感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

『4』

2021/08/24

あうるすぽっと

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感想まとめるのがどんどん遅れているけどもうしょうがないので開き直ってゆっくり書いてます☜

 

初めて行ってきました!あうるすぽっと

 

池袋のこっち側に来たことがなかったので「こんな感じなんだ~」とのんびり歩いてたら暇そうに見えたのか、アンケートにご協力をお願いされました。

ノルマ50人ってこのコロナ禍に鬼畜かよ可哀そう…、と思ってしまい協力したのが運の尽き。

 

アンケート会場のビルから劇場への道が分からくなって迷いましたアアア!!

 

電話で母にヘルプを求めて、なんとかギリたどり着きました。

頑張って声掛けしてた名前を知らないあの人を恨むのはお門違いなのは分かっているんですが、この疲労感、どうしてくれよう…!!

 

あと、「すいません~日本人の方(かた)ですか?」って声のかけ方おかしくない?「日本の方」じゃない??

てか今池袋歩いてんだから「日本の方」に決まってんじゃない…!!??

 

物のついでに愚痴るけど、何でか知らないが上京してから留学生と間違われることが多数。

なんなら留学生の人に同じ国出身の留学生と間違われることも多数。

そして東京のことも電車の乗り換えも詳しくないのに、1カ月に1回以上ぐらいのペースで道とか乗り換えを聞かれる。そして大体「どこの国から来たんですか?」

 

陸奥の国だよ…!!(崩れ落ちる)

というか何故そこで出身が問題になるんだ…!

教える義理もないのに丁寧に教えただけで充分だろ…!!出身関係あるか…??

しいて言うなら「日本語を母語とする人」だよ…!!できれば英語もそのレベルにしたい…!

 

ちなみに書いててふと思い出したんだけど、これ系統で1番酷かったのは、乗り換え教えて、案の定聞かれたから出身地まで答えたのに、「いや違くて、国籍は??どうせ韓国でしょ??(笑)」というおっさんのやつ。「(あ。これが差別か…)」と、なりました。ある意味大事な経験はしたと思う。そして差別してるやつ許さん滅せよ。

 

というかそもそも、皆さまお手持ちの四角い板はなんのためにあるんだよ…!!

 

まあ今回のアンケート調査の人は良い人そうだったので、雑談ついでに「どうしてそう思ったんですか?」と聞いたら「雰囲気と、喋り方がゆっくりだったから」だそうです。なるほど。

 

別にフォーマルじゃないところで標準語で話す必要性を感じないし、でも訛りのままノーマルスピードではなしてもべづにいんだげどしたら東京のひどきぎどれねえべさ(表記不可能)、みたいなことになるからゆっくり話しているだけなんだけどなあ…。

 

あらためて「なんか都会だなあ…」と感じたっていう話はこれぐらいにして感想書きたいと思います。

 

 

公式のやつとか

playtextdigitalarchive.com

 

戯曲が無料で読めたのに気が付かずに観に行ったアホはこちらです!(自発的に挙手)

 

未来の私!!パソコンに入ってるから!!

いいな!って思った台詞に線引いてるから!!

思い出したければ読め!!

気合出せば30分で読める!!

 

あとは写真とか☟

 

natalie.mu

 

あと間違っていなければ

F…今井朋彦

O…加藤虎ノ介

U…池岡亮介

R…川口覚

男…小林隆 (敬称略)

 

の…はず…たぶん…。

 

戯曲が読めるのでいつもよりはあっさりした感想

第一印象はシンプルな演出だな~という感じ。

最初に、上手から俳優さんが机を押してセットしたり、下手から死刑囚役が座る正方形の畳?みたいなのを出したり、とにかく初めに必要なものをどんどんセットしていったと思ったら、いきなり中央の椅子にのっけた箱でくじびき初めてよーいドン!(書き方)

 

音楽とか照明も必要最小限、セットも最小限、衣裳はみんな同じ感じな印象。

そもそもモノローグメインなので、視覚的というよりは、耳を通して聞こえる言葉の方が重い劇なのかもしれないです。実際上手い俳優さんばっかり揃ってたし。

 

観終わったあとに戯曲読んでみたんですけど、「戯曲がそのまま正確に上演されたみたいだったな…」と思いました。変に訳が分からなくなる部分もないし、さすが作・演出。

 

 

そして何より戯曲が面白すぎる。

 

 

裁判員に選ばれちゃった大学職員(主にFが演じる)、死刑執行のハンコはあんまり押したくない法務大臣(主にOが演じる)、悩みながらも死刑囚と死刑執行に実際に関わらぜるを得ない刑務官(主にUが演じる)、自分の犯罪を「夢の中の出来事」にしか感じられない死刑確定囚(主にRが演じる)、っていう4つの役割があって、それをくじびきでぐるぐる変えながら演じる(そして「今日」は「やっと最後までやること」ができた日らしい)ゲームをやっているって感じです。

 

