感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

2023年3月に生で観た舞台のちょっとした感想

Twitterのほうを見てる方はご存じかと思いますが、ただいま鬱で休学中です。

それでも舞台はちょいちょい観に行っている&時間だけはとにかくあるので、感想ブログは更新します。

ちなみにミュージカルが多いのは気のせいではなくて、「院に行く前に今まであまり観てこなかったミュージカルを観て、遅れを取り戻してやる!(?)」という謎の気合いがあったせいです(この頃はまだ休学するつもりがなかった)。それに合わせるように、この頃大型ミュージカルの上演が多かったのはラッキーでした。

そんなこんなでなんとか書いていこうと思います。

 

 

野村萬斎演出『ハムレット

世田谷パブリックシアター(19日、13時)

 

野村裕基がパパ(野村萬斎)のやったハムレットのコピーすぎて、観ていて既視感がありすぎて辛い、という理由のために休憩で帰ったので、とりたてて書くことはない(最後まで観ていないのにあれこれかくのもどうなのかな…とも思った)。というか、とくに酷い出来でもなければ面白い出来でもない優等生な出来だったのが、帰ってしまった一番の理由かもしれない。ごめんな、こちとらハムレットは結構観てるのよ…。余程トリッキーな出来でない限り3時間以上観続ける元気は(少なくとも今は)私にはない…。

 

あと野村萬斎演じるクローディアスと野村裕基演じるハムレットがあまりに似すぎているので、「もしかしてハムレットの本当の父親はクローディアスなのではないか…?」という深読みを誘う作品になっていたと思う。ただ、たぶんだけど作っている方はそんな深読みは誘うつもりはさらさらないんだと思う。そこがなんとなく悲しかった。

 

『掃除機』

@KAAT 中スタジオ(21日、14時)

 

奇妙な作品だった。まずもってして舞台美術が相当に奇妙だった。全体的に箱を中途半端に展開したような形になっていた。冒頭、掃除機役の栗原類がスケボーに乗った状態で滑り出てくるせいか、パッと見、傾斜のついたスケボーの会場に、一家族分の家具が散らばっているようにも見える。壁面(登場人物にとっては床面)に沿うようにベッドが宙に浮いていたりしてとにかく奇妙だった。

それなのに登場人物たちは全く意に介せず、その奇妙な家で普通に過ごしているのがまた奇妙だった(例えば、壁面にはりついているベッドとかにも足を引っかけたりしながら上手に寝ていたりした)。お父さん役の俳優が3人に分裂するところなんかもあって(3人1役というか)、観ていて頭の中で「???」が止まらなかった。そしてやっぱりそのことを登場人物たちは当たり前のように受け入れているのが、もう「奇妙さ」の大渋滞といった感じだった。

 

たぶんだけど、家の住人たちの、この「明らかな奇妙さに目をつぶる」態度が、作品で扱われている「8050問題」の結構根底の部分に食い込んでくるのではないのか、と感じた。引きこもっている娘に対して、「目をつぶる」のではなく、もっと初期段階ですべきケアとアプローチがあったのではないかと思う。また途中で、それまでの作品の空気をぶった切るように、舞台奥のブースからお菓子を食べながら出てくる、熱帯雨林(おそらくamazonのこと)の倉庫に4日だけ勤めていた男(演じるのは環ROY。ラッパーということもあってセリフ回しと身体動作がとても面白かった)が言うように、「クソ」だと分かり切っていることを「クソ」じゃないと無理矢理思い込んでやってみる(この男の場合は熱帯雨林の下っ端の仕事をやってみるということ)ような「目をつぶる」態度が、「8050問題」だけに限らず、この社会の色々なひずみの原因なのではないか、ということを示唆するような場面もあった。

 

ちなみにこの男は、家に住んでいる息子の友達らしく、作品の後半で家を出て行った息子の代わりに家にパラサイトするようになる。そんな奇妙な状態になっても、家の住人は変わらず見て見ぬふりを続けていた(そういう家だからパラサイトしやすかったのかも)。

