感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

役者さんたちは良かったけど、なんか熱量不足かなと思った『泥人魚』

2021/12/12

シアターコクーン 13:30

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去年観た演劇の感想を年度末までに片付けよう第2弾です。

第1弾はこれ☟

 

monsa-sm.hatenablog.com

 

あんまり褒めてないので、この公演が好きだった方とかは、当時レポート地獄でメンタルブレイクしながら観に行った可哀そうなヤツの勘違いだと思って是非スルーしてください。

 

 

公式

www.bunkamura.co.jp

 

唐十郎の芝居のあらすじをまとめるのなんて、たぶん研究者の大学の先生とかでも難しいと思うので、気になる人は戯曲読んでみてください。たぶん読んでも訳が分からないと思うし、私も完全には分かっていないんですけど、ざっくり言うと資本主義経済の大きい流れになすすべもなくからめとられた人達の、失われた過去への思いとか哀しみとか懐かしさとか、それでも今も生きているしんどさとか、かつて仲間だったのにそのしんどさを共有できない虚しさとか、とにかくそういうどでかい感情を、叙情たっぷりにごった煮にしたみたいな戯曲だと思いました。

 

ちなみにS席は1万円超えています。

観客も資本主義経済にどんどん飲み込まれています。お財布君が号泣寸前。

「なんの皮肉だ。河原乞食は一体どこに消えたんだ…」とチケット買うときに思いましたが、母のおかげで、なにかしらの優待を利用してちょっとは安く買えたので飲み込んでおきます。

 

役者さんたちは良かったんじゃないかと思う

可もなく不可もなく…、といった感じ。

というか私、宮沢りえさんの見た目がドストライクすぎて毎回「好き…!!(思考停止)」とならないように気を付けて観ているので、よく分からなくなると言う方が正しいかもしれないです。

ただ今回のヘアメイク、もっと宮沢りえさんの良さを引き立てるようにしてくれても…、と思いかけたんですけど、これは私の好みの問題か。すみません。

 

愛希れいかさんも初めて拝見したんですが、すっごい人間離れした頭身で目が惹きつけられて、宝塚はやっぱり怖いぜ、と思いました。

 

あとは本当にめっちゃ上手・下手とかいう印象に残っている人が少ないです。

磯村勇斗さんは、「喉大丈夫?」とちょっと冒頭不安になったけど、最後まで好印象な感じでした。

 

イマイチわくわくできなかった

ただ、テント公演(コロナになってから全然行けてないけど)とかで観る唐十郎の芝居の役者さんたちの、あのギラギラしてて「なんかこの人達ヤバい…!!(めっちゃ面白いことしてくれそう!!)」みたいな引っかかりがなくて、その辺りになにか強烈な違和感を感じてしまって、イマイチ芝居の冒頭から気持ちがノらなかったです。

 

後半にある、泥水入った水槽にみんなでばっしゃんばっしゃん入るのも、「え~~!?入るの?!?入っちゃうの!?!(ばっしゃーん)ああああ入っちゃったよマジで!!」とかいうどよめきみたいなのも客席になくて、内輪ノリしんど、みたいな風に感じてしまいました。

 

…素人意見なんですが、これは唐十郎の芝居で完全にアウトじゃないか??

 

シアターコクーンが、でっかすぎというのもあるとは思うんですけど、『唐版 風の又三郎の時は特にそういう違和感みたいなのを感じなかったので…、って今過去の感想確認したら「なんか劇場の雰囲気が気持ち寒かった」って書いてました。なんてこった。詰んだ。

 

最後のシーンは結構好きだった

ブリキで作った鱗のドレスみたいなのを身に着けたやすみ(宮沢りえ)と蛍一(磯村勇斗)が手を取り合って、舞台の奥にある仕切りの向こうに歩いていくんですけど、若干橋みたいになっている2人が歩くその道が、細かい電飾でデコレーションされていて、暗い劇場内で見ると、夜、月明かりとか街から漏れてくる明かりを水面が反射したみたいな感じに見えて、綺麗だなあ、と思いました。

 

あと感想のメモに「なんか2人の結婚式みたいだった」と書いてます。なんか分かる気もするけどこの一文だけだと全然分からないぞ過去の私。もうちょい頑張って。

 

またテント公演行ってみようかなあ…

観に行って大後悔したかと言われると「いや全然?」という感じなんですが、やっぱり大きい劇場で唐十郎の芝居を観るとコレジャナイ感が半端ないです。

 