演劇のワークショップとかでやりそうなことだなと思ってたらそもそもこの戯曲がワークショップが出発点だったみたい。なるほど。

ゲームで役を演じていない時のF、O、U、Rは、言ってしまえば、観客と同じ次元に立っている人物たちと捉えることも出来るので(それでも俳優さんはF、O、U、Rを演じている。演じる/演じていないの境界線と次元が何個もあって超面白い。Rとか、なんか頭をかくクセがあって、そういうの観るのも面白い。)、なんかコロナ禍じゃなかったら、客席から登場したり、観客をそのゲームそのものには参加しない参加者として没入あるいは参加させる工夫をしたり、色々出来そうだな~楽しそう~、とか思っていたらなんかシアタートラムでの初演の時、そんな演出だったそうです。

mingming.blog.jp

 

だよね。素人が考え付くことなんかとっくにプロがすばらしい形で実現してるよね。そっちも観たかった。でも当時小6ぐらいだわ。そして地元だわ。無理。

そしてこういう観劇のブログとかには感謝しかないです…。観られなかったやつとかだと特に…。ありがとうございます…。

…まあ私のブログは「日記」なので、余計な情報多すぎて、残念なクオリティだけれど…それはしょうがない…。

 

今回は、小劇場で、かつ20、30、40、50、60代の俳優さんたちなので、世代がバラバラなのも、テーマについて「みんなで」考えよう、ってことなのかな、と思ったりしました。

 

同じ次元に立っていると見ることも可能、とは書いたんですが、F、O、U、R、と男、は、観客にはやや指示内容があいまいなこそあど言葉(共通認識がないと無理な上に、セットがほぼないので観てる側としては「??なにを指してるんだ??」となりました。)で会話している部分もあるし、会話部分で拾っていくと、どうも死刑囚の起こした犯罪の被害者家族かな、って(ラスト近くにFが、役を演じていない状態で「あなたのほうもう執行されたんですね」ってUに喋ったりとかしてる。同じ事件の被害者家族ではないんだろうな、とこのセリフ聞いて思った。)感じがします。たぶんこれは間違いない。

 

「死刑制度・死刑執行に果たして意味はあるのか」の検証実験を、それこそハムレットがおじさんによるパパ殺しを演劇を使って暴いたように(虚構を通して現実を見つめる)、そういうのを今やってんのかな、と最初は思っていたんですが、被害者家族ということになるとやや演劇療法的な感じもあるといえばあるよ…。

『エブリ・ブリリアント・シング』とかにも、演出によっては雰囲気近くなりそう…。

 『4』の方は微塵も笑えないレベルで重くて暗いけど…。

 

monsa-sm.hatenablog.com

 ☝今読むと今よりさらに拙い感想だけど後から探すのもめんどいので恥をしのんで張り付ける。

 

どっちにしろ、観客がいかにそのワークショップ的なゲームの場に自分も居るかのように集中して観られるか、にかかっている劇な気がしました。

その点、コロナ禍のせいでかなりまばらな座席に座って観るのは、結構そんな感じがして、コロナは良くないけど、なんか良かったです。

 

答えの出ない死刑制度に関しての色々な立場の人の感じ方が出てくる劇で、だからものすごく印象に残るセリフが多くて、あげるとキリがないんですが(だから戯曲が読めて超嬉しかった)

 

「要するにヒトゴロシどうしが、毎日向かい合っているというわけです。握手しましょうよ。」

 

っていうRのセリフには、ちょっとハッとしました。

死刑囚は冤罪でないかぎり死刑になってしまうぐらいのこと、殺人を犯したわけなんだろうけれど、その死刑囚の死刑執行に何らかの形で関わる事は、その死刑囚を「殺す」ことに、つまり「ヒトゴロシ」に関わることになってしまう訳で。

後の方にこんなやり取りもある。

「ひとごろし~(語尾の音あがる)」みたいにじゃれてる感じだったのが余計重かった。☟

U 感情を抑えられないのはよくないぞ、ひとごろし。
O なんだよ、ひとごろし。
U 手を離せよ、ひとごろし。
O 謝れよ、ひとごろし。
U なんでだよ、ひとごろし。
O その態度だよ、ひとごろし。
U すいませんでした、ひとごろし。

 

そっか…死刑だって「殺人」だよね…と改めてズドンと来た感じがしました。

 

「だが、自分をどう軽視しようとも、私という人間の形をした器はこの世で唯一のものだ。この重みを受け止めることが、生きるということなのだ。」っていうのがFの最後らへんのモノローグであるけど、それは死刑囚だって同じな訳で…。

 

でも被害者のことを考えると、もっと身近にするなら税金のことを考えると(O「人殺し生かしといたら税金ばっかかかってしかたねーだろ、てめえ」とかいうセリフもある)正直答えは出ないな…と思いました。

 

だから、ゲームがひとまず終了したところで、もう1回やろうか、となる部分で、

 

「やるしかないんですよ、やるしか」

 

って、Rが言うのが「(こういう風に何回も繰り返して)考え続けるしかないんですよ」って言っているみたいにも 聞こえてしんどかったです。

 