また、この家に入った住人はもれなく掃除機に話しかけるようになる奇妙な呪いがかかっているようで、この男も例外なく掃除機に話しかける。「君はもっとパースペクティブを広げないとね」と掃除機に言って、男は舞台を降り、中スタジオの窓にかかっているカーテンをシャーッと開けながら出て行って幕だった。観ていて物理的に視界が開けた感覚に陥ったので、「目をつぶる」人々にもいつかこういう開けた感覚が訪れるかもしれない、という希望のある終わり方ではあったのだと思う。ただこの前中スタジオで観た『ポルノグラフィ』でもカーテン開けていたな…とかどうでもいいことも思ってしまった。中スタジオのカーテンは結構簡単に開けられるんだ、ということを勉強した。

 

全体的にそれなりに面白く、もっと岡田利規作品を岡田利規以外が演出するのを観てみたいな、と思わせる上演だった。今回は岡田利規的な演出が結構見られたけれど、全然岡田利規っぽくない岡田利規作品の上演とかすごく観てみたいと思った。書いていて岡田利規ゲシュタルト崩壊しそうになってきた。

 

『太平洋序曲』

日生劇場(22日、14時)

 

ソンドハイムの曲の中でも難しそうな曲がいっぱいのこの作品を、きちんと歌える俳優さんたちで上演している事には感動した。プリンシパルもすごかったけどなによりアンサンブルがすごかった。あとオーケストラ(西洋楽器)なのに和楽器に寄せた音階とか音とかで演奏しているからか「実は和楽器混じっているのでは…?」と思うくらい音楽が面白かった。

 

あらすじは、超簡単にまとめると、鎖国状態の日本が開国に至るまでの話(だいぶ脚色と想像が入っている)。最初、現代(バブル期?)の日本史の美術館みたいなところ(人形浄瑠璃風の天皇の人形とか飾っている)から始まって、キュレーター(山本耕史)が出てきて、キュレーターが狂言回しとして開国の物語を語りだしていく。

このキュレーターというか狂言回しが実は明治天皇でした!というのがこの作品のドラマチックな展開の1つになっている。キュレーターは「自分の見せたい視点」から美術館とか博物館の展示物を管理・陳列する責任者、ということを考えると、キュレーター兼狂言回しが明治天皇だった、すなわち開国の歴史を観客相手に「自分(天皇家)に都合よく」語っていた可能性がある、という開示は、かなり扇動的な意味で観客にゾッとする感覚を与える構造になるはず(ただ正直、あまり冒頭のキュレーターとか美術館とかの設定が有機的に開国の物語とつながっている感じはしないな、とは思った)。でも、この上演ではそういう恐怖めいたものが観客に全く伝わっていなかった。そのことにものすごくずっこけてしまった。

観客の政治的無関心も1つの原因としてはあるのかもしれないけど、なによりも物語の中でもの言わぬ人形(最初の美術館で展示されていたやつ)だった天皇が、物語の終盤にいたって突如狂言回しの存在に繋がり、明治天皇として雄弁に自分の声で語りだす、というこの歪でグロテスクな「変身」を、舞台の外、観客からは見えないところで一瞬でやってしまったのが駄目だったと思う(舞台奥にスライドドアがあってそのドアの向こうでやっていた)。視覚にきちんと訴える形で「変身」を描けばもっと違った効果があったのではないかと思う。

続けざまに歌われる最後の曲の「NEXT」は、おそらくバブル期を想定した衣裳を身につけたアンサンブルのなか、中心で山本耕史がかっこよく、要は「日本最高だぜ」的な歌詞を歌い上げる。観ている側としては、どの時代であってもイケイケドンドンだった日本がその後失敗したことを知っているので、本来であれば存在したはずの例の「開示」の恐怖めいたものが異化的に働き、この「NEXT」をとことん冷めた目で眺めて思考しなければならない。それなのになんか「山本耕史かっこい~みんな歌うま~い。そうだよね日本ってやっぱいいよね~(とまではいかなくても「昔はよかったよね~」)」的な雰囲気が客席にあったのが、本当に混乱したし、げっそりしてしまった。頼むから周りのお客さん、手拍子だけはしないで欲しかった。何に手拍子してるか分かってる?「イケてる日本万歳!」だよ??今それイタすぎるでしょ…。頼むからそのイタさを感じてくれよ…。

あとなんであんなに狂言回しの衣裳がエリザベートのルキーニみたいなの?いや観たいけどさ山本耕史のルキーニ。

 

