語的には全体として、「どこでも、どんな状況でも、具体的な人間の具体的な生活って、細かく描写すればするほど、色々共通点とかが見えてきて『どこにでもありそう』になるよね…」と、戯曲読んだ時から思っていたので、特に驚きも感動もなかった気が…。

まあ心が動かなかったのは、物語うんぬんではなくて疲労困憊で私のメンタルが死亡しているせいですけれど…。

 

社会主義体制下の東ドイツ(開場後すぐに劇場に入ったら、真ん中に穴が開いたドイツ国旗がぶら下がっていたから、「そういえば統一前のドイツ国旗って真ん中になんかデザインが入ってたなあ」とは思ったけど何でそれをくりぬいたのかは謎)っていう状況ならでは、みたいな息苦しさは全体を通してあるんですけど、基本的に演劇やる人も、私みたいに演劇観に行く人もそういう息苦しさ抱えている人ばっかりなんで(ド偏見)「まあうん、いつでも、どこの社会でも似たようなことはあるよね!分かる分かる!!」と、疲れていたせいもあって、ちょっと思考放棄してしまった感があります。

 

もうちょっと頑張れなかったのか自分…、と観劇直後のメモを見て思っている、なう!です!!

やけくそ

 

あと生演奏ってやっぱいいなあ、と思いました。

最近なんか、立て続けに生演奏のやつ『アルトゥロ・ウイの興隆』、『あくと』とか)観に行っている気がします。

 

1部「ある青春/コーラス」、はすごいスピード感

なんか歌付きのトークライブみたいだなあ、というのが第一印象でした。

若者の青春から、場面ごとに写真で切り取ってきたみたようなことを並べた内容だからか、一気に駆け抜けるようなスピード感で話が進んでいきました。

ただ、混乱する、とかはなくて、「このスピード感で混乱しないとは…すごい…」ってなってました。

 

結構な登場人物がでるので、どうすんのかな、とか思っていたら、半円形にライトを並べてアクティングスペースを作って、その外側で、俳優さんたちが、出番に合わせて早変わりしていく感じでした。

観ている分には違和感もストレスもないんですが、衣裳チェンジとか、配置とか、誰にどの役をやってもらうかとかは考えるだけで眩暈がしてきそうなレベル…すごい…。

 

基本語り手の「僕」が中心で、マイクとかも使ってたりして、ほんとにスピード感と相まってトークライブみたいなんですけど、その「僕」の語りに反応して「役」になるみたいな演出もあって面白かったです。

「犬」が出てくる時、「僕」が「犬だよ!」的なことをいったら、該当する俳優さんが「えっ!?」って顔して、ちょっと戸惑いながら「犬」を演じていたり…とか。

 

自殺とか西側への逃亡とか徴兵とか、だんだん重めな話題が入ってくると、アクティングスペースを作っているだけに見えた半円形のライトが、あの壁っぽく見えてきて、かなり舞台が狭く見えてきたのも面白かったけど、面白かった以外の感想がなぜか出てこない…。うーん…。

 

あと、「僕」が「黒板に紙パックのミルクを投げつけた!」的なことを言った瞬間に、後ろでネオンサインが、一瞬でパッと白くなったので、ほんとにミルクをぶちまけたみたいに見えて、そこだけやたら記憶に残っています。


あと舞台写真でもあるけど、「僕」が、雪の上に寝そべる様子を、白シャツを着た人の上に寝そべることで表現していたところとか…、とにかく

 

「あんなどうしていいか分からない戯曲からよくこんな演出思いつくなあ…」

 

って感じで面白かったです。

 

2部「ある古い映画/グループ」、は割とスタンダードな感じ

さっきの半円形のネオンサインの前に、観慣れた感じの舞台美術が組まれていました。たぶん3作の中では、1番ストーリーがつかみやすいかなって感じです。

 

戯曲のほうでも、ト書きやセリフの区別が、いわゆる普通の戯曲のようにハッキリしているので読みやすいです。書いている内容には「???」となったりするんですけど…。

たとえば

 

ペーターはハーゲンの顔に殴りかかりたいがハーゲンはめがねをかけているのでそれはできない

 

とか、これ一応ト書きの部分として書かれているんですけど、「いやこんなんどうやって醸し出すんだよ…!!」と思ってたら、ト書まで全部セリフとして読み上げていくスタイルでした。

 

「カット!」

 

って浦井さん(ブロイアーおじさんとミランを演じていた気がする)が、頻繁に言うし、あと高岡早紀さんも言っていたような…、ちょっとうろ覚えなんですけど…。

ドライブのシーンとかで、劇世界内の人に車のハンドルの小道具を渡したり、劇世界内の人が飲み物を回し飲みするときに隣にいて無言で催促してるのに、劇世界外の人物だから、劇世界内の人物に無視されちゃう高岡さんがお茶目で可愛かった…。

 

えっと、要は、なんか語り部的な、劇世界外の人物が舞台上に常にいる感じで、なんていうか、自伝的な映画を撮っている様子が舞台上で展開されている、っていうのが一番印象に近いかもしれないです…。パンフ買ってないんでよく分かんないんですけど…。

 

最後、浦井さん演じる監督っぽそうな感じの人(恰好はブロイアーおじさんかミランのままだったけど)が、あえてこう言っていいなら「映画のセット」「だった」ミラーボールを、ちょっと名残惜しそうに回した後に(キラキラしてて綺麗だった)、「映画」の中で何回も印象的に使われていた「青い壁」のセットが、暗くなっていく舞台上で印象的に浮かびあがって、その後で幕、になっていたのを観て、「の、ノスタルジー…!!!」と謎の雄叫びを心の中であげたんですけど、あれはそういうことだったんですかね…。自分の青春時代を振り返った映画を撮り終わったあとの感慨…的な…。

 

でも、ブロイアーおじさんかミランを演じていた、のだとしたらこの解釈通用しないのでムズイね…。

 

…まあいっか…私はそう思いました!!

