感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

戯曲が好みじゃなかったけどそばかすちゃんは最高にかわいかった『海王星』

2021/12/21
PARCO劇場 14:00

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去年観た演劇の感想を、年度末までになんとかしよう第3弾です。

 

第2弾はこれ☟

monsa-sm.hatenablog.com

 

ほとんどタイトルに書いてある通りなので、サラっとまとめてしまおうかと思います。

あと正直、覚えていないというのもある…。

 

そういえば弘前での公演も無事に終わってたみたいです。

一応、寺山修司の出生地らしいので(紺屋町)、それで行ったのかなあ…。

本人(というか母?)は、「電車の中で産まれた」説が気にってたみたいなので、どれだけ寺山修司弘前に思い入れがあったのかは謎だけど、これを機に東京とかでやる演劇の地方公演が、弘前にもガンガン行くようになればいいなあ、と個人的に思います。

 

 

公式とゲネプロの映像

stage.parco.jp

 

www.youtube.com

 

あと、戯曲は寺山修司の戯曲――9』思潮社、1987)で普通に読めます。

なぜか弘前の図書館にはなかったけど。ほんとになぜ。

 

話があんまり好みじゃなかった

息子が、お父さんと結婚するはずだった女性と恋仲になって、色々あってお父さんが女性と心中しようとしたんだけど、女性が飲むはずだった毒入り酒を息子が飲んじゃって、父と息子が仲良く死んじゃった、という話です(雑)。

 

息子視点からは、お母さんになる人と恋に落ちたことになります。

「寺山…!!また『お母さん』か…!!マザコンもたいがいにしやがれ…!!」という暴言が観劇中に頭の中で巡ったのは、きっと秋学期に寺山修司の映画作品についての発表にてこずっていたからです。私は悪くない。

あと義理の母と息子モノだと、どうしても身毒丸の方がちらついてしまう。

 

出だしから、「お父さんが死んで(実は生きてるけど)マジ落ち込んでる息子」だったのでハムレットかよ、と思っていたら、父と息子で同じ女性に入れ込むので、なにこれ今度はオイディプス王派生版なの??みたいな感じで、古典作品が妙にちらついてしまいました。

ヴィーナス像みたいな舞台美術あったけど、ギリシア関連だろうか…。

 

あと個人的にこういう感傷的な恋愛物語が苦手というのもあって、いまいち話自体に集中もできなかったです。

最後にある、毒薬の入ったグラス(観客だけがそのことを知っている)が一旦テーブルに置かれてからの、「誰がこのグラスの酒をあおるんだ…?」というサスペンスは、意外とドキドキして面白かったんだけど…。

 

それと、「歌謡ショーでも観に来たんだろうか…」と錯覚するぐらいの、長くも短くもない微妙な長さの歌…。

 

俳優さんと演出と演奏はかなり良かったのに…。

あとダンスもなかなか良かったのに…。特にラストにある「毒薬の踊り」なんて、個人的にはもう少しぶっちゃけてもいいなあとは思ったけど、めちゃくちゃカッコ良かったのに…。

息子に惚れてる那美さんが嫉妬の中で歌って踊るんですけど「ああ毒薬よ/あの女を殺すグラスの中のみずうみよ/おまえは/あんまり美しくては いや!/あんまり澄んでては いや!」っていう歌詞も結構好きでした。綺麗だけど甲高い声も良き。

 

なんか、同じ顔触れで違う作品を上演しているのが観たいです…。

 

あ、三文オペラとかどう???めっちゃ観たい!!(私利私欲)

 

でも部分的にいいなと思う言葉はあった

さすが寺山…、というか。

 

人生は

人生は

息子と二人で挽くコーヒー挽き機械だ

さみしい音だが、匂いはいい

 

って歌詞は結構いいなあと思いました。特に最後の行とか。よくないですか??

 

あと最後、息子も父も死んじゃってから、魔子さん(2人に惚れられた女性)が

 

可愛そうな、猛夫さん!