せっかく現代の日本で、日本語でやるのなら(5・7・5の音で遊んだ歌とかもあって元の歌詞どうなってんだと驚いた)、もっと大胆でするどい批評性をもった上演にしてほしかったな、というのが正直な感想だった(でも演出マシュー・ホワイトだしな…海外の人だし…といううだうだはある)。キャストと歌と洗練された舞台美術が良かっただけにより残念だった。

 

もちろん好きだったシーンもなくはない。とくに香山(海宝直人)とジョン万次郎(ウエンツ瑛士)の比較を描いたシーンは結構面白いなと思った。開国前にアメリカを退けるように命令された武士の香山が、開国後どんどん西洋かぶれになっていくのと、開国前から西洋容認派だったジョン万次郎が、開国後どんどん武士道を極めていくのが舞台上で同時並行で描かれていて、二極化していく2人の描写がとても好きだった。このあと、ジョン万次郎は尊王攘夷派になって将軍暗殺に関わり、その時に香山のことも殺してしまうのだけれど、もともとはアメリカから戻ってきた罪で死罪になっていたジョン万次郎を香山がぎりぎりで助けたことを考えると、「あ、これたぶんスラッシャーの方が好きな展開だ」とかどうでもいいことを考えたりもした。

あと、五か国(アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ロシア)が日本に開国を迫るシーンも結構好きだった。五か国の代表の特徴の描かれ方がかなりステレオタイプなんだけど、特色が出ていてコミカルで可愛かった。

それと、ほとんど男の人たちの話なんだけれど、たぶん意図的に女性が多くキャスティングされていたのもバランス的に良かったと思う。

 

終演後のソンドハイム生誕祭は、てっきりキャストがみんなでハッピーバースデーでも歌うのかと思ってたら普通にトークだったので、勝手に興ざめして帰ってしまった。きっとなんかためになるうんちくがたくさんのトークだったのだと思う。

 

ただ、U25チケットを後出ししたのは、絶対に許さない。

 

『ジキル&ハイド』

東京国際フォーラム ホールC(23日、13時)

 

youtu.be

 

まず冒頭の3秒ぐらい映像を観て欲しい。「時がきた~♪」と例のあの有名な歌をいい声で歌いながら神妙な顔でレバーを押したので何が起きるのかとわくわくしたら、背後のクソデカ換気扇が回りだした。それ以上は何も起きなかった。辛かった。とにかく吹き出さないようにするのに必死だった。笑いどころではないはずなのに変なツボに入ってしまって笑い死にそうになった。待ち望んでいた「時がき」て回りだすのはせめて時計であって欲しかった。換気扇はやめて欲しかった。実験時、換気は大事だけどあれは流石に部屋が寒くなる!と思った。

しかもこの歌、仕事で失敗してやけ酒してたら、たまたま会った娼婦の姉ちゃんの一言で「そっか、自分で薬を試しちゃえばいいんだ!」と科学者としてどうなんだろうというひらめきを得た酔っぱらいの若い兄ちゃんの深夜テンションの延長で歌われている歌だったのだ。それでクソデカ換気扇が威風堂々と回りだしたのでもう腹筋が死にそうになった。頼むからこの苦しみを誰かと共有したい。

 

そんなこんながほぼ物語の冒頭にあるので「トンチキミュージカルなのかもしれない…(白目)」と思ってたら物語にも色々ツッコミどころしかなくて(精神病と犯罪を結び付けいているとこととか、ジキルが、ハイドになっていたとはいえめちゃくちゃ人殺しまくっているのに最後何事もなかったかのように結婚しようとしているところとか)、「でもそもそも原作が色々とツッコミどころある話だったような…」と思いながら観ていた。ジキル博士を演じている柿澤勇人がまだ若いので、なんとなく不自然な部分も「若気の至り」で済ませられるけれど、石丸さんがやってたらそうはいかねえ…どうなってんだろう…となって石丸ver.も観たかったな、と思った。

 

ただ、薬品のセットがとにかく色とりどりに凝って作られていたのはかなり好きだった。蛍光色に光る液体とかわくわくが止まらない。思わずオペラグラスでガン見してしまった。あとジキルとハイドを交互に行き来する歌(confrontation)のとき、柿澤勇人が瞬時に声を変えているのもすごかったけれど、ジキルとハイドで照明の色変えて、顔の見せる向きまで変えているのも(それに合わせてアシメントリーな前髪にしているのも)こだわりが見えて好きだった(上の動画の最後らへんにある)。あとこの曲が結構気に入って色々検索してたらすごいの出てきたから貼っておく。

youtu.be

 

