『The Winter's Tale』(The Royal Ballet)
2020/05/13
Youtube
(画像は公式Twitter@RoyalOperaHouseから)
オンライン授業が始まって
Youtubeとかに割ける時間が減りました。
なのにどんどんあがるから大変で、
嬉しい悲鳴とはこのことか、と思ってます笑。
ロイヤル・バレエ団も次の金曜日に、
『アナスタシア』をあげるみたいで
取り急ぎ『冬物語』を観ちゃいました。
王様が2人いて、ちょっとややこしいので
最初に書いておきます。
シチリア王レオンティーズ
ボヘミア王ポリクシニーズ
...全部書くと長いので以下は名前だけで...。
それにしても、シェイクスピアでバレエって
何本か観ているんですが、未だに
"よくやるわ...ほんとすげえ..."
って毎回なっています。
セリフがないのにちゃんと、
シェイクスピア劇なんですよ...どういうこと...。
しかも、今回はロマンス劇の『冬物語』!
明確に誰か1人が主役...って
言い切るのが難しいやつだと思ってます。
劇中でも16年も経過してますし。
頑張りすぎだろ"時"。どの戯曲かは忘れたけど。
このえげつないぐらい年数も人数もかかる
シェイクスピア劇をバレエ化するのにあたって、
今回1番凄いなあ、と思ったのが
衣裳の色の割り振りです。
もちろんそれ以外の舞台セットとしての、
ボヘミアとシチリアのそれぞれのシークエンスの
大きいサイズでのトーン割り振りもすごいけど、
出てきた人をパッと見ただけで、
誰がどっちサイドの人とか、対立関係とか
あれがあの人だ!とか、衣裳のおかけで
遠くから見てすぐ分かるのって、
そんなに目立つことではないけれど
よくよく考えると凄すぎます。
頭の中どうなってるの。感動します。
戯曲を読んだのも結構前だったのに、
観ていて全然混乱しないのが本当ビックリです。
衣裳に関していえば、個人的な好みですが、
男性の衣裳にも裾がついてるのいいですね。
回った時のダイナミックさと力強さが凄い。
女性だとふわふわと優雅で可憐だけど、
男性だとバサっと豪華で格好良いです。
特に2人の王が手と手を取り合って、
軽快な音楽に合わせてはね回る時なんかは
なんとなく戯曲にあるような、
互いを称え合うセリフのテンションそのまま!
この間『Metamorphosis』で観た
エドワード・ワトソンさん含め
(名前覚えたぞ、やったね!)
各々の表現力がカンストしてます。
シェイクスピア劇だからなのかもだけど、
演劇的バレエってよりは、
なんかもうバレエ的演劇って感じです。
(まあもう少し広い意味でとると、
バレエも演劇の枠に入っているので、
ここでの演劇はストレートプレイってことで...)
あまりにも演劇的なので
妊娠しているハーマイオニー王妃のお腹が
詰め物なのは百も承知でハラハラしました。
あんまり動くと危ないよ!って感じです。
そのハーマイオニーの夫のレオンティーズが、
彼女の浮気を疑う時、周りは全部停止して、
レオンティーズだけが動く演出には、
なるほど!ってなりました。
確かにこうすると、
"彼個人の心の中の出来事"だということが
すごくわかりやすいです。
スポーツ漫画とかでよくみる
一瞬の長考にも似てるかも...。
シンプルだけど効果的です。
それにしてもここでのレオンティーズは、
ほんとに指まで神経ばっきばきに通ってて、
鋼みたいな印象があります。
ポリクシニーズの方が、勝手な印象ですが
少しラテン系な感じもするので対照的です。
対照的といえば、音楽も、
またバレエの動き自体の雰囲気も、
結構対照的になっていたような気もします。
(バレエの動きに関しては、ど素人なので
本当に漠然とした印象です。
習ってればわかるんだろうけれど...無理)
音楽に関しては、シチリアと比較すると、
ボヘミアの方がエキゾチックな感じで
異国情緒漂う感じの音楽でした。
オリエンタルというか、そんな感じです。
おそらく最初と最後がシチリアなので、
そちら起点を置いてるからかな、と思います。
バレエの動き的には、逆に、
ボヘミアの方が、いわゆる全幕バレエ!