可愛そうな弥平さん!

そして、可愛そうな、あたし……

 

って言い放った時は、「たしかに魔性の子かもしれない……」と思いました。たぶんこういうこと言える人なら、好きな人(息子の方)死んだぐらいじゃへこたれない気がする。どんどん強く生きてください。

 

それにしても寺山修司の作品に出てくる、いわゆる「普通」っぽい男性ってどうしてこうも頼りないんだ…。

 

そばかす(清水くるみさん)ちゃん大優勝

ユースケ・サンタマリアさんが飄々と演じる、息子への愛をこじらせてる系のお父さんも好きだったんですけど、圧倒的な可愛さだったそばかすちゃんが大優勝でした。

 

少女の魅力を詰め込んだみたいな小悪魔的かわいさ…。

頭が回って、傲慢で、それできゃぴきゃぴしてるのが最高に良い…。

スカートを他の子より3センチ短くしてるとか謎のこだわりもかわいい…。

 

もうそばかすちゃんが主役なんじゃないかと思うぐらいの求心力でした。

私もお金巻き上げられたいです。

 

演出が面白かったから辛うじて観られた気がする

集団の処理とかが観やすくて、でもちょっとグロテスクな感じもあって、「あ~なんか今アングラっぽいの観てる~!」って感じがして、結構好きでした。

ロックな感じの音楽も好き。テンション上がる。

 

ただ、魔子の衣裳の赤色と、バルコニーみたいなとこの真ん中でギターを弾いている人のギターの色がめちゃくちゃ同じ色に見えて、ちょっと気が散りました。

魔子が舞台上に出てくると一緒に認識してしまうというか…。

舞台上に出てくる他に目立った赤色って、あとは薔薇(魔子と息子の猛夫の関係を象徴)しかないので、余計になんだったんだろう…、という感じです。

 

白状すると1幕は寝たけど2幕は結構面白かった

戯曲で読むと1時間ぐらいでサラっと読めちゃうんですが、3幕構成だったので、「長えなあ…」と思っていたんですが、上演だと2幕でコンパクト気味になっていたので、観やすかったです。

 

でもやっぱり何回読んでも、戯曲自体があんまりハマらないな…。うん…。

これはもう好みの問題だからしょうがない…。

上手ければ上手いほどモヤモヤしてしまった『マーキュリー・ファー Mercury Fur』

2022/02/05

世田谷パブリックシアター 13:00

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劇場前にポスター掲示してないとかそんなトラップありですか…?

 

 

超プレミアの舞台、観に行ってきました。

初めからA席狙いだったのが功を奏したのかもしれません。

世田谷パブリックシアターが転売の取り締まりに本気出してるので、全国各地の劇場にぜひ同じような取り組みが広がればいいなと思います。

 

今回はすごくモヤモヤしてます。感想も後半はポジティブなんだかネガティブなんだか自分でも分かんない状態なので、読まれる方は注意してください。

 

パンフレットを早くしっかり読みたいのでさっさと自分なりの感想まとめるぞ…!!

 

※当然ネタバレしまくりです。ほんとに注意してください。

 

 

公式(舞台写真も見られる)とWikipedia

setagaya-pt.jp

en.wikipedia.org

 

Wikipediaの方には、初演のエリオットがなんとみんな大好きベン・ウィショーだったこととか、そもそも戯曲が出版拒否られたこととか、ローラはトランスジェンダーであることをフィリップ・リドリーがインタビューを受けて明言していることとか、上演だと思わなかった近隣の人が劇中の暴力シーンをガチだと思って通報して警察沙汰になったこととか、批評家同士の不毛だけど不毛じゃないバトルとか結構面白いことが書いてありました。

 

あと戯曲、というか2015年の公演の際の上演台本は、早稲田大学演劇博物館で普通に読めます。ただ配信もあるみたいなんで、入試で博物館もそろそろ閉まるしそっち観た方が早いかも、です。割と安いし。

