『Sea Wall』
2020/05/17
Youtube
(※最初の投稿の時、アレックスとアーサーの
名前がごっちゃになってました。
誤字脱字にも程がある。すみません。)
ちょっとカテゴリ分類に迷ったので
映画と演劇の両方を付けました。
そもそもとして、録画された演劇は
半分映画ではあるんですが、
1人芝居なるとめっちゃ顕著ですね。
多分この『海の壁』も、
劇場でやれば、前半に関しては
かなり笑いが起きると思います。
イギリスの人気?有名?番組ネタとか結構入るし。
後半もセリフ的にはユーモアがある。
(雰囲気として笑えるかは怪しいですが。)
あと、探偵小説(detective fiction)に
モリアーティがハマってるのは
ちょっとメタ的に面白かったような気もします。
それが映像として録画されるだけで、
こんなにしんみりした感じになる。不思議。
主人公アレックスが、
顔としては、割と終始笑ってるけど、
目の奥には、あったかい懐かしさと、
今にも泣き出しそうな悲しさしか、
見えないのも原因かな、と思います。
初演の時もかなり小さい劇場だったとのことで
もしかしたら劇場でも、
ちゃんと表情の微妙な細かいところまで
はっきり見えたのかもしれないので、
単純に比較は出来ませんが。
てか本当に劇場で観たい...!
いっそ来日とかどうですか?
...無理か、チケット取れない。絶対。
今月残りの生活費かけてもいい。
日本の俳優さんで、なんか上手い人で
権利関係に話通してやって欲しいなあ...。
...でもこのアンドリュー・スコットさんに
勝るとも劣らないぐらいで、同年代くらいの
俳優さんって日本にいるのか...?
あんまり詳しくないからわかないですね。
賞賛するとこは星の数ほどあっても、
貶すところは一点もないという素晴らしさ。
"演技してないように演技する"のが
どれほど凄い"演技"なのか、ということを
実感してます。本当に経験してきたみたい。
1人芝居は、1人で観客の中に
イメージを作り上げて、空間を支配する必要が
どうしても生じてくるので、
そもそも上手い人しかできないから、
上手いのは当たり前なんですけど、
それにしても凄かったです。
あとこれは個人的な好みなんですが、
私は、少人数になればなるほど、
上演時間が短くなればなるほど、
そういう演劇の方が好きなので、
要はこの『海の壁』大好き!です。
1人芝居にも色々種類があるんですが、
今回みたいに"1人で語る"、例えるなら
日本でいう落語に近い形だと、
カウンセリングルームに座って、
他人の心や頭の中を覗き見している感じがして、
そういう窃視癖?みたいなものを
満たす意味としても好きなのかもしれません。
しかも向こうはこっちに語りかけてくるので、
厳密には"窃"の犯罪ではないので、色々セーフ笑。
戯曲も短くなればなるほど、
無駄が削ぎ落とされて、
それだけでも既にものすごく綺麗なのに、
それが俳優さんを通すと
豊かなイメージが付随して
綺麗さ5割増で美しくなるので、好きです。
今回も地中海の海の青さとあたたかさ、
水しぶきの煌めきがちゃんとみえたよ...!
言葉と内容をきちんと厳選して、
正しく凝縮したものは密度が高く、
その分の衝撃が、長編に勝ることはあっても
劣ることは決してないと思います。
というわけで、内容に関しては
野暮なことを百も承知で、いつもより短めに...
なるように頑張って書く...うん。(...無理かも)
最初に主題のまとめ。
"海の底に果てなく沈んでいくような
深い悲しみに未だ囚われながら、
それでもその水面から
僅かに差し込んでくる光のような
『神(たる何か)』を掴み取りたいと願う"
そういう男の話って感じですかね。
(まとめにかかると、下手くそに詩的になるので
ちょっと自分でもキモイとは思うんですが、
それは今更なのでスルー。)
だから、正直娘のルーシーが死んじゃった、
とかは、大事ではないとは言わないけれど、
特別に重要ではないと思います。
むしろ神に対してアプローチの違う、
二人の男...アレックスと
アレックスの義父のアーサーの話、
ってみた方が良いというか。
(ヘレン、ルーシー、名もなき友達、ごめん。)
アーサーは元軍人の数学の先生で、
戦争という壮絶な経験を通して、
おそらく何らかの形で、
"神は我々の理解の範疇外に確かに存在する"
ことを実感している人です。そういう人が、
数学の先生になったって言うのが面白い。
文学者が言葉で真理を理解しようとするなら、
数学者は数字で真理を理解しようとする。
だから、文系理系の区別はあるけど、
イマジネーションとかインスピレーションとか
なんかそういうふわっとしたものに関しては、
両者はほとんど同レベルだと思います。
むしろ、数学者の方が
使うことの出来るツールとしての言語...