もうちょっとコロナと、あと私の潔癖症が落ち着いたら、テント公演に足を運んでみようと思います(安いしね。圧倒的に)。

舞台とか観たことない人にもおすすめできそうなNTLive『ロミオとジュリエット』ROMEO & JULIET

2022/01/31

シネ・リーブル池袋 13:40

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こんな書き方すると語弊でしかないんですが、ティボルトが立ちションするシーンにめちゃくちゃ感動しました。

これだけだと単なる変態でしかないので、なんでそこに感動したのかということも、なんとか書いていけたらいいなと思います。ただちょっと上手く言い表せなくてごちゃごちゃとした感じになっちゃってると思います。

 

あとこの作品、映画なのか演劇なのかピンときていないので、カテゴリにはどっちも入れておきました。個人的な感覚としては「映像作品」という感じがします。

 

 

あらすじとトレーラー

 

 

全体通しての感想

全体的には、演劇(虚)と映画(実)の使い分けが面白いなあ、と思いました。

この書き方はかなり便宜的なんですが他によさげな書き方が思いつきませんでした…。力不足…。

演劇観てたらいつの間にか完全にイリュージョンに巻き込まれてしまって、その完全なイリュージョン部分が映画的に表現されてたというか…。

 

100分なので、かなり大胆にカットされているんですが、変につまった感じとかはなくて、コンパクトで観やすかったです。

 

それに、カットした部分のつじつま合わせの仕方がまた効果的で、原作知っていても(観たことあっても)「そうなるのか!」と面白いし、全然知らなくて「シェイクスピアとか難しそう…」とか思っている人でも観やすいし、「そんなことないよ!ほら最近の映画より短いし観てみてよ!」と勧めやすいんじゃないかなあ、と思いました。

ところで最近の映画って普通に3時間越えたりしてるけど、みんなトイレどうしてんの…?休憩は映画だとたぶんないんだよね…??

 

演劇(虚)と映画(実)

見出しの書き分けの意味が、自分でもちょっと「これでいいのか…?」と不安になっているんですが、舞台上で人が刺されて「うッ…(倒れる)」って死んだ時、そこでマジで人が死んだなんて誰も思わないけど、映画だと、映像に映っていることが全てになるので、それよりはほんとに刺されて死んでしまった感があるよね、ということです。

『スペインの悲劇』とかあとパッと思いつくので『女中たち』とかもかな…。こういうのでは劇中劇とかでほんとに死んじゃうけど…。でもこれ劇中劇の登場人物を演じていた劇中の人物が死ぬだけで別に俳優さんが死ぬわけではない…。

 

単純に映画の方が本当っぽく見えるってことです。

同化、でもいいし、完全なイリュージョン、でもいいけど…。

 

トレーラーにもあるんですが、しっかり衣裳着てかなり映画っぽい部分と、これから公演がある舞台のドキュメンタリー作品なのかな、ぐらいの稽古着&稽古場な感じの部分の2つの層があって、結構意図的に使い分けられていたなあ、という印象がありました。

 

冒頭は本当に、初顔合わせ~みたいなノリでみんなヌルっとステージ上にコの字型で座った状態でスタートしてました。舞台上というよりは稽古場、という印象です。

口上はたしか中央に座ってたエイドリアン・レスターだったかな?

大公も演じてたけど贅沢なキャスティング…!

 

とにかく舞台制作密着ドキュメンタリーみたいな雰囲気の冒頭。

 

で、その後、原作通りに突然ケンカが始まって、最初はなんか棒っきれを剣に見立ててワーワーやってたんですけど(もちろん全然怪我なんてしない)、キャピュレット側が突然リアルな短剣を抜いてベンヴォーリオに斬りつけて、そしたらベンヴォーリオがマジで手から血を流して、その続く場面で手当てしてもらってたんです。

 

「…??あれ…??ベンヴォーリオほんとに怪我してるね??」

 

と、ここでかなり不思議な気持ちになりました。さっきまでザ・演劇!みたいな見立てをしてたのに…。

演劇観てる時に俳優さんが役として怪我したと同時に本当に怪我してたらビビるよね。なんかそんな感じです。

 

この冒頭の怪我の部分で、稽古場の雰囲気から、一気に映画的な本当っぽさを持ったロミジュリの世界に足を踏み入れていく感覚がありました。

 

そのあともしばらく演劇の稽古場的な感じの雰囲気で続くんですけど、舞踏会のシーンとかは、ロミオとジュリエットが完全に二人きりの世界に没入するからなのか、めちゃくちゃ作りこまれているし、撮影の仕方もあって、「もうこれ完全に映画じゃん…!」となりました。