 

配信に関してはチケットもぎ取ったあとに発表されたので、「それなら配信で観たのに…!」と、ちょっと申し訳ない気持ちで観に行ってきました。主演のファンの方とかに対して…。

『青天を衝け』総集編しか観てないのに『アルトゥロ・ウイの興隆』(レポート課題に使ってしまったので3月に成績出てからブログは纏めます)と『マーキュリー・ファー』を観に行けてしまったというのもなんか微妙に申し訳ない…。

 

とりあえずオペラグラスで顔面の整い方はじっくり観てきました。エリオットがダレンの口にバタフライ突っ込むところとか…。

「バタフライ突っ込まれたダレン役の人、この後どうするんだろう…?」と戯曲読んだ時に思ってたんですけどその後すぐにハケるので、たぶんその時にペッしてるんだな、と舞台観て分かりました。本当のところは知りません。

 

TVと全然変わんないすごい…。顔がハッキリしてるから遠い席からでもすごく見やすい…。

神様って不公平だ…。泣いちゃう…。

 

内容について

雑なあらすじ(というか箇条書き)

ロンドンのイーストエンド。紛争中か戦争中といった感じで荒廃している。

バタフライっていうドラッグ(なんかアヘンみたいだけど)でみんな正気を麻痺させつつなんとか生きてる。副作用は記憶をどんどん忘れていくこと。

このバタフライ、ある日突然砂とともに降ってきたというのでますますアヘンっぽいなとは思う。イギリスが中国に無理矢理売りつけたみたいな強制感が…。まああれは中国側の管理もちょっと甘かったらしいけど…。

 

エリオットとダレンは兄弟で、エリオットはバタフライの売買をしている様子。ダレンはバタフライ漬けで記憶があいまいな部分がある。スピンクスとローラの兄妹(ローラはトランスジェンダー)と共になんだかいかがわしい仕事をして生計を立てている。

 

今回は「パーティゲスト」のために「パーティプレゼント」を用意して「パーティ」を開催する様子。エリオットとダレンは場所確保のために廃墟の部屋に入って準備している(劇はこの2人が廃墟に入ってくるところから始まる)。途中、バタフライ欲しさにナズという少年も手伝いに加わる。ゲストの要求でパーティが早まったらしく、プレゼントにメイクアップを施す役割のローラも含めバタバタしてる。

 

パーティプレゼントはどっかからさらってきた子供のことで、パーティとはゲストがプレゼントを、興奮(性的興奮かな)のためになぶり殺しにすることがこの辺でなんとなく分かる。

 

スピンクスが来るはずのないお姫さまをパーティ会場に連れてきて一同混乱するが、なんとかパーティの準備を終えて、ゲストも到着しパーティを開始する。(お姫さまは実はエリオットとダレンのお母さん)

 

パーティゲストは、外国のお偉いさんみたい。近々彼みたいな外国人はエリオット達のいるところから脱出するらしいがその理由は公的には明かされていない。でもこのゲスト、スピンクス達が、人をなぶり殺すという自分の「超ドスケベな夢」を叶えてくれるパーティをやってるのを何かしらで知って、この国にはもうすぐ3日間の集中爆撃が始まること、全部終わったら兵士が「助けに来る」という名目で全てを奪いに来ること、その前に逃げることの出来る安全な場所をスピンクス達に教えるという約束でパーティ開催を取り付けた。

 

でも途中でプレゼントが死んじゃって、ナズが代わりに選ばれて半殺しにされるけど、結局エリオットとダレンとかが止めにはいって、もみ合ったすえ、ゲストはダレンに射殺されてしまう。

ちなみに、ナズがパーティの準備に加わるときに、エリオットがピラミッドの話をする。ピラミッドを作るのを手伝った人たちはファラオと一緒に埋葬されてしまう、という内容の話なので、パーティの準備を手伝ったら下手するとナズも死ぬんだろうか、と観客に思わせる効果がある。だから、別にこの展開は驚くべきことではなく、「だよねえ」と言った感じ。