被害者にとっては死刑が執行されても「死ぬまで」終わらないことだし、その後に出てくる「死刑執行された死刑囚の親」という役割を演じる男のモノローグを聞いて(「わたしも子供を殺された遺族です」とか)「こうやってみんなでしんどいけど考えていくことだけが、『救われず、救われないままで、救われる』ために必要なことなんだろうな…」と漠然と思いました。

 

ラストに出てくる「窓」と「光り」が「救い」の象徴なのかな…。

観客席に向かって舞台奥から差し込む結構強めの照明だったので、必然的にF、O、U、R、男と同じまぶしさを感じさせられました。「救い」とか絶望の中で見えた希望に目を細めちゃうこの感覚…。最後の最後で登場人物の気持ちみたいなのにガッと巻き込まれた感があります。すごい。ちょっとかなり感動しちゃった。

 

内容とかテーマとかそっち系じゃない感想

こういう「演劇をしてる演劇」だと、意外と噛んだりとかしても、ほんとに俳優さんが噛んだのか、それとも演劇をしている登場人物がちょっと言葉が出てこなくて噛んだのか、判別つかなくなるので、すごい面白いです。

 

俳優さん・登場人物・登場人物が演じる登場人物

 

「演劇をしてる(について考える)演劇」だって分かった段階で、「ていうかこれ、そもそもも演劇だった」「俳優さんが演じている演劇(ウソ)だった」ってなって、上の3つが常にゆる~く混ざっている状態で観ることになるので、脳内が大変だけど面白いことになる。

 

Oが演じる法務大臣が、「本当のことを言おうか。」って言う部分が結構最初の方にあるんですが(だから今回の演出で、初見だと、「Oが演じている」のかはちょっと分からない状態でこの部分は観た)、そもそも「モノローグ」っていう「誰も聞いていない(書き)言葉」で「本当」なんて言われても、「うーん…??」って感じだったですけど、それもこの混ざっている状態への布石かあ…って感じでした。

 

あとRが言うこの死刑囚のセリフなんか、結構、内容と切り離してもぐるぐる考えちゃいます。

 

ぼくがいいたかったことは、もう反省などいくらでもしているってことだ。ただそれをどうやって表現していいか、わからないのだ。贖罪と反省に明け暮れる未決囚のいろいろな姿を見聞きするが、なんとなく、ぼくにはそれが贖罪と反省の素振り、芝居に見えて仕方ないのだ。人は定形に則った外見上の仕草をして見せない限りは、その本質を理解されないのだろうか。

 

結局そうやって理解された「本質」って「本質の表象(representation、上演)」であって、「本質」じゃないって意味では、虚構になるし、死刑囚の反省ってなるとちょっとピンとこないけど、例えば怒られて反省する(ように見せるためにしょんぼりする)、程度なら日常生活で普通に行っていることでもあって。

 

こうなってくると、人の精神的な活動が、そもそも演劇みたいに嘘と本当の入り混じりなので、演劇のこういう二重性ってマイナス面どころか「人間とは何か、人間として生きるとは何か」的なアレコレを考えるのに力があるっていうか…。最近はそんな感じに思っていて…。

 

まあ、結局のところは「だが、自分をどう軽視しようとも、私という人間の形をした器はこの世で唯一のものだ。この重みを受け止めることが、生きるということなのだ。」というとこに落ちつく気がしなくもないな、とも思います。

「持たざる演劇」だかを求めて、演劇独自の究極の要素的なものを探求したグロトフスキがたどり着いたのも生の俳優の身体だしな…似てるね…すごく似てるね…「生きる」ことと「演技する」ことは似てる気がするんだ…だからこのコロナ禍で「演劇」を馬鹿にしてきたお偉いさんちょっと表でろやあ…(小声)

 

とにかく、「死刑制度」について考える、「生きることと死ぬことについて考える」のに、こういうめんどくさくて面白い形式をとったのは、たぶん意図的なんだろうな、てなんとなく思いました。

 

 

あ、あとRを演じている(はず。髪がもじゃもじゃしてるし、照明暗めだったから間違ってるかも…)川口覚さん、結構飄々と掴みどころない感じの高めでフラットな喋り方してたんですが、そのまま「ぼくがあいつよりも数倍も高級な人間であることを、ぼちぼちわかっていい頃なのに。」って、死刑囚役を演じているときのセリフをするっと喋った時の、「コイツ…やべぇ…」感はすごかったです。ほんとに無差別に人殺してそう(言い方)

 

そして初演の時は誰言ったんだ…これ…、と思ってキャストを見ると野間口徹さんと高橋一生さんがいて、「人殺しておいてこういうこと言っちまう人…どっちだ…」といきなりこの二人に絞る失礼なド偏見発動。

でも高橋一生さんだったそうなんで、あながち間違いでもなかった…。えええ…。

どっちにしろやや失礼

 

今思い出したんだけど…

冒頭に、街頭アンケート受けた、って書いたじゃないですか。

それで「趣味は観劇です」って書いたんです。

 

そしたら「2.5次元ですか?」ってお姉さんに聞かれたので「(えッ違うなんて言えばいいn)えと…普通の方です…」と答えました。

 

 

 

なんだよ「普通」の演劇って…!!!!!!(頭突き)

 

 

「ストレートプレイ」もなんか「ミュージカルじゃない演劇」って感じなので使いづらい…。そもそも2.5次元だって演劇だし…。

 

なんて答えれば良かったんだ…。誰か教えて…。

子どもたちとアンドロイドが創る新しいオペラ『Super Angels スーパーエンジェル』(でも内容が子ども向けかは謎)

2021/08/22

新国立劇場 オペラパレス

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お久しぶりの新国立。そして、はじめましてのオペラパレス。

 

 

祝!!初オペラ—―――――!!!