その舞踏会の場は舞台上にかなり作りこまれているんですけど、なんか舞台袖?みたいな部分とは可動式の壁で区切られて、舞踏会に忍び込むロミオたちはその袖、というかなんというか、とにかく稽古場の雰囲気残してる場所から壁の隙間を通って結構ドラマチックに侵入していくので、一気に「世界に色がついた!」みたいな感覚になって面白かったです。

演劇でもすごく上手くてめちゃくちゃ没入して観ると、舞台上にないはずのものが見えたりするけどあの感覚に近いです。

 

あとマキューシオとベンヴォ―リオが舞踏会から帰る際に、その隙間から脱出してきて稽古場の雰囲気残ってる場所に戻ってくるのはちょっとコミカルでした。映画の世界に没入していたのが、突然演劇的に異化されたというか、とにかくニヤッと笑ってしまいました。

ちなみにこのマキューシオとベンヴォーリオは恋人設定みたいです。舞踏会でのロミオとジュリエットのハイライトでもあるキスシーンと、マキューシオとベンヴォーリオのキスがクロスカッティング(用語あってる?)されて強調されてたので…。そしてこの設定も後から効いてくる…。すごい…。

 

そんな感じで、とにかく、映画的に作りこまれていてリアリティありまくりで没入して観られる部分と、ちょっと演劇的に引いて(「演技なのは分かってるよ!」って常に意識できてる感じで)観られる稽古場の雰囲気の部分を、行ったり来たりして虚実が(要は映画として観ればいいのか、演劇として観ればいいのか)ふわふわする感じで、かなり面白かったんです。

しかもちょうどマキューシオが殺されるあたり(つまり悲劇に方向転換する部分)で完全に「映画として観てね!(というわけで没入して観てね!没入して感情移入とかしてくれないと悲劇になんないから!)」という表現があってマジで最高だったんですけど、それが例のティボルトの立ちションだったという…。

ふざけてないです。真面目に感動しました。そもそも飲食も排泄も、別にしたくなきゃする必要がない映画とか演劇の世界で、そういう表現があった時は絶対意図しかないもん…。

 

稽古場の雰囲気残してた殺風景な舞台上?というかやっぱりちょっと袖みたいなとこで、マキューシオとベンヴォーリオがいちゃついてんですけどリア充爆発しろ)、そこに突然ティボルトが来て、たぶん嫌がらせだと思うんですけど、すぐそばで立ちションするんですよね。映画的に。

 

いままで稽古場の雰囲気残して、映画のリアリティとは別の次元です、って顔していた場所が、その立ちションを境に突然、なんかあんまり治安がよろしくない路地裏に見えだした(映画的なリアリティが形成された)んですよね…。

だって稽古場の壁に、俳優が立ちションはありえなさすぎる…。ここに来て演劇としての観方を放棄することを立ちションで迫るとか…。サイモン・ゴドウィン…こわい…。

 

まじで立ちションで感動する日が来ると思わなかったし、ブログでこんなに立ちション立ちション書きまくる日が来るとは思いませんでした。ほんとに。

 

とにかくこの短剣での怪我→舞踏会の場面→立ちションを頂点に、一気全体が映画的なリアリティ持った映像になってました。

 

ただ、演劇的な部分(映画的なリアリティだとちょっと違和感が残る部分)が完全に排除されている訳ではなくて、例えばロミオが追放されるときに搬入口かな?という場所に追放されたりしてました。劇場内に繋がってはいるんだけど、シャッターみたいなので遮断されている場所。

ちなみに連絡役は今回の作品ではベンヴォーリオになってました。

 

だから「ヴェローナ(劇場内とか舞台上とか)の外に世界はない!」ってロミオが叫ぶ時のメタ感がすごいです。確かに舞台上とか劇場内から追放されちゃうと、俳優さんとしては絶望しかないんで…。

 

あとは、ジュリエットが仮死状態になるための薬を飲むために逡巡する場面とか。

 

ジュリエットは映画的に作りこまれた部屋のなかにいるんですが、やっぱり怖くなって乳母を呼び戻しに、何枚ものドアを開けて行って部屋から出ていくんです。そしてついに「その向こうにロミオいるんじゃね?」というむき出しのコンクリの壁まできて、突然思い直したように「この恐ろしい場面は独りで演じなければ」って決意して、さっきとは逆方向に舞台上に戻っていきます。

それでジュリエットが舞台上に戻ると俳優さんたちみんなが、さっきとは打って変わって殺風景な舞台上に置かれたジュリエットの寝台をコの字型に囲んでいて、稽古場の、というか演劇の層がまた微妙に復活するという。

 