 

逃げる先も聞き出せず、みんな落ち込む。とりあえずナズの手当てをして、エリオットとダレン(とゲストの死体)だけ部屋に残してみんな外の庭にでる。

 

ダレンがエリオットを励ますためなのか、「自分たちは今宇宙探検をしている」という設定でこのパーティを行う取り決めだったと思い出し、そのことを兄に語る。

ダレンの記憶はあいまいだけど、劇中でどんどん色んなことを思い出していく。冒頭ではエリオットとダレンでは完全にエリオットが主導権を握っていたが、ここでは完全に逆転しているように見える。兄弟モノとかでよく見る、頼れる兄と頼りない弟の逆の面が物語の最後で見えてくるパターン。ダレンが成長したと捉えてもいいのかも。

 

ダレン:俺たちはいま探検してる、この……新しい星を。人間が生きていける場所かどうかみるために。な、兄貴?でもだめ。だよな、エル(エリオットのこと)?別の星を探さなきゃ。な、兄貴?もっとやさしくてあったかい星を、な、兄貴?俺たちはそれを探すんだ、エル。聞いてるの?星ならまだいっぱいあるよ、兄貴。一個くらい、ぜったい。

 

みたいなことをダレンが喋る。「もっとやさしくてあったかい星」の部分にたぶんタイトルのMercury Furが引っかかってるはず。

水星は太陽に最も近いし毛皮はふわふわであったかい。

 

外から爆撃音が聞こえて、エリオットが拳銃をダレンに向ける。ダレンは抱きつきながら制止を試みるがエリオットは何度も何度もダレンの頭に拳銃を向ける。ダレンの声が聞こえないぐらいの爆撃音が外から聞こえた時、舞台の後方部分が下方に降下して(世田パブではこんなこともできるのかと驚いた)、まるで2人のいる廃墟が爆撃のせいで崩落するのかと思った瞬間に真っ暗に。生死は不明である。

 

サウンド・オブ・ミュージックでおなじみのClimb Every Mountainが最後にかかる。これで幕だった気がする。

この曲選はたぶん演出…。戯曲にそんなこと書いてないし…。

 

 

以下はこまごました書き洩らし。

 

・お姫さま→エリオットとダレンのお母さん。お父さんは以前「愛しているから」家族で心中しようとしたらしいが3人は生き残った様子。ダレンの頭にもその時の傷が残っている。お母さんは殴られた後遺症からか、自分はお姫さまであるという幻想に浸ってる様子。時々サウンド・オブ・ミュージックの主人公と自分自身がごっちゃになっているみたい。

 

・エリオット→バタフライはお父さんに止められて最初の1回しかやってないので他の人に比べて記憶力抜群。だから「いい思い出が俺を苦しめる」ので、常にイライラしている。

 

・スピンクス→エリオット、ダレン、お母さん(お姫さま)が入院していた病院に襲撃があった際、逃げ出したエリオットの代わりに2回も戻ってダレンとお母さんを助けてくれた。ちなみにエリオットはその事をトラウマレベルで後悔している様子。


・ローラ→スピンクスの妹。エリオットと付き合ってるのかな。エリオットが入院中に襲撃受けて逃げた時に出会ったっぽい。

 

・ナズ→ギリ生き残ってるかなと思いたいが、正直あの出血量で生きてるとは思えない。


・パーティプレゼント→どっかからかっぱらってきた少年。妹がいたらしいが頭が吹っ飛んで死んだ様子。

 

特徴

最初は、なんだかよく訳が分からない2人が廃墟に入ってきて突然パーティの準備をしだすんですけど、劇が進むにしたがって、上に書いたようなことが徐々に分かってきて、登場人物たちの像がハッキリしてきます。

 