って感じの1回は見たことあるような感じで、
シチリアのほうがなんとなく前衛的な、
コンテンポラリーがかなり混じった感じでした。
それと演技力の高さが相まってか、
1幕のシチリアの場面は、あまりの迫力で
拍手がなかったぐらいです。
こういうバレエで拍手がないのは
初めて観ました。びっくり。
シチリアの方は、セットの全体的なトーンも
ほぼモノトーンだったりしたことにも、
観客が拍手をするのを忘れるぐらい
雰囲気を緊迫化した理由があるかもです。
『冬物語』はざっくりの流れとして、
シチリアから始まる悲劇が、
ボヘミアで喜劇に転じて、シチリアで大団円、
って形なので、最初のシチリアが
暗い雰囲気なのは納得です。
そしてそこから駆け上がるボヘミアの雰囲気!
何よりも視覚に飛び込んでくる
煌びやかな木のセットがすごいです。
宝石ついてるようにも見えます。御伽噺的です。
(そもそもロマンス劇が御伽噺的なので
ピッタリといえばピッタリ)
天上界とか、雲の上にいるみたいでもあったし、
全体的なトーンも夢みたいにカラフルです。
ディズニーのラプンツェルに近いかも。
...多分これはこの前金曜ロードショーで
観たからですね笑。
それにしても本当に
このボヘミアのシークエンスは
目がチカチカするぐらい華やかでした。
個人的な考えとしては
シェイクスピア劇をバレエにする時、
1番大変なのは、明るい世俗っぽさと、
朗らかだけどちょっと下品な感じを
どこまで戯曲のセリフレベルで出せるか?って
とこだと思っているんですが、
(なんせシェイクスピアは
下ネタのオヤジギャグのオンパレード)
今回は庶民たちのおおらかな、そして
異国の雰囲気満載のお祭り騒ぎで
大部分回収している感じがしました。
バレエはどうしても天上志向で、
精神的にも物理的にも上に上にいってしまうので
下手こくと妖精物語に全てなってしまいがち。
(だとあくまで個人的に思っています)
こういう下へ下への動きがあった方が、
特にシェイクスピア劇なら、好きです。
そしてそのバランスの取り方が上手すぎます。
ケネス・マクミランの『ロミジュリ』なんかも
俗っぽさと下品さを、不安定さに置き換えて、
見事に表現していたんですが、
今回みたいなのは初めて観ました。
多分、ボヘミアのおおらかさに至るまでに、
シチリアの高尚な悲劇感との対比があるから
民衆の踊り、男女のお祭り騒ぎだけで、
ここまで表現し尽くされたんだと思います。
悲劇と喜劇の対照で言うなら、
最初はレオンティーズに疑われた
ポリクシニーズが、レオンティーズに
すがるようにへたりこんでいたのに、
最後にはそれとは逆に、レオンティーズが
ポリクシニーズに許しをこうかのように
同じ振り付けをしていて、
ダンス(振り)が逆に回転していくイメージが
悲劇から喜劇に回転していくイメージと
重なる気がしました。
最後には全部解決して、
なんと死んだと思ってハーマイオニー王妃も
なにかしらの理由で生き返って
(さすがロマンス劇)
大団円にはなるんですが、
その大団円の物語の背後で
悲劇ともとれるように終わってしまった人々...
夫を亡くしたポーリーナと
死んでしまった王子マミリアス(の像)
が強調されていたのは、
ちょっとこの間の『十二夜』を思い出します。
シェイクスピアの時代にどう演出されてたのか
知る術もないですけれど、
多角的な視点を想定できる現代だから
こういう"はずれた人々"への視線も感じる、
そういう演出が最近多い気がします。
...本当は今日、山海塾の動画も
観ようかと思ってたんですが、
ちょっと時間が足りないかなあ...って感じです。
授業が始まったのは嬉しいけれど...。
オンラインで論述試験やる!とか
宣言してきた先生もいらっしゃるので
(マジかよ...ってなりました)
正直不安でいっぱいです。通信制限とか笑。
あとタイピングも苦手なので
頑張らないと、です。
インターネットに強くなる春学期になりそうです。