 

ところでブロイアーおじさんのセリフ、声が小さすぎる……

…のはたぶん敢えてなんだろうな…。

この人、反体制派の人で、「たった一度だけ口を開いた」がために12年も「クリーニング」されたんだもんな…。そりゃ声を出すのにも、語るのにも慎重になるか…。

こういう感じで、「ならでは」の息苦しさも結構あるにはある…

 

 

あと、ペーターが、アメリカに行くディルクと別れた後に、アドリアーナと一緒になってクリスマスツリーのそばでクリスマスを楽しそうに過ごしていたと思ったら、アドリアーナが一旦ハケて、悲しそうな顔でペーターに制服を持ってきたので、一気に時間がたって「ペーターはこれから兵役なんだな…」というのが、視覚的に分かりやすくなってて、親切だ…と思いました。

戯曲読んだ時、「兵役…??たぶん…??たぶん兵役…??」と混乱してた人

 

 

それと全然関係ないんですけど、『森 フォレ』の時にも、絶妙に胡散臭かった(失礼)小柳友さんの、胡散臭めなお医者さん姿パート2が拝めてちょっとテンション上がりました...!

今回は産婦人科のお医者さんかな…。

 

何ていうか、神経科『森 フォレ』でも産婦人科医って感じでもないんだよね…美容整形外科とか形成外科のお医者さんっぽいというか…誰か分かる人いませんかね??

お医者さんはアレだったけど、ディルクはすごいハマっててかっこいいなあと思いました。

 

3部「ある愛/2人の人物」、は超大人っぽくて(内容にしても)難しい

身も蓋もない言い方してしまうと不倫した男の1人語り風の話なので、「…??」となってしまいました。これはしょうがないかな…。

 

第1、2部で使ってたセットが、バリケードみたいにグチャグチャに組み立てられて、なんだか世界が崩壊したのかと思いました。

蛍光灯もあっちゃこっちゃにぶら下がっていて、たぶん雰囲気としては1番暗い。

愛する人と別れることってたぶんそれこそ、ラストに言うように「惑星の光が消えた」レベルのことなのかもしれないから、この暗さなのかもしれないしれないな…とも思ったんですが、どうなんだろう…。

あと1人で語るのかと思っていたら、女性のパートは高岡さんが語っていました。

周りの椅子に他の出演者が座っていて、要所要所でちょっと出てたかな…って感じです。

 

それにしても、最後の音...銃声...??

な訳ないよね…たぶん…まさか自殺…??

 

とかなっちゃいました。でもこの第3部は正直、内容もよく分かんなかったです。雰囲気はそこそこ好きだったけど、人生経験的な問題な気がする…。

 

疲れてる時に観に行くもんじゃない…

なんかぼんやり観てしまいました。

基本的に大きくて派手で、爆笑して同時にしんどくなるようなやつが好きなので、もしかしたら戯曲がそもそもあまり好みじゃないのかもしれない…。

 

よくわかんないですね…。うん…、とりあえずお腹空いてきたから終わろう…。

正直自分の偏見とか嫌な部分が出そうで感想書きたくない…と思った『ザ・ドクター』(でも書く)

2021/11/14

PARCO劇場

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看板とかポスターじゃなくて電光掲示板...?

 

 

ようやく発表が終わったと思ったら、卒論の仮指導でメンタルやられたばっかりですが、次の発表もあるし、そろそろ本気で感想が溜まってきたので、頑張る…!

 

今年の後半はPARCO劇場にお世話になりっぱなしなんですけど、ここの劇場ってやっぱりマイクつけなきゃダメなのかなあ…。うーん…。

 

今度海王星観に行くのでその時にまた…。でもあれはあれでなんか確実にマイクつけそうでもある…。

 

あと、隣に座った半袖(寒くないのかな)の人が、開演前とか休憩時間中はマスクしているのに、劇始まった瞬間からマスクとるので、「コイツ…確信犯…!!」と唾を飲み込みながら見ていました(嘘です)

 

観劇中にマスク外すの出来ればやめて欲しいです。なぜならスタッフさんが、たぶん決まりなんだろうけど、注意しに来るから…。なぜ劇中に…。百害あって一利なしとはこのことだよ…。

別に咳とかしてないからマスクの有無は正直個人的にはどうでもいいんだけど、周りでわちゃわちゃされると気が散ります…。

 

いいじゃんみんな病院にいると思っていっそ楽しんでマスクつけようよ…。

 

 

公式のやつ

stage.parco.jp

spice.eplus.jp

 

これ、前に配信していたのを、わけもわからず(たしか独語上演、英語字幕)無料で観たProfessor Bernhardiっていう作品をロバート・アイクが翻案したやつみたいで、悲劇喜劇に載っている戯曲を買って読んで「ああ~…すげえ…」となりました。

元の作品は元の作品で100年前のものとは思えないけど、『ザ・ドクター』はとってもTwitterというかネット社会で繰り広げられるようなことが起きていて、めっちゃ現代…!!て感じの戯曲でした。

www.schaubuehne.de

 

気のせいかもしれないけど翻訳がやや…

いや講義受けている先生が翻訳されているのであんまり声を大にして言うのもあれだし、そもそも原文読んでいないんですけれど…。英語苦手なんで…。頑張る…。

 

でもなんか、かたい、…というか、言いにくそう…??な感じに聞こえました。

読んでいるときは割とすんなり読めたんですけど、すんなり読めるものがすんなり喋れるかっていったら別問題なので不思議すぎる…。

 