そういう意味ではミステリ要素が結構多いです。

そもそもミステリ(謎解き)要素がない物語はほぼ絶対ないとは思うけれど…。

 

舞台上で進行する時間と客席で進行する時間にズレがない(劇中で突然16年とか時間が飛んだりしない)作品なので、本当は時計とかあるとそれがハッキリ分かるんですが、廃墟なので時計が舞台セットに組み込めないのが残念…。

でもその代わり窓から差し込んでくる光が刻一刻と変化していくので、それはそれで綺麗でした。

あの悪名高い三単一の法則をちゃんと守っているとも言える気が…。

 

過激な暴力シーンはすべて奥の寝室で行われる(見せない)ので、ギリシア悲劇とかの伝統に則っていて、内容の政治的な隠喩とかはともかく、結構正統派なつくりの劇なんじゃないかな?と思いました。

 

テーマについてまとめてもしょうがないとは思うけど…

「愛するものを守るためにあなたはどこまでやれますか?」っていうことだと思います。

 

エリオットのセリフにも

 

だから俺、ダレンに約束したんだ。お前らが傷つく前に俺がこの手で殺すって。

 

っていうのがあるけど基本これな感じ。

 

加えて、極限状態の中で弱って追い詰められた人たちが、権力者に言われる通りに、さらに弱いものを犠牲にしていかねばならない状況の提示もされているので、コロナ禍での上演はかなり差し迫ったものがあると思います。

初演時は初演時でたぶんシャルリー・エブド襲撃事件のあとじゃない?それはそれでやべえ…。

 

サウンド・オブ・ミュージックとの関連は謎と言えば謎なんですけど、あれはあれで最後は、ナチスドイツという権力側からの強制に従うように見せつつ逆らって、愛する家族と共に併合されてしまったオーストリアから何とか脱出する話(完全に成功したのかは謎)なので、状況的には『マーキュリー・ファー』の方が大分終末的な世界観にはなってますけど、類似と言えば類似しています。

 

Climb Every Mountainにしたって、超要約すると「困難が来るたびに乗り越えなさい。あなたの生きている限りの全ての愛と日々を費やしてもいいと思える夢を見つけるまで」っていう歌詞なので、まあラストに流した演出大分えぐい…という感じです。

これ読みようによっては、「自分がしっかりと生きるためには何かを心から愛することが必要」って歌詞じゃん…。しかもそのすべてが最終的には夢に集約されるって…。『マーキュリー・ファー』のラストに組み込まれて文脈変わると、繰り返しになるんですがマジでえっぐいです…。

 

ものすごく愛してる だからお前をつかむんだ

 

って一連の詩的なセリフがあるんですがそういうことかよ…。

結局は皆自分が生きるために相手のことをつかんでいて、大切な人を守りたいのは自分のことを守りたいからで、それが他の人によって自分の制御不可の状態で失われるぐらいなら「自分で決める」と…。

エリオットとダレンのお父さんの行動も、エリオットのラストの行動もそういう論理みたいに見えた。

 

愛=執着と理解している派なんですけど愛=生への執着と読み替えるか…。

人間所詮獣だよ!感が半端ねえ戯曲ですね。

演出もそれ理解しすぎだろ…。白井さんの演出毎回メンタルにくるよ好き…。

 

演出と演技についての殴り書き

演出(というか舞台美術)

舞台が最沈下してて、客席17席ぐらいが舞台上にのってるみたいな形になっていました。

その17席は椅子も、舞台上の廃墟に投げ捨てられている椅子と似たようなデザインになっていて、意図的かなと思いました。

上手脇側にも舞台美術が伸びてて、登場人物の廃墟の一室への入退場は全部そこから行われていました。上手の観客の方はラッキー?です。

 

たぶん客席が舞台に食い込み気味なのは、時間感覚を客席と共有している作品だから、空間も、ってことだったんだろうなと思っています。

ただ3階席からだとあんまりその効果みたいなのは感じなかったです。

トラムみたいな小さい空間だと強制的にそうなったんだろうけど…。残念です。

 