それと、観に行く前から「柿澤勇人の床芸がすごい」とか「床とオトモダチ」とか変な感想がタイムラインに流れてくるからなんぞ?と思ってたけれど、確かに床をごろんごろんアクロバティックに転げまわるシーンがあって、「なるほどこれは確かにオトモダチ…」と思った。なんとなく藤原竜也を思い出して、「ホリプロは床を使える俳優を集めてんのか…?」と謎の疑問が湧いた。絶対「実朝~♡」みたいな大河ドラマのテンションで来た観客、面食らったと思う。

 

全体としては衣裳もセットも豪華で、5000円のチケットではトントンかおつりがくるのでは…?というくらいザ!ミュージカル!で満足度は結構高かった。歌も上手くて良かった。あと19世紀イギリスは他にもジャック・ザ・リッパーとかフランケンシュタイン博士とかもいてかなり物騒だな、と思った。

少なくとも今後私は舞台に換気扇が出てくるたびにこの作品を思い出すと思う。確実に心に爪痕を残した作品だった。

 

ダイハツアレグリアー新たなる光ー』東京公演

@お台場ビッグトップ(27日、11時半)

 

これぞサーカス!といった演目の目白押しで、楽しかったのは楽しかった。けど先生が激推しするほどかな…?と思っていたらどうも昔に比べて色々変更されてしまったらしい。残念。でも自由落下する身体ってめちゃくちゃ美しいな…としばらく余韻に浸っていた。あと先輩たちと運よく合流出来て、一緒にたっけえパンケーキを食べられたのでとても満足だった。

 

『カスパー』

東京芸術劇場 シアターイースト(29日、13時半)

 

寛一郎が初舞台初主演ということで警戒しながら観に行ったんだけれど、演技は特に問題なくてすごいなと思った。初めてでよくここまでできるな、と思った。

 

ただそれ以外はあんまり好きではなくて、平たく言うと、訳の分からない戯曲を訳の分からないままなんか綺麗な舞台美術でごまかしている感じがした。だから結構印象は悪かった。言語によって秩序を獲得し、同時に獲得された自意識がその言語のせいでゲシュタルト崩壊的に崩壊していくさまを、もっとゾッとする形で観せてほしかった。

でもカスパーがゼロ番に立って、上からぶら下がったマイクを片手に絶叫するさまは、言語を習得する前は前で怖かったが、言語を習得したために今苦しい、ということを主張しているように見えて、けばけばしい照明の色合いと相まってインディーズのロックバンドみたいで、ちょっとイケてるなと思った。ちなみに客席の入りも人気のないインディーズバンドみたいな感じで、3分の1も入っていないシアターイーストって初めて見たな、と思った。たぶんこれはチケット代(S席9000円、U25で6000円、上演時間75分ぐらい)のせいだと思う。

 

『マチルダ

東急シアターオーブ(30日、13時)

 

ガラが悪い田代万里生が観られると聞いて田代万里生回を取ったのだけど、確か怪我か何かで斎藤司に変わっていた。ミスター・ワームウッドがやる第二幕初めの反知性主義的な客いじり含めたテレビ最高ソングのあたりとか、斎藤司、とってもはまり役だったけど、この人がこういうコミカルな役上手いのは当たり前なので、やっぱり田代万里生で観たかったな、とちょっと残念だった。

 

全体的には、Netflixの映画版の方が物語が凸凹していない感じで好きだな、という印象だった。映画版と結構違う部分があって、そのせいなのか分からないけれど、舞台の方は独立した場面を何個も連続で繰り出している感じがあり、なめらかな印象がなかった。ただマチルダ役の嘉村咲良は当たり前のように上手かった。キダルト(大人の俳優が子供の役を演じる)に関しては3階席から観る分にはあまり気にならなかった。まあ子供役を演じるのが全員子役の方が「すごいねえ、みんな頑張ってるねえ」的な意味合いで感動は大きかっただろうな、とは思った。

 