「彼」とか「彼女」とかの人称問題もそうなんですけど、ムズイよね…。

日本語だと普通「彼or彼女のなになに」って言わないもんね…「あいつ」とか「あの人」とか「○○さん」のなになにだよね…みたいになりました…。

 

あと、Fatherで「神父」と「父」のどちらを指しているのか、少しの間だけ観客に対して宙ぶらりんにする、みたいな効果が原文の戯曲にはあったっぽいんですが、日本語だと無理ゲー…。

 

というか戯曲読んだ時に、ここ絶対笑いが起きるだろ!?って思ったルースの皮肉な物言いのところとかで、意外と全然笑えなかったのが、勝手に期待して行った分、なかなかのストレスでした…。

 

というわけで白状すると前半寝てました…。

後半からは俳優さんたちもエンジンかかったのか、突然聞きやすくなったのでちゃんと観ていたんですけど…。

 

キャスティング…難しい…※盛大なネタバレ

病室に入ろうとした神父が「黒人」だったことが、結構長い間、セリフとして明確に観客には伝えられない、みたいな構成になっています。

だからイギリス上演の際は神父を「白人」の役者さんが演じることで、「黒人」だったことが観客に分かると同時になされる人種差別に対する問題提起、みたいなのがより効果を高めるようになっているんですけど、そもそもガッツリ見た目が日本人の有名キャストが、白人だろうが黒人だろうがどの人種の役も演じてるので、実は「黒人」だったんです、と言われても正直、「あ、この人は黒人の神父さんだったのか…じゃあちょっと問題になるよね…」って情報追加程度の驚きしかなくえて、うーん…??となってしまいました…。

 

カラーブラインドキャスティングってロンドンとかで流行ってるみたいだけど、そもそも翻訳劇なんて日本で上演する際は絶対にカラーブラインドキャスティング風になってるし...。

 

…なんだろう伝わるかなこの感じ…。だってそもそも西洋人を日本人が演じているので、例えばだけど「目が青い」とか「プラチナブロンドの髪」とか「褐色の肌」とかのように、見た目から分かる身体的な情報っていう点では「黒人」と同じように、セリフで言われない限り伝わってこないし、そういうことを後だしされても、「ああそうだったのか」としかならなかったというか…。

たぶん黒人を白人のキャストが演じる場合の衝撃や観客の中に生まれる引き裂かれたみたいな居心地の悪さみたいのって生まれにくいように思えてしまって…。

 

たぶんもっとジェンダーまでごちゃごちゃにしたキャスティングだったら、ちょっとは驚いたかもしれない…。

ルースのパートナーのチャーリーは今回は女性の俳優さんが演じていたけど、そもそもチャーリーって役は男女どっちともとれるやつだし…。

名前も女性名か男性名かフワッとしているし、翻訳の口調も限りなくフラットだったし…。

 

ロジャー・ハーディマン医師みたいなかなり言動が「男らしい」人物を女性の俳優さんが演じていたりしたら、「この劇、なんか俳優さんの見た目から分かるアイデンティティみたいなのと役のそれとの乖離が激しい場合があるぞ…!!」となって、そういう「見た目」からしか分かんない情報が出てきたときの集中度が違ったかもしれない…

 

…とかぐるぐる考えていたんですけど、これも私がいわゆる世間一般的に言う「エリート」層で(少なくとも通っている大学に関しては)、「自分が何者であるかを選ぶこと」が一応「できる」立場で、「そんなことを考える必要もない特権のある階級」で、まあ確実に多くの面でマジョリティ側なので、「黒人」だったということを聞いても、「そうなんだ(てか今人種は関係なくね?)」、と思ってしまうだけかもしれない…

 

 

タイトルにも書いたけどだから感想書くの嫌だったんですよ!!!

こうなるから!!!ほらね!!??ね!???(圧)

 

翻訳とか演出とかキャスティングとかセリフ回しとかが好きかと言われると微妙だったけど、戯曲は最高だよこん畜生…!!

さすがロバート・アイク…!!

 

ちなみにこんなことを考えながら観ていたので

 

人生って、面倒くさい

 

って言ってたルースのセリフに全面同意してしまいました。

となるとやはり私はルース的な視点を持っているのか…??ウッ……つらい…。

堂々巡りとはこのこと

 

舞台美術と最初の演出は割と好きだった

幕があがってた状態で開場だったので、白っぽい舞台が全部丸見えなんですけど、そろそろ上演時間…??と思っていたら、やや暗くなると同時に、舞台上のテーブルとイスだけが照明で明るく照らされて、なんか強調されているな…と思ったら一気に真っ暗になって、明るくなってスタートでした。

 

この作品ディベート、というか話し合い?することが1つのテーマになっているので、それで劇中で話し合いのの場として使われるテーブルとイスを強調したのかなあ…と思いました。

 

このテーブルとイスの部分だけ円形の回転舞台になっていて、このテーブルとイスの向きと照明で、研究所だったり、ルースの家だったりをスムーズに切り替えていくんですけど、特に1幕の後半の研究所内での会議で、議論が白熱してくる時なんかは、ずっとゆっくりまわっていて、なんか円卓会議みたいに見えてきたなあ…とぼんやり思いました。

 

そんで、研修医(議事録とってた)と広報のレベッカが、回転舞台の外に基本いてあまり議論に直接かかわっていなかった(回転しながら白熱している同僚をほぼ直立不動で眺めている)のも、結構印象的でした。何がかは上手く言えないけど…。

 

最後の方で、団体の代表としては激しく対立していたようにも見えるルースと神父が、2人だけだと意外なほど穏やかに会話する場面があるんですけど、結構グッサリくるやり取りがあって

 

ルース なら、教えてくれればよかったのに。

神父  なら、聞いてくれればよかったのに。

ルース 確かに

神父  お互い、相手の話を聞くのは難しいもんです、波のように私たちをもみくちゃにする歴史のうねりを超えて。

 

なんか最初の演出とも相まって、「確かにめんどくさいし、だるいけど、ちゃんと相手の話を聞いて、自分が信じている1つのイデオロギーとかはあくまでイデオロギーでしかなくて、それを忘れるとテロリズム原理主義になっちゃうってことを肝に銘じておくか…」となったというか、でも「相手の立場になって考えましょう」って保育園の時にならうよな…

 

あれ…もしかしなくても保育園児以下の大人が世の中にはたくさんいる…??