この囲んでいる俳優さんたち、ジュリエットがセリフの中で怖がっている納骨堂の亡霊を表していると同時に「ジュリエットが演技している」ということを強調する役割だと思うんですが、それに加えて映画的なリアリティをも一旦ここで破棄して「演技している」ということをさらに強調するのには「すごすぎる…!!」とアホみたいな感想しか出てきませんでした。

ちなみに薬を飲み終わって朝になるとまた映画的に作りこまれた感じに背景とかは戻っています…確信犯…。

 

あとその「ジュリエットが死んだ!」って言う知らせを、ベンヴォーリオがマキューシオが亡くなった「路地裏」に花を手向けて死を悼んでいるときにたまたま聞いてしまって、劇場の外に追放されてるロミオに伝える、という感じになっていました。

両者、恋人を亡くしたもの同士(ロミオは勘違いだけど)の不思議な共感みたいなのがあって、「このシーン、こんな感じにもできるのか…」とびっくり。

あ、ロミオはロレンス神父がたまたま調合していた毒薬を、「追放されるぐらいなら自殺してやる~~!!」ってダダこねてた時にくすねたみたいです。大分すっきり上手くまとめている…。ただ「毒を売るのは僕だ、お前ではない」みたいな薬屋とのやり取りで出てくるロミオのセリフは結構好きなので、編集の巧拙とかじゃなく個人的な好みとして残念でした。

にしてもロレンス神父、パリスにお茶淹れてたりするシーンもあったので、頼れる喫茶店ハーブティー専門)のマスターみたいに見えてきたぞ…。

 

その後、ジュリエットの上でロミオが死ぬ時、微妙にジュリエットが動いてるようにも見えたので、「とりあえずディカプリオのやつ観ないと...!!」と思い出したのは私だけではないはず…。

 

ジュリエットが短剣で勇ましく死んだあとは、2人の抜粋映像が、時間を徐々に遡る形で編集されていました。最初の稽古場ドキュメンタリー風な部分で仲良さそうな部分まで遡るので、途中からロミオとジュリエットなのか、ジョシュ・オコナーとジェシー・バックリーなのかちょっと分からなくなる。

ラストも、大公の言葉に合わせて、映画的なリアリティ(ちゃんとした衣裳とセット)の中で2人の死を嘆き悲しんでる人々の映像の後に、稽古場的な場所・稽古着的なラフな衣裳で、でも全く同じ構図で2人の死を悼んでいる映像が入って終わるので、なんかほんとに最初から全部ひっくるめて、ロミオとジュリエットなのか、ジョシュ・オコナーとジェシー・バックリーなのか混乱しました。

 

すごく単純に書いちゃえば、ジョシュ・オコナーとジェシー・バックリーが『ロミオとジュリエット』を演じていて、徐々に本当にロミオとジュリエットとして存在しているようになるのに合わせて(あるいはそういう錯覚、イリュージョンを意図的に引きおこすために)、映像内での映画的なリアリティが増していった、ってことなんだろうけど…。

 

もちろん映画にしろ演劇にしろ、突き詰めればほとんど本当じゃないんですけど、両者の違い、というか、観客として観る時にどういう風に受容の姿勢に違いが生まれているのか、というようなことが結構整理された形で体験できた気がしたので、とにかく作品の完成度は言うまでもなく、その辺りがすごく面白かったです。

 

タムシン・グレイグ(キャピュレット夫人)…良き…

キャピュレット氏のセリフを(たぶんほぼ)全部キャピュレット夫人に言わせていた、っていうのがこの作品のデカい特徴の1つだと思います。

 

たとえば「パリスと結婚しないなら親子の縁を切る」というのを、原作通り、キャピュレット氏の方が言う場面って「家父長制エグ…」とか、あと現代的な演出とかだと「時代錯誤なパパ…うへえ…ジュリエット可哀そう…」みたいでドン引きして観ることがほとんどだったんですけど、夫人の方が言うと、家父長制とかいうより、母と娘、親と子って感じの構図に見えて、現代的な視点から見ても全然違和感なくスッと受け入れられる感じになってました。

毒親とか支配的な親の問題、今なんてとくに溢れかえってるし…。

 

タムシン・グレイグって言うのも最高ですよね…。確かにこの人がお母さんなら、お父さんの方は結構尻に敷かれてて、お母さんの方が支配権握ってそう…と思わせちゃうあの圧倒的な感じ…。

 

でもそういう強い母って感じだったので、ジュリエットが死んだ(仮死)シーンで「たった一人のいとしい子だったのに!!」って泣き崩れているのを見ると、一人娘がゆえどうしても幸せになって欲しいがための、あの抑圧的な態度だったんだろうなと思ってしまって、結構しんどかったです。愛してないわけではないんだよね…。難しい…。あと絶対現代にもごろごろ転がってるぞこういう問題…。