 

去年のオペラとかバレエの配信はタダだったので(ここ大事)、ボチボチ観てたんですが、劇場で観るのは初めてです!!

 

劇場通い始めてから3~4年経っているのに遅すぎる気がする!!

あと落語と講談と文楽2.5次元も生では観たことない。ヤバい。誰か教えてくれ。

 

そして夏休み、観劇の予定を詰め込み過ぎて、罪悪感たっぷりに出歩きまくっています。

感染対策は出来る限りするので……。

早く罪悪感なく出歩けるようにならないかなあ…。

 

あと感想まとめるのが普通に追いつかない。どうしよう。(自業自得)

 

 

とても素敵な公式

あらすじちょっと載ってます☟

www.nntt.jac.go.jp

 

本公演は、年内に公演記録映像の無料配信を予定しています。

 

ってとっても素敵な一言だよね??????みんな観よ????(圧)

もうちょっと詳しいあらすじとか写真とか☟

ebravo.jp

 

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上の記事から引っ張ってきました。

この、マジックミラーを使ったのか、どうなってんのかイマイチよく分からない演出が

最高にきれいだった。この装置が現れた部分だけ、ぐわっと空間が広がったり

多層的になるから、正に「カオス」って感じ。

手前で死んでるアキラのポーズ含めた全体の構図もドンピシャ好み…。死んでるけど…。

 

 

 

あと、当日、場面ごとのあらすじとかめっちゃ詳しく書いてあるパンフが無料配布だったのが超嬉しかったです。お財布的に。

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アンドロイド、と言えば…

アンドロイドが出ている演劇観るのも何気に初めてでした。

アンドロイド演劇といえば平田オリザ!っていうのは先生に叩き込まれました(嘘)

観たことはないけどいつか機会があったら超観たい。

www.cinra.net

 

基本的に、適切な声と身体の動きができているなら、それこそ「役を生きて」いなくても、そういう風に見えると思っていたので、アンドロイドも生身の俳優さんとあんまり変わんなく見えるんだろうなあ、とは思っていたんですが、やっぱそんな感じでした。

 

カーテンコールで、アンドロイドのオルタ3がお辞儀してた時の観客席の拍手聞けば分かるけど、完全にメインキャスト認定だったよ。

年内に無料配信あるとか公式に書いてるから、みんなチラッとでもいいから観ようね!!(大事なことは二度三度…言っていくスタイル)

 

(以下脱線)

そしてこの手のバトル(演技するときに、感情体験する派vs感情体験しない派みたいな)で思い出すのはコレ☞Masks or Faces

 

ヘンリー・アーヴィングとコンスタン・コクランの仁義なき戦いに巻き込まれ、親父(アーヴィング)に気を使って『俳優と超人形』がなかなか出版できなかったことで散々な思いをした奇人変人ゴードン・クレイグ(というのは曲解)

 

ジェームズランゲ説とかも。

 

なんで思い出すかというと、「演劇何それ美味しいの??」状態の上京ガールだった時に受けた大学の講義で、超絶丁寧に教えてくれたからね。先生が。

 

「えッ、じゃあダンサーさん(身体動かすプロ)が、声も良かったら最強じゃん…」

 

と、当時、漠然と思ってたけど、割と今でもそんな感じに思っている。

身体能力高めな俳優さんは、とりあえずチェックしがちな今日この頃です。

(脱線終了)

 

珍しく最初にざっくりまとめる

正直オペラとしての完成度は分かりません。オペラ初心者なので。

 

ただ、アンドロイドの歌に関しては、字幕がないと完全に分かりませんでした。

そして字幕が舞台両脇に出るんだけど、舞台自体が大きいから、前列に座ると、字幕を見ると舞台が見えないというまさかの事態。

あれなら、ボカロの方が全然上手い…と思います。最近のボカロ詳しくないけど…。

 

舞台後方に、映像として出てくるマザーが歌う時も、もうちょい音声と口の動きシンクロできたんじゃないかな…と思ったり。

 

演出も、筋は通っているけど、ちょっとごちゃっと感がなくはなかったです。

どこ見ていいか視線が泳ぎまくっちゃうというか…上手く言えないけど…。

 

でも個人的には面白い印象が勝ちました!!!

 

小川絵梨子さんが具体的にどこに関わっているのかは分からないけど、やっぱり面白かった!!検察側の証人も楽しみがヤバいよ!!

あと『タージマハルの衛兵』は再演はいつまでも待っています!!

箱推ししてるから初演の時と同じ小劇場、演者、スタッフ陣でよろしく!!!!

ただでさえ最高だった演出がきっとさらにアップデートすること間違いなし!!

