感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

『ジョン王』@シアターコクーン

無事に卒論出して、例の賞も大賞を受賞できました。やったね!

ほとんど先生の協力のおかげな気もするんですけど、とりあえず私の名前で出したので私のものということでいい…はずです。たぶん(先生、ありがとうございました)。

いろいろ疲れ切ったのでまた実家の方に帰ってきてます。というわけで例のごとく観たやつの感想をぼちぼち書いていこうと思います。

今回は観てからそんなに時間が経ってないやつばっかで、たぶん記憶が鮮明で書きたいことが比較的たくさんあるだろうな、ということで、1作品1記事でいこうかと思います。毎日更新がんばるぞ!

 

あといつもの通りあらすじはきっと他の親切な方がまとめてくれていると思うので、書いたり書いてなかったりです。

というかみんな、戯曲を読もう!つまんないつまんないと言われている割には、結構戯曲は(!)面白かったぞ『ジョン王』!!

 

というわけでわりと酷評してますので、以下読まれる方はその辺ご留意ください。

 

『ジョン王』感想

Bunkamura シアターコクーン(2023年1月18日、13時半)

 

とりあえず冒頭、舞台奥の搬入口が開いた(開いてた?)段階でなんか萎えた。テント芝居へなのか蜷川へのオマージュなのかよく分からんけど、シアターコクーン周りであまりにも観過ぎた搬入口開いてる演出…。みんな好きだね…搬入口…。

 

しかもまさか私生児(を演じる俳優、つまり小栗旬)の肩に「反戦」のメッセージを背負わせるとは思わなかった。なにを言っているのかよく分からない(私もよく分かってない)から以下、ちょっと具体的に書く。

 

舞台冒頭、まだ上演が開始しているんだかしていないんだか分からない状態の舞台上に、搬入口から赤いパーカーと紺のデニムの青年(小栗旬)が迷い込んでくる(実際隣で観ていたご夫婦は「ねえ外の人、間違えて入ってきちゃってるわよ」とお話しされていたので、観慣れていないひとには物珍しい演出だったのだと思う)。

青年が舞台美術を興味深そうに眺め、スマホで写真を撮り、自撮りもしたりなんかしていると、突然下手側に立っていた青年の目の前に人形が落下してくる。おそらく戯曲上で事実上の身投げをする幼いアーサーのイメージなんだろうな、と思っていると案の上、上手側からアーサーらしき少年(それっぽい衣裳も着ている)が走り込んできてこける。青年が、その転んだ状態のアーサーを興味深そうに眺め、写真を撮ったところ(非情!)で、たしか暗転とか何かしらを挟んで、唐突に第1幕第1場が開始される。

そして戯曲上では私生児の登場まで結構かかるのだけど、たぶんかなりカットしてすぐ私生児が出てくるようにしている。この登場時の私生児は、たしか多少歴史ものっぽい装具は身につけていたような気がするけれど(もはやうろ覚えの記憶)、赤いパーカーと紺のデニムは丸見えの状態(ここから場面が進むとどんどん上に着ているものが増えるのだけど、赤いパーカーと紺のデニムは下に着たままの状態)だった。周囲の登場人物は歴史ものっぽい衣裳なだけにかなり違和感がある。加えて私生児を演じる小栗旬があえて最初の何行かのセリフを、しどろもどろに当惑した感じで発するために、まるで現代の普通の青年が、「偶然」と「運」で歴史上の戦争に迷い込んだようにも見えた。

 

そして最後、私生児がやや下手寄りの舞台前面で『ジョン王』屈指の〆のセリフ(「イングランドがおのれに対して誠実であるかぎり、我々を悲しませるものは何もない」)を言った後、そのまま役者が勢ぞろいするカーテンコールになるのだけれど、私生児を演じる小栗旬は微動だにしない。小栗旬以外がはけたと思ったら舞台後方から突然強く白い光が差し込んでくる(おそらくこの段階で搬入口が開いていた?コクーン席なのでちょっと覚えていない)。