それとトランチブル校長がマジで他の人よりも2倍ぐらいデカくて感動した。映画にあった、おさげの子のおさげ部分をひっつかんで砲丸投げみたいに投げるシーンも、舞台でもちゃんとやってて「すっげー!」とテンションが上がった。それにしてもイギリスの学校ものって、ハリポタのアンブリッジ先生しかり、こういう抑圧的な校長先生をよく見かけるなあ、と思った。

 

あとすごかったのはアルファベットの歌の日本語歌詞。ちゃんと聞き取れない部分(全体を通して歌詞が聞き取りづらかったのが残念だった)もあったのだけれど、綺麗にABCを当てはめた日本語歌詞になっていて驚いた。

 

ただまあ、そもそも望まない子供を産む羽目になったミセス・ワームウッドに対して「命って素晴らしいですよ!」的な無責任な歌で開始されるこの物語の、子供の可能性とか赤ちゃんを授かることに対する妙な神聖視が結構気持ち悪いと思ってしまうのは変わらなかった。上演としては良く出来ているけれどそれ以上でもそれ以下でもないな…という感じだった。

曲付きのカテコラストに、マチルダがポスターと同じポーズをして一気に真っ暗になって上演が終了したのが、個人的に一番の感動ポイントだったかもしれない。

 

ジェーン・エア

東京芸術劇場 プレイハウス(31日、13時)

 

知り合いが関わっていたので応援の意味も込めてS席で観に行ったのだけど、ちょうど生理痛が激重な日にぶつかってしまって内心うめきながら観ていた。上演中に痛み止めをガサゴソやってしまい、観にくるのが5回目と3回目の隣の方々に大変申し訳ないことをしてしまった。

というわけで以下、わりと低評価なんだけれど、これは上演そのものが良くなかったせいなのか、私の体調が良くなかったせいなのか自分でもよく分からない。

 

全体的に音響があまり好きではなかった。妙にマイクを通した歌声がくぐもって聞こえてしまい、なんだか音程を外しているようにも聞こえてしまった。井上芳雄の高音かつ大音量ではない声が、背後の音と混じって突然消えたように聞こえたのにはすごく驚いてしまった。

 

あとオンステージ席があって、その席にクソ高いチケット代払って座る貴族の観客の方々は、何故か黒っぽい服装で来ることを指定されているようだった。黒という目立ちにくい色合いの指定からも嫌な予感はしたのだけれど、このオンステージ席、上演を通してとくに意味はなかったのがずっこけた。まさか本当に昔の貴族の席みたいに、自分の財力を見せつけたり、好みの俳優を近くで眺めたいためだけに設置されたんか…?と思ってしまった。

 

それと、NTLiveでジェーン・エアを観た時にも感じたのだけれど、私はいまいちこの話の面白さが分からない。ミュージカルになったら少しは楽しめるかと思ったのだけれど誤算だった。おもしれー女がおもしれー女と友情を深めたあとにおもしれー不倫男と結婚するだけじゃねえか…という「だからなんだ」感がすごい。しいて言うなら後半ジェットコースターみたいなスピード感でトンデモ展開が繰り出されるのは面白いような気もするけれど、これは初見だけの楽しみな気がする。

 

ただ井上芳雄の脚はとにかく長かった。あと井上芳雄が演じるジプシーのおばあちゃん、というたぶんあんまり観られない役が観られたのは、まあよかったかな、と思う。

 

体調アホみたいに悪化してたんだから休憩で帰った方が自分のためだったし、なにより周りのためだったなと書いてて思った。

 

今度、2023年4~5月に観たものの感想あげます。

ミュージカル強化月間と名付けて個人的に観まくってみたんですけれど、豪華で素敵で観ていて楽しいけれど構造的に「面白い」とはあんまり思えないな、ということを改めて実感しました。感覚としてはリアリズム演劇の延長なんだよなあ…ミュージカルって…。

まあでも好きな俳優さんとかが全力で歌っているのは観ていて気分がいいな、とは思います。また有名どころとか観に行こう。

それともうちょっと復活したら4~5月に観たものの感想もまとめてあげる予定です。予定では7月くらいかな…。7月に🐴だけ日帰りで観に行く予定なので、それもまとめてあげるかもしれません。

それにしても6月は東京に行けなくて、NTLiveの『オセロー』が観られないのが心残りです…。