 

みたいな感じになりました。盛大なブーメランでもあります。しんどい。

 

やっぱり大声で「バブー!」って叫んで赤ちゃん返りしたいです。(真剣)

 

あとテレビの討論番組の場面に変わる時、テレビ局のスタッフみたいな人がわらわら袖から出てきて、それと同時に上からメインのセットおりてきて面白かったです。

あとそのセットの手前に、ルースのリアルタイムの顔がドアップで映るモニターが設置されるので、微妙な表情も見ることができて、それは良かったんですが、もうなんかルースのことを糾弾する気100%でしかなくて、「うわあ性格悪そうなセット...(ニヤリ)」となりました。

私もたいがい性格悪いので!

 

あとセットとか特に関係ないんですけど、この討論番組にパネリストとして出てくる大学教授が、いかにも気難しそうで神経質そうで面倒くさそうな感じで出てきたので、ちょっと笑ってしまったり...。

 

ステレオタイプっぽくも感じるけど、いやでも実際いるんだよなああいう教授...。(遠い目)

 

戯曲読んだ時は思わなかったけど最後なんか...

ラストのセリフって冒頭のセリフと全く同じなんですが、なんかそれ聞いた時、ルースが自殺してもおかしくないかな...と漠然と思ったというか...。

 

戯曲の指示的には、

 

このシーンが現実の時間で進行しているのか、それとも冒頭に戻るのかは分からないほうがいい

 

的なことが書いてあって、なんでこんなこと書いてんだろ...?と読んだ時に結構疑問だったんですが、このラスト直前になって、ルース大竹しのぶさん)

 

ああチャーリー、あなたに会いたい。

 

ってかなり悲痛な声で絞り出すので、「うわしんど...」っとなってからの、おそらく999に電話したんだろうな、と思われる冒頭のセリフと全く同じセリフを繰り返すので...。

というか…冒頭のセリフとかもてっきり過去にチャーリーが死んだときに、ルースがかけた電話だと思っていたんだけど…どうなんだろう…。

 

あと、サミに対してルースが「自分が自殺でもするときは、先に自分で救急車呼んでおくから安心して」みたいなユーモアで返す部分があるので、なんかそれがあってから、この場面を実際に観た時に「えッ…(まさかほんとに?)」となったというか…。

 

見事に分かんなんくなっていたのですごいです…。

 

あと文章にできなかったこと(感想殴り書きメモ)

・ルースが神父さんともめる事件のシーンって、「観客に見せられるべきではない」って指示になっているので、どうするのかな、と思っていたら、下手側にあるドアの向こうで起きている体になっていて、なるほど確かにこれなら見えない(音声だけ聞こえる)…。

・医師たちが白衣で、フリント大臣とか、パパとか、あと神父さん、チャーリー、サミはカラーの衣裳の印象。なんか対比させているようにも見えたけど、医師は白衣着るもんだろうし、関係ないかな。

・あと照明綺麗。

・そして戯曲読んだ時にもしんどかったサミの「これね、選んだんじゃないんだよ、オプションじゃない…(中略)これが私なの——」はしんどすぎましたね。選べるのはマジョリティ側だけだもんね。というか天野はなさん最高ですね??うますぎじゃない??しんどい…!!

 

何とか終わったので今日も行ってきます

感想がどんどん遅れています。ヤバい。

『愛するとき 死するとき』『あくと』も書かなきゃいけないけど、とりあえず今日は、色々あって、この後『アルトゥロ・ウイの興隆』2回目観に行ってきますよ!!

珍しくS席で!!散財だ!!!大変だ!!!!

 

久しぶりにメモ帳君が活躍しそうです…。

戯曲の流れは叩き込んだので、じっくり観察してこよう…。

最後に「プレゼント」されて「どうしたもんか…」となってしまったNODA・MAP番外公演『THE BEE』

2021/11/21

東京芸術劇場 シアターイース

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よく見るとそれぞれのバージョンで微妙に違う…凝ってる…

 

 

U25でチケット取れたのは奇跡に近いです。ありがとうセブンイレブン先行。

このキャストだと正直プレイハウスでも即日完売じゃない?レベルだもん…。

作品のサイズ的にはプレイハウスは絶対に適してないけど…。

 

ちょっと『ザ・ドクター』『アルトゥロ・ウイの興隆』も、どっちも感想書けてなくて前後してるんですが、次の日に書ける時間が取れるなんて久しぶりなのでこっちから書いちゃいます…!

 

あと内容と全然関係ない感想なんで最初に叫んでスッキリしておきます。

 

至近距離(前から5列目)長澤まさみさん、美しすぎた…!!

美を浴びた…!!すごい美…!!強い...!!

でもキャサリン・ハンターさんの初演も観たかった…!!

舞台上で、男装した西洋の女性が、女装した東洋の男性をレイプする、とか、意味が過剰すぎて想像だけでヤバいよ…!!

 

スッキリしたところでまともに書いてくよ!