すると突如上手からマシンガンを持って武装した男が現れる。マシンガンの銃口小栗旬に向けられている。その状態で小栗旬は、上に着ていたりつけていたりする手袋とかブーツとかを脱ぎ、もとの赤いパーカーと紺のデニムの青年の姿に戻る。そしてフードを深く被り、マシンガンの男に視線を向けながら搬入口から出ていく。その間、マシンガンの銃口はずっと青年に向けられている。

 

これで上演が終了だった。

 

搬入口を開くことで、現実/現代の世界に戯曲の物語をなかば無理矢理接続させ、そこからスマホで自撮りをするような若い青年ですら、戦争に巻き込まれマシンガンをも向けられるようになる、という、なんとなくウクライナの現状とかを意識した「反戦」のメッセージ性は強く感じたのだけれど、個人的にはそのメッセージを背負わせる登場人物(およびそれを演じる俳優)が間違っていると感じた。

というのも私生児が戯曲の中で背負っているのは「国の上の方(国王、貴族、聖職者)が多少クソでも、自分たち民衆がしっかり国に忠誠を尽くしていれば最悪何とかなる」というナショナリズム的ド根性精神であるのに加えて、私生児自体の性格が結構好戦的だし(私生児が戦争をけしかけるようなシーンもある)、のし上がるためには割となんでもやってしまう人物であるからだ。

私はシェイクスピアを専門的に勉強したわけではないので戯曲の読み方を大いに間違えている可能性もあるのだけれど、個人的には私生児という登場人物は「反戦」のメッセージとはなかなかに相性が悪いのではないかと思う。

そういうメッセージを背負わせたいのなら、幼くして戦争に巻き込まれる形で自死する形となったアーサーに背負わせた方がまだいいと思ったし、上演中、とく関係ないところで、アーサーの死に方(身投げ)を彷彿とさせるように上空から人形が落下してくるので、そのことに気づいてなかったわけでもなさそうなのが、なんか惜しいなと思ってしまった。

ただ、アーサーが飛び降りて逃げようとするシーン、ワイヤーでアーサーは宙づりになるのだけれど、その滞空時間、つまり表すところとしては落下時間が長すぎて(体感20秒ぐらい?)、そりゃそんな高所から逃げようと飛び降りたら死ぬだろ、と突っ込んでしまった。

 

また全体を通して、吉田鋼太郎演出あるあるの、「なんか派手だけどイマイチ意図が分からない」演出が多くあって、ばらけた印象のある上演だった。

赤い月が存在しているのは、まあ月に関する結構重要な言及がセリフの中にあるし、どうせまた蜷川演出からパクってきたんだろうからいいんだけど(よくない)、舞台上に水たまりがあって、たまにキレた登場人物がその水たまりを蹴り上げることで、客席前方のお客さんに水がかかるようになっていた(前方のお客さんはビニールシートを渡されていたので「かけよう」としていたとも言える)のは本当に訳が分からなかった。それこそ紅テントの公演(私も観に行って濡れたことがある)にでも触発されたんだろうかと思ったけど、最後まで意図が謎だった。

 

もちろん好きだったところもあった。玉置玲央が演じるコンスタンス夫人がなかなかにぶっ飛んでいて、鎌を振り上げてドタバタと、夫人の長台詞をお馴染みの早口で特に裏声も使わず地声で叫びまくるのは割と観ていてスカッとするような印象があった。

なにより演じていて楽しそうだし、玉置玲央が好きな身としては結構良かった。ただコンスタンス夫人がオーストリア公に悪態をつきまくった後にオーストリア公が夫人に向かって「ああ、俺に向かってこんな悪態をつくのが男だったなら(松岡和子訳、78頁)」と言うセリフがあるので、せっかくオールメールでやっているのだしこのセリフでなんかやってくれるだろう、と期待したのだけど、特になんもなく流していて「演出…!」と天を仰いだ。

あと、休憩前の幕切れが、アーサーを探して狂ってしまったコンスタンス夫人が、人形を引きずりながら舞台上をうろつくというような感じだったのだけど、その演出自体はいいとしても涙そうそうがその時に爆音で流れて、席からずり落ちるかと思った。だしの香りがする演出にもほどがあると思った。舞台はフランスぞ?