全然どさくさに紛れられてないむき出しの欲望

 

 

子供向けと言うにはヘビーすぎるSF系?ディストピア物語

単純に1時間45分の上演時間も、子どもにはヘビーだった気もしなくはないけど、原作読んでみたいぐらい大人向けというか、ちょっと考えこんじゃう内容でした。

 

管理社会?監視社会?が進行しまくった末のディストピア的な物語というか。

 

あ、管理者(監視者)は「マザー」ってやつです。全知全能のAI

なんか後ろに映像でしか出てこないちょっと気持ち悪いやつ。

いやごめん、正直、映像で色々な顔が重なってマザーの顔になってる(ように見えた)のでだいぶ気持ち悪いです。

 

しかも主人公途中で自殺するし。

「(マザーが決めている今の世界の)掟を破らなければ世界は変わらない」って最後らへん歌ってるし。(そして超ざっくり言うと「掟破り」の話だったし)

どうなんだコレ。子どもの親的にはアリなのか??

 

まあ、でも、究極言っちゃうと、これをどう受け止めるのかはその子どもたち自身なのでここについては吹っ飛ばします。私は観てて結構面白いなと思いました。

ただ自分がもし幼い子供を持つ親だったら、「自殺...掟(ルール)破り…うーん…これを今我が子に観せるのか...」とはちょっとなりそうだなって思っただけです。

 

あと「世界はまぼろし、意識で変わる」とか、結構前半の方になかなかのことをぶっ込んできてるのも、Σ\(゚Д゚;)オイオイオイオイどう考えてもこれ内容的にガッツリ大人も考え込むやつじゃん!!ってなりました。

なんなんだ哲学かそれとも精神分析か??

 

...マザーを、それこそラカンとかべちゃくちゃ喋りまくってる象徴界の法みたいな感じで考えるとすんなり分かっちゃうような気もしなくはないけど...。なんとなく...。ほんとになんとなくだけど...。

 

最後に悪役(というよりマザーの掟に忠実な「大人」)...名前なんだっけ...ジョージ?さん?だかが出てくるんですが、その人が

 

「マザーに忠実な超人だけが、世界の管理者、支配者」

「超人」に過剰反応しちゃうのはどう考えても『スリル・ミー』のせいだよ〜...♪*゚

 

的なことを言っているので、マザー=掟、法、って考えてもいいかな、とかは思いました。全知全能ってことはほぼ神様だしね。

そのマザーが死んだ時、このジョージが、確か

 

「頭の中の崖が崩れる!」

 

みたいなことも歌っていたので…。

「頭の中の崖」が何を意味するのかは分かんなくて、もしかしたら単に、マザーの管理下に入るためにこめかみに埋め込む必要があるナノチップが、その管理者であるマザーが機能しなくなったために、同時に機能しなくなった、ってことなのかもしれないんですが…。

この、こめかみにナノチップを埋め込むシーン、冒頭でやっていたんですが、舞台の後方に白衣軍団が居て、そのちょっと前方に埋め込まれる人達が居て、タイミング合わせて白衣軍団は注射するような動き、埋め込まれる人はちょっと頭に軽い衝撃受けた動きをするんですが、この演出は真正面からじゃないと綺麗に見えないなあ…と思いました。

私、ちょっと上手寄りに座っていたので、ややズレて見えてしまい、注射してなくね?、となったりならなかったり…。

前後に分ける必要あったのかな?

 

でも、何となく「認識」とかが崩れたのかな…と思いました。

 

だって今まで、世界の何から何まで全て全知全能のマザーが決めていたのに、それがなくなってしまうって、極端なこと言ってしまうと、「自分が生きていること」すら保障するものがないってことでしょ??

 

今の例は、生と死の(認識の)境界線、みたいなかなり極端な例だけど、なんとなく歌を聞いていると、似たようなことを歌っている…ような気がしたのは私だけ…??

 

うろ覚えている限りだと

 

「ぼくはきみになれるし、きみはぼくになれるよ」

だから「孤独な人はもういない」

 

みたいなのがあった気がする…。(自他の境界線があいまいに)

 

歌詞だけ字幕で読んでいると、素敵なこと言っているようにも聞こえるんですが、世界を「分かる」ように独自の「掟」に従って「境界線」を引いて「分けていた」マザーが消滅するっていうことは、ある意味、そういう「境界線」の消滅なので、分化する以前の「カオス」になっちゃう面もあるんじゃないかな、とも思ったり。

 

そうすると「個人」も消滅、する、というか…。

いや死ぬわけではないんですが(というか「死ぬ」も「生きる」も無くなるわけですが)なにか、この世界のすべてのものが、1つの何かに集結してしまって、それ以前の何もかもを「超越」(もしかしてそれで「Super Angels」?複数形なのも小さい部品が集まってできたってこと??)した、「なにか」になっちゃうみたいな…

てか今も、インターネットに個人が接続されているって見ると変わらんか…。

 

音楽も、最後らへん重低音あたりが不穏な感じの音出していたので、余計なんか、「えッ、マザーの消滅ってハッピーエンドなん??あれ???」となってしまいました。

確かマザーは人間の進化を助けるみたいな目的で導入された、的なことも言ってたから余計…

掟(ルール)があるからこそ、その制限の中で人間は工夫して進化・成長するような面もあるとは思うので、全部まっさらにしてしまうのは、最高じゃん!とも思うし、怖くもある。

 

というかこの音楽があったからこそ、上に書いたみたいにぐるぐるしてしまったというか…。

 

「僕らは互いに天使になる」

この歌詞も何回も考えるとちょっと怖い。天使ってどういうこと。天使の上司の神様は「何」??