でも客席が舞台にやや食い込んでいて、その分アクティングスペースがやや後方になっていたので、3階席の手すりにも俳優さんがあまり被らず、かなり観やすかったです。

 

あと劇の最初にも飛行機とかサイレンの音とかが入っていて、「なんかやばいところだ…!」というのが分かって、好きでした。それと、最後に、舞台を下げることで崩落を示唆するやつなんて今まで観たことなくて「す、すごい…!!」となりました。

白井さんすごい一生ついていくというか今年は白井さん追いかけてみようと思います。『アンチポデス』では演者ですか楽しみですね…えへへ…。

 

演技

ド素人なので演技に関しては全然分かんないんですがこれだけは書かせてください。

 

吉沢亮さん、高橋一生さんに声似すぎ…

というか寄せすぎじゃない!?!

 

私、初演観てないけど、高橋一生さんなら何回か舞台で観たことあるので、もうなんかエリオットというよりは高橋一生さん演じるエリオットを1回トレースしたんか??と思うぐらい声の出し方とか似てました。なんだあれ。逆に怖い。

 

北村匠海さんは、ダレンが途中で歌歌うんですけど、明らかにそんじょそこらのギャングのレベルではない上手さで「…ダレン…謎の宝の持ち腐れ…」と奇妙な感情になりました。

 

兄(低)と弟(高)で声の高さを使い分けていたのが音声的に面白かったです。

初演のキャストもそんな感じな気がする…。

 

あとダレンが蝋燭に火をつける場面で、ライターがつかないハプニングがあったんですけど、スピンクスとかと一緒に蝋燭同士で火をつけたりとスムーズに対処していて、一瞬そういう演出なのかと疑ったくらいでした。

これで初舞台とかすごいよダレン。衝撃だよ…。

あと舞台上で、蝋燭1本つけるのも確か消防に届けが必要だったはず(たぶん)だから、舞台で火を見ると「手続きおつです…!!」と謎の感情が湧き上がる…。

 

声も全員マイクなしで聞き取りやすかったし、聞き取れない公演がままあることを考えると平均的にすごい良かったんじゃないかなと思います。

 

ただ、以下に書く点から私はその「上手いねえ…」という点が超モヤモヤするというか…。

 

現実に実際起きていることなので…

細かい指摘はめんどくさいのでしないんですが、劇中の時代が不明で政治的な立場もめちゃくちゃはっきり読み取れないこともあって、9.11とかイラク戦争とか、あとさっきも書いたけどアヘン戦争とか、それと第二次世界大戦の併合とか、とにかく色々な時代に(もちろん今も)起きている争い、紛争、戦争と簡単にリンクしてしまいます。

 

実際に、こういう残酷で残虐で理不尽なことが今もどこかで、なんならこの劇を上演している今もどこかで起きていることに簡単に気が付いてしまう、ってことなんですけれど…。

 

だから、劇場の中で、血のりまみれになって、俳優さんたちがどったんばったんその様子を一生懸命身体はって上手に演じているんですが、この瞬間もどこかしらでこのひどい状況を、フィクションじゃなく現実として味わっている人がいる、ということを常に思ってしまいました。

上手く書けないんですけど、舞台で一生懸命リアルな感情をこめて、上手に演じている俳優さんたちを見ても、本当に怪我してるわけでもないことは分かっているので、本当っぽく見えれば見えるほど「でも嘘じゃん…もしかしたら今この瞬間に本当にこういう風に死んでいる人がいるのに何一生懸命それを演じているの…?」と醒めてしまう…という摩訶不思議だけど、演劇では割とありがちな現象に遭遇しました。

 

フィクションって究極「嘘をつくこと」なので、そこには「実際にそういうことを経験した何ものか」への不遜さが含まれてしまうのは、ごく当たり前なんですけど、とりわけこういう暴力とか生死にかかわるものに関しては、現代に時代設定が近いように見えれば見えるほど、当事者のことを考えてしまい、その不遜さが倫理的にアウトなんじゃないかというレベルに見えちゃう時があって…。