選曲もそうだけど、効果音も含め、全体的に日本のドラマというか、アニメっぽい印象があって、それも舞台がイギリスとフランスなことを考えるとなんかずっこけそうになる感じで、個人的には気に食わなかった。

 

そして何よりも、冒頭からジョン王は歌ってるし、アーサーも歌うしで、すごく嫌な予感がしていたのはしていたのだけれど、私生児までもが、アーサーが死んだことでヒューバートに詰め寄るシーンで歌っていて涙目になってしまった。シラノ・ド・ベルジュラック(谷賢一演出)の悲劇の再来!とまでは言わないけれど、やっぱりどうしても意図が謎で、「小栗旬さんって歌歌えるんですね、てかそこそこ上手いねチクショウ!!いいぞ義時!!!(やけくそ)」となる以外は特に私には響かなかった。

というか実はこの戯曲、ラスト付近で瀕死のジョン王が歌を歌っているのを王子が聞いて「瀕死の人間が歌を歌うとは奇妙なことだ」(松岡訳、184頁)というセリフがあったりするのだ。こういう状況とセリフがある戯曲で、なおかつその部分をカットしないで使ってしまっている状態の上演で、登場人物に軽率に歌を歌わせるのは、盛大なメタ的ギャグになってしまう可能性があるので気をつけた方がいいと思う。幸か不幸か、登場人物が歌を歌っている演出意図がハッキリとしないためか、ギャグ化することはさけられたように思うので良かったけれども…。

 

そんな感じで、全体的に観ていてかなり疲れる上演だったし、なんなら白状するけど、寝た。耐えられなかった。小栗旬のスタイルの良さと、子役の人があのキャスト陣の中ですっげー頑張ってる(ここまでシェイクスピアの作品で子役が活躍するのは『ジョン王』ぐらいじゃないか…?)のと、玉置玲央と吉田鋼太郎がとっても生き生きしてるのだけでは私には無理だった。

そもそも久しぶりにここまで大きいメインストリームの舞台を観に行って「なんで日本のメインの演劇はこんなに俳優さんが叫びまくるんだ…」とゲンナリした。文明の利器(なんか高性能なマイク)を使えよ…。

 

とにかく「反戦」のメッセージを組み込むならもう少し練った方が良かったと思うし、観客だって馬鹿じゃないので今戦争ものをやることが「反戦」のメッセージを含んでいることなんて百も承知だ。古典をやるならまずは戯曲と、それと観客をもう少し信頼して欲しい。

あと現実/現代と何か接点を持たせたいのならむしろ「私利私欲」でブレブレになる政治なんかを強烈に皮肉った私生児の長いモノローグがあるので、そこを演出の起点にした方が、少なくとも日本社会にとってはエッジの効いた公演になったのでは…と思ったが、演出家・吉田鋼太郎にそれを求めるのは少し酷だな…とも上から目線で思った。

 

明日は『おやすみ、お母さん』の感想あげる予定です。

『ジョン王』、ほんとは埼玉の方で2000円ぐらいで観る予定だったのに、日程が会わなくて6000円も出してコクーン席で観たのでこんな評価になってしまいましたが、とにかく小栗旬さんのスタイルがとびぬけて良く、演技も普通に良かったので、ファンの方は絶対観にいった方が後悔しないと思います。なにより歌うしね(涙目)!!

あと玉置さんはだいたいあんな感じです。だいたいはね。良い感じに飛んでることが多いですね。あと個人的に柿食う客は好きなんです。中屋敷さんが青森出身なので余計に。

それにしてもカーテンコールが演出の都合上1回しかなくて短くて良かったな…。この手の公演だと4、5回やったりとかもするので…。

 

明日は『おやすみ、お母さん』の感想あげられるように頑張ります。たぶん。