 

ってなんか良い感じに終わってたけど、これほんとにどう考えたらいいんだ…。

 

もちろんマザーがやっていたみたいに異端者だけを開拓地に集めるという名目で排除するのはどうかと思うけど、かといって自他も生死の区別もなくなってしまったように、個人的には感じてしまうこのラストって…。

 

最後に映像で、主人公のアキラがエリカに渡した変な球形の土偶がドアップに写るし…謎は深まるばかり…。

 

と、内容がわりかし激重でした。1回観ただけじゃ分からん。

原作読むか、配信されたらもっかい観よ。

 

あと漠然とアーサー・C・クラーク味を感じました。SFだもんな。

 

演出とか

初めの方にもう書いたけど

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これが最高でした!!

 

もうこれが見られただけで個人的には満足です。ナニコレめっちゃ綺麗。

マジックミラーみたいなのを内側に鏡面向けて合わせ鏡にしてるのか、なんかそんな感じに見えたんですけど、つまりこの装置のなかに入ったものだけが合わせ鏡で増幅するという摩訶不思議現象。

 

詳しくないけど、そこだけ空間が多層的になった感があるというか、マルチバースが集合しちゃったみたいに見えて、最高。

 

もうここだけでもいいから配信でもう一回観たい。絶対観る。

 

あとジュニア合唱団の限りなく澄んでいるきれいな歌もトリハダ立ちそうだったし、手話で歌っているのもいいなあ、と思いました。

手話ってあんなに表現豊かなんだな、って改めて思ったというか。

特にセンターのポニーテール?の人、めちゃくちゃキラキラしてました…。

センターはるだけあるぜ…圧倒的キラキラ感…。

私にもあんな時期があったのかしら…。たぶんないな…うん…。

 

あと、ざっくり手話グループと、歌、オペラのグループ、ダンサーのグループに分かれてたように思ったんですが、何か所か、例えば主人公アキラの心情を、手話は手話で語って、歌、オペラは歌って、ダンサーは踊ることで、それぞれ複数の異なる表現の同時進行で表していたりする部分があったのが、へええええええなんかすげええええ!!って思いました。

 

しかも同時進行だから、それぞれのグループできちんとリンクしている部分もあるし。

ただ1つのことに対して、色々な表現で表すのが面白かった半面、それと同時に、字幕も見ないと聞こえなかったりするので、ちょっと観ている側としては目が忙しかったです。

 

あと、手話グループかな、口元にフェイスガード?をつけていたんですが、設定も設定だし、衣裳もセットも近未来的で、なんかフェイスガードすらSFチックな装置の一部に見えたというミラクル。強い。

 

そして何よりもすごいのがアンドロイドね!!

 

もうあれは生きてるね!!!

 

機械丸見えの部分もだんだん内臓に見えてきたもんね!!!(表現)

 

最初はやっぱなんか奇妙な身体だなあ、って感じだったんですが、だんだん生の人間と大差ない存在に見えました。

そのことが、わざわざアンドロイドを演劇に使用するうえで、良い効果なのか悪い効果なのかは分からないけど。

 

紗幕の向こう側にいた時なんかはヤバかったです。マジで命入ってるよアレ。

 

これはもう観て!!としか言いようがない。ほんとに配信頼むぜ…。

 

オペラ自体ほぼ初めて観るので取りこぼした部分が多そう…

なのでもう何回も書いてるけど、配信観ます。みんな観ようね。すごいよ。

 

あと、アキラとゴーレム3(アンドロイド)のやり取りですごく印象に残っているのが、

 

ゴーレム3「なんであの世があるの?」

アキラ  「なければ死んだ人が困るだろう」

 

的なやつです。

例のごとくうろ覚えだけど、「アキラ…深いいぜ…」となりました。

ちょっと1本どころか2本ぐらい取られた気がする。

 

とりあえずはこんなもんかなあ。

感想が溜まりに溜まってきたのでいつもより雑かもしれないです。軽く詰んでます。

 

早く纏めちゃわないと…。体調管理に気を付けながら!!

申し訳ないけどこの下ネタでは笑えない『完全版マハーバーラタ』「愛の章」

2021/08/21

なかのzeroホール

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初めて来ました。意外と近かった。

 

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タイトルで察してね!!

通し券買ったけどギブアップして「嵐の章」は観てません!!