 

 

公式とか舞台写真とか

www.nodamap.com

 

lp.p.pia.jp

 

☝テンション爆上げになった時の井戸阿部サダヲの踊りが目に焼き付いてます…。

あれはグロテスクだったわ…。すごい踊り…。

というかあそこまで行くともはや暗黒舞踏だよね…。

 

雑なあらすじと小文字の感想

配役こんな感じでした。井戸だけは役を兼ねてない感じです。

阿部サダヲ…井戸

長澤まさみ…小古呂の妻、リポーター

河内大和…百百山警部、料理番組のシェフ、リポーター

川平慈英…チャラい刑事の安直、小古呂、小古呂の息子、リポーター

 

本人曰くエリートではないらしいビジネスマン(弁論部だったらしいからどっちかって言うとセールスマンっぽい)の井戸が、息子の誕生日プレゼントの電卓を買って帰宅すると、自宅が警察に囲まれていた。リポーターに突然囲まれてびっくり。なんか自宅がヤバいらしい。

 

現場の責任者っぽい百百山(どどやま。読めん)警部の説明によれば、凶悪犯の小古呂が脱獄し、井戸の妻子を人質に立てこもっているとのこと。小古呂の要求は「自分の妻に会わせろ」ということも聞いたので、とりあえず井戸は「小古呂の妻に頼んでみよう!」って思って、安直っていう刑事と一緒に車で小古呂の妻宅に行く。でも結構バッサリ断られる。

 

警察とマスコミに振り回されるわ、小古呂の妻の態度も散々だわで、たぶんちょっとプッツンしたっぽい井戸が、車出して案内してくれた刑事の安直を殴って気絶させ、家の外に放り出したりなんかして、めっちゃ豹変する。「わかったんだ。俺は被害者に向いていない」とのこと。小古呂の妻子を人質にとって立てこもり、「困難な方の道」である「加害者」として小古呂と、電話越しにやりとりをするようになる。

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ところで、安直と井戸が小古呂の妻宅へ車で向かう時、こんな感じになってたのがすごかった。

紙を持ち上げて手前に運転中の演技のスペース作ると同時に、長澤まさみさんが小古呂の妻になるのを上手く隠して、到着したらその隠してたスペースをそのまま小古呂の妻宅に見立ててノックして(紙の音が意外とノックの音にぴったり)、蹴破るようにして穴をあけて安直と井戸が入っていくのと同時に、持ち上げていた客席側の紙をおろして、小古呂の妻宅に場面を変えてたのはマジでスムーズすぎて最高だった。

 

そういえば小古呂とやりとりするちょっと前に、突然、蜂が部屋に乱入する。

ぶぶぶぶ...というかずずずず...って羽音は人の声で表現されていた。

井戸は蜂が嫌いな様子。刺されたら死ぬレベルでめちゃくちゃビビる。でもなんとか捕まえて、恐怖を克服したぜヒャッハーとここでまたテンション爆上げになって踊ったりする。

大体こういう状態になった人間はヤバいよね。

 

2人の加害者は電話越しに互いに互いを脅迫する。聞けばたまたま小古呂の息子も誕生日らしくて小古呂もプレゼントを買っていたらしい。しかも井戸と同じ電卓。

「お互いどうせ同じ電卓なんだし、お互いの子どもにプレゼントしあっとく?」となったんだけど、なんだかんだで交渉決裂。

井戸と小古呂が舞台で同時にプレゼント箱をダンダン踏みつける。

井戸が冒頭で自分でも言っていたけど、似てる、とも思うし、大量生産消費社会では息子のための誕生日プレゼントまで赤の他人と同じになるんか…ともなった。

あと『赤鬼』観た時も思ったけど、小さめの劇場で観ると振動とか伝わってくるのがすごい好き。

それと、主役は井戸なのでもちろん物理的な場は井戸が立てこもっている小古呂の妻宅なんだけど、何だか電卓を同じ舞台上でそれぞれ具体的にぶっ壊すこの辺から、舞台上で展開されているのが小古呂が立てこもっている井戸の家にも見えてきて、井戸なのか小古呂なのかよく分からなくなる。井戸以外が何役も兼ねているので、無意識に井戸と小古呂がダブって見えた。

 

埒があかなくなったので、売り言葉に買い言葉的な流れで、互いの息子の指を切り落として封筒に入れて送り合う、根競べみたいなことになる。

 

それの前段階として、井戸が小古呂の息子の指を折ってしまうんだけど、そのすぐ後にさっき捕まえたはずの蜂が出てきちゃう。井戸が死にそうなほどビビってるのが、それ以前の暴力性とアンバランスでちょっと滑稽なくらい。

そのあと小古呂の妻が井戸にとまっていた蜂をはらってやって、井戸がその蜂を拳銃で仕留める。

どんなスナイパーだよ、とは正直思うけどビギナーズラックってことで。

 

またまた「やってやったぜ!」とテンション爆上がりした井戸がルンルンで踊ってると、拳銃をちゃぶ台に置くときがある。小古呂の妻がチャンスとばかりに構えるんだけど、洗面所の鏡(客席側にある設定なので、井戸の凶悪な顔がじっくり見れるよ!怖い!!)越しに井戸が見てるのにビビって撃てないで終わっちゃう。

この辺、井戸が蜂に対して、以前からたぶん恐怖を持っていて、ほとんど無力だったのと関連あるんだろうなと思った。1回でもなんかの対象に恐怖を抱いてしまうと、何らかのきっかけで克服できない限り、そこで思考と行動がストップするんだろうなと…。まあ普通そうだけど…。

あと井戸に踊らさる妻がポールダンサーみたいに踊るんだけど、なんかもう素敵としか言いようがないくらいかっこよかったです…いや話の流れとしてはそんなこと思ってる場合じゃないのは分かってるんだけど…。

 

ちなみに、切った指を入れた封筒を、井戸—小古呂間で輸送してくれるのは百百山警部。

汚れ仕事にほどがあるね警部ファイト…

 