 

それとあんまり関係ないんですけど、パリスとキャピュレット夫人の怪しい雰囲気は何なんでしょう。「お母さんと結婚すればええじゃないか」と私の心の中のライサンダーが叫んでいるよ…。

 

観に行って良かった

正直ロミオとジュリエットは、個人的に別にそこまでテンション上がる話でもないんでテンション低めに観に行ったんですけど、帰りはテンション爆上がりで帰りました。観に行って良かったです。

 

フラッシュフォワード的な(映画の用語は詳しくないので細かいとこは見逃してください)映像編集とかもガッツリ使っていたし、全体的に撮り方もザ・映画!という感じだったんですけど、演劇的に面白い部分もめちゃくちゃあって、すごいぞサイモン・ゴドウィン!!と友人感覚で拍手喝采してました。

 

ところで一応映画ってことは円盤化をついに期待してもいいんでしょうか。NTLiveさん。

 

首をながーーーーーーーーくして待ってますね?(圧)

客席にその日受けた演習の先生がいてぎょっとした文学座12月アトリエの会『Hello~ハロルド・ピンター作品6選~』

2021/12/13

文学座アトリエ(初めて行ったけどトイレがめちゃくちゃ綺麗だった。素敵)

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去年観て感想書いてなかった演劇の感想を、なんとか年度末までに書いてしまおう第1弾です(勝手に企画)。

あと宣言した通りまたブログの書き方を微妙に変えようと思ってます。

 

公式とか

随分期間があいてしまったのでダイジェスト映像もあがってました。これはラッキー。

www.bungakuza.com

 

youtu.be

 

嫌いではなかったけど...

全部読んだことある戯曲だったので、内容については「へぇ...実際にやるとこんな感じなんだ...」という感じでした。

ピンターの作品は読むとまあなんとなく分かるけど、観るとなぜか全然分かんなくなったりすることがあるので不思議です。あと下手すると寝ちゃう。(今回は起きてました!面白かったので!)

 

ずっと前に全く笑えない『誰もいない国』を観てから、抱腹絶倒できるNTLive版の『誰もいない国』を観るまでピンターアレルギー気味だったので、毎回ピンター作品は笑えるか笑えないかでドキドキしています。今回もちゃんと笑えたのですごく良かったです。

あの微塵も笑えなかった『誰もいない国』はなんだったんだろう...。

 

でも正直「そこそんなに叫んじゃう...??」と思う部分もありました。

シリアスすぎるというか暗すぎるというか...。セリフ自体はさすが文学座!というか、ちゃんと言葉が音じゃなくて意味として聞こえてくるので最高だったんですけど...。

 

完全に好みの問題ですが、もうちょっと軽めで陽気な雰囲気の中でやってるピンター作品の方が好きです。どんなに陽気にやろうと戯曲のセリフがもつ閉塞感と圧迫感だけでしんどすぎるので、いっそ明るめにやることで逆に浮き彫りにする...みたいな方が個人的には好き。 

 

好きだったとこ

ダイジェスト映像にはないんですけど、場面転換の時に、照明が、ちょっと緑がかったなんとも言えない暗い色に変わって、俳優さん含め舞台面全体が古い白黒写真みたいな色になっていて、それはなんかすごく好きでした。

最前列だったからか自分の方にもちょっと照明あたってて、手の色とかがなかなかグロテスクな色になったんですけど、「自分の身体だけがなんか白黒写真とか白黒映画の中に持っていかれてしまった!」みたいな不可思議感覚になりました。

ちょっと違うかもだけど、椅子に座った状態で金縛りにあって、意識はハッキリしてるんだけど身体だけ別モンになった、というか。

 

個人的には舞台がどうのこうのよりもその感覚が面白すぎて、それ以外の感想が薄れてしまった感があります(笑)

舞台上には見えない何かにずっしり押し付けられてる登場人物たちと、ちょっとだけ似た感覚になった気がしました。

 

まとめ、ではない

とりあえず当日券で飛び込んでみて良かったです。

ちなみにこの6作品のなかだと『丁度それだけ』が好きですが、ピンターの作品の中だと『料理昇降機(ダム・ウェイター)』『パーティーの時間』、短いやつだと『それはそれとして』が好きかなあ…。

 

ところで、今日は『だからビリーは東京で』を観てきました。この時期に満席。すごい!内容もすごい!(感想はまた後日まとめる!)