 

観に行ってきました。もうぶっちゃけると、とことん好みじゃなかったです。

ダンサーさんたちのレベルは激高でつまんなくはなかったんですが、なんかもうしんどい。観ているだけでしんどい。眠れないぐらいダルい。

 

そしてついにやってしまいました。観劇途中で帰るということを。なんてこった。

 

3年くらいしか観劇してないやつが何いっちょ前に見切りつけてんだよ!?

 

と頭の中のマイエンジェルが諭してくれたんですが(深夜テンション)、メンタル崩壊しそうだったので緊急措置として許してください…。ごめんなさい…。

あと正直、観客席のおしゃべりは多いし、手指消毒は任意っぽいし、何より冒頭で「PCR検査で陰性だったからー!!!」って狂言回しの3人が、マスクもしないで観客席の通路使って登場しながらわいわいしていたのに、正直ちょっと「えッ…」っとなってしまった。他人に感染させるリスクは少ないかもしれないけど、PCR検査陰性って、「感染していないことの証明」としては、うーん、って感じじゃなかったっけ??あれ??

 

 

 

 

公式のあれやこれや

mb2020.info

 

youtu.be

 


正直ショックでほとんど覚えていないのでオブラートに包めないまま垂れ流します。

ここから下は読むの気を付けてね!!!

 

上品じゃない下ネタ

シェイクスピア系とか神話系とかで下ネタ耐性だけは強い私です。もはや麻痺に近い(笑)。

でもなんか冒頭から許せないタイプの下ネタが出てきてしまって一気に心が離れてしまいました。

しかもそれが恐らく創作部分狂言回し的三人衆)だったから余計にタチが悪いと思ってしまって...。

歌舞伎とか神話とかで男尊女卑出てきてもキレたりはしないけど、現代の人が作ったと思しき創作部分には現代の視点からキレてもいいよね!?

 

 「神様だからさー、ヤってもすぐ処女に戻るんだよ!」

 

的なくだけた説明は「まあ」いいとしても、その後のジェスチャーと単語の組み合わせがアウトすぎる。

 

「処女!ヤリマン!処女!ヤリマン!」

 

ってたしか繰り返すんですけど、なんとこのヤリマンの所で、「お腹が大きくなっている」ってジェスチャーを、よりによって男性俳優がやるんですよね?

 

おっと妊娠してるやつ=ヤリマンって言いてえのか?

よっしゃ表出ろやง'ω')ڡ≡)`Д゚);、;'.・”

 

みたいな感じになってしまいました。私悪くないよね。

というか、別にここまで差別的ではないけどかなり際どい表現(舞台上でまぐわったり)あったけど、これ年齢制限かけた方が流石に良くないか??

なんか観客席の方に結構小さい子もいたぞ??声とか聞こえたし。

 

あと、なんか冒頭の物語部分に、王様が超絶美女に惚れ込む!みたいな話があるんですけど、その美女の表現が面白いと言えば面白いんだけど、ちょっとうーん、というか。

 

なんか、長い棒の先に、超ナイスバディの女性のマネキンがついていて、赤色の薄い夜着?みたいなのを着ていて、その棒をダンサーの1人がもって、ぐるぐる舞台上を滑るように動かすと、王様が餌につられたように、フラフラその後を追う、っていうのは、まあちょっと面白いかな、とは思ったんですが、その女性のマネキン、少なくとも「顔」と「足」がなくて(手はちょっと袖が長くて見えず)

 

「肉体」しか目当てじゃないのは百歩譲って分かるが「足」が切り取ったみたいに存在しないのはやべぇよ...。個としての自由を完全に奪われてるというか、実際のところは知らないけど、とにかく「奪いたい」みたいな演出する人の欲望みたいなのが透けて見えるように感じてしまって...。

棒を動かすのに軽量化図ったのかもしれないけどだったらその青年漫画みたいな胸の詰め物取ればいいじゃんか...。

うーん無理気持ち悪い...。

 

そもそもさあ、多言語上演(状況説明の字幕はあるけど、基本的にセリフに字幕はない)はまあたまに観る手法だし、このコロナ禍でよくやったなあ、とそこはすごいなーと思うんですけど、冒頭の狂言回し三人衆のうち、日本語で喋る男性2人、恐らくタイ語(あと英語)で喋る女性1人っていう内訳もなんか...うん...必然的にタイ語で喋る女性の喋っている内容だけ、日本人が多い観客席に「伝わりにくい」状態になっていて...。

 

いやこれ完全に現代社会が男女平等ならこの演出なんも問題ないと思うんですけど、実際問題女性の方の「声」とか「内容」が社会に「伝わりにくい(伝わらない)」状態で、こういう風な演出を、あまり批判的な目線とかを感じない形でやってしまうのに(「分かろうとしなくても身体の動きを見ればいい」とか言ってたけど...)、酷く抵抗感を感じてしまって、もう開始30分辺りからこのフルコンボで、サアーッと気持ちが冷めてしまいました。

 

こんな状態で、神話にありがちな色恋のアレコレをくだけた調子でおちょくったセリフ聞いても笑えるわけないよね。これはほんとに笑えない。無自覚そうなのが怖い。

最初で気持ちが死んでしまったので、ギャグ感とかある演出も、なんだか内輪ノリみたいな感じにしか見えなくて、観ていてどんどん気持ちが冷めてしまいました。しんどいし疲れる。

 

沖縄と能楽は一体なんの関係が?