井戸が小古呂の息子の指を切り落として、小古呂の妻が封筒を持ってきて舐めて封をして、井戸がそれを持って窓辺に行くと百百山警部①がいるので渡して、部屋に戻ると小古呂の妻に上着脱がせてもらって、セックスして(井戸は安直から奪った拳銃を持っている。拳銃を天井にぶっぱなす=射精)、小古呂の妻は指を切り取られた息子をいたわって、全員寝て、起きて、井戸が洗面所でヒゲ剃ったりしてる間に小古呂の妻が朝食の用意してくれて、ごはん食べてると、百百山警部②が郵便受けから小古呂からの封筒を投げ入れるので、それをきっかけにまた井戸が小古呂の息子の指を切り落として…のエンドレス

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この部分は終始無言で、また何回も繰り返されるうちに全員ルーティーン化してくる場面なので、はたから見ていると、まあ息子も妻も最終的には死んでいくけど、とある家族の日常、みたいな感じに見える。

ただ投げ込まれる封筒がきっかけになって指を切り落としたり、レイプしたり、と暴力が行われるので、その封筒が投げ込まれる瞬間だけは異質な感じがする。

 

あと、まるで時計の針みたいに紙の後ろでゆっくりと移動する百百山警部の影が、照明の当たり方で大きさも不気味に変化しているようだったしで、とにかく本当にきれいだと思ったし怖かった。そして紙の前で展開されるルーティーンとの動作のタイミングが一切ズレないのがすごい。

 

本来ならこの、思考停止して慣れていく(洗脳されていく)感じ(息子は最後には自分から手を差し出すようになるし、妻も息子が死んだことにぼんやりとしか気づかない、とか)に恐怖すべきなんだけど、この恐怖は別の劇で、(その受容の仕方が正解なのかどうかはおいといて)それこそ吐いて泣いて逃げ出したくなるほど実感させられたことがあるので「まあ人間の生活って一皮剥いてみればこんなもんだろ...(白目)」となっていた。

 

井戸も井戸でわけわかんなくなったみたいで、息子が死んだから今度は妻の薬指を切ろうとするんだけど

 

薬指を切断するとき、包丁を持ったまま、俺の思考も切断された。

目の前の女が、俺の妻なのか小古呂の妻なのか分からなくなった。君は誰?

 

ってなっちゃう。そして妻も死ぬ。

電卓のとこから感じていた井戸=小古呂のダブっている感じがここで最高潮な感じ。

 

最後に井戸が

 

我々の周りの世界がゆっくりと失せていく。メディアは新しいニュースを、警察は新しい事件をみつけた。(事件さえも消費されるのは怖い)

ただ一日に一度、まるで郵便配達のように百々山がやってきては、私と小古呂のプレゼントを運んでいた。

 

小古呂からちょうど電話がかかってくる。井戸もちろん出る。

 

小古呂?小古呂、お前まだそこに居るのか?

見ろ小古呂、俺はお前に勝った阿部サダヲさんここだけほとんど絶叫してた)、次は俺の小指を送ってやるよ。

たとえ被害者でいることに我慢できなかったという理由があったとしても、加害者となり小古呂に勝つ(小古呂を被害者にする)ことは(そういう言い方をしていいなら)、目的としては小古呂に監禁されている自分の妻子を取り戻すためだったはずなのに、いつのまにか小古呂に勝つことが目的になっているなあ(ここまでくると井戸と小古呂の関係が、鏡像段階における愛憎入り混じったduel的な関係にすら見えてくるのにはびっくりした)、と戯曲読んだときから怖かったセリフだけど、まさかあんなにイっちゃった目で絶叫するとは思わなかったぜ…こわくてすごいです阿部さん…

 

そして、井戸が自分の指を切り落とそうとすると、舞台全体に無数の蜂が投影されて、めちゃくちゃ羽音もする。

だんだん暗くなる舞台で、突然、ぶら下がっていた紙が、紙の背後にいた百百山によって破られる。ビリビリ結構な爆音。

井戸と、小古呂の息子と妻の死体もろとも、指を包むように3人を馬鹿でかい紙で包んでいく。

 

それから暗転。井戸が踊り狂っていた時に流れていた嘘みたいに安っぽい「剣の舞」の音楽がこの前後ぐらいに流れて幕。

 

観終わってすぐに思ったこと

最後に井戸の指だけじゃなくて、舞台全体が包まれて「プレゼント」になってしまったように思ったので、こんな芝居を「プレゼント」されても観客としてどう受け止めたらいいんだ…と途方にくれました。

 

慣れてだれて思考停止してルーティーン化した、ぬるま湯みたいな観客席側の日常に入り込む、なにかしらの異質なものとして受け止めたらいいんだろうか…。

あれおかしいな…この間寺山修司の発表で、市街劇扱った時に同じこと書いた気がする…。

こんにちは修ちゃんお元気ですか…私は元気です…東京じゃなくて「青森青森青森×35……書けば書くほど恋しくなる」けど…(精神が疲労困憊)

 

少なくとも大量消費して忘れたらいけないのはなんとなく思いました。

特に、日本の国技は忘却だからね…。

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや…(寺山修司から離れろ)

 

にしても『フェイクスピア』の時も思ったけど、基本この人観客に喧嘩売ってくるなあ…(言い方)

 

monsa-sm.hatenablog.com

 

正直このラストまでは、戯曲を呼んだ時の衝撃と同じぐらいの衝撃だな…、と気楽に観ていたんですが、一気に安心感から叩き落されました。

 

最後の最後でこっちのこと叩き落して宙ぶらりんにしやがって…!好き…!!(情緒)

 

あとこの梱包するという大役を謎の説得力をもって無言でサラっとやる河内大和さんすげえな…。

影のやつもあるし何気に1番大変なんじゃないか…??

