感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

東京芸術道場 第二回公演『わが町』@シアターイースト

柴幸男の『わが星』を配信で観て、結構感動したので楽しみに観に行ったんですけど、行かなくてもよかったかな、を通りこして、ある演出にブチ切れる羽目になりました(今はもうちょっと落ちついていますがモヤってるのはモヤってる)。

というわけで以下読まれる方は気をつけてください。

 

あとアメリカで、というか世界中で有名な戯曲なので、あらすじはどっか探せば絶対出てくるはずです。というか読んだことない方はぜひ読んでみてください!今の価値観からするときつい部分(以下に書きます)もありますが、やろうとしていたことと形式とかは結構好きで、わりと簡単に感動もできるしおすすめな戯曲です。

 

東京芸術道場 第二回公演『わが町』感想

東京芸術劇場 シアターイースト(2023年2月1日、13時)

 

まず当日パンフに演出家が「『わが町』の正統な上演」になったと思う、と寄せていて、「『正統』って一体なんだよ…」とげっそりとした気持ちと、「じゃあたぶんものすごくオーソドックスな『わが町』が観られるんだろうな…いうて研修所公演的な感じだもんな…」とわくわくした気持ち(これが初めて観る『わが町』だったので…)が入り乱れた。結局どう転んでも「正統」とは言えない上演だった。

劇作もしている方に余計なお世話かもしれないけれど「正統」の意味を1回辞書でひきなおした方がいいのではないかと思った。

 

あと本来は1幕から書くべきなのだけれど、2幕の「《恋愛》と《結婚》」の演出で、どうしても個人的に許せない無神経さがあったので、そのことから書く。

 

1幕と3幕はたしか戯曲通りの設定なのだけれど、2幕冒頭、俳優たちがテープなどを山手線のようにまあるく舞台上に張り付けたり、小さなオブジェを使って東京の街を再現していく。何より「2023年 東京」と舞台後方に投影されるので、時間と場所が今の東京にこの場面だけ移されていることが分かる(ただ戯曲のセリフなどはほとんど変えていないので、そのせいで微妙に変になっている部分もあった。1幕から3年しかたっていない、というセリフはそのままだったので…)。

『わが町』は書かれた時代のせいなのか、ワイルダーの(宗教的な)価値観のせいなのか、両方なのかは分からないのだけれど、異性愛規範と結婚規範と出産規範的なものが結構色濃く出ている戯曲でもある。だから現在上演するとしたらこの2幕が引っかかりポイントなのは予想がついていた。だから2幕になんかしてくるだろうなとは思っていたので、こういう設定にしたこと自体には特に驚きはなかった。

ただ問題はエミリーとジョージの結婚式の場面において、同性同士の結婚式の様子(ドレスを着た花嫁と花嫁の結婚式、袴をはいた新郎と新郎の結婚式)をなんの悪気もなく(ここがタチが悪い)並列させたこと。

実際問題、「2023年 東京」において、非常に恥ずかしいことなのだが、同性婚は法制化されていない。つまり異性婚と「並列」できる状況には、悲しい事だが全くない。だから異性間と同性間の結婚式では、こんな言い方はあれだが、抱えるハンデが全然違う。そういうものをまるで見えないように扱うのは、そもそも公共劇場としてちょっとどうかと思うし、神経を疑った。

そしてさっきも書いたのだけど、2幕が問題になるのは、戯曲読んだことある人からすると簡単に予想がつくことでもある。そういう人たちからのツッコミをかわすためだけに、同性愛者の人たちの現実(の綺麗な部分だけ)を都合よく利用したように見えてしまい、その手つきのグロテスクさに吐き気がするかと思った。

観たところ/調べたところ、今回の公演にはトランスジェンダーの役者も出演していたのにも関わらず、このような問題をだれも指摘しなかったのか、それとも指摘したのに変わらなかったのか、指摘すらできない空気だったのかと不安にもなる演出だった。

 

以上が、ブチ切れた演出についてで、それ以外は、変にいじらないでそのまま戯曲通りにやるか、俳優たちに力があるのであれば『わが星』を上演した方が良かったのでは…と思ってしまうような上演だった。

 

まず劇場に入って三方囲み舞台だったことにちょっと意表を突かれた(『わが町』と言えばプロセニアムアーチなので…)。それと、確かに舞台上には何もないのだけれど、俳優の技量のせいか、冒頭の街の説明で上手く街の全体像を結ぶことができず、結構この部分は観ていてストレスを感じた。

加えて、1幕では、登場人物の身体は人形で、その人形を手渡していくことで、俳優が入れ替わり立ちかわりそれぞれの登場人物を演じているのが、意図が謎を通りこして、戯曲の良さをすべて殺しにかかっている演出だと思ってしまった。基本的にこの戯曲は、「個別」と「普遍」を並列させることで、莫大な時間と空間の中に(「普遍」)、それでも確かに生きて存在するということ(「個別」)の感動を、巧みに描いているのだけれど、この感動を生み出すにはある程度「個別」をしっかり描かないといけない(し、実際戯曲でもわりと丁寧に描かれている)。なのに、俳優が入れ替わり立ち代わり演じることで、正直話を知っている身としても混乱したし、実際に休憩中に「誰が誰だかも、話もよくわからなかった」とお話しされてる方々もいた。

『わが町』でこんなに登場人物と話が分かりにくいことってあるか…!?と軽く衝撃体験だった。

 

3幕では、今度は俳優のほとんど全員でエミリーのセリフを喋る場面なんかもあったりしたのだけど、単に俳優の技量の問題なのか、意図的なのかよく分からない発声のズレが生じていて、半分以上何を言っているかが聞き取れなかった。この場面のエミリーのセリフは結構大事なことのオンパレードだったはずなので、あえてだとしたらますます意図が謎。

 

たぶん1幕も3幕も(2幕はキレすぎてよく覚えていない)「みんな」で演じることで「みんな」に当てはまる物語であること(「普遍」)を強調したかったのだとは思うのだけれど、あんまりうまくいっている感じがしなくて、こんなことするぐらいならそれこそ「正統」に戯曲通りにやって、俳優にもごくごく普通の演技をさせてあげた方が、いろいろと良かったのではないかと思ってしまった。

 

明日は木ノ下歌舞伎『桜姫東文章』の感想書きます。

観たことない俳優さんたちがいっぱい観られる以外は、全く楽しくないというかキレてしまった上演だったので、正直観に行かなきゃよかった…と久しぶりに思いました…。心做しか文章もとっちらかってしまった気がする...。

 

明日は木ノ下歌舞伎『桜姫東文章の感想書きます。たぶん。演出が東京公演も折り返しに入った段階で大幅に変わったこと以外は怒ってないので(にっこり)、基本楽しかった!と素直に書くつもりです。