多言語上演なのはいいんですけど、字幕はちゃんと付けた方が良かったと思います。

ただでさえ、能楽関係...かなり狂言っぽかったけど...かと思われる俳優さん以外なんか日本語すらモワッとしていて、聞き取りづらく、頭の中でゲシュタルト崩壊しました。

 

それが狙いならそれでもいいんですが。

 

でもコンテンポラリーダンスとかとんがった演劇みたいに「分かる」「分ける」ようなことを拒絶するような内容だったら別にいいかもしれないけれど、少なくとも「あらすじ」としてまとめられるぐらいはしっかり物語としてあるんだよね??

 

とてもじゃないけどマハーバーラタの付け焼き刃の知識しかない私は途中から物語が追えなくなりました。

しかも、話が複雑だから追えなくなったんじゃなくて、登場人物名とそれを演じているダンサー・俳優の対応が訳が分からなくなったから。

状況説明の字幕はものすごい速さで流れていくし。普通に読めないが??

 

抽象的なものを抽象的に演出するのは別にいいとは思うんですけど、具体的なものを変に分かりづらい状態で提供するのはどうなのかな...と思いました。

対立するものどうしの衣裳に同じ差し色を使ったりとかね...。確かにルーツは同じ一族かもしれないけど、分ける時はスパッと分けようよ...。

 

完全に好みの問題だけどね!!

 

あと、琉球の方の言葉はなんで突っ込んできたんだろう。

もはやインドというより、沖縄感が満載でした。

 

というかインド出身のダンサー・俳優さんいたんですかね??

インド出身者がいないのに「完全版」と名乗るな、とは言いませんけど、にしてもなんでこんなに沖縄をゴリ押しにするんだ??謎。

 

それと能楽の使い方が、「単になんか日本古典ぽくてカッコイイから使ってる」感がすごくあって、能楽好きとしてはかなり嫌な感じでした。(というわけで以下キレます)

インドっぽい音楽と、ラップみたいなセリフと、鼓とか能管を合わせて演奏した「合理的な」理由を教えてくれ。

「カオスにしたかったから」なんてのは許さない。それはほとんど冒涜だよ。

 

伝統をアップデートとして取り入れるのは素敵な試みだし、どんどんチャレンジすべきだとは思うけれど、伝統の「背景」「意味」までしっかり考慮した上でどうぞチャレンジしてください。それぞれの国の歴史とかアイデンティティにかかわってくる繊細な部分なので。

 

なんか音響がすごいイマイチ(私だけ?)

ホールの響き自体はかなりいいと思ったんですが、なんか、マイク通した音とか、録音された音が全部下手側から聞こえてくるような気がして、ラップっぽい部分とか、アップテンポで激しい音楽の時、かなり左耳が疲れました。

 

鼓とか、上手側で生演奏してるはずなのに、マイク通してるから下手から聞こえる気がしたし。

 

パニックになるし、病は気からで左耳は痛くなるしで散々。(言い過ぎ)

 

まとめの感想

ダンスのレベルはすごい高かったです!

たぶん!観てておおーってなったから!

 

あとアルジュナ役の方、すごいイケメン!褐色&ハーフアップの王道は反則!!

ベースが白い衣裳なのでめちゃ映えます。手足なっが...。あと宦官演じてる時のやわらかい感じも素敵な感じ。ギャップ萌え。

 

でもなんか、場面場面の演出は普通にいい部分もあるし、つまらなくないけど、全体通して面白い!と言い切るにはカオスで、カオス過ぎて逆にヤバいと言うには、整然としすぎているし、下品な部分と上品な部分が気持ち悪いバランスで配置されてて、とにかく好みじゃなかったです。

 

あとごめん、狂言回し三人衆、ちょっとウザイごめんほんと。邪魔。集中がブツブツ切れる。狂言回しなら回してまじで。

 

文化のるつぼと言えば聞こえはいいかもしれないけど、どっちかと言うとごちゃごちゃしてた感が拭えない。

 

いっそ超絶下品でかつスピード感満載、全編ラップで踊り続ける、ついてこられない観客は容赦なく振り落としてバカにしてかかる、ぐらいの吹っ切りが観たかったです。

【追記】

両家、ラップでバトルするとかならまだ面白そうかな、と思ったり。そうしたら日本語も意味より音とか韻を重視するから、多言語カオスでもかなり楽しかったかも。

 

いやー合わない演劇を観るとここまで疲れるかってぐらい疲れました。

基本的にチラシ見て気になったら値段見て、行けそうなら行くみたいな選び方で演劇観に行ってるのでたまにはあるよねこういうこと!!

 

帰ったのはマジでごめん!!

「嵐の章」まで観てたらメンタル崩壊する!!

 

 

そんなこんなでこれからオペラ観に行ってきます。新国立劇場で。

相変わらず観るジャンルが錯綜してます。でも演出監修に小川さんの名前があったから...。

 

夏休みは忙しい...感染対策を鬼のようにしながら頑張ります...。