井戸が立てこもり始めて割とすぐに侵入しようとしてきたリポーターも演じられていたんですが、その時に言う「怪しいものじゃありません!フジテレビです!」がもし日替わりだったらかわいいなと思いました(笑)。

そしてこれ、英語版では何テレビなんだろう…BBCとか…?

 

やっぱこのぐらいの大きさの劇場最高!!音的に!!

雑なあらすじと小文字の感想のとこでも書いたんですけど、役者さんの身体の振動とか空気感みたいなのがダイレクトに伝わってくるので、このぐらいの劇場の大きさやっぱ最高だなと思いました。
息遣いとかまで余裕で聞こえるんで…。マイクなしで…。最高…。
何故かマイク通すとそれだけでセリフが聞きづらくなったりすることがある…私だけだろうけど…。
 
あと舞台美術に紙を使っていたり、人の声で蜂の羽音を表現していたり、結構聴覚的に面白い仕掛けみたいなのが盛りだくさんだったので、作品のサイズ感うんぬん以前に、こういうのを効果的にやろうとするならプレイハウスとかじゃ無理かもね…、と思いました。
 
それに、指の代わりに指と指との間に挟んだ鉛筆を折ったり切ったりするときの、ボキッ…って音が劇場を支配しないといけないんで…。かなりリアルな音でドン引きしたわ…。
 
あと大きい音は5割増しでビビります。
井戸が拳銃を天井にぶっぱなすところがあるんですけど、爆音はするわ、手元の銃から白煙はあがるわ、続く「石膏の雨が降っている」っていうセリフに対応するみたいに、上からバラバラ瓦礫が落ちてくるので、まさか…ほんもの…!?!(そんなわけはない)と見事にビビりました悔しい。
でもたぶん包丁は本物だったと思うんだよね…。
 

客席を使う演出が解禁っぽくて嬉しい(役者さんについてこまごま)

なんか開演時間になっても、開場してからずっと流れている変な音楽が流れ続けるだけで、なんも始まんねえ…とか思ってたら、何となく誰か入ってきそうな気配がして、「なんだ…?また山手線で停電でも起きて遅れた人でもいるのか…??(この前ロロの作品をシアターイーストで観た時それだった)」と振り返ったら、めっちゃ普通に客席の間の道路(通路)通って井戸が舞台方向にある家に帰宅してきてましたね…。

 

この前観た『アルトゥロ・ウイの興隆』でも客席通路使っていたし、そろそろいんじゃね?の雰囲気があるのかな…嬉しい…あとすごい近い…阿部サダヲが半径1mにいる…すごい…(ミーハー)

 

…てかセリフなんもないのに、なんで後ろから入ってきただけで前列の客の大半を振り返らせてんだこの人…??

 

…え…???

 

…これがスターってやつなの…??演技上手いってやつなの…??

 

と混乱してたら前半は序の口で、後半の狂いへのテンションの持っていき方がマジでやばい人でした。怖すぎるよ…(褒めてる…はず)

 

あと川平慈英さん、なんかちょっと意外な感じで、安直っていうチャラくてゲスイ刑事と、小古呂っていう、まあ根はピュアなんだろうけどカッとなると何やるか分からない人殺し、みたいな、ベクトルが違う悪い人ポジションの2人を、するっとやってたので、なんかびっくりしました。こっちはこっちで怖いな…。

CMのせいで明るく陽気なおじさんのイメージしかないから悪そうな人をこんな迫力で演じるなんてイメージが崩壊です…。またなんか舞台観に行こう…。

 

みんなのアイドルではないかもしれないけど、少なくとも大学の先生の推しだと認識している河内大和さんは(どんな認識)、この前WOWOWの『終わりよければすべてよし』溝端淳平さんと大分面白い兄弟漫才繰り広げてたのでわくわくして観に行ったら、生だとこの人存在感がえぐいな…。

たぶん何もしないで何も言わないで立ってる時が1番怖い気がする…。

 

あと先生の推しなだけあってすごい上手い…。

最初の方で、百百山警部からテレビのディレクターに変わる場面があって、ほんとに3秒もあるかないかなんですけど、喋る前から別人なのが、眼鏡かけたことに気が付く前から伝わってくるというか…。

 

井戸以外は皆コロコロ役が変わるんで、別に特別な部分ってわけでもないんですけど、妙にここだけ感動したのを覚えています…。

そういえば最初、井戸以外全員が、リポーターと警官を、眼鏡と警察の帽子の着脱で視覚的な特徴で分けつつ、目まぐるしく演じていくんですけど、何回か、ある人が別の人に警察の帽子をかぶせて、警官にしてたりしたので、こういう演劇的な面白さはカンストしてた作品でした。そして息ぴったりじゃないとできないやつ。プロってすごい。

 

あと料理番組のシェフを顔ハメでノリノリでやってたのに井戸に音量下げられて口パクになってたのは笑った(笑)

 

長澤まさみさんはNODA・MAP初参加らしいけど絶対嘘だと思いますねあれは何回か出てるでしょハマりすぎてたもんイメージしてたまんまの小古呂の妻が出てきてびっくりしたよ最高!

でもそれと、宮沢りえさんとか野田さんがやった小古呂の妻が見たいのは別腹!見たい!!

