感想日記

演劇とかの感想を書きなぐってます。ネタバレはしまくってるのでぜひ気をつけてください。

『東京ノート インターナショナルバージョン』

2020/02/11
吉祥寺シアター
13:00から 全席自由、中央上手側8列目
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白状しますと実は一昨日
唐十郎の『少女仮面』を観てたんですが
どうもアングラは言葉におこしにくい...。
まあ反体制じみてるので当たり前なんですが...。
というわけで先にこっちを書いちゃいます。
溜めないの大事。(というか覚えてられない)
吉祥寺シアター平田オリザも初めてです。
何回も授業では見たり聞いたりしてたんですが。
2年近く素通りしてました、すみません。
ついでに野田秀樹も永井愛も未だ素通りしてます。
改めて書くとなかなかやばいですね。
勉強頑張ります。
でもまずは『少女仮面』の考察、じゃないや
東京ノート』の感想です。

なんだかインスタレーションじみた舞台でした。
言葉で書くより見た方が早いと思うので
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Twitterで@ERST_infoさんのアカウントに
載せられていた制作現場の写真です。
なんか伝わりますかね。
ステージナタリーさんのアカウントだと
こんな感じなんですけど。
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水色と銀灰色、あとモノトーンと木目という
割とシンプルな色彩です。
もしかしたらフェルメール真珠の耳飾りの少女
の色彩感覚に寄せてるのかもしれません。
劇の中によく出てきます。セットにももちろん。
色味は割と似ているような気がします。
このシンプルな色彩がなんとなく
都会っぽい空の色に似ているというか
あるいはこの上に伸びた円柱型ののオブジェが
(まあ本棚なんですが)
渋谷109とかそういう建造物を
なぜか連想させます。
だから字幕用のモニターもかなり溶け込んで
違和感ほとんどなかったです。
広告用のモニターみたいにも見えて
The 東京!って感じですね。
7カ国語で展開されるのも
上京してきてすぐの頃思い出しました。
中国語とか地元だと聞きませんからね。
まして街中なら尚更です。
英語も言わずもがななんですが
映画とかでは結構触れるので
それ以外の言語が街中で飛び交ってるのが
東京来てびっくりした事の1つです。
ただ、多言語上演はやっぱり
かなり思い切った試みだと思います。
蜷川幸雄さんも失敗...と言ったら失礼ですが
たしかなんかイスラエル辺りでやられて
トロイアの女たち』だったと思うんですが
イマイチだったらしいです。(by教授)
ただ、今回は戯曲の特徴といっていいのかは
ちょっとわからないんですけど
話の進行の都合上
聞き逃しても大丈夫だったし
結構ハマっていたように思います。
役者さん同士が多分、日本語なり英語なりで
日常的にコミュニケーションは出来るから
観てる方にも
あまり壁を感じさせないのかもしれないです。
コミュニケーション出来る、というのは
ある程度通訳を挟まないで、という意味でです。
ただ、目移りならぬ耳移りするので
ある程度他の言語も出来ると楽かなあ。
字幕モニターも
完璧に一致している訳では無いので。


話の進行の都合上なんて
曖昧な書き方をさっきしたんですが
戯曲読んで頂いたほうが
よく理解は出来るとは思うので
ざっくり説明すると

ヨーロッパが大戦争中の今から15年後の日本。
絵画たちが戦火を避けて
他の国の美術館、特に日本の美術館に大避難。
フェルメールの作品も全部揃っている
この日本の美術館の
休憩用の椅子がある空間を
出たり入ったり行き交う人々の
様々な会話...

を"盗み聞き"しているような感じがした、
というのが個人的な感想です。
カフェとかであるあの感じです。
ちょっと楽しいですよね。
その多国籍の人々が
色々なところで交流があったりするので
グローバルな世界、他人と近くなれる世界
そういうものを感じたような気もします。

それと全くの反対のことを考えさせられたのも
面白かったです。
セリフの中に

"絵をみるって変な感じ。ものを見た画家がいて
彼がそれを2次元にしたものをさらに改めてみている訳だから"

みたいな趣旨の発言があるんですが
それに関連して

"昔はレンズを通してみた風景などを絵に書いていた事"
"フェルメールのいた時代は、望遠鏡や顕微鏡といったレンズを通して、全てをみようとした時代だったこと"
"フェルメールが窓の方を向いている絵しか描かなかったのは、みたいものにだけ光を当てて、あとは全部真っ暗ということにして無視していたこと"

なんてことが言われていたりします。
そして"今の人々も変わらないのだ"ということ。
つまり、各々個々人で世界をみるような
レンズ...(といより尺度と言った方が
理解はしやすいかもしれません)
とにかくそういうものがあって
みたいように、理解したいように
世界と関わっているのだと思います。
つまりみんな、ざっくばらんに言うと
自己中心的ということです。
話の中に出てくる戦争も、国籍とか家族の問題も
そういうレンズの食い違いが原因
なんじゃないのかな、と勝手に思いました。

すべて針金とか、骨組みとか
すけるような薄い紙で作られた舞台セットは
そういうものをとっぱらったような世界
あるいは思い込みだけの子供じみたハリボテの世界
そのどちらも象徴しているようで
美しかったです。

人々が絵画とか、色々な芸術を観るのは
そして、ときにそれに縋ったりするのは
そういうレンズの食い違いにちょっと触れた時
びっくりした心を落ち着けたり
自分だけじゃないって安心したりする
そういうためかもしれないですね。

そして私は『少女仮面』の感想を
忘れないうちに組み立てられるかが今不安です。
早く安心したい...。
頑張ります...。