美学的な視点に基づいて上手く物語にまとめること、当事者でもない俳優さんがそれをあたかも当事者であるように演じることにものすごい暴力性を感じてしまい、もう自分でもどうしようもないというか…。

『マーキュリー・ファー』は完全にフィクションで直接の当事者とかはいないとは思うんですけど、ちょっと寓話的な部分もあって、さっきも書いたように簡単に色々な現実を連想してしまうので、そこが結構きつかったです。

 

『フェイクスピア』の時にも似たようなイラつきとモヤつきは感じました。

 

monsa-sm.hatenablog.com

 

結局は何に一番モヤついてイラついているのかというと、それを観て感動しちゃったり「こういう切り口できたのか…これは面白い手法だ!」とか思っちゃってる自分に対してなので性質悪いんです。

 

現代においての政治とか社会的な問題に直接的にしろ、間接的にしろ、何らかの形で結びつく問題を扱った演劇を観て、それがどれほど巧みにその問題をさばいているか、どれほど妥当か、俳優はどれほど巧みに演じているか、演出はどういう意図で構成しているのか、それは成功しているのかしていないのか、というのをみんなで劇場で確認して、良かったら拍手を送って忘れて帰る、という行為が、よくよく考えると気持ち悪すぎませんか?(私だけかな…)

映画とかだと演劇よりはリアリティがあるのであまりこういう醒め方はしないんですが…。

【追記】Twitterの方にあげたやつ、一応こっちにもはっとく。

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純粋に感動した方の気分を害したいわけではないんですけど、やっぱりあれ見て「感動した!」とかは胸張って言えないです…。社会問題系感動ポルノとして観ました!言っているようなもんなんで…。

 

あくまでPLAY(あそび)である・があることを意識して感じさせてほしいみたいな気持ちが個人的にあります...。

 

たぶんイギリスがアメリカと仲良くお手手つないでイラクに戦争仕掛けた時にイギリスで観たらまた違った感想なんだろうけど...。

 

確かに疲れる劇だった

上に書いたような居心地の悪さが半端じゃないので。まさかそれが狙いか?

 

でも、たぶん愛とか以前に

 

テセウスミノタウロスと話せたかもしれないだろ。ミノタウロスだって絶対ラビリンスから出たかったと思うんだ。そしたら一緒に糸をたどって出て行けた。

 

って、ダレンが言う印象的なセリフがあるんですけど、この一言を言いたいがためにこの劇作ったんじゃないかな…、と思いました。

 

人間も所詮獣かもしんないけど言葉があるだろ言葉が!ってことですかね…。

その言葉もある種の暴力ではあるんだけどキリがなくなるのでやめます。

 

あとまああれかな…ちょっと舞台暗めだったかな…。私はああいう暗さ好きですが、やや目を凝らした瞬間が何回かあって疲れました。

主演のファンの方のこととかも考えるともうちょっと明るくした方がいいのかなあ…と漠然と思います。

 

もしかしたら配信の方が素直に感動できたかもしれません。世田谷パブリックシアターの配信は観たことないけど、たぶん、準映画、みたいな感じになってると思うので。

役者さんたちは良かったけど、なんか熱量不足かなと思った『泥人魚』

2021/12/12

シアターコクーン 13:30

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去年観た演劇の感想を年度末までに片付けよう第2弾です。

第1弾はこれ☟

 

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あんまり褒めてないので、この公演が好きだった方とかは、当時レポート地獄でメンタルブレイクしながら観に行った可哀そうなヤツの勘違いだと思って是非スルーしてください。

 

 

公式

www.bunkamura.co.jp

 