 

「しんどすぎて逆に笑わなきゃいけない」みたいな時の笑顔の痛々しい感じがマジで最高でした。

 

あとスタイルはずっとあこがれているので私もまずはストレッチから頑張る…!(どこ見てる)

 

音楽のチョイスがいつも謎だなあ…

どっかしらたどれば簡単に分かると思うんで書くんですけど、弘前が地元なので、開演前にこの音楽が流れてた時はビビりました。なんだこのチョイス。

youtu.be

 

まあ井戸が踊ってた「剣の舞」にしたってなんか変なヤツだったんですけど…。

www.uta-net.com

 

物語としては結構えぐいことやっているのに、バックで流れる音楽が妙にチープだったり、逆にムードたっぷりだったりで、そのずれが逆に異様な状況の異様さを倍増させているので、謎チョイスではあるんですが、たぶん意図はあるんだろうなあ、と思いました。

 

井戸が小古呂の息子の指を折った後に『マイウェイ』流れるしな…。

英語版でも日本語版でもいいんですけど、この時の井戸の行動と合わせて読むと歌詞が怖く読めちゃう…。「俺は俺の価値観で進んでいくぜ!俺の道を!!」みたいな…。

あとこれ元曲のクロード・フランソワComme d'habitudeだと、その後に続くルーティーン化を暗示しているみたいで怖いな…とか妄想してました。かかったのは『マイウェイ』の方なんで関係ないかもですけど興味ある方は調べてみてください全然歌詞違うんで…(投げる)。ただもしクロード・フランソワの方かかっていたら恐怖で固まったかもしれない感はごく個人的にある…。

 

さっきチラッと鏡像関係、みたいなことも書いたような気がするんですけど、この小古呂の息子の指を折るっていう行為も、電話越し小古呂から「金玉の小さいお前に(小古呂の言い方からおそらく、男性的でない=主体性がない」できるわけなかろう!と煽られての末の行動だったので、なんだか若干受話器を通した鏡像関係っぽくなっている小古呂との戦いで、小古呂に勝つこと自分のアイデンティティを取り戻すための行為だとしたら、さっきも書いたように手段と目的の本末転倒も甚だしいというかなんというか…。

 

そのちょっと後の井戸のセリフもなあ…これだもんなあ…。

人生の中で、今が、もっとも自分をコントロールできている、そんな気がしてきた。…(中略)…そして今の私であり続けることが、今や私に与えられた最も重要な責務

 

…井戸…妻子を救うという目的はどこへランナウェイしてしまったんだ…。

 

あとたぶんクラシックも何個かかかっているはずなんですけど、知識不足がヤバいので、いつか時間できたら有名どころは押さえたいなあ…(遠い目)

 

面白くて楽しくて笑えてしんどい70分強だった

「楽しい」には「異議あり!!」の方もいるかと思うんですけど、井戸が結構、観客に語るみたいにしてくれたんで、『リチャード三世』観てる時にちょっと近いような共犯関係として井戸の行為をわたしは観ていたので、その意味では、井戸がハイになっているのに、少し共感してしまうので、そういう意味で楽しかったです。

 

ちょっと小難しい言い方になってる感があるんで、言い直すと、観客目線に立ってくれている普通の人が「普通」から解放されていくのって、観ててちょっとスカッとするよね、なんか観客の自分も解放されたみたいな感じがしてさ、ってことに近いです。たぶん…?

 

だからって井戸の行為を擁護するつもりはありませんけど…。さすがに…。

 

にしてもひさしぶりに小さいのに大きくて笑えるのにしんどい全部入りの演劇観られた気がします。

演劇的な仕掛けもすごく無理のない嫌味じゃない感じで面白くて満足…!!

 

また再演しないかなあ、とも思うんですが、この作品がリアリティ保ったまま再演できるってことは、社会からこういう復讐と暴力の連鎖みたいなのがなくなっていないってことなんで、複雑ではあるっちゃあある…。

でもやっぱり英語版と野田さんが出てるやつが観てみたい…。矛盾…。

 

あ、ところで、井戸が、自分は善良な人間だったのに悪に対抗するためには悪になるしかなかった、「だから彼が悪くなればなるほど、それは善いことなのです」って三人称で淡々と説明するところに非常にアメリカ的なものを感じますね…。

9.11が下敷きの作品なので当たり前だけど…。

 

私じゃ上手く説明できないんでハロルド・ピンターさんにお越しいただきますね…。

 

…私たちが告げられたところによると、イラクアルカイダとつながりがあり、二○○一年九月十一日のニューヨークの大惨事について部分的には責任があるということでした。これは真実なのだと、私たちは告げられました。それは真実ではありませんでした。…(中略)…私は主張したいのですが、アメリカ合衆国は疑いもなく地球最大の見世物です。それは残忍で冷徹で傲慢で非情であるかもしれませんが、同時にそれは非常に頭のいいものでもあります。セールスマンとしては抜きんでており、目玉商品は自己愛です。これは受けること確実です。アメリカの大統領は必ずテレビでは「アメリカ国民」という言葉を使うではありませんか。たとえばこんなふうです——「私はアメリカ国民に言いたい、今は祈りを捧げ、アメリカ国民の権利を護る時なのです。そして私はアメリカ国民に求めたいのです、大統領がアメリカ国民のためにとろうとしている行動について大統領を信じてくれるように」『何も起こりはしなかった——劇の言語、政治の言葉』

 

たまたま今読んでいて、重なるなあ…と思ったのでここにメモっておきます。

 

ところですごくどうでもいいことなんですが、この感想9000字超えてるんですよね。それでさっき、同じぐらいまで書いて、半分突然消えたんですよ。怖くないですか。恐怖ですよね。普通に発狂しましたよね。今なら井戸か小古呂の妻をそこそこには演じられるぞ!ぐらいには発狂しましたよね。ほんとに。

 

卒論じゃなくて良かった…!!!

 

あともう1個タイムリーといえば、新しく買ってきたはちみつの香りがするボディーソープを今日初めて使ったんですね。ものすごい匂いで頭痛くなりましたよね。やっぱりTHE BEE(ミツバチ)は危ないぜ…!となったっていうクソどうでもいい話で終わりますね。うざくてごめんなさいまだ頭痛いよ…。

 

疲れた。