この場合は数式に使う言語、数字ですが
そういったものが限りなく制限されるので、
ある意味では文学者よりも空想的だと思います。
対するアレックスは科学者っぽい。
写真をやってるからかもしれませんが、
"神が存在する"ということを
目で見えるように確かめたいと考える人。
"説明できないということはないのと一緒"
って考えてる意味では無神論者よりかも。
だから、アーサーの説得にも
イマイチ納得しきれない。
そしてアレックスは今、娘を亡くし、
信頼している人を深く傷つけ、
泣くこともできないくらいの責任と後悔と
悲しみという壮絶な経験を通して、
"If this can happen, anything can happen."
(こんなことが起こるんだったら、
何でも起こりうるじゃあないか)
と、いずれ神の存在に関して、
何らかの形で理解を得ることが出来ることを
確信するわけです。
しかしまだ、希望の形でもあるから、
痛々しさも感じられる。
それ込みで、シンプルなセリフは
とても美しいと思いました。
"Just because we don't know
doesn't mesn we won't know.
We just don't know yet.
But I think one day we will. I think we will."
(わかんないからって
この先もわかんない訳じゃない。
ただ"今はまだ"わかんないだけなんだ。
でも僕は、いつか、いつか、わかると思うんだ)
たとえ神についてなにかしら分かったところで、
彼の海の底に沈んでいく(falling)ような
深い悲しみが癒されるのか、
少しでも安らかになるのか、
それに関しては結局分かりませんでしたが。
ただおそらく、"神とは何か?"とか
"(神的な意味で)この世の真理とは?"などの、
西洋人やクリスチャンに対する
永遠の問いに対して
何かしらのきっかけを掴むためには、
このぐらい壮絶な経験が必要だということは
なんとなくだけれど感じました。
戦争もまた同じくその種類のものだと思います。
この辺はキリスト教圏外の多神教国家としては
理解はできるけど実感はできないという、
歯痒いところが無くはないです。
西洋文学で、いつもいつもつまづくのはここ。
一神教の強烈なバックボーンの前に
虚しく敗退してる感じが辛い。
勝負もさせて貰えない感じです。
ただ、そんな辛い経験をしなきゃ、
神に対しての理解のきっかけを掴めないのなら、
自分はいつまでも無理解でいいや、
とも思ったりもしました。
多分1番幸せなのは、幸せな人生なのは、
"神について深く考える必要のない人生"
なのかもしれないな、と感じます。
その意味では日本でよかったと思わなくもない。
キリスト教圏にいる限り、
多分避けては通れない事なので、
少なくとも悩み事は1つ分だけ少ない訳ですから。
いやそれにしても、素晴らしいの一言です。
戯曲も演技もあえて演出をしないという演出も
全てがラストに向かって綺麗に一直線。
『Sea Wall』のタイトルの意味も巧みに回収。
(日常の中に潜んでいて、意識しないと
殆ど気づかないことが、確かにあって
それについて知ることはほとんど畏怖に近い。
またそれは神聖さへの架け橋にもなる。
そもそも海自体が自然という意味で、
人間のコントロール外であるわけだし。
あとは、深い悲しみにおちることの隠喩。
その二つが上手く組み合わさってて凄い。)
もうほんと、ため息しか出ないヤツですね。
沈黙の使い方も完璧すぎる。
あれが、役者のカンってやつですかね。
『SHERLOCK』のモリアーティの
イッちゃってる演技とは正に"数学的対極"。
ダニエル・クレイグなんか
めじゃないよ!(失礼すぎる)
あ、でも、なんか記事読んだ限り、
途中2回だけ壁の向こうに消えるのは、
カットをかけるためらしいです。
なんかカメラが12分しか持たないらしくて。
この劇フルだと32~4分ぐらいなので。
それってどうなの笑笑って
ちょっとなりました。
なんか他の、もうちょっとだけ
性能がいいカメラはなかったのか笑。
カットしてる感じはカメラ自体を
動かしてないせいか
あんまりしなかったですけどね。
それにしてももともと楽しみだったけれど
『プレゼントラフター』がさらに楽しみです。
...コロナのせいでまだ上映日決まってないけど。
コロナのせいで『海の壁』が観られて、
コロナのせいで『プレゼントラフター』が
ちゃんと観られるか不安って何このジレンマ。
そういうプレイは要らないので、
早くコロナウイルスさんは終息して下さい。
あと、今『キャッツ』を
"観るか観ないかそれが問題だ"状態の
ジレンマにも陥ってます。
こんにちはハムレット。めっちゃ迷う。
...どうせするなら、観た後悔か...。
アイス片手に頑張ります笑。