唐十郎の芝居のあらすじをまとめるのなんて、たぶん研究者の大学の先生とかでも難しいと思うので、気になる人は戯曲読んでみてください。たぶん読んでも訳が分からないと思うし、私も完全には分かっていないんですけど、ざっくり言うと資本主義経済の大きい流れになすすべもなくからめとられた人達の、失われた過去への思いとか哀しみとか懐かしさとか、それでも今も生きているしんどさとか、かつて仲間だったのにそのしんどさを共有できない虚しさとか、とにかくそういうどでかい感情を、叙情たっぷりにごった煮にしたみたいな戯曲だと思いました。

 

ちなみにS席は1万円超えています。

観客も資本主義経済にどんどん飲み込まれています。お財布君が号泣寸前。

「なんの皮肉だ。河原乞食は一体どこに消えたんだ…」とチケット買うときに思いましたが、母のおかげで、なにかしらの優待を利用してちょっとは安く買えたので飲み込んでおきます。

 

役者さんたちは良かったんじゃないかと思う

可もなく不可もなく…、といった感じ。

というか私、宮沢りえさんの見た目がドストライクすぎて毎回「好き…!!(思考停止)」とならないように気を付けて観ているので、よく分からなくなると言う方が正しいかもしれないです。

ただ今回のヘアメイク、もっと宮沢りえさんの良さを引き立てるようにしてくれても…、と思いかけたんですけど、これは私の好みの問題か。すみません。

 

愛希れいかさんも初めて拝見したんですが、すっごい人間離れした頭身で目が惹きつけられて、宝塚はやっぱり怖いぜ、と思いました。

 

あとは本当にめっちゃ上手・下手とかいう印象に残っている人が少ないです。

磯村勇斗さんは、「喉大丈夫?」とちょっと冒頭不安になったけど、最後まで好印象な感じでした。

 

イマイチわくわくできなかった

ただ、テント公演(コロナになってから全然行けてないけど)とかで観る唐十郎の芝居の役者さんたちの、あのギラギラしてて「なんかこの人達ヤバい…!!(めっちゃ面白いことしてくれそう!!)」みたいな引っかかりがなくて、その辺りになにか強烈な違和感を感じてしまって、イマイチ芝居の冒頭から気持ちがノらなかったです。

 

後半にある、泥水入った水槽にみんなでばっしゃんばっしゃん入るのも、「え~~!?入るの?!?入っちゃうの!?!(ばっしゃーん)ああああ入っちゃったよマジで!!」とかいうどよめきみたいなのも客席になくて、内輪ノリしんど、みたいな風に感じてしまいました。

 

…素人意見なんですが、これは唐十郎の芝居で完全にアウトじゃないか??

 

シアターコクーンが、でっかすぎというのもあるとは思うんですけど、『唐版 風の又三郎の時は特にそういう違和感みたいなのを感じなかったので…、って今過去の感想確認したら「なんか劇場の雰囲気が気持ち寒かった」って書いてました。なんてこった。詰んだ。

 

最後のシーンは結構好きだった

ブリキで作った鱗のドレスみたいなのを身に着けたやすみ(宮沢りえ)と蛍一(磯村勇斗)が手を取り合って、舞台の奥にある仕切りの向こうに歩いていくんですけど、若干橋みたいになっている2人が歩くその道が、細かい電飾でデコレーションされていて、暗い劇場内で見ると、夜、月明かりとか街から漏れてくる明かりを水面が反射したみたいな感じに見えて、綺麗だなあ、と思いました。

 

あと感想のメモに「なんか2人の結婚式みたいだった」と書いてます。なんか分かる気もするけどこの一文だけだと全然分からないぞ過去の私。もうちょい頑張って。

 

またテント公演行ってみようかなあ…

観に行って大後悔したかと言われると「いや全然?」という感じなんですが、やっぱり大きい劇場で唐十郎の芝居を観るとコレジャナイ感が半端ないです。

 

もうちょっとコロナと、あと私の潔癖症が落ち着いたら、テント公演に足を運んでみようと思います(安いしね